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38.出発

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「―――っっっ」

 ドーンッと重々しい音が、城全体に響いた。ひ弱なユーグの体はよろけ、剣が大理石の床に落ちる。
 ざわめく玉座の間で、マルベーは静かに周りを窺った。オロオロとする陛下に、眉を潜める后、それに親衛隊は静かに佇んでいる。

(逃げるチャンス?)

 そう思った時、勢いよく両開きのドアが開けられた。振り向くと、何十人と騎士達が飛び出してくる。その中にラファイエットの姿を見つけて、マルベーは声を上げた。そして、黄金色の髪に、頭一つぶん飛び出した身長。

「ティメオっ!」

 騎士達が王座に駆け出して行くのと反対に、マルベーも走り出す――後ろに気が付かなかった。再び剣を持ち、マルベーの背中を狙おうとするユーグに、ティメオが剣を抜く。

「? 」

 大きな手が後頭部を包む。体がすっぽりと収まる体躯に、懐かしくなる匂い。ほっと安心した途端、後ろで叫び声が上がった。

「――死を以って償え」

 頭上から、凍えるような声がした。そっと後ろを見ると、ティメオに胸を突かれたユーグが、もがくように手を伸ばす。

「ぁ……」
「貴方は見ないでいい」

 ぐっと頭を押さえつけられる。温かい体温と、ふと見せた柔らかな表情にマルベーは泣きそうになった。

「ティメオ……」

 来てくれて嬉しい。ただそれだけを言いたかったのに、年下の夫はぱっと体を離す。泣きそうな表情で「ごめんなさい」と言った。

「ぇ、え……」

 ティメオが見知らぬ名前を呼んだ。若そうな騎士が飛ぶように駆け寄ってくると、ティメオはユーグから剣を抜いた。
 ドサリと鈍い音と共に、床に広がる血だまり――を踏みつけて、ティメオは玉座に向かった。

「ま、待って、ティメオッ」

 あちこちで悲鳴が上がる中、ティメオは揺るぎない足取りで向かった。目の前には恐怖で戦いた父親がいる。

「誰かっ! 誰かぁっ!」

 宰相が叫び声を上げるが、親衛隊は動かない。ユーグに席を奪われたかつての長は、ティメオと静かに頷き合った。

「おぉ……む、むす、息子よっ」

 王はすがりつくように、ティメオに手を伸ばす。裏切られ続けた息子は無言で、老いた父親を睥睨していた。

「わ、悪かったっ、悪かった、申し訳ないっ……さ、宰相にっ、宰相と、その断れずっ……こ、断れなかったん、だっ」
「――お前を一時でも信用した私が愚かだった」
「っ――」

 マルベーが玉座で見たのは、タペストリーに付いた鮮血だった。切りつけられた王の体が、がくりと床に落ちる。后は気丈にも、ティメオを睨み付けた。

「この野蛮人っ! これは転覆よ、お前は、お前は王に反逆した罪で――」
「料理長が自白しました。家族を人質に取られて、貴方に毒を盛るようにと強要されたと――おい、連行しろ」
「嘘よっ! でっちあげよ!!!」
「黙れ」

 喚く后や宰相が連行されると、息も絶え絶えになった王が、ティメオの足に手を伸ばす。「許してくれ……むすこよ……」

 ティメオは冷めた目で、足下を振り払った。

「この……老人の手当を。回復次第、裁判にかける」
「はっ」

 騒然となった玉座で、ティメオは剣を降ろした。血が滴り落ちた刃先をぼんやりと見つめる背中が小さくなったようで――マルベーはたまらず、抱きついた。

「ティメオっ!」
「……駄目です」

 そっと手を外される。見上げると、力を無くした目があった。

「な、なんだよっ!」
「……離縁しましょう」
「はぁ?!」

 感動の再会から一転、ぎょっとするような台詞。マルベーの声がひっくり返った。

「な、何言ってんだよっ!!」
「私は……私は愚か者です……あんな、あんな父親を信用してしまった……今までっ、今まで、ずっと信用できないと、母の時から分かっていたのにっ! そんな男に貴方を預けてしまった!」
「……ティメオ」

 年下の夫は泣きながら、何度も謝罪を口にした。そうして、躊躇うようにマルベーの前髪を掻き上げる。
 ユーグに殴られて、雑に手当をされた額。ティメオは嗚咽を漏らしながら、抱き締めようとして――手を下ろした。

「おいっ」
「あ、貴方のそばに、私はっ、私は……相応しくないっ」
「はぁ?!」

(なに勝手に話進めてんだ)

 泣きじゃくる夫を慰める気持ちより、なんだか怒りが湧く。涙も引っ込んだマルベーは、むんずと尻尾を引っ張った。

「おいっ! 相応しくないとかっ! なに勝手に結論付けてんだよっ! 」
「っ……ぅ」
「俺の気持ちはどうなるんだよっ! 俺はっ、俺はお前が来るって信じてたのにっ! 俺はお前が来てくれてっ! 助けに来てくれて嬉しかった!」
「っ、マー……!」

 抱きつくと、大きな背中に腕を回す。今度は引き剥がされないように、ぐっと力を込めた。

「離縁なんかしない! 絶対、絶対ッ、離縁なんかしない! お前、父親になるんだろう?! 子どもの名前考えとくって言ったじゃんっ! 俺は三人は子ども産むから なっ! それで、それでっ、お前と死ぬまで一緒だよっ! 生まれ変わっても一緒だって! 約束したよなっ!!」

(そうだよ。ずっと一緒だよ)

 ティメオとの未来を妄想しては、頬が緩んでいた。きっとこの先、喧嘩とか他愛も無いことで言い合いをするだろう。でも、マルベーはそれすらも楽しみにしていた。

「離縁なんかしない……ティメオは……俺のこと嫌いになったの……?」

 抱きついたら、尻尾が腰に絡みつく。見上げると、夫は首を横に振っていた。

「……嫌いになるわけない……貴方しかいない……私だけの人……」
「じゃあ、抱き締めて。腕を背中に回して」
「はい」

 温かい手が、背中に回る。震えるような、慎重な手が、背中を優しく撫でた――マルベーは顔を埋めて泣いた。















 宮殿は一時期、騒然となった。宰相達が地下牢に収容され、暗殺未遂事件に関わった者達が次々と逮捕された。
 陛下は病状悪化を理由に、公から退くとお布令が出され、ユーグは事故死と発表された。何やら不穏な気配を感じ取った醜聞紙が、あることないこと書き立てたが、おめでたい発表が一面に載った。

 ティメオ陛下と后の間に、ルイーズ皇女が誕生――戴冠式で、純白の産着に包まれたルイーズ様をあやす后の姿は神々しく、まるで地上に舞い降りた天人のようで……

「だってさぁ~~~!!」

 マルベーが意気揚々と、醜聞紙を広げる。聞こえるように騒いだのだが、肝心の夫はベビーベッドに囓りついていた。

「小さい……小さい……」
「ね! ほら、俺の戴冠式の様子っ!」

 声をかけるが、ティメオは聞こえていないようだった。寝台で手足を動かす、ルイーズを凝視していた。

「小さい……」
「そりゃ小さいよ、まだ赤ちゃんだもん」
「……もっと、着込ませないと……大丈夫でしょうか? こんなにも小さくて……もっと食べさせないと……」
「先ほど、お乳を沢山お飲みになられましたよ」

 乳母が安心させるように言うが、ティメオはじっと不安そうに娘を見つめていた。そっと慎重な指先で、頬に触れる。途端に笑い声を上げた赤ん坊に、おっかなびっくりしていた。

「抱っこして上げてよ、旦那様」
「……でも、私が触れたら……」
「何言ってんだ、父親なんだから」

 首も据わっていない赤ん坊は、ティメオの金髪に、マルベーの瞳を受け継いでいた。ティメオは「小さい、小さい」と呟きながら、娘を抱いていた。
 醜聞紙がどうでもよくなるくらい、微笑ましい親子の姿。マルベーはニヤニヤしながら、手紙を書こうと決めた。

(あとルイーズの肖像画も親父達に贈ろう。ラファイエットにもね)

 ラーナを安全な場所に送ると、何故か自分の実家まで案内したラファイエット。手紙には何も書かれていなかったが、多分もうすぐ報告が来るだろう。

 夫が「ルイーズ」と、緊張した面持ちで、赤ん坊に呼びかける。すると突然、ふにゃふにゃしていたルイーズが、泣き出してしまった。
 オロオロする夫に「俺があやすから」と、マルベーは笑いながら腕を伸ばした。








  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ここまで読んでくださってありがとうございます。
 マルベーは無事死亡フラグを回避しましたが、次回から「幸せ子育てパラダイス」が始まります。まだまだお付き合いして頂けたら嬉しいです。

 また、途中入っていた番外編の話をすると、あれはキセハナのストーリーになります。本来であれば、ティメオは身籠もっていた妻(とラファイエットといった騎士達)を自分の留守中に殺され、発狂して狂王となってしまう展開でした。そして生前の妻が言っていたように輪廻転生しているはずだと、他国を侵略しまくって、妻を捜し求めます。そこで野花(奇跡の花)を見て、記憶を思い出した神子と……というストーリーでした。

 でも、幸せ家族を築けた二人が、ストーリーを変えることができたということで!あともう少しお付き合いして貰えたら嬉しいです!

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