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黎明 縁は絡まり、星の手はさ迷う
大惨事
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「おはようございます、フェオドラ様」
ノックをして部屋に入ってきたのはレオンチェフ家から付いてきてくれたインナ。引き続き、フェオドラの侍女として働くことを許可してもらったのだ。部屋に入ったインナが見つけたのはこんもりと丸まった布団の山。
珍しいなと思いながらも、近づけば、声に反応したのか隙間からフェオドラが泣きそうな顔を覗かせた。
「……インナ」
「フェオドラ様、どうされました?」
「……ぱ、パパが、パパがね」
「はい」
インナはフェオドラの言葉を待つ。おずおずと吐き出された言葉はパパがいなくなったということ。それにインナは一つ一つ事柄を確認していく。
「この部屋の中は探しましたか?」
「探しました」
「クローゼットも?」
「はい」
そうとなれば、誰かが侵入して盗っていったか。けれど、理由は? インナは考えながら、部屋を見渡す。そして、椅子の上に畳まれたガウンに気づいた。
「フェオドラ様、昨晩部屋の外に出られましたか」
「あ。はい、出ました」
怒られると思ったのかキュッと布団の中に隠れてしまったフェオドラ。それにクスリと笑みながらも、インナは何故ですかと質問を重ねれば、アルトゥールが来たことを感じてとなどと言われ、この察知能力は如何なるものかと苦笑いを浮かべてしまう。けれど、それは思考の端に置き、その時パパはどうしたかと問えば、あ、とフェオドラは布団を脱ぎ捨てて立ち上がった。
「二階の窓付近でしたね」
「はい、門が見えるところ」
「では、探して参りますので、フェオドラ様はお着替えしておいてください」
「ん」
パパのことはインナに任せ、フェオドラはクローゼットの中から動きやすいワンピースを取り出す。今日は庭師の人と話をする予定であるから、少しでも動きやすく汚れてもいい服。服の選定は前日のうちに既にインナが行なっていて、インナ以外が担当する際にも選んでもらいやすくしていた。そのため、フェオドラ自身でも選ぶことができた。
着替えが終わり、パパに着せる服を選んでいる最中にインナが戻ってきた。
「申し訳ありません、フェオドラ様」
戻ってきたと思って顔を輝かせるもインナの手には何もなく、表情も悔しげ。さらには謝罪の言葉にフェオドラはポトリと服を落とした。
「あたりも探し、同僚にも確認いたしましたが、パパは見ていないそうで」
「……そう、ありがとう」
「旦那様方に朝食は部屋で摂るとお伝えして参ります」
「……」
フェオドラが頷いたのを確認し、インナはその足ですでに待っているだろうマーカル達の元へと向かった。
「――あら、そうなの、それは仕方ないわね」
「うむ、わかった。手の空いてるものに探してもらうよう伝えておこう」
インナからの報告にマーカルとラリサは理由を知っているためあっさりしたものだった。ただ、それに納得できないのはパーヴェルだけ。
「ざけんな! たかだか、縫いぐるみ一個がなくなった程度で部屋を出たくないとか、バカか! 父上も母上も、甘やかしすぎなんだよ! だから、そんな我儘を言い出すんだ!」
「パーシャ、その程度のことじゃないの! あの子にとってはとっても重要なものなのよ」
「知るかよ! どんなに重要だとしても縫いぐるみは縫いぐるみだろ! 俺が引き摺り出してくる」
「だめよ、やめて」
ダンとテーブルを叩き、そう吠えるパーヴェルにラリサはダメだとやめてと告げるも彼は聞く耳を持たず、マーカルも落ち着いて座れというが、こちらにも耳を傾けなかった。そして、母を振り切って、パーヴェルはフェオドラの部屋へと突撃した。
バン! と開かれたドアにフェオドラはテーブルに並べていた小さな服をそのままに振り返る。けれど、すぐにそれを後悔することになった。
怒りの形相の義兄の姿。なぜ怒っているのかわからない。わからないけれど、ずんずんと近づいてくる義兄の顔はどんどんと黒く塗り潰されていく。
――顔、見なきゃ。この人は私の知っている人だもん。お義兄様だもの。顔を見れるはず
「食堂行くぞ!」
無理矢理腕を取られ、パーヴェルに引き摺られるようにして部屋の外へと連れ出される。ざわざわと使用人達の声が聞こえる。
――大丈夫、大丈夫、怖くない、怖くない。
始めは顔が見えるのだが、それがどんどんと義兄の顔と同じように黒く塗り潰されていく。大丈夫だと唱えても、知っている人だからと繰り返しても、迫り上がってくる恐怖。
「はっ、はっ、はっ」
足をもつれさせながらも階段を降り、一階に降りる頃にはフェオドラの呼吸は短く、目も焦点が合わなくなっていた。けれど、冷静を欠くパーヴェルは気づかない。
「テオちゃん! パーシャ、離しなさい」
「あ、お、おか、さま」
はっはっと短い息をするフェオドラにラリサは駆け寄り、パーヴェルの手をはたき落とした。そして、ギュッとフェオドラを抱きしめるが、フェオドラの目は彼女を見ていない。しかし、養母が来てくれたことがわかったのだろう、短く途切れながらも養母を呼ぶ。
「旦那様、出来るだけ男性陣は姿を隠してください」
「わかった」
インナの言葉に頷くとマーカルはすぐ様、男性使用人数は持ち場に戻るように伝える。そして、出来るだけ、フロアに出ないように指示する。使用人達は首を傾げながらも主人の命に従い、フロアから姿を消す。
「テオちゃん、大丈夫、大丈夫よ」
落ち着いてと背を撫でるも呼吸は浅く短い。
――お養父様とお義兄様、だから、大丈夫。大丈夫。なんで、真っ黒なの、お顔、わかんない。ワカンナイ。
「孤児のくせに随分と演技が上手いものだな」
「パーヴェル!」
「父上も、母上もこいつの演技に騙されてるだけだって! たかだか、縫いぐるみ一個なくなったぐらいでこんな風になんてならねぇだろ!!」
吐き捨てられた言葉にマーカルがパーヴェルの名を呼び、諌めようとするもパーヴェルはそれを聞かない。むしろ、フェオドラを指差し、全てこいつの演技だと訴える。けれど、演技ではないことはフロアにいる夫妻とインナは知っている。
「大体、こ――」
――なんで、手が向けられてるの? これは本当にお義兄様なの?
顔だけでなく体も黒く塗りつぶされ、あの男達のように見えてくる。多分、義兄なのだろう。だけど、フェオドラの目にも脳もそう判断を下せなくなっていた。
「いやぁあああああ!!」
バシン。フェオドラの上でを再び掴もうと伸びたパーヴェルの手。しかし、それは思いっきりフェオドラに叩き落とされた。は? と唖然とする間も無くフェオドラは嫌々と叫び、来ないでと触らないでと叫び始める。
「やっぱり、演技だろ!!」
短い息遣いをしながら、ラリサからも離れようとするフェオドラにパーヴェルがホラ見たことかと叫ぶ。けれど、ラリサもマーカルもその言葉に同意しなかった。
「……ぁ、とぅーらさま」
涙を零しながら、暴れながら、助けてと言わんばかりに囁かれた名前。インナは何を感じ取ったか、そっとマーカルとラリサにフェオドラから離れるように伝える。しかしと悩む二人に大丈夫です、もう落ち着きますとはっきりと答えた。けれど、正直、自分の主人を馬鹿にしたパーヴェルを助けようとは思わない。
二人がフェオドラから離れた瞬間、ミシッと悲鳴を上げ、バキャッと玄関の扉が破壊された。ギョッとするラリサとマーカルだったが、その犯人の正体を知り、ヴェーラ達がフェオドラの扱いには重々気をつけてと言っていたのはこういうことかと納得した。
「あぁあああああ、とぅーらしゃまぁ」
彼にしがみつき、えぐえぐと泣くフェオドラ。彼はそんなフェオドラに目をやり、優しくその頭を撫でるも鋭い目を驚き硬直するパーヴェルに向けていた。
飛び散った扉の残骸。そして、目の前にはこちらを睨めつけ、細く息をする龍の姿。その龍に縋り、泣きつく娘。幾度となく危険な目に遭ったことのあるパーヴェルは悟った。これは間違いないと。
――俺、死んだわ、これ。
ノックをして部屋に入ってきたのはレオンチェフ家から付いてきてくれたインナ。引き続き、フェオドラの侍女として働くことを許可してもらったのだ。部屋に入ったインナが見つけたのはこんもりと丸まった布団の山。
珍しいなと思いながらも、近づけば、声に反応したのか隙間からフェオドラが泣きそうな顔を覗かせた。
「……インナ」
「フェオドラ様、どうされました?」
「……ぱ、パパが、パパがね」
「はい」
インナはフェオドラの言葉を待つ。おずおずと吐き出された言葉はパパがいなくなったということ。それにインナは一つ一つ事柄を確認していく。
「この部屋の中は探しましたか?」
「探しました」
「クローゼットも?」
「はい」
そうとなれば、誰かが侵入して盗っていったか。けれど、理由は? インナは考えながら、部屋を見渡す。そして、椅子の上に畳まれたガウンに気づいた。
「フェオドラ様、昨晩部屋の外に出られましたか」
「あ。はい、出ました」
怒られると思ったのかキュッと布団の中に隠れてしまったフェオドラ。それにクスリと笑みながらも、インナは何故ですかと質問を重ねれば、アルトゥールが来たことを感じてとなどと言われ、この察知能力は如何なるものかと苦笑いを浮かべてしまう。けれど、それは思考の端に置き、その時パパはどうしたかと問えば、あ、とフェオドラは布団を脱ぎ捨てて立ち上がった。
「二階の窓付近でしたね」
「はい、門が見えるところ」
「では、探して参りますので、フェオドラ様はお着替えしておいてください」
「ん」
パパのことはインナに任せ、フェオドラはクローゼットの中から動きやすいワンピースを取り出す。今日は庭師の人と話をする予定であるから、少しでも動きやすく汚れてもいい服。服の選定は前日のうちに既にインナが行なっていて、インナ以外が担当する際にも選んでもらいやすくしていた。そのため、フェオドラ自身でも選ぶことができた。
着替えが終わり、パパに着せる服を選んでいる最中にインナが戻ってきた。
「申し訳ありません、フェオドラ様」
戻ってきたと思って顔を輝かせるもインナの手には何もなく、表情も悔しげ。さらには謝罪の言葉にフェオドラはポトリと服を落とした。
「あたりも探し、同僚にも確認いたしましたが、パパは見ていないそうで」
「……そう、ありがとう」
「旦那様方に朝食は部屋で摂るとお伝えして参ります」
「……」
フェオドラが頷いたのを確認し、インナはその足ですでに待っているだろうマーカル達の元へと向かった。
「――あら、そうなの、それは仕方ないわね」
「うむ、わかった。手の空いてるものに探してもらうよう伝えておこう」
インナからの報告にマーカルとラリサは理由を知っているためあっさりしたものだった。ただ、それに納得できないのはパーヴェルだけ。
「ざけんな! たかだか、縫いぐるみ一個がなくなった程度で部屋を出たくないとか、バカか! 父上も母上も、甘やかしすぎなんだよ! だから、そんな我儘を言い出すんだ!」
「パーシャ、その程度のことじゃないの! あの子にとってはとっても重要なものなのよ」
「知るかよ! どんなに重要だとしても縫いぐるみは縫いぐるみだろ! 俺が引き摺り出してくる」
「だめよ、やめて」
ダンとテーブルを叩き、そう吠えるパーヴェルにラリサはダメだとやめてと告げるも彼は聞く耳を持たず、マーカルも落ち着いて座れというが、こちらにも耳を傾けなかった。そして、母を振り切って、パーヴェルはフェオドラの部屋へと突撃した。
バン! と開かれたドアにフェオドラはテーブルに並べていた小さな服をそのままに振り返る。けれど、すぐにそれを後悔することになった。
怒りの形相の義兄の姿。なぜ怒っているのかわからない。わからないけれど、ずんずんと近づいてくる義兄の顔はどんどんと黒く塗り潰されていく。
――顔、見なきゃ。この人は私の知っている人だもん。お義兄様だもの。顔を見れるはず
「食堂行くぞ!」
無理矢理腕を取られ、パーヴェルに引き摺られるようにして部屋の外へと連れ出される。ざわざわと使用人達の声が聞こえる。
――大丈夫、大丈夫、怖くない、怖くない。
始めは顔が見えるのだが、それがどんどんと義兄の顔と同じように黒く塗り潰されていく。大丈夫だと唱えても、知っている人だからと繰り返しても、迫り上がってくる恐怖。
「はっ、はっ、はっ」
足をもつれさせながらも階段を降り、一階に降りる頃にはフェオドラの呼吸は短く、目も焦点が合わなくなっていた。けれど、冷静を欠くパーヴェルは気づかない。
「テオちゃん! パーシャ、離しなさい」
「あ、お、おか、さま」
はっはっと短い息をするフェオドラにラリサは駆け寄り、パーヴェルの手をはたき落とした。そして、ギュッとフェオドラを抱きしめるが、フェオドラの目は彼女を見ていない。しかし、養母が来てくれたことがわかったのだろう、短く途切れながらも養母を呼ぶ。
「旦那様、出来るだけ男性陣は姿を隠してください」
「わかった」
インナの言葉に頷くとマーカルはすぐ様、男性使用人数は持ち場に戻るように伝える。そして、出来るだけ、フロアに出ないように指示する。使用人達は首を傾げながらも主人の命に従い、フロアから姿を消す。
「テオちゃん、大丈夫、大丈夫よ」
落ち着いてと背を撫でるも呼吸は浅く短い。
――お養父様とお義兄様、だから、大丈夫。大丈夫。なんで、真っ黒なの、お顔、わかんない。ワカンナイ。
「孤児のくせに随分と演技が上手いものだな」
「パーヴェル!」
「父上も、母上もこいつの演技に騙されてるだけだって! たかだか、縫いぐるみ一個なくなったぐらいでこんな風になんてならねぇだろ!!」
吐き捨てられた言葉にマーカルがパーヴェルの名を呼び、諌めようとするもパーヴェルはそれを聞かない。むしろ、フェオドラを指差し、全てこいつの演技だと訴える。けれど、演技ではないことはフロアにいる夫妻とインナは知っている。
「大体、こ――」
――なんで、手が向けられてるの? これは本当にお義兄様なの?
顔だけでなく体も黒く塗りつぶされ、あの男達のように見えてくる。多分、義兄なのだろう。だけど、フェオドラの目にも脳もそう判断を下せなくなっていた。
「いやぁあああああ!!」
バシン。フェオドラの上でを再び掴もうと伸びたパーヴェルの手。しかし、それは思いっきりフェオドラに叩き落とされた。は? と唖然とする間も無くフェオドラは嫌々と叫び、来ないでと触らないでと叫び始める。
「やっぱり、演技だろ!!」
短い息遣いをしながら、ラリサからも離れようとするフェオドラにパーヴェルがホラ見たことかと叫ぶ。けれど、ラリサもマーカルもその言葉に同意しなかった。
「……ぁ、とぅーらさま」
涙を零しながら、暴れながら、助けてと言わんばかりに囁かれた名前。インナは何を感じ取ったか、そっとマーカルとラリサにフェオドラから離れるように伝える。しかしと悩む二人に大丈夫です、もう落ち着きますとはっきりと答えた。けれど、正直、自分の主人を馬鹿にしたパーヴェルを助けようとは思わない。
二人がフェオドラから離れた瞬間、ミシッと悲鳴を上げ、バキャッと玄関の扉が破壊された。ギョッとするラリサとマーカルだったが、その犯人の正体を知り、ヴェーラ達がフェオドラの扱いには重々気をつけてと言っていたのはこういうことかと納得した。
「あぁあああああ、とぅーらしゃまぁ」
彼にしがみつき、えぐえぐと泣くフェオドラ。彼はそんなフェオドラに目をやり、優しくその頭を撫でるも鋭い目を驚き硬直するパーヴェルに向けていた。
飛び散った扉の残骸。そして、目の前にはこちらを睨めつけ、細く息をする龍の姿。その龍に縋り、泣きつく娘。幾度となく危険な目に遭ったことのあるパーヴェルは悟った。これは間違いないと。
――俺、死んだわ、これ。
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