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第15話 命よりも大切なもの
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ダンジョンの地下に潜っていっても、魔獣は現れなかった。
途中、僕たちは歩みを止めて休息を取った。
「ラピステルよ。不気味なほどに静かだな」
レヴィウス様の言うとおりだ。魔獣の匂いがまったくしない。ダンジョンの最奥部には巨大な魔獣がいて、七色水晶を守っているのかと思ったけど違うのかな。
ずっと気持ちが張り詰めていたので疲れていた。僕は地べたに伏せた。
レヴィウス様が僕の背中を優しく撫でてくれる。
「これまでよく戦ってくれたな」
ねぎらいの言葉が嬉しくて、僕は尻尾を振った。人間に戻れたら、レヴィウス様に抱きつくのにな。でも僕はもう、ラピステルと同化してしまった。人並みの幸せはもちろん、レヴィウス様の伴侶になる夢を諦めないといけない。
レヴィウス様。
僕が絶対に七色水晶を手に入れます。
だから、死神に負けないで。あなたを待っている人たちと再会できるように、僕があなたの盾となり剣となります。
「……言葉は交わせないが、きみからはとても強い想いを感じるよ。ラピステル」
レヴィウス様は僕を抱きしめた。予想外の出来事に、僕は驚いた。でもすぐに喜びが生まれ、僕はクーンクーンと鼻を鳴らした。
「なぜだろう。きみとは初めて会った気がしない」
もしも魂というものがあるのならば、レヴィウス様はそれを感じてくれているのかな。あなたの記憶にアズリールという名前が残っているのならば、それだけで満足です。
「ラピステルよ。きみは七色水晶を手に入れて、人間になりたいのか?」
僕はウーッと唸って、否定の意思表示をした。
「では、俺のために戦ってくれるのか」
レヴィウス様の手のひらに鼻をこすりつける。犬としての本能が働いて、思わず舌でべろべろと舐め回したくなってしまうけれども、なんとか踏みとどまる。レヴィウス様は僕の耳の付け根を優しく撫でてくれた。
「きみはここで待っていろ。必ず戻って来る」
僕はグルルルと喉を鳴らして反対した。レヴィウス様はそんな僕を見て、切なそうに笑った。
「きみは本当に純粋だな。俺はきみの想いにふさわしい人間ではないよ。我欲のために七色水晶を求めようとしている」
レヴィウス様!
誰だって死神に取り憑かれたら、そいつを追い払いたいと思うに決まってますよ。そんな風に自分を責めないで。
僕を利用してください。
僕はあなたを守るためにラピステルになったのですから。
レヴィウス様をじっと見つめる。
しばし沈黙したあと、レヴィウス様は僕に笑いかけた。
「俺の道連れになってくれるのか、ラピステル。ありがとう」
僕は尻尾を振ってはしゃぎ回った。
レヴィウス様となら、どこへでも参ります。
そして僕たちは、ダンジョンの探索を再開した。
◇◇◇
ダンジョンの最奥部はすぐに分かった。
そのフロアだけシンと冷えていて、雰囲気が違っていた。魔獣の気配はしない。複雑に絡み合った木の根が天井から突き出ている。木の根の向こうに、七色に輝く紡錘形の物体が見えた。あれが七色水晶か。想像よりも小さい。
『よくぞここまで辿り着いたな。我を求めるのか、人間。そして聖獣よ』
「ああ。俺には貴殿が必要だ。何をもって贖えばいい? 七色水晶よ」
『簡単なことだ、人間。おまえにとって一番大切なものを差し出せ』
「それはつまり……?」
なんだか、この七色水晶なるものからは危険なにおいを感じる。
そう思った矢先のことだった。
木の根がにゅっと伸びてきて、レヴィウス様に絡みつこうとした。僕はジャンプして木の根に齧りつこうと試みたが、にゅるにゅるとした質感によって牙が滑ってしまう。僕はそれでも木の根に対する攻撃を緩めなかった。
『無駄だ、聖獣よ』
キャンと吠えたきり、僕の体は中空に留まった。しまった。いつの間にか木の根が絡みついてきて、僕の体を捕らえている。僕は抵抗を試みた。でも、木の根が振動して僕の体に不快な刺激を与えた。
くそっ。
こんなことをされたって、僕は諦めないぞ!
『人間。おまえの一番大切なもの、しかと認識したぞ』
「やめろ……! 何をするつもりだ?」
『死神は去れ』
レヴィウス様の体から半透明の骸骨がぬっと現れた。死神は七色水晶にケタケタと笑いかけた。
『七色水晶の命令とあらば、去ろう』
『うむ』
『人の子よ。七色水晶はおまえたちを駒のように扱って悲喜劇を楽しむ邪悪なる存在だ。死神の俺の方がマシだと思うほどの苦痛を与えられるがよい。あの世で待っているぞ』
死神はそう言うと、虚空に消えていった。
嫌な予感が止まらない。七色水晶はレヴィウス様に何をするつもりだ? レヴィウス様から命よりも大切なものを奪おうというのか?
吠えようとしたが、口の中に木の根を突っ込まれてしまう。僕は情けない吐息をこぼすことしかできなかった。
「ラピステル、もういい。七色水晶よ。この子は助けてやってくれ」
『いいだろう。これは人間と我の取り引きだ』
「俺は……命よりも大切なものを奪われるわけにはいかない。貴殿を破壊させてもらおうか。死神が去った今、貴殿の力に頼らなくともよい」
『ふはははっ! いいぞ、我を壊せ。人間』
「……消えろ!」
レヴィウス様が構えた剣の切っ先が、七色水晶に突き刺さる。七色水晶はパリンと音を立てて割れたあと、すぐさま復活した。レヴィウス様が何回も攻撃を繰り返しても結果は同じだった。
『世に人間の欲は尽きない。我が消滅することはあり得ない』
「くそっ……!」
木の根が急速に伸びはじめて、レヴィウス様の四肢を捕らえた。僕は助けに向かおうとしたが、木の根が締めつけてきたため身動きが取れなくなった。木の根が容赦のない圧力を僕に加える。
僕が血を吐き出したのを見て、レヴィウス様が絶叫した。
「ラピステルに手を出すな!」
『殺しはしない。この聖獣は我が期待する悲喜劇の重要な駒』
「やるなら、俺をやれ!」
『殺しはしない。人間が死んだら悲喜劇の主演がいなくなる』
だんだんと七色水晶の正体が分かってきた。
こいつは死神に命令する力があるようだが、人間の味方ではない。人間に苦痛を与えるために存在しているらしい。
レヴィウス様に生き地獄を味わえというのか?
そんなの許せない。
僕は手足をばたつかせた。しかし木の根が鞭のようにしなって、僕を戒めた。
『人間、諦めろ。もう遅い。おまえが命よりも大切にしているものは、我が吸い取った』
「まさか……? そんなっ……!」
『人間。そして聖獣よ。悲喜劇の開幕だ。愉しませてくれ』
七色水晶が金属が軋んだ音のように不愉快な笑い声を上げる。
それに重なって聞こえる、レヴィウス様の絶叫。僕自身が吐き出した、苦しそうな呼吸音。
すべての音が膨れ上がって鼓膜が割れそうになった瞬間、僕とレヴィウス様を捕らえていた木の根が姿を消した。
「えっ……?」
レヴィウス様がまばたきを繰り返した。
僕もまた視界に映る風景がにわかに信じられなかった。
僕たちは、開けた庭の上に転送されていた。芝生が広がっていて、回廊があたりを取り囲んでいる。庭も建物も立派だ。
ここはもしや、宮殿?
周囲から人々が駆け寄ってくる。装備からいって武官であろう。
「レヴィウス様が帰還されたぞ!」
「聖獣も一緒なのか?」
「レヴィウスお兄様! ああ、死神の気配がもうしませんね」
レヴィウス様をお兄様と呼ぶということは……真っ白な神官服に身を包んだこのお方は、第二王子のヘクター様か。
レヴィウス様、よかった。無事だったんだ!
いや……。命よりも大切なものを奪われてしまったんだよな。僕がウーッと唸っていると、ヘクター様がレヴィウス様の異変に気付いた。
「レヴィウスお兄様? 僕が分かりますか?」
「……レヴィウス? それが俺の名か」
七色水晶がレヴィウス様から奪ったもの。
それは、レヴィウス様の記憶だった。
途中、僕たちは歩みを止めて休息を取った。
「ラピステルよ。不気味なほどに静かだな」
レヴィウス様の言うとおりだ。魔獣の匂いがまったくしない。ダンジョンの最奥部には巨大な魔獣がいて、七色水晶を守っているのかと思ったけど違うのかな。
ずっと気持ちが張り詰めていたので疲れていた。僕は地べたに伏せた。
レヴィウス様が僕の背中を優しく撫でてくれる。
「これまでよく戦ってくれたな」
ねぎらいの言葉が嬉しくて、僕は尻尾を振った。人間に戻れたら、レヴィウス様に抱きつくのにな。でも僕はもう、ラピステルと同化してしまった。人並みの幸せはもちろん、レヴィウス様の伴侶になる夢を諦めないといけない。
レヴィウス様。
僕が絶対に七色水晶を手に入れます。
だから、死神に負けないで。あなたを待っている人たちと再会できるように、僕があなたの盾となり剣となります。
「……言葉は交わせないが、きみからはとても強い想いを感じるよ。ラピステル」
レヴィウス様は僕を抱きしめた。予想外の出来事に、僕は驚いた。でもすぐに喜びが生まれ、僕はクーンクーンと鼻を鳴らした。
「なぜだろう。きみとは初めて会った気がしない」
もしも魂というものがあるのならば、レヴィウス様はそれを感じてくれているのかな。あなたの記憶にアズリールという名前が残っているのならば、それだけで満足です。
「ラピステルよ。きみは七色水晶を手に入れて、人間になりたいのか?」
僕はウーッと唸って、否定の意思表示をした。
「では、俺のために戦ってくれるのか」
レヴィウス様の手のひらに鼻をこすりつける。犬としての本能が働いて、思わず舌でべろべろと舐め回したくなってしまうけれども、なんとか踏みとどまる。レヴィウス様は僕の耳の付け根を優しく撫でてくれた。
「きみはここで待っていろ。必ず戻って来る」
僕はグルルルと喉を鳴らして反対した。レヴィウス様はそんな僕を見て、切なそうに笑った。
「きみは本当に純粋だな。俺はきみの想いにふさわしい人間ではないよ。我欲のために七色水晶を求めようとしている」
レヴィウス様!
誰だって死神に取り憑かれたら、そいつを追い払いたいと思うに決まってますよ。そんな風に自分を責めないで。
僕を利用してください。
僕はあなたを守るためにラピステルになったのですから。
レヴィウス様をじっと見つめる。
しばし沈黙したあと、レヴィウス様は僕に笑いかけた。
「俺の道連れになってくれるのか、ラピステル。ありがとう」
僕は尻尾を振ってはしゃぎ回った。
レヴィウス様となら、どこへでも参ります。
そして僕たちは、ダンジョンの探索を再開した。
◇◇◇
ダンジョンの最奥部はすぐに分かった。
そのフロアだけシンと冷えていて、雰囲気が違っていた。魔獣の気配はしない。複雑に絡み合った木の根が天井から突き出ている。木の根の向こうに、七色に輝く紡錘形の物体が見えた。あれが七色水晶か。想像よりも小さい。
『よくぞここまで辿り着いたな。我を求めるのか、人間。そして聖獣よ』
「ああ。俺には貴殿が必要だ。何をもって贖えばいい? 七色水晶よ」
『簡単なことだ、人間。おまえにとって一番大切なものを差し出せ』
「それはつまり……?」
なんだか、この七色水晶なるものからは危険なにおいを感じる。
そう思った矢先のことだった。
木の根がにゅっと伸びてきて、レヴィウス様に絡みつこうとした。僕はジャンプして木の根に齧りつこうと試みたが、にゅるにゅるとした質感によって牙が滑ってしまう。僕はそれでも木の根に対する攻撃を緩めなかった。
『無駄だ、聖獣よ』
キャンと吠えたきり、僕の体は中空に留まった。しまった。いつの間にか木の根が絡みついてきて、僕の体を捕らえている。僕は抵抗を試みた。でも、木の根が振動して僕の体に不快な刺激を与えた。
くそっ。
こんなことをされたって、僕は諦めないぞ!
『人間。おまえの一番大切なもの、しかと認識したぞ』
「やめろ……! 何をするつもりだ?」
『死神は去れ』
レヴィウス様の体から半透明の骸骨がぬっと現れた。死神は七色水晶にケタケタと笑いかけた。
『七色水晶の命令とあらば、去ろう』
『うむ』
『人の子よ。七色水晶はおまえたちを駒のように扱って悲喜劇を楽しむ邪悪なる存在だ。死神の俺の方がマシだと思うほどの苦痛を与えられるがよい。あの世で待っているぞ』
死神はそう言うと、虚空に消えていった。
嫌な予感が止まらない。七色水晶はレヴィウス様に何をするつもりだ? レヴィウス様から命よりも大切なものを奪おうというのか?
吠えようとしたが、口の中に木の根を突っ込まれてしまう。僕は情けない吐息をこぼすことしかできなかった。
「ラピステル、もういい。七色水晶よ。この子は助けてやってくれ」
『いいだろう。これは人間と我の取り引きだ』
「俺は……命よりも大切なものを奪われるわけにはいかない。貴殿を破壊させてもらおうか。死神が去った今、貴殿の力に頼らなくともよい」
『ふはははっ! いいぞ、我を壊せ。人間』
「……消えろ!」
レヴィウス様が構えた剣の切っ先が、七色水晶に突き刺さる。七色水晶はパリンと音を立てて割れたあと、すぐさま復活した。レヴィウス様が何回も攻撃を繰り返しても結果は同じだった。
『世に人間の欲は尽きない。我が消滅することはあり得ない』
「くそっ……!」
木の根が急速に伸びはじめて、レヴィウス様の四肢を捕らえた。僕は助けに向かおうとしたが、木の根が締めつけてきたため身動きが取れなくなった。木の根が容赦のない圧力を僕に加える。
僕が血を吐き出したのを見て、レヴィウス様が絶叫した。
「ラピステルに手を出すな!」
『殺しはしない。この聖獣は我が期待する悲喜劇の重要な駒』
「やるなら、俺をやれ!」
『殺しはしない。人間が死んだら悲喜劇の主演がいなくなる』
だんだんと七色水晶の正体が分かってきた。
こいつは死神に命令する力があるようだが、人間の味方ではない。人間に苦痛を与えるために存在しているらしい。
レヴィウス様に生き地獄を味わえというのか?
そんなの許せない。
僕は手足をばたつかせた。しかし木の根が鞭のようにしなって、僕を戒めた。
『人間、諦めろ。もう遅い。おまえが命よりも大切にしているものは、我が吸い取った』
「まさか……? そんなっ……!」
『人間。そして聖獣よ。悲喜劇の開幕だ。愉しませてくれ』
七色水晶が金属が軋んだ音のように不愉快な笑い声を上げる。
それに重なって聞こえる、レヴィウス様の絶叫。僕自身が吐き出した、苦しそうな呼吸音。
すべての音が膨れ上がって鼓膜が割れそうになった瞬間、僕とレヴィウス様を捕らえていた木の根が姿を消した。
「えっ……?」
レヴィウス様がまばたきを繰り返した。
僕もまた視界に映る風景がにわかに信じられなかった。
僕たちは、開けた庭の上に転送されていた。芝生が広がっていて、回廊があたりを取り囲んでいる。庭も建物も立派だ。
ここはもしや、宮殿?
周囲から人々が駆け寄ってくる。装備からいって武官であろう。
「レヴィウス様が帰還されたぞ!」
「聖獣も一緒なのか?」
「レヴィウスお兄様! ああ、死神の気配がもうしませんね」
レヴィウス様をお兄様と呼ぶということは……真っ白な神官服に身を包んだこのお方は、第二王子のヘクター様か。
レヴィウス様、よかった。無事だったんだ!
いや……。命よりも大切なものを奪われてしまったんだよな。僕がウーッと唸っていると、ヘクター様がレヴィウス様の異変に気付いた。
「レヴィウスお兄様? 僕が分かりますか?」
「……レヴィウス? それが俺の名か」
七色水晶がレヴィウス様から奪ったもの。
それは、レヴィウス様の記憶だった。
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