【完結】悪妻オメガの俺、離縁されたいんだけど旦那様が溺愛してくる

古井重箱

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第19話 あなた好みの香り

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 調香師がいる香水屋は、繁華街の大通りにあった。きらびやかな店構えである。綺麗に磨かれたガラス戸の向こうに、色とりどりの香水の瓶が並んでいるのが見える。
 俺はヴァイゼンに続いて、店の中に入った。

「いらっしゃいませ。これはこれは、ヴァイゼン様。そして若奥様」
「ノグ。久しいな」
「こちらの美しい方が噂のレムート様ですね。お初にお目にかかります。調香師のノグと申します」
「初めまして。レムートです」

 ノグは声の感じからすると男性なのだろうけど、女物の花柄のローブを華麗に着こなしている。マニキュアも塗っているし、すごくおしゃれだ。
 
「さて、今日は若奥様へのプレゼントをご所望ですか?」
「よく分かったな」
「街は今、ヴァイゼン様が若奥様にメロメロだという話でもちきりですよ。さて、レムート様はどういった雰囲気の香りがお好きですか?」
「俺は……ヴァイゼン様に香りを選んでいただきたいです」
「おやまあ。レムート様は旦那様の色に染まりたいタイプなのかしら? 南域では珍しいですね。ここは女性とオメガの発言力が強い土地柄ですから」
「レムート。本当に俺の意見を優先していいのか?」
「はい」

 だって俺、ヴァイゼンにいい匂いだなって思われたいから。ぴったりとくっついた時に、気に入ってもらえるような香りにしたい。
 ……ダメだな、俺。
 気を抜くと艶っぽいことばかり考えてしまう。ヴァイゼンと裸で抱き合っている夢まで見ちゃったし。
 俺って、いやらしいな。

「レムート様、店内が暑いですか? お顔がポーッとなっておられますよ」
「あ、いや。これは……もともとそういう感じなんです」
「レムート。誤魔化さなくてもいいぞ。どんなことを考えていたんだ? 言ってみろ」
「……ヴァイゼン様の意地悪。察してください!」

 俺は照れ隠しに、香水が並ぶ棚を眺めた。フローラル系からムスクまで、幅広く揃っている。
 実家の使用人たちは、俺が南域に嫁ぐと知ったら、文化後進の地に行くなんて可哀想だと言っていた。でも、この街ではいろいろなものが売り買いされている。
 中央政府は南域を劣った土地として位置づけることで、自分たちの優位を示そうとしてるのかな。ああ、いやだ。まつりごとって人間のドロドロした面が出るよな。
 せめて俺といる時だけは、ヴァイゼンが政の疲れを忘れられるといいな。俺はヴァイゼンの癒しになりたい。

「レムートにはそうだな、華やかな香りが似合う」
「蜂蜜色の髪に、菫色の瞳。まごうことなき美人さんですからねぇ」

 ノグは俺たちにジャスミンの香りを勧めてきた。
 試香紙を使って匂いを嗅がせてもらったが、ちょっと濃厚ではないだろうか?
 ヴァイゼンはとても気に入ったようである。

「強めの香りですが、よろしいのですか? ヴァイゼン様」
「ああ」
「淡く香らせれば、ジャスミン特有のクセはさほど気になりませんよ」
「練り香水か……。北域の実家ではつけたことがありませんでした」
「こうやってつけるといいぞ」
「あっ……」

 ヴァイゼンの指先が俺の耳たぶの裏に触れる。ノグがいることも忘れて、俺はヴァイゼンの指遣いに快美を感じてしまった。
 ふるりと肩が震える。
 耳たぶってこんなに感じやすいものなんだ。
 もっと触ってほしいような、もうやめてほしいような複雑な気持ちになる。ヴァイゼンにとっては軽い戯れかもしれないけど、恋愛初心者の俺にとっては刺激的すぎる。

「あとは手首の裏につけるといい」
「んっ」
「くすぐったいか?」
「……平気です」

 愛する人が好む香りをまとった俺は、体の内側がポッと熱くなった。これでいつ抱きしめられても大丈夫だ。
 ……俺ときたら、そういうことばかり考えてしまう。心がヒートになっちゃったのかな。
 ヴァイゼンが財布を開き、ノグに代金を払う。俺はジャスミンの練り香水が入った小箱を受け取った。

「香りは一つとして同じものはございません。その人が持つ匂いと混ざって香るものですから」
「レムートのそばに立つと、いい匂いがするな……」
「あっ、その……。ノグさんがいるので、そんなにぴったりくっつかないでください」
「初々しい新妻さんですねぇ。またのご来店お待ちしております」

 馬車に戻ると、俺はヴァイゼンにぎゅっと抱きしめられた。
 俺の耳たぶに、ヴァイゼンが顔をうずめる。気を抜くと後孔が濡れてしまいそうなほど、情熱的な抱擁だった。

「レムート。きみは日に日に美しく、そして可愛らしくなっていくな……」
「ヴァイゼン様こそ、どんな魔法を使ったのですか? 俺は出会った時からは考えられないほど、あなたに夢中です」
「俺たちはやはり運命で結ばれているな」

 馬車が規則正しく蹄の音を刻みながら、植物園へと向かう。
 俺はヴァイゼンの首にしがみついた。

「ヴァイゼン様もいい匂いがします」
「そうか? ノグのおかげだな。俺は特に洒落者というわけではないが、きみを迎えるにあたって最善を尽くしたいと思ったんだ」
「……2年ものあいだ、俺を想ってくださったんですよね」
「すぐにでも北域に向かいたい衝動に駆られたが、我慢したよ。国王陛下の目があるからな。南域なんいきのため、俺は勝手に動くわけにはいかなかった」
「俺、ヒートのたびにみずから命を絶とうと思っていましたが、死ななくてよかったです」

 何気なく言うと、ヴァイゼンが目を尖らせた。

「冗談でもそんなことを言うな。きみは俺に愛されるために生まれてきたんだ」
「ヴァイゼン様……」
「……死を願うほど辛い思いをしたんだな、レムート。でももう大丈夫だ。俺がきみに生きる喜びを伝えるから」
「俺……嬉しいです。こんなに大事にしてくださる方にめぐり会えて」
「ははっ。俺の愛はまだこんなものではないぞ。さあ、植物園に着いたな」

 馬車が停まった。
 俺は太陽が照りつける地面へと降り立った。ヴァイゼンが俺の腰を抱く。

「行こう」
「はい」

 俺たちは手を繋いで植物園を歩き出した。
 色とりどりの花が咲き誇っている。若葉も花と張り合うように、青々と生い茂っている。視線を足元に向ければ、白や黄色の野花が慎ましく咲いていた。
 素晴らしい空間だ。自然が作り出した美が横溢おういつしている。
 群生している花に近づけば、芳しい香りが漂ってきた。南国の植物たちが持つ生命力を肌で感じて、俺はほうっと息を吐いた。

「とても綺麗です」
「そうか。来てよかった」
「あの植物は、以前、本で見せてもらったものですね」
「どうだ、実物はさらに美しいだろう」
「はい!」

 俺たちは道に沿って、園内を散策した。
 ヴァイゼンの姿を発見したのだろう。四阿あずまやにいた人々が興奮をあらわにした。

「領主様ーっ! うちのオレンジも王室献上品に選んでくださいよーっ」
「あんた、そりゃ図々しいお願いじゃないかい」
「へへへっ。分かってらぁ」
「ヴァイゼン様! 先日は田んぼの視察に来ていただき、ありがとうございました」
「またお忍びで酒場に来てください。奥様同伴で」

 好意的な言葉を向ける人々が多いなか、日陰にいた老人たちの集団が俺たちに冷たい視線を投げかけてきた。老人たちはみな黒い鉢巻をしている。着ているのは、南域の伝統的な衣装であるソレルだ。
 老人たちが、ヴァイゼンに話しかけてきた。

「その方が噂の北域から来た嫁御ですか」
「ふん。ソレルを着ておられるが、まるで祭りの仮装のようですな」
「服を着たぐらいで南域を知った気にはならないでほしいものだ」
晩夏衆ばんかしゅうのみなさん。俺のレムートをいじめないでくれないか?」

 ヴァイゼンの声は落ち着いていたが、緑青ろくしょうの瞳には怒りがちらついているのが俺には分かった。
 俺は晩夏衆と呼ばれた長老たちに挨拶をした。

「レムートでございます。まだ新参者ゆえ至らぬところも多々あるかと存じますが、何卒よろしくお願い致します」
「われらは晩夏衆。いわゆる元老院のようなものにございます」
「先代様より、ヴァイゼン様の治世を監督する役割を仰せつかっております」
「ヴァイゼン様。こたびの結婚は、白い結婚だと聞きましたぞ」

 長老たちの表情が険しくなった。

「レムート様とおっしゃいましたね。ヴァイゼン様と子を成すつもりがないのならば、北域へお帰りになったらよいのでは?」
「ガディス殿。今の言葉は聞き捨てならない。俺たちには俺たちのやり方がある」

 ヴァイゼンが語気を荒げる。
 ガディスと呼ばれた老人は白い顎ひげを撫でながら、「青いですなあ」と一笑した。

「この結婚は中央政府の陰謀なのでは? 北域産の美しいオメガをヴァイゼン様にあてがって、骨抜きにするつもりなんですよ、きっと」
「……北域産とはなんだ! そんな家畜のような呼称、俺のレムートに対してよくも言ってくれたな……!」
「ヴァイゼン様。落ち着いて」

 俺はガディスの前に立った。
 ノノネ様がオメガの権利向上のための活動をしていても、古い世代の人たちにはまだ差別的な意識が色濃く残っているのだろう。
 俺は特に腹が立たなかった。
 オメガとして下に見られることには慣れている。ガディスよ、俺がどれだけあんたのような人間に出くわしてきたと思う? 舐めないでほしい。
 俺は毅然とした態度でガディスに告げた。

「ガディス殿。俺は未熟な嫁ですが、ヴァイゼン様とともに南域で生きていきたいと思っております」
「では証拠を見せてほしいですな」
「証拠ですか……」
「なんでもよろしい。言葉ではなく、行いであなたの覚悟を示してくだされ」

 晩夏衆の面々が、俺に冷たいまなざしを向けている。
 この人たちの心を溶かすにはどうしたらいいだろう……?
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