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死神はウイスキーボンボンを食べない
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死にたての魂は、イチジクの実に似た形をしている。
その丸みを帯びた輪郭が深い闇に紛れたあと、再び白く浮き上がった。明滅を繰り返しながら、死にたての魂は僕に訊ねた。
「あなたはどなたですか?」
「僕はシン。死神です」
「えぇっ? 学生さんじゃないんですか」
僕は銀色のボタンが縫いつけられた、真っ黒い詰襟を着ている。死神の制服は確かに、学生服に見えるかもしれない。おまけに僕は女顔で、10代後半の若者の姿である。髪は短めに切っているものの、いまいち迫力に欠ける。
「あなたが死神ということは、私は……死んだのですか」
死にたての魂が頼りなく震える。
彼にとって、死は初めての体験かもしれない。でも、死神である僕にとっては、ありふれた出来事である。僕は死神として多くの魂を導いてきた。先日、冥界のあるじである冥王から、勤続80年を記念した盃を拝領した。
「そうですね。あなたの命はもう絶えました」
僕は特に感情移入はせずに哀れな魂を見つめた。彼は寿命が尽きたため、この冥界に招かれた。
「私は……地獄に堕ちたのでしょうか」
死にたての魂があたりをふよふよと浮遊した。
蛇行する三途の川を取り囲むように、彼岸花が群生している。暗闇のなか、鮮血を連想させる赤い花が咲き乱れている風景は確かに不気味で、死にたての魂が不安がるのも無理はない。
「あなたは生前、特定の宗教の信者じゃなかったですよね?」
「そうですね。初詣にも行くし、クリスマスも祝うタイプの人間でした」
「そういう方は、白の花園に招かれます」
「白の、花園ですか……」
「そこで生前の行いを振り返って、輪廻転生を希望するのか、存在を完全に無に帰すのか決めてもらうことになるのです」
「要するにモラトリアムが与えられるってわけさ」
背後からぬっと現れたのは、同僚のタイガである。
タイガと僕はどちらも黒髪に赤い目の持ち主だ。でもタイガの方が顔立ちが精悍で、体つきも厚みがある。僕は鍛えても筋肉がつかないタイプなので、タイガの雄々しい体型が羨ましい。でも本人にそれを言ったら調子に乗るので黙っている。
タイガが僕の肩に腕を回した。
「シン。もうちょっと笑顔を見せてやれよ。この人、震えてるだろ」
「満面の笑みを浮かべている死神も怖いと思うけど?」
「死神様。女房とは会えますでしょうか。女房は私より三ヶ月前に逝ったのです」
「奥さんがまだ白の花園にいれば、あなたの望みは叶うかもしれません」
「そうですか……」
「では、逝ってらっしゃい」
僕は死神の鎌を振りかざした。
死にたての魂の輪郭がぐにゃりと歪み、色が透けていく。やがて死にたての魂は僕の視界から消えた。白の花園へ移送されたのだ。
僕がなんの感慨も抱かずに虚空を見つめていると、タイガに頬っぺたをつままれた。
「やめろ。馴れ合いは嫌いだと言っているだろう」
「もう80年も付き合ってるのに?」
「職場がたまたま一緒だっただけだろう」
タイガの方が力が強いので、僕は彼の腕を振りほどけなかった。タイガは僕の頬っぺたをむにむにと揉んでいる。
「いっつも無表情だと、心まで硬くなっちまうぞ」
「死神に心なんていらない」
「おまえって頑固だよな。もうちょっと死者に優しくできないの?」
「毎日、どれだけの死者が現れると思ってるんだ。丁寧な対応なんてしていられないよ」
僕は激しく抵抗した結果、ようやくタイガの腕から逃れることができた。しかし、三途の川の岸辺で、タイガに後ろから抱きすくめられてしまう。こやつは僕のことをオモチャか何かと勘違いしてるのではないだろうか。
タイガが僕の帽子を取り、うなじに顔をうずめた。くすぐったさと、うなじの匂いを嗅がれる恥ずかしさのあまり、僕はタイガの足を踏んづけた。それでもタイガは僕と密着し続けた。
「髪、いつも短く切っちまうんだな。綺麗な黒髪なんだから、もうちょっと伸ばせばいいのに」
「タイガは流行を追いかけすぎだ」
「いいだろ、似合ってるんだから。それに昔は髪型を自由になんてできなかったしさあ」
昔というキーワードをタイガはよく口にする。僕はそれを聞くたび、この明るい男が少し哀れになる。僕たちに昔なんてない。ある日突然、ポンと冥王によって生み出されたのが僕たちだ。
タイガはどうも人間くさい。冥王の眷属なのに変わった奴だ。
僕を後ろから抱きしめながら、タイガが耳元で囁く。
「次の下界行きはいつにする?」
「バレンタインデーの当日がいいんじゃないかな。イベントがある日は、希死念慮を抱える人間が多く現れるから」
僕たち死神はまだ死ぬべきではない魂を救うため、下界を定期的にパトロールしている。
下界行きは苦手だ。体が、生身の人間に似た仕様に変化してしまう。
例の三大欲求というやつが厄介だ。僕は下界に行くたびタイガのことがたまらなく欲しくなる。
「タイガ。下界では今みたいにベタベタするな」
「なんでだよ。いっつもくっついてるのに」
「いいから僕の言うとおりにしろ」
僕は男子であるから、同性にそういった欲を抱くことはあり得ないはずだ。でも下界に行った際、タイガに誘われて一緒に風呂に入ると、彼の鍛えられた上半身に目が釘づけになってしまう。
もしかして僕は……タイガに抱かれたいという欲望があるのだろうか。
冥界にいる時ならば、自慰も夢精も関係ない。でも、下界に行くと隣にいるタイガのことが気になってたまらなくなる。
「もしかして照れてる? シンは可愛いな」
「男子に可愛いとは何事だ!」
タイガは僕と違って、下界行きを楽しんでいる。仕事はもちろん、プライベートでもよく出かけているようだ。頼んでもいないのに、巷でどんな映画が人気だとか、どこそこに美味しい食べ物があるといった話を僕にしてくる。
先日なんて、新しくできたデートスポットに一緒に行こうと誘われた。
僕はもちろん断った。冥界で毎日顔を合わせているのに、なんでわざわざタイガと出かけないといけないのだろう。
そしてタイガは、下界の不動産屋に行くのが大好きだ。都内はもちろん、地方の物件までチェックしている。僕たちは冥界に宿舎があるため、下界に住む必要はまったくないのだが別荘が欲しいのだろうか。
「バレンタインデーか。それじゃあ、ホテルをとって一緒にチョコレートを食べようか」
「遊びに行くわけじゃないんだぞ」
「有給休暇、溜まってるだろ。冥王様は最近、ホワイトな職場を目指してるからさ。下界を満喫してこようぜ」
「……僕は甘いものは苦手だ」
「カカオの割合が高いチョコレートは、辛党のおまえの口に合うと思うぞ」
「バレンタインデーって、女性と過ごすものじゃないのか」
僕が素朴な疑問を呈すると、タイガに一笑された。
「最近は友人同士でも祝うらしいぞ」
「そうなのか?」
「ああ、待ち遠しいな。シンとチョコ祭りだ!」
「仕事で行くんだからな。チョコレートはあくまでオマケだ」
タイガはホテルを予約すると言って、下界へと旅立って行った。
あとに残された僕は、また新たにやって来た死にたての魂を迎えた。
その丸みを帯びた輪郭が深い闇に紛れたあと、再び白く浮き上がった。明滅を繰り返しながら、死にたての魂は僕に訊ねた。
「あなたはどなたですか?」
「僕はシン。死神です」
「えぇっ? 学生さんじゃないんですか」
僕は銀色のボタンが縫いつけられた、真っ黒い詰襟を着ている。死神の制服は確かに、学生服に見えるかもしれない。おまけに僕は女顔で、10代後半の若者の姿である。髪は短めに切っているものの、いまいち迫力に欠ける。
「あなたが死神ということは、私は……死んだのですか」
死にたての魂が頼りなく震える。
彼にとって、死は初めての体験かもしれない。でも、死神である僕にとっては、ありふれた出来事である。僕は死神として多くの魂を導いてきた。先日、冥界のあるじである冥王から、勤続80年を記念した盃を拝領した。
「そうですね。あなたの命はもう絶えました」
僕は特に感情移入はせずに哀れな魂を見つめた。彼は寿命が尽きたため、この冥界に招かれた。
「私は……地獄に堕ちたのでしょうか」
死にたての魂があたりをふよふよと浮遊した。
蛇行する三途の川を取り囲むように、彼岸花が群生している。暗闇のなか、鮮血を連想させる赤い花が咲き乱れている風景は確かに不気味で、死にたての魂が不安がるのも無理はない。
「あなたは生前、特定の宗教の信者じゃなかったですよね?」
「そうですね。初詣にも行くし、クリスマスも祝うタイプの人間でした」
「そういう方は、白の花園に招かれます」
「白の、花園ですか……」
「そこで生前の行いを振り返って、輪廻転生を希望するのか、存在を完全に無に帰すのか決めてもらうことになるのです」
「要するにモラトリアムが与えられるってわけさ」
背後からぬっと現れたのは、同僚のタイガである。
タイガと僕はどちらも黒髪に赤い目の持ち主だ。でもタイガの方が顔立ちが精悍で、体つきも厚みがある。僕は鍛えても筋肉がつかないタイプなので、タイガの雄々しい体型が羨ましい。でも本人にそれを言ったら調子に乗るので黙っている。
タイガが僕の肩に腕を回した。
「シン。もうちょっと笑顔を見せてやれよ。この人、震えてるだろ」
「満面の笑みを浮かべている死神も怖いと思うけど?」
「死神様。女房とは会えますでしょうか。女房は私より三ヶ月前に逝ったのです」
「奥さんがまだ白の花園にいれば、あなたの望みは叶うかもしれません」
「そうですか……」
「では、逝ってらっしゃい」
僕は死神の鎌を振りかざした。
死にたての魂の輪郭がぐにゃりと歪み、色が透けていく。やがて死にたての魂は僕の視界から消えた。白の花園へ移送されたのだ。
僕がなんの感慨も抱かずに虚空を見つめていると、タイガに頬っぺたをつままれた。
「やめろ。馴れ合いは嫌いだと言っているだろう」
「もう80年も付き合ってるのに?」
「職場がたまたま一緒だっただけだろう」
タイガの方が力が強いので、僕は彼の腕を振りほどけなかった。タイガは僕の頬っぺたをむにむにと揉んでいる。
「いっつも無表情だと、心まで硬くなっちまうぞ」
「死神に心なんていらない」
「おまえって頑固だよな。もうちょっと死者に優しくできないの?」
「毎日、どれだけの死者が現れると思ってるんだ。丁寧な対応なんてしていられないよ」
僕は激しく抵抗した結果、ようやくタイガの腕から逃れることができた。しかし、三途の川の岸辺で、タイガに後ろから抱きすくめられてしまう。こやつは僕のことをオモチャか何かと勘違いしてるのではないだろうか。
タイガが僕の帽子を取り、うなじに顔をうずめた。くすぐったさと、うなじの匂いを嗅がれる恥ずかしさのあまり、僕はタイガの足を踏んづけた。それでもタイガは僕と密着し続けた。
「髪、いつも短く切っちまうんだな。綺麗な黒髪なんだから、もうちょっと伸ばせばいいのに」
「タイガは流行を追いかけすぎだ」
「いいだろ、似合ってるんだから。それに昔は髪型を自由になんてできなかったしさあ」
昔というキーワードをタイガはよく口にする。僕はそれを聞くたび、この明るい男が少し哀れになる。僕たちに昔なんてない。ある日突然、ポンと冥王によって生み出されたのが僕たちだ。
タイガはどうも人間くさい。冥王の眷属なのに変わった奴だ。
僕を後ろから抱きしめながら、タイガが耳元で囁く。
「次の下界行きはいつにする?」
「バレンタインデーの当日がいいんじゃないかな。イベントがある日は、希死念慮を抱える人間が多く現れるから」
僕たち死神はまだ死ぬべきではない魂を救うため、下界を定期的にパトロールしている。
下界行きは苦手だ。体が、生身の人間に似た仕様に変化してしまう。
例の三大欲求というやつが厄介だ。僕は下界に行くたびタイガのことがたまらなく欲しくなる。
「タイガ。下界では今みたいにベタベタするな」
「なんでだよ。いっつもくっついてるのに」
「いいから僕の言うとおりにしろ」
僕は男子であるから、同性にそういった欲を抱くことはあり得ないはずだ。でも下界に行った際、タイガに誘われて一緒に風呂に入ると、彼の鍛えられた上半身に目が釘づけになってしまう。
もしかして僕は……タイガに抱かれたいという欲望があるのだろうか。
冥界にいる時ならば、自慰も夢精も関係ない。でも、下界に行くと隣にいるタイガのことが気になってたまらなくなる。
「もしかして照れてる? シンは可愛いな」
「男子に可愛いとは何事だ!」
タイガは僕と違って、下界行きを楽しんでいる。仕事はもちろん、プライベートでもよく出かけているようだ。頼んでもいないのに、巷でどんな映画が人気だとか、どこそこに美味しい食べ物があるといった話を僕にしてくる。
先日なんて、新しくできたデートスポットに一緒に行こうと誘われた。
僕はもちろん断った。冥界で毎日顔を合わせているのに、なんでわざわざタイガと出かけないといけないのだろう。
そしてタイガは、下界の不動産屋に行くのが大好きだ。都内はもちろん、地方の物件までチェックしている。僕たちは冥界に宿舎があるため、下界に住む必要はまったくないのだが別荘が欲しいのだろうか。
「バレンタインデーか。それじゃあ、ホテルをとって一緒にチョコレートを食べようか」
「遊びに行くわけじゃないんだぞ」
「有給休暇、溜まってるだろ。冥王様は最近、ホワイトな職場を目指してるからさ。下界を満喫してこようぜ」
「……僕は甘いものは苦手だ」
「カカオの割合が高いチョコレートは、辛党のおまえの口に合うと思うぞ」
「バレンタインデーって、女性と過ごすものじゃないのか」
僕が素朴な疑問を呈すると、タイガに一笑された。
「最近は友人同士でも祝うらしいぞ」
「そうなのか?」
「ああ、待ち遠しいな。シンとチョコ祭りだ!」
「仕事で行くんだからな。チョコレートはあくまでオマケだ」
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