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第一章 歌水晶は白狼王子と出会う
第2話 美しき白狼との出会い
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目当ての木の実は、他の誰かによって採られていた。
青い実しかつけていない木から、セオは視線を外した。レイデンが待つ家に帰るとしよう。
「ん?」
道中のことだった。背後から異音がした。
セオはさっと振り返った。剣の柄に手を添えることも忘れない。
ひゅうっという音が断続的に聞こえてくる。季節外れの木枯らしだろうか? いや、ひゅううっと物悲しく鳴り響くそれは、口笛の音色かもしれない。
歌水晶が神聖なる霊峰で口笛を吹く可能性は極めて低い。どうやらレイデンが危惧した、招かれざる客がやって来たようだ。
「誰だ!」
セオが問いかけるよりも早く、懐に何者かが飛び込んできた。どんと勢いよくぶつかられてセオは腹部に痛みを覚えた。おかしい。激しい接触があったのに、相手の姿が一向に見えない。
空気の塊が悪意を持って攻撃してきたのか?
そんな不可解な出来事が起きるわけがない。セオはレイデンに説教されて疲れたあまり、幻覚に囚われたのだろうか。
「うッ!」
謎の相手はひゅうっと口笛を吹きながら、セオの手足を叩いてくる。打たれた箇所がじんと熱くなった。まるで硬い拳で殴りつけられているかのようだ。
「いい加減にしろっ!」
たまらず抜剣しようとしたその瞬間、茂みの中から一匹の狼が現われた。全身が雪のように白く、瞳は美しい青灰色をしている。
白狼は雄叫びを上げると、中空に飛び上がった。そして口を大きく開けて、セオを苛む謎の化け物に襲いかかった。
一回、また一回と白狼が見えない敵に牙を立てる。
白狼の猛攻が進むにつれて、化け物の姿が明らかになっていった。
「えっ。人間?」
地べたに片腕がない男が倒れている。肌は土色で、目は白濁しており、脈を取るまでもなく死者であることが分かる。
「おい、狼さんよ。あんたがこの人を殺したのか? それとも……この人は最初から死んでたのか?」
いずれにせよ、この白狼は怪しい。
セオは鞘から剣を引き抜いた。
「この剣は、飾りじゃないぞ……!」
セオは恐怖を感じないように、己を鼓舞した。剣の柄をきつく握り締める。
実戦は初めてだ。
気分が高揚したかと思えば、足がすくみそうになる。
興奮状態にあるセオに対して、白狼の青灰色の瞳は風のない水面のように静かである。白狼の姿からは高い知性が感じられた。
「俺は……本気だからな!!」
一歩、また一歩、白狼との間合いを詰める。
すると白狼は地面を大きく蹴り上げ、宙返りをした。セオは華麗な動きに見惚れそうになった。しかし、感心している場合ではない。白狼の牙は次に、セオを狙うかもしれないのだ。
━━やられてたまるか!
セオが白狼を睨みつけた瞬間、驚くべきことが起きた。辺りに濃い霧が立ちこめ、白狼の姿を隠したのだ。
「幻術か?」
ぽかんと中空を見つめていると、霧が晴れた。
セオの眼前には、長身の青年が立っていた。美しい若者だ。雪白の髪が、片方の目を隠している。瞳の色は白狼と同じ、青灰色だった。
「あんたはどこから来た!? あの白い狼は? 消えちまったのか?」
「あの狼は俺だ。そして、先ほどきみを襲った化け物の名はオボロ。冥府から逃れてきた死者だよ」
「オボロ……?」
「聞き慣れないのも無理はない。きみは霊峰の住人だろう?」
「なんで分かった」
「身なりが整いすぎている。もしもきみがこの高い山を登ってきたのだとしたら、服のあちこちに草の切れ端をくっつけているはずだ」
青年はリジェクと名乗った。
「奇妙な名だな。古代語で『拒絶』という意味じゃないか」
「本名だ」
そっけない口ぶりであったが、リジェクからは誠実さが感じられた。彼が嘘をつくようには思えない。
機能美だけを追求したリジェクの装いは、武人のそれである。リジェクの立ち姿には隙がない。この男、おそらく相当に腕が立つ。
無駄に血を流すことは避けたい。
セオは剣を鞘におさめた。
「俺はセオ。さっきはオボロから助けてくれてありがとう」
「礼には及ばない」
「リジェク。詳しい事情を教えてくれないか?」
「下界では現在、オボロが多数出没している。俺は群れを率いていたオボロを追いかけて、この霊峰までやって来た」
「単独で?」
「狼に変身した俺の足について来れる奴は、なかなかいない」
「……なるほど」
ここでセオは下界に関する知識を思い出した。
「先代のヴァローネス王は確か、神狼王と呼ばれていたよな? 彼は狼に変身する力があったと聞く」
「……神狼王は俺の祖父に当たる」
「ってことは、あんたは王家の人?」
「一応、そうなる。俺は現在、傭兵団に籍を置いてオボロ狩りに当たっている」
率先して前線に出るとは。随分と勇敢な王族がいたものだ。
「王族なら、王宮で舞踊でも楽しんでいればいいのに」
「日に日に増え続けるオボロの存在を無視するわけにはいかない。奴らは民の暮らしを脅かしているのだから」
「そんな話、他の歌水晶は教えてくれなかった」
下界は汚らわしい場所だ。歌水晶は人間と関わるべきではない。
おまえの両親は人間に攫われたのだぞ?
人間はおまえの仇だ。
養い親であるレイデンにそう言われて育ってきたが、セオはリジェクの元から立ち去ることができなかった。
青灰色の瞳をのぞき込む。セオの熱っぽい視線を浴びても、リジェクはニコリともしない。無愛想なのか、セオを快く思っていないのか。
いずれにせよ、まだまだ聞いてみたいことがある。
「ヴァローネス王国って、どんなところ?」
「気候は温暖で、森林や鉱山といった資源がある。過去に何回か侵略されそうになったことがあるが、王国が誇る神狼騎士団が敵を退けてきた」
「それはすごい」
「近年は戦争とは無縁だった。それなのに、ある日突然オボロが現れた。穏やかだった日常が乱され、多くの民が途方に暮れている」
「……人間の世界って、大変なんだな」
「この霊峰は平和なんだな?」
「うん。歌水晶同士で争ったりはしないし」
リジェクの青灰色の瞳がセオをじっと見つめた。
セオは思わず視線を逸らした。
色白で優美なリジェクに対し、セオはよく日に焼けた野性的な風貌をしている。貴人の目に田舎臭い自分の姿が映っているのかと思うと、心が耐えられなかった。
「セオ、今度は俺から質問をしてもいいか?」
「いいぜ」
「先ほどきみは、『歌水晶』と言ったな。もしかしてセオは……天帝伝説に出てくる歌水晶なのか?」
「そうだよ」
別に隠すことでもないので、セオは即答した。
「……俺を警戒しないのか」
「言葉を交わしてみて分かった。あんたは悪い奴じゃない」
「そうか……。俺を信じてくれるのか」
感慨深そうに頷くと、リジェクはきびすを返した。
「俺はこれで失礼する」
「下界に戻るのか?」
「ああ。俺を追いかけて、別のオボロが来るかもしれない。きみたち歌水晶を危険にさらすわけにはいかない」
「歌水晶って結構、鍛えてるんだぜ? オボロの一匹や二匹ぐらい、大丈夫だっての!」
「だが……」
「疲れてるだろ? うちで煮込み料理を食っていけよ! そして今夜はうちに泊まれ」
「煮込み料理……? 歌水晶は人間のように食物を摂取するのか」
「なあ、リジェク。俺、人間や下界のことをもっと知りたいんだ。教えてくれよ!」
底抜けに明るい笑顔を見せたセオと視線を合わせると、リジェクは眩しそうに目を細めた。
青い実しかつけていない木から、セオは視線を外した。レイデンが待つ家に帰るとしよう。
「ん?」
道中のことだった。背後から異音がした。
セオはさっと振り返った。剣の柄に手を添えることも忘れない。
ひゅうっという音が断続的に聞こえてくる。季節外れの木枯らしだろうか? いや、ひゅううっと物悲しく鳴り響くそれは、口笛の音色かもしれない。
歌水晶が神聖なる霊峰で口笛を吹く可能性は極めて低い。どうやらレイデンが危惧した、招かれざる客がやって来たようだ。
「誰だ!」
セオが問いかけるよりも早く、懐に何者かが飛び込んできた。どんと勢いよくぶつかられてセオは腹部に痛みを覚えた。おかしい。激しい接触があったのに、相手の姿が一向に見えない。
空気の塊が悪意を持って攻撃してきたのか?
そんな不可解な出来事が起きるわけがない。セオはレイデンに説教されて疲れたあまり、幻覚に囚われたのだろうか。
「うッ!」
謎の相手はひゅうっと口笛を吹きながら、セオの手足を叩いてくる。打たれた箇所がじんと熱くなった。まるで硬い拳で殴りつけられているかのようだ。
「いい加減にしろっ!」
たまらず抜剣しようとしたその瞬間、茂みの中から一匹の狼が現われた。全身が雪のように白く、瞳は美しい青灰色をしている。
白狼は雄叫びを上げると、中空に飛び上がった。そして口を大きく開けて、セオを苛む謎の化け物に襲いかかった。
一回、また一回と白狼が見えない敵に牙を立てる。
白狼の猛攻が進むにつれて、化け物の姿が明らかになっていった。
「えっ。人間?」
地べたに片腕がない男が倒れている。肌は土色で、目は白濁しており、脈を取るまでもなく死者であることが分かる。
「おい、狼さんよ。あんたがこの人を殺したのか? それとも……この人は最初から死んでたのか?」
いずれにせよ、この白狼は怪しい。
セオは鞘から剣を引き抜いた。
「この剣は、飾りじゃないぞ……!」
セオは恐怖を感じないように、己を鼓舞した。剣の柄をきつく握り締める。
実戦は初めてだ。
気分が高揚したかと思えば、足がすくみそうになる。
興奮状態にあるセオに対して、白狼の青灰色の瞳は風のない水面のように静かである。白狼の姿からは高い知性が感じられた。
「俺は……本気だからな!!」
一歩、また一歩、白狼との間合いを詰める。
すると白狼は地面を大きく蹴り上げ、宙返りをした。セオは華麗な動きに見惚れそうになった。しかし、感心している場合ではない。白狼の牙は次に、セオを狙うかもしれないのだ。
━━やられてたまるか!
セオが白狼を睨みつけた瞬間、驚くべきことが起きた。辺りに濃い霧が立ちこめ、白狼の姿を隠したのだ。
「幻術か?」
ぽかんと中空を見つめていると、霧が晴れた。
セオの眼前には、長身の青年が立っていた。美しい若者だ。雪白の髪が、片方の目を隠している。瞳の色は白狼と同じ、青灰色だった。
「あんたはどこから来た!? あの白い狼は? 消えちまったのか?」
「あの狼は俺だ。そして、先ほどきみを襲った化け物の名はオボロ。冥府から逃れてきた死者だよ」
「オボロ……?」
「聞き慣れないのも無理はない。きみは霊峰の住人だろう?」
「なんで分かった」
「身なりが整いすぎている。もしもきみがこの高い山を登ってきたのだとしたら、服のあちこちに草の切れ端をくっつけているはずだ」
青年はリジェクと名乗った。
「奇妙な名だな。古代語で『拒絶』という意味じゃないか」
「本名だ」
そっけない口ぶりであったが、リジェクからは誠実さが感じられた。彼が嘘をつくようには思えない。
機能美だけを追求したリジェクの装いは、武人のそれである。リジェクの立ち姿には隙がない。この男、おそらく相当に腕が立つ。
無駄に血を流すことは避けたい。
セオは剣を鞘におさめた。
「俺はセオ。さっきはオボロから助けてくれてありがとう」
「礼には及ばない」
「リジェク。詳しい事情を教えてくれないか?」
「下界では現在、オボロが多数出没している。俺は群れを率いていたオボロを追いかけて、この霊峰までやって来た」
「単独で?」
「狼に変身した俺の足について来れる奴は、なかなかいない」
「……なるほど」
ここでセオは下界に関する知識を思い出した。
「先代のヴァローネス王は確か、神狼王と呼ばれていたよな? 彼は狼に変身する力があったと聞く」
「……神狼王は俺の祖父に当たる」
「ってことは、あんたは王家の人?」
「一応、そうなる。俺は現在、傭兵団に籍を置いてオボロ狩りに当たっている」
率先して前線に出るとは。随分と勇敢な王族がいたものだ。
「王族なら、王宮で舞踊でも楽しんでいればいいのに」
「日に日に増え続けるオボロの存在を無視するわけにはいかない。奴らは民の暮らしを脅かしているのだから」
「そんな話、他の歌水晶は教えてくれなかった」
下界は汚らわしい場所だ。歌水晶は人間と関わるべきではない。
おまえの両親は人間に攫われたのだぞ?
人間はおまえの仇だ。
養い親であるレイデンにそう言われて育ってきたが、セオはリジェクの元から立ち去ることができなかった。
青灰色の瞳をのぞき込む。セオの熱っぽい視線を浴びても、リジェクはニコリともしない。無愛想なのか、セオを快く思っていないのか。
いずれにせよ、まだまだ聞いてみたいことがある。
「ヴァローネス王国って、どんなところ?」
「気候は温暖で、森林や鉱山といった資源がある。過去に何回か侵略されそうになったことがあるが、王国が誇る神狼騎士団が敵を退けてきた」
「それはすごい」
「近年は戦争とは無縁だった。それなのに、ある日突然オボロが現れた。穏やかだった日常が乱され、多くの民が途方に暮れている」
「……人間の世界って、大変なんだな」
「この霊峰は平和なんだな?」
「うん。歌水晶同士で争ったりはしないし」
リジェクの青灰色の瞳がセオをじっと見つめた。
セオは思わず視線を逸らした。
色白で優美なリジェクに対し、セオはよく日に焼けた野性的な風貌をしている。貴人の目に田舎臭い自分の姿が映っているのかと思うと、心が耐えられなかった。
「セオ、今度は俺から質問をしてもいいか?」
「いいぜ」
「先ほどきみは、『歌水晶』と言ったな。もしかしてセオは……天帝伝説に出てくる歌水晶なのか?」
「そうだよ」
別に隠すことでもないので、セオは即答した。
「……俺を警戒しないのか」
「言葉を交わしてみて分かった。あんたは悪い奴じゃない」
「そうか……。俺を信じてくれるのか」
感慨深そうに頷くと、リジェクはきびすを返した。
「俺はこれで失礼する」
「下界に戻るのか?」
「ああ。俺を追いかけて、別のオボロが来るかもしれない。きみたち歌水晶を危険にさらすわけにはいかない」
「歌水晶って結構、鍛えてるんだぜ? オボロの一匹や二匹ぐらい、大丈夫だっての!」
「だが……」
「疲れてるだろ? うちで煮込み料理を食っていけよ! そして今夜はうちに泊まれ」
「煮込み料理……? 歌水晶は人間のように食物を摂取するのか」
「なあ、リジェク。俺、人間や下界のことをもっと知りたいんだ。教えてくれよ!」
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