点火

瀑布

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点火

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「点火」

祖父は死ぬ間際に僕の方をまっすぐ見てはっきりとそう口に出し、そのまま息絶えた。 

言葉の意図は今でも分からない。

ただ、その言葉を聞いた途端全身が逆立つかのような凄まじい悪寒が走ったのを今でも記憶している。

その日から身の周りが少しだけ変わった。

平熱が二度上がった。

爪が伸びやすくなった。

髭は全然生えてこなくなった。 

汗をかかなくなった。

周りで不審火が増えた。 

太陽が少し大きくなった。(ような気がする)

僕にとって特に困ることはこの中にはなかった。

ただ、一番困るのはあの日から火に触れてみたいという欲求が芽生えてしまったこと。

祖父が死んでから間もなく、小学六年生の頃だった。

その時僕は理科の授業でアルコールランプを使った実験を行なっていた。

同じ班のクラスメイトが点火のためにマッチを取り出す。

一回目、二回目、三回目にしてようやく火がつくと、既に僕は魅入ってしまっていた。

マッチの火はランプに移され仄かなアルコールの匂いと共に勢いを増した。

無意識だった、いや、これは言い訳だ。僕はただ、欲求を抑えることが出来なかった。

息をするかのようにと言えばそこまで自然ではない。

ただ、そこにあったから。

幼子の頭を撫でるように

ドアノブに手を掛けるように

気付いた時にはアルコールランプの火に触れていた。

不思議だった。

熱は感じる、ただ、苦痛はなかった。

火は僕の肌を焦がすことはなかった。

ただ。

ただ。

ただひたすらに、心地良かった。

その時だった

ドカーン?

バーン?

なんと表現したら正しいのか

ともかく、凄まじい爆音が僕の耳を劈いた。

一瞬雷でも落ちたのかと思った。

でもそれは違うと直ぐに分かった。

なにしろ天気は快晴だった。

だから、はっきりとよく見えた。


晴れ渡る空を、近くの工場から立ち上る真っ黒な煙が埋め尽くすのを。


凄惨な"事故"だったそうだ。

従業員が10人も死んだらしい。

僕は感覚的に理解していた。

あの人たちは僕が殺したんだろう。

でも一番最悪なのは、頭では理解していても罪悪感というものがまるで湧かなかったことだった。


それ以来僕は火を避けて過ごした。

僕はただ怖かった。

事故を起こすことでも

人の命を奪ってしまうことでも

そのどちらでもない。

僕という人間を失ってしまうことが、何よりも恐ろしかった。


十九歳の秋、二度目の最悪が起こった。

きっかけは些細な事故だった。

キッチンからの軽い出火、警報器が作動したがわざわざ消防を呼ぶほどでもない。

僕がその火に触れていなければ。

結果は一度目とは比較にならなかった。

火は、僕の周りのものを凄まじい勢いで呑み込んでいった。

家も、道路も、木々も、知り合いも、友達も、家族も。

街が一つ消えたのだ。

焦土の中一人生き残り、僕はとっくに人間ではないことを悟った。

もう恐ろしくはなかった。

寧ろ、そこにあったのは絶対的な万能感ともっと火に触れてみたいという欲求だけだった。

その日からは孤独だった。
周りは不気味だと蔑み僕のことを避けた。

辛くはなかった。僕も人への興味は失せていたし、火を眺めているだけで幸せだった。

そうだ、どうでもいいんだ。

その気になれば僕は…

…ああそうか。やっと分かった

祖父は


「点火」

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