たそがれ色の恋心

空居アオ

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神戸公演編

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 ガチャッとドアが開く。
 仮住まいの空間に充満していた濃厚な感情は、唐突に割り込んできた外界の息吹によって、一瞬にして凝固した。

「おやすみ~」

 陽気に語尾を延ばし、室外の誰かと挨拶を交わしながら入って来たのはトージの同室、カンパニーの最年長でもある男で、名を吉倉ヨシクラスグル
 彼も初演からのメンバーだが、前回とは違う役での出演となる。
 ほどよく日焼けした肌と、日本人離れした彫り深い顔立ちが特徴で、180センチを優に超える長身も相まって、非常に貫録のある男である。
 初演の顔合わせで演出家から「どこの南国の王様だよ」という好意のツッコミをちょうだいしたため、「王様」がそのままあだ名になり、今ではそれが業界全体に広まるほど知られているのだった。


「トージ。ただい――」

 部屋のなかの様子に、スグルのセリフが一瞬宙に浮く。

「…ま?」

 ただいまの語尾が疑問形になったのは、状況の異様さのせいだろう。
 標準的アーモンド型の目をしばたかせて、スグルは信じられないものを見たとでも言いたげに、額に落ちる前髪をかき上げた。

 この舞台では、敵対し戦う者同士に特殊な絆がある。
 それは殺陣のシーンの細かい部分を役者同士に決めさせているからだと言われている。
 通常、こういったことはあまり考えられない。特に舞台経験の少ない役者を使う場合はそうだ。

 舞台というものは自由のようでいて、その多くが決まりごとのうえで成り立っている。たとえば体の動きや手足の所作、たとえば立ち位置やセリフの間。そうしたすべてを細かく決めておかなければいけないのは、些細な掛け違いが即大きな怪我につながるからだ。
 だからこそ演出家と舞台監督をはじめ、照明・音響の責任者とで綿密な打ち合わせをするし、スタッフ同士、スタッフと出演者同士の連携も非常に重要であった。
 それがこの舞台の場合、そういった決め事の範囲内で、役の心情を最も理解しているキャストが主観的にシーンを作るのだ。
 誰かに(観客に)見せることを前提とせずに構築していくので、セリフが書き換えられることも多々あって、実際、再演の今回と初演の前回とでは、殺陣のシーンにかなりの違いが生まれた。

 スグルは初演のトージとケイを知っている人間である。
 二人がいかに苦しんで役を作り――ときに台本を挟んで激論を戦わせ、ときに殴り合い寸前までの喧嘩をし――喜怒哀楽すべての感情を分かち合い、そうして役でもプライベートでも無二の関係を築く過程を、もっとも近い場所から見守ってきた。
 だから目の前で展開されている光景が信じられなかった。
 あれほど仲の良いトージとケイが、なんとも言えない、剣呑といっても差し支えない空気を漂わせている。
 始まりと経過を知っている者からすれば、とっさにかける言葉が出てこないのも当然といえば当然だった。

「おかえり、王様」

 明らかに取り繕う声でトージが言う。

「ただいま」

 一度宙に浮いた言葉を今度はきちんと言い切り、スグルは気まずさが透明の触手となって頬を撫でるのを感じた。
 無意識に首をかいた。
 ベッドを凝視しているルームメイトの顔を眺め、続いてそのルームメイトの横顔を見つめる青年を見る。
 視線に気づいた二十歳の青年はスグルに目を合わせてきた。
 しかしそれも一秒だけで、すぐに若者たちは二人して年長者から目を逸らした。
 王様は内心苦笑をもらすしかない。
 ひとつ息をついて、無言のまま、くぐったばかりのドアへとおもむろに歩を進めた。
 年長者の予想外の行動に、二人の青年が視線を上げる。

「王様?」

 スグルはトージの呼びかけを無視して、ドアノブに手をかけて言った。

「ヒラン。今夜、部屋を換わろう」
「王様」
「何があったか知らないけど、明日の公演に支障をきたすようなら、それ、プロ失格だからな」

 本当は今さらそんなことを言わずとも、この二人ならちゃんとわかっている。
 トージとケイのプロ意識の高さは、カンパニーでも抜きん出ているのだから。

 スグルは言うだけ言って、さっさと部屋を出た。
 残された若者の周りでどれほど愉快な空気が泳ごうとも、気を配るだけばかばかしいとでも言わんばかりだ。
 ただガチャっと音を立てて閉まるドアがまるで空間に封印を施したように聞こえて、王様をして一瞥の眼光をそこへ飛ばした。




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