38 / 63
神戸公演編
-38-
しおりを挟むガチャッとドアが開く。
仮住まいの空間に充満していた濃厚な感情は、唐突に割り込んできた外界の息吹によって、一瞬にして凝固した。
「おやすみ~」
陽気に語尾を延ばし、室外の誰かと挨拶を交わしながら入って来たのはトージの同室、カンパニーの最年長でもある男で、名を吉倉卓。
彼も初演からのメンバーだが、前回とは違う役での出演となる。
ほどよく日焼けした肌と、日本人離れした彫り深い顔立ちが特徴で、180センチを優に超える長身も相まって、非常に貫録のある男である。
初演の顔合わせで演出家から「どこの南国の王様だよ」という好意のツッコミをちょうだいしたため、「王様」がそのままあだ名になり、今ではそれが業界全体に広まるほど知られているのだった。
「トージ。ただい――」
部屋のなかの様子に、スグルのセリフが一瞬宙に浮く。
「…ま?」
ただいまの語尾が疑問形になったのは、状況の異様さのせいだろう。
標準的アーモンド型の目をしばたかせて、スグルは信じられないものを見たとでも言いたげに、額に落ちる前髪をかき上げた。
この舞台では、敵対し戦う者同士に特殊な絆がある。
それは殺陣のシーンの細かい部分を役者同士に決めさせているからだと言われている。
通常、こういったことはあまり考えられない。特に舞台経験の少ない役者を使う場合はそうだ。
舞台というものは自由のようでいて、その多くが決まりごとのうえで成り立っている。たとえば体の動きや手足の所作、たとえば立ち位置やセリフの間。そうしたすべてを細かく決めておかなければいけないのは、些細な掛け違いが即大きな怪我につながるからだ。
だからこそ演出家と舞台監督をはじめ、照明・音響の責任者とで綿密な打ち合わせをするし、スタッフ同士、スタッフと出演者同士の連携も非常に重要であった。
それがこの舞台の場合、そういった決め事の範囲内で、役の心情を最も理解しているキャストが主観的にシーンを作るのだ。
誰かに(観客に)見せることを前提とせずに構築していくので、セリフが書き換えられることも多々あって、実際、再演の今回と初演の前回とでは、殺陣のシーンにかなりの違いが生まれた。
スグルは初演のトージとケイを知っている人間である。
二人がいかに苦しんで役を作り――ときに台本を挟んで激論を戦わせ、ときに殴り合い寸前までの喧嘩をし――喜怒哀楽すべての感情を分かち合い、そうして役でもプライベートでも無二の関係を築く過程を、もっとも近い場所から見守ってきた。
だから目の前で展開されている光景が信じられなかった。
あれほど仲の良いトージとケイが、なんとも言えない、剣呑といっても差し支えない空気を漂わせている。
始まりと経過を知っている者からすれば、とっさにかける言葉が出てこないのも当然といえば当然だった。
「おかえり、王様」
明らかに取り繕う声でトージが言う。
「ただいま」
一度宙に浮いた言葉を今度はきちんと言い切り、スグルは気まずさが透明の触手となって頬を撫でるのを感じた。
無意識に首をかいた。
ベッドを凝視しているルームメイトの顔を眺め、続いてそのルームメイトの横顔を見つめる青年を見る。
視線に気づいた二十歳の青年はスグルに目を合わせてきた。
しかしそれも一秒だけで、すぐに若者たちは二人して年長者から目を逸らした。
王様は内心苦笑をもらすしかない。
ひとつ息をついて、無言のまま、くぐったばかりのドアへとおもむろに歩を進めた。
年長者の予想外の行動に、二人の青年が視線を上げる。
「王様?」
スグルはトージの呼びかけを無視して、ドアノブに手をかけて言った。
「ヒラン。今夜、部屋を換わろう」
「王様」
「何があったか知らないけど、明日の公演に支障をきたすようなら、それ、プロ失格だからな」
本当は今さらそんなことを言わずとも、この二人ならちゃんとわかっている。
トージとケイのプロ意識の高さは、カンパニーでも抜きん出ているのだから。
スグルは言うだけ言って、さっさと部屋を出た。
残された若者の周りでどれほど愉快な空気が泳ごうとも、気を配るだけばかばかしいとでも言わんばかりだ。
ただガチャっと音を立てて閉まるドアがまるで空間に封印を施したように聞こえて、王様をして一瞥の眼光をそこへ飛ばした。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺(紗子)
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
離したくない、離して欲しくない
mahiro
BL
自宅と家の往復を繰り返していた所に飲み会の誘いが入った。
久しぶりに友達や学生の頃の先輩方とも会いたかったが、その日も仕事が夜中まで入っていたため断った。
そんなある日、社内で女性社員が芸能人が来ると話しているのを耳にした。
テレビなんて観ていないからどうせ名前を聞いたところで誰か分からないだろ、と思いあまり気にしなかった。
翌日の夜、外での仕事を終えて社内に戻って来るといつものように誰もいなかった。
そんな所に『すみません』と言う声が聞こえた。
まだ、言えない
怜虎
BL
学生×芸能系、ストーリーメインのソフトBL
XXXXXXXXX
あらすじ
高校3年、クラスでもグループが固まりつつある梅雨の時期。まだクラスに馴染みきれない人見知りの吉澤蛍(よしざわけい)と、クラスメイトの雨野秋良(あまのあきら)。
“TRAP” というアーティストがきっかけで仲良くなった彼の狙いは別にあった。
吉澤蛍を中心に、恋が、才能が動き出す。
「まだ、言えない」気持ちが交差する。
“全てを打ち明けられるのは、いつになるだろうか”
注1:本作品はBLに分類される作品です。苦手な方はご遠慮くださいm(_ _)m
注2:ソフトな表現、ストーリーメインです。苦手な方は⋯ (省略)
王様のナミダ
白雨あめ
BL
全寮制男子高校、箱夢学園。 そこで風紀副委員長を努める桜庭篠は、ある夜久しぶりの夢をみた。
端正に整った顔を歪め、大粒の涙を流す綺麗な男。俺様生徒会長が泣いていたのだ。
驚くまもなく、学園に転入してくる王道転校生。彼のはた迷惑な行動から、俺様会長と風紀副委員長の距離は近づいていく。
※会長受けです。
駄文でも大丈夫と言ってくれる方、楽しんでいただけたら嬉しいです。
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺(紗子)
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(10/21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
※4月18日、完結しました。ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる