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最終話
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なんの気まぐれか、ヴァンパイアは子供を殺さずにおいた。
村を全滅させたと聞いても、その子供がなんの反応をも示さなかった所為かもしれない。
子供にしてみれば、命がなんであるのかすらわからないのに、村がなくなったと言われてもピンと来ない。
とにかく手を差し伸べられたのは初めてだったので、本能的に自分の手をそこに重ねた。
「なんにもわからなくてよかった」
もし見ず知らずの男に脅えたら?
もし多くの命が男によって消されたと理解し、恐怖していたら?
もしあの手を取らなかったら?
ミロは山で野たれ死にしたか、もしくはヴァンパイアの牙の餌食になっていただろう。
それはすなわち、リュシアンの存在も、リュシアンに出会う喜びも知ることがなかったということだ。
「わからなかったことが不幸だとは思わないのですか」
至極真っ当な質問を口にしたリュシアンを待っていたのは、ミロから与えられる啄ばむようなキスと、自分の問いをきっぱり否定する言葉だった。
それはありえない。
ヴァンパイアと過ごした月日は幸せだった。
今、リュシアンが目の前にいることで感じている幸福感も、嘘や幻じゃない。
今の自分は不幸じゃない、と。
「マスターに全部教えてもらった」
そう言って笑うミロの顔は穏やかだ。
堪らなくなって、胸の奥から何かが込み上げてくる。リュシアンはミロの頭を引き寄せ、月光色の髪にキスを落とした。
「……それなのに」
ぽつり、と頭上からリュシアンが声を降らせる。
「父はあなたを噛んだのですか」
「けど俺をヴァンパイアにはしなかった」
「だとしてもあなたは、もう人間ではない」
ミロはリュシアンを探すのに、何十年も掛かったと言った。
二十代の青年にしか見えないのに、何十年も生きていると。
ヴァンパイアの血が影響していなければ、なんだというのだ。
「人間だと、リュシアンとは一緒に行けねえ」
躊躇なく断言するミロに、リュシアンは切なそうに目を伏せた。
「ンな顔すんな。痛ぇって顔すんな。俺はこのほうがいい。それに――」
続きが言いにくいのか、ミロはリュシアンの肩を抱き、自分の顔を隠した。
「マスターは、あんたを…愛してたんだ」
聞き慣れない「愛」という単語によほど驚いたのか、リュシアンは物言いたげに身じろぎした。
しかしこの行動をすでに読んでいたミロにより、最前から抱き込まれていたため、顔を上げることはできなかった。
「すみません。誰が、誰を、愛していたと?」
「あんたのお父さまが、あんたを、愛してた」
「お母さまをではなく?」
不可思議な切り返しに、ミロはリュシアンを放し、その顔をまじまじと覗き込んだ。
さすがにリュシアンもおかしなことを言ったと、慌てて言葉の意味を訂正した。
ヴァンパイアであるリュシアンの父親は、人間の女を本当に愛していた。
その証として、人間の血を吸わないと誓いを立てるほどに。
それゆえ血を欲するヴァンパイアの血が暴走し、父親が母親を噛み殺すという惨事を引き起こした。けれども少なくとも母親が生きている間、高位ヴァンパイアの誇りにかけて、父親は人間の血を一滴も吸っていない。
この悲劇は、結果がどうであれ、すべて愛あればこそだった。
それほどまでに父親の母親に対する愛情は深く、揺るぎないものだったのだ。まだ三人で生活をしていたとき、子供のリュシアンですら両親の醸し出す空気に居心地の悪さを感じることがしばしばあった。
だから愛という言葉は、あの父と母のことであり、父が母に捧げたものなのだ。
いくら父親に疎まれていたという事実がなく、世間一般から鑑みても、間違いなく愛されていたとわかってはいても、息子は、父親が自分に対してその言葉を使うのが、非常に珍妙に聞こえた。
リュシアンの解説を聞いて、ミロは涙を流して笑い転げた。
マスターと慕い、憧れ、育ての親でもあるヴァンパイアの知られざる一面を知って、幸せがまた膨らんだ。
「なあ、リュシアン。俺はあんたのモンだ。だからあんたも俺のモンになれ」
「何を言うのです。あなたはお父さまのものではありませんか」
「違う。俺はあんたのモンになるために、マスターに噛まれたんだ」
あっさりと物騒なことを言ってのけたミロに、リュシアンは眉間に皺を作った。
村を全滅させたと聞いても、その子供がなんの反応をも示さなかった所為かもしれない。
子供にしてみれば、命がなんであるのかすらわからないのに、村がなくなったと言われてもピンと来ない。
とにかく手を差し伸べられたのは初めてだったので、本能的に自分の手をそこに重ねた。
「なんにもわからなくてよかった」
もし見ず知らずの男に脅えたら?
もし多くの命が男によって消されたと理解し、恐怖していたら?
もしあの手を取らなかったら?
ミロは山で野たれ死にしたか、もしくはヴァンパイアの牙の餌食になっていただろう。
それはすなわち、リュシアンの存在も、リュシアンに出会う喜びも知ることがなかったということだ。
「わからなかったことが不幸だとは思わないのですか」
至極真っ当な質問を口にしたリュシアンを待っていたのは、ミロから与えられる啄ばむようなキスと、自分の問いをきっぱり否定する言葉だった。
それはありえない。
ヴァンパイアと過ごした月日は幸せだった。
今、リュシアンが目の前にいることで感じている幸福感も、嘘や幻じゃない。
今の自分は不幸じゃない、と。
「マスターに全部教えてもらった」
そう言って笑うミロの顔は穏やかだ。
堪らなくなって、胸の奥から何かが込み上げてくる。リュシアンはミロの頭を引き寄せ、月光色の髪にキスを落とした。
「……それなのに」
ぽつり、と頭上からリュシアンが声を降らせる。
「父はあなたを噛んだのですか」
「けど俺をヴァンパイアにはしなかった」
「だとしてもあなたは、もう人間ではない」
ミロはリュシアンを探すのに、何十年も掛かったと言った。
二十代の青年にしか見えないのに、何十年も生きていると。
ヴァンパイアの血が影響していなければ、なんだというのだ。
「人間だと、リュシアンとは一緒に行けねえ」
躊躇なく断言するミロに、リュシアンは切なそうに目を伏せた。
「ンな顔すんな。痛ぇって顔すんな。俺はこのほうがいい。それに――」
続きが言いにくいのか、ミロはリュシアンの肩を抱き、自分の顔を隠した。
「マスターは、あんたを…愛してたんだ」
聞き慣れない「愛」という単語によほど驚いたのか、リュシアンは物言いたげに身じろぎした。
しかしこの行動をすでに読んでいたミロにより、最前から抱き込まれていたため、顔を上げることはできなかった。
「すみません。誰が、誰を、愛していたと?」
「あんたのお父さまが、あんたを、愛してた」
「お母さまをではなく?」
不可思議な切り返しに、ミロはリュシアンを放し、その顔をまじまじと覗き込んだ。
さすがにリュシアンもおかしなことを言ったと、慌てて言葉の意味を訂正した。
ヴァンパイアであるリュシアンの父親は、人間の女を本当に愛していた。
その証として、人間の血を吸わないと誓いを立てるほどに。
それゆえ血を欲するヴァンパイアの血が暴走し、父親が母親を噛み殺すという惨事を引き起こした。けれども少なくとも母親が生きている間、高位ヴァンパイアの誇りにかけて、父親は人間の血を一滴も吸っていない。
この悲劇は、結果がどうであれ、すべて愛あればこそだった。
それほどまでに父親の母親に対する愛情は深く、揺るぎないものだったのだ。まだ三人で生活をしていたとき、子供のリュシアンですら両親の醸し出す空気に居心地の悪さを感じることがしばしばあった。
だから愛という言葉は、あの父と母のことであり、父が母に捧げたものなのだ。
いくら父親に疎まれていたという事実がなく、世間一般から鑑みても、間違いなく愛されていたとわかってはいても、息子は、父親が自分に対してその言葉を使うのが、非常に珍妙に聞こえた。
リュシアンの解説を聞いて、ミロは涙を流して笑い転げた。
マスターと慕い、憧れ、育ての親でもあるヴァンパイアの知られざる一面を知って、幸せがまた膨らんだ。
「なあ、リュシアン。俺はあんたのモンだ。だからあんたも俺のモンになれ」
「何を言うのです。あなたはお父さまのものではありませんか」
「違う。俺はあんたのモンになるために、マスターに噛まれたんだ」
あっさりと物騒なことを言ってのけたミロに、リュシアンは眉間に皺を作った。
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