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第2話
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送別会と名をうった宴に、主賓の予想よりも多くの人間がやってきた。
男どもは酒を飲める口実があればなんでもよく、酒場を教会の前庭に移動してきたため、きっとそのうちただの酒盛りになるだろう。
女たちにもそれはわかっているようで、男性陣を勝手に盛り上げさせておいて、自分たちは忙しなく主賓をもてなすことに勤しんだ。大鍋を持ち出して料理を振舞い、音楽に合わせて踊りや歌を披露しては、場を盛り上げた。
気のいい人たちだ。
リュシアンの胸に、これまで立ち寄ってきた町では持ち得なかった感傷ともいうべき寂しさがよぎる。こういった感慨を持つのは、たぶん初めてのことだった。
家族がいないならこの町にいればいいと誰かが言い、あっちこっちから賛同の声が上がる。
ただの人間ならばそれも選択肢にあったかもしれない。
けれども紛うなき人外生物であるリュシアンに、そんなものはなかった。
ヴァンパイアにしろダンピールにしろ、ある程度成長すると、外見上年を取らなくなる。
老いはいずれ来るだろうが、それがいったいどれくらい先のことなのか、見当もつかない。
一年や二年ならば問題はない。
十年くらいならまだ辛うじて誤魔化しは効く。
しかしそれ以上となると、否応にもわかる。
バケモノだと。
正直なところ、この規模の町ならば、リュシアンは一人で滅ぼせる。
たとえ長く腰をつけた先で正体が露見するようなことになったとしても、迫害に脅える必要はない。
しかしわざわざそういう事態になるのがわかって、ひとつのところに長居するのはばからしい。そのうえで、そうなる前に町を去ればいいという生ぬるい考え方も、結局は徒労でしかないのである。
いや、それ以前に、この人たちから恐怖と憎悪の目を向けられるのは、想像するだけで悲しい。まして皆殺しなど、きっと理性よりも感情のほうから待ったがかかるに違いない。
***
音楽が変わり、女たちが踊っていた輪の中に、やおら男どもが加わっていく。
おもしろいもので、すでに宴の趣旨は変わったようだ。
かつてこういう気分を味わったことがないリュシアンは、眼鏡の奥に真意を隠して、ゆったりと口もとに笑みを刻んでいた。
「あんた、なかなかの人気者だな」
気づかないうちに、お堅い職業とは真逆のあの神父が近づいてきて、通りすがりに耳打ちしていった。
どきっとしてリュシアンが振り向いたときには、神父は酔っ払った肉屋の主人にがっしりと捕まえられ、酒を飲まされようとしているところだった。
肉屋の赤ら顔と並ぶと、神父の頬の白さが一層際立つ。すなわち首の白さをも連想させた。
早くも本能の土壌から頭をもたげようとする欲求の種に、リュシアンは慌てて大量の土を被せることにした。
「シニョール・ジン」
呼ばれて視線を移すと、いつも教会の庭を整えている婦人の一人が立っていた。
リュシアンは座っていた長椅子の横を少し開け、笑顔で彼女を迎える。
女性の頬は平常よりもだいぶ赤かった。
「本当に急なお発ちですね。残念です」
「申し訳ありません」
「あら、謝ることでもないですよ」
そこまで言って、女性はとろんと潤んだ目でリュシアンをじっと見つめてきた。
こうまであからさまに覗き込まれると、いくらなんでも居心地が悪い。
たじろいでわずかに身を引く。
すぐ近くで革職人の名を呼ぶ声が上がった。
「あんたんとこの奥さんが学者先生に色目使ってるよ! いいのかい!!」
どっと笑いが起こった。
町の女性たちはリュシアンにはかしこまった言葉遣いをするが、互いは実にざっくばらんに話す。
テンポよく交わされるセリフを聞くのも今夜で最後かと思うと、ますます感傷的な気持ちが胸中に生まれた。
「だったらセンセイが食われないように、しっかり見張っといてくれや!」
男連中は離れた場所で固まっている。その輪から返ってきたセリフも、同じく周囲の笑いを誘った。
自分がからかいのネタにされたことをわかっているのか、革職人の妻はリュシアンをポォーと見つめたまま、子供のように拗ねてみせた。
「……だってー、寂しいじゃないですかぁ。男前な神父様と、男前な学者様。いい男がいっぺんに、いなくなってしまうんですよ~」
寂しいじゃないですかぁ…と呂律怪しいまま言いきって、女性はテーブルにうつぶし、なんとそのまま寝入ってしまったのである。
え、とリュシアンが驚きを隠せなかった。
神父がいなくなる?
つまり、この町から?
そんな話、聞いていない。
いくらか年長の婦人が革職人の妻の肩を揺すり、目覚める気配がないのがわかると、やれやれといったふうに、自分のショールを彼女に掛けてやった。
「すみませんね、先生。あとで旦那をよこしますから、しばらくここに寝かせてやってくださいな」
「それは一向にかまいませんが…。ところで先ほどの神父様の話なんですが――」
「ええ。ご存知ありませんでしたか。一昨日連絡がありましてね。もともとここに来るはずだった神父様の怪我がよくなって、こちらへ向かってるってことでした。早ければ明日の夜にも着くらしいですよ」
セリフを聞き終わるや否や、リュシアンはたまらなくなって席を立った。
その場を取り繕うようなことを言ったが、正確に何を言ったのか自分でもよくわかっていない。
穏やかでハンサムな学者さんと評判の青年(あくまで見た目)は、不自然でない程度の早足で神父館に入り、さらに一階の居間へと駆け込んだ。
与えられた二階の部屋までは、とても保ちそうにない。
逸る心。
呼応して、決壊したダムにも負けない勢いで全身を巡る血液。
厚手のカーテンの隙間からもれ伝わるわずかな光を除けば、ほとんど暗闇といっていい空間に、リュシアンは何かを慈しむような格好で床に蹲った。
立ってなどいられない。
全身の血潮が沸騰し、快哉を叫んでいた。
なんという幸運。
なんという采配。
あの神父が血を吸われたことで体調を崩そうとも、すぐに新しい神父が来るなら町の人々は困らない。たとえ万が一、度が過ぎて、結果人ひとり消える状況に陥ったとしても、あの神父はさっさと町を去ったと思われるだけで、人々は不審がらない。もともと聖職者にしては規格外な人だから、そういう行動をとっても不思議じゃないと、かえって納得されるのではないだろうか。挨拶もなしに、と眉をひそめられるかもしれないが、リュシアンがそこまで配慮する必要などありはしない。
神よ。
それがヤーウェでもキリストでも――神よ!
これはあの神父の血を吸えと後押しされたも同じだ。
誰に許される必要もないが、ここまでくるとある種の啓示をすら感じる。
こんなに舞台を整えられれば、もう我慢などできない。
待つ必要もない。
そうだ。
ずっと前から決めていた。
今日に決めていた。
実行は今夜。
あと数時間かからずとも、あの神父を手に入れられる。
……ああ。
でも。
体が叫んでいる。
今すぐ欲しいと叫んでいる。
今すぐ渇きを埋めたいと叫んでいる。
この心臓をむしり出して捧げてもいいと思うほどに――今すぐ!
身体を丸め、リュシアンは自分自身を強く抱きしめた。
内なる炎を鎮めるためではない。
より近く、より大きく、押し寄せる滾りが感じられるように……
ミロ・アレオッティ。
あなたの血を――!!
男どもは酒を飲める口実があればなんでもよく、酒場を教会の前庭に移動してきたため、きっとそのうちただの酒盛りになるだろう。
女たちにもそれはわかっているようで、男性陣を勝手に盛り上げさせておいて、自分たちは忙しなく主賓をもてなすことに勤しんだ。大鍋を持ち出して料理を振舞い、音楽に合わせて踊りや歌を披露しては、場を盛り上げた。
気のいい人たちだ。
リュシアンの胸に、これまで立ち寄ってきた町では持ち得なかった感傷ともいうべき寂しさがよぎる。こういった感慨を持つのは、たぶん初めてのことだった。
家族がいないならこの町にいればいいと誰かが言い、あっちこっちから賛同の声が上がる。
ただの人間ならばそれも選択肢にあったかもしれない。
けれども紛うなき人外生物であるリュシアンに、そんなものはなかった。
ヴァンパイアにしろダンピールにしろ、ある程度成長すると、外見上年を取らなくなる。
老いはいずれ来るだろうが、それがいったいどれくらい先のことなのか、見当もつかない。
一年や二年ならば問題はない。
十年くらいならまだ辛うじて誤魔化しは効く。
しかしそれ以上となると、否応にもわかる。
バケモノだと。
正直なところ、この規模の町ならば、リュシアンは一人で滅ぼせる。
たとえ長く腰をつけた先で正体が露見するようなことになったとしても、迫害に脅える必要はない。
しかしわざわざそういう事態になるのがわかって、ひとつのところに長居するのはばからしい。そのうえで、そうなる前に町を去ればいいという生ぬるい考え方も、結局は徒労でしかないのである。
いや、それ以前に、この人たちから恐怖と憎悪の目を向けられるのは、想像するだけで悲しい。まして皆殺しなど、きっと理性よりも感情のほうから待ったがかかるに違いない。
***
音楽が変わり、女たちが踊っていた輪の中に、やおら男どもが加わっていく。
おもしろいもので、すでに宴の趣旨は変わったようだ。
かつてこういう気分を味わったことがないリュシアンは、眼鏡の奥に真意を隠して、ゆったりと口もとに笑みを刻んでいた。
「あんた、なかなかの人気者だな」
気づかないうちに、お堅い職業とは真逆のあの神父が近づいてきて、通りすがりに耳打ちしていった。
どきっとしてリュシアンが振り向いたときには、神父は酔っ払った肉屋の主人にがっしりと捕まえられ、酒を飲まされようとしているところだった。
肉屋の赤ら顔と並ぶと、神父の頬の白さが一層際立つ。すなわち首の白さをも連想させた。
早くも本能の土壌から頭をもたげようとする欲求の種に、リュシアンは慌てて大量の土を被せることにした。
「シニョール・ジン」
呼ばれて視線を移すと、いつも教会の庭を整えている婦人の一人が立っていた。
リュシアンは座っていた長椅子の横を少し開け、笑顔で彼女を迎える。
女性の頬は平常よりもだいぶ赤かった。
「本当に急なお発ちですね。残念です」
「申し訳ありません」
「あら、謝ることでもないですよ」
そこまで言って、女性はとろんと潤んだ目でリュシアンをじっと見つめてきた。
こうまであからさまに覗き込まれると、いくらなんでも居心地が悪い。
たじろいでわずかに身を引く。
すぐ近くで革職人の名を呼ぶ声が上がった。
「あんたんとこの奥さんが学者先生に色目使ってるよ! いいのかい!!」
どっと笑いが起こった。
町の女性たちはリュシアンにはかしこまった言葉遣いをするが、互いは実にざっくばらんに話す。
テンポよく交わされるセリフを聞くのも今夜で最後かと思うと、ますます感傷的な気持ちが胸中に生まれた。
「だったらセンセイが食われないように、しっかり見張っといてくれや!」
男連中は離れた場所で固まっている。その輪から返ってきたセリフも、同じく周囲の笑いを誘った。
自分がからかいのネタにされたことをわかっているのか、革職人の妻はリュシアンをポォーと見つめたまま、子供のように拗ねてみせた。
「……だってー、寂しいじゃないですかぁ。男前な神父様と、男前な学者様。いい男がいっぺんに、いなくなってしまうんですよ~」
寂しいじゃないですかぁ…と呂律怪しいまま言いきって、女性はテーブルにうつぶし、なんとそのまま寝入ってしまったのである。
え、とリュシアンが驚きを隠せなかった。
神父がいなくなる?
つまり、この町から?
そんな話、聞いていない。
いくらか年長の婦人が革職人の妻の肩を揺すり、目覚める気配がないのがわかると、やれやれといったふうに、自分のショールを彼女に掛けてやった。
「すみませんね、先生。あとで旦那をよこしますから、しばらくここに寝かせてやってくださいな」
「それは一向にかまいませんが…。ところで先ほどの神父様の話なんですが――」
「ええ。ご存知ありませんでしたか。一昨日連絡がありましてね。もともとここに来るはずだった神父様の怪我がよくなって、こちらへ向かってるってことでした。早ければ明日の夜にも着くらしいですよ」
セリフを聞き終わるや否や、リュシアンはたまらなくなって席を立った。
その場を取り繕うようなことを言ったが、正確に何を言ったのか自分でもよくわかっていない。
穏やかでハンサムな学者さんと評判の青年(あくまで見た目)は、不自然でない程度の早足で神父館に入り、さらに一階の居間へと駆け込んだ。
与えられた二階の部屋までは、とても保ちそうにない。
逸る心。
呼応して、決壊したダムにも負けない勢いで全身を巡る血液。
厚手のカーテンの隙間からもれ伝わるわずかな光を除けば、ほとんど暗闇といっていい空間に、リュシアンは何かを慈しむような格好で床に蹲った。
立ってなどいられない。
全身の血潮が沸騰し、快哉を叫んでいた。
なんという幸運。
なんという采配。
あの神父が血を吸われたことで体調を崩そうとも、すぐに新しい神父が来るなら町の人々は困らない。たとえ万が一、度が過ぎて、結果人ひとり消える状況に陥ったとしても、あの神父はさっさと町を去ったと思われるだけで、人々は不審がらない。もともと聖職者にしては規格外な人だから、そういう行動をとっても不思議じゃないと、かえって納得されるのではないだろうか。挨拶もなしに、と眉をひそめられるかもしれないが、リュシアンがそこまで配慮する必要などありはしない。
神よ。
それがヤーウェでもキリストでも――神よ!
これはあの神父の血を吸えと後押しされたも同じだ。
誰に許される必要もないが、ここまでくるとある種の啓示をすら感じる。
こんなに舞台を整えられれば、もう我慢などできない。
待つ必要もない。
そうだ。
ずっと前から決めていた。
今日に決めていた。
実行は今夜。
あと数時間かからずとも、あの神父を手に入れられる。
……ああ。
でも。
体が叫んでいる。
今すぐ欲しいと叫んでいる。
今すぐ渇きを埋めたいと叫んでいる。
この心臓をむしり出して捧げてもいいと思うほどに――今すぐ!
身体を丸め、リュシアンは自分自身を強く抱きしめた。
内なる炎を鎮めるためではない。
より近く、より大きく、押し寄せる滾りが感じられるように……
ミロ・アレオッティ。
あなたの血を――!!
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