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第2話
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リュシアン以外、教会には誰もいなくなった。
出かける気分にもなれず、なんとなく会堂へ足を向けた。
扉を押し、中に入る。
日曜日のミサにも出席しているので、初めてではない。
外見は頑強かつ武骨な石造りの建物だが、内側は質素ながらも意外と暖かい雰囲気を醸し出している。高窓と高窓の間には聖人の像が立ち、常に埃とは無縁の状態だった。きれいに配置されている花も造花ではなく生花で、ひんやりとしている会堂内に温もりを与えていた。ここが、愛情をもって使われているのがよくわかる。
両側を合わせて百ほどの席しかなく、その代わり天井が高い。中央の通路には毛足の短い赤絨毯が敷かれてある。結婚式でエスコートされる花嫁が、ここを一歩一歩噛み締めながら祭壇へと向かうのだ。
リュシアンは壇上に置かれている十字架を見る。
ゆっくり進んで、目の前まで来ると、触ってみた。
その行為のどれもがヴァンパイアにはありえないものだった。
元来ヴァンパイアは教会に近づかない。たとえ敷地内に入ったとしても、会堂は避ける。
しかしリュシアンにはその必要がなかった。
リュシアンはダンピールだ。
ヴァンパイアの血を吸う生き物なのだ。
十字架を手に取って、その場に腰を下ろす。
じっと十字架を眺めても、なんの感情も湧いては来ない。
恐ろしさもなければ、といって親しみも抱きようがない。
体にも、もちろん生命にも影響はない。
これまで紋様のひとつとしか認識していなかったその形状が、今はあたりまえといわんばかりにあの神父を思い出させる。
長く月光色の髪と、ひとつのスカイブルーの瞳。
リュシアンの鼓動は次第に速くなっていった。
どう足掻いても平静ではいられなかった。
十字架は、いわばあの神父のものだ。
神父という人種がひれ伏すものの象徴であり、彼らを形作る根源と言ってもいい。
それが聖職者に対するリュシアンの捉え方だったが、何をどうしたってミロ・アレオッティと十字架の組み合わせはしっくり来ない。
まるで交わらない二者が、どうして共に存在しえるのか。
どうしてあの矛盾に誰も疑問を覚えないのか。
いくら考えても仕方のないことだとわかっている。
けれども考えずにはいられないのだ。
アレオッティ神父のことが頭から離れない。
あの姿。
あの声。
あの口調。
どれをとってもリュシアンを惹きつける。
リュシアンに流れる血を挑発する。
あの目。
あの肌。
あの髪、そして白い首もと。
どれをとってもリュシアンを誘惑してやまない。
リュシアンのうちの欲求を呼び覚ます。
ダンピールは天窓を仰ぎ見る
腰を上げ、そこから降り注がれる陽光の中に身を進めた。
何か漠然とした恐ろしさを感じる。
救いのない何か。
それとも救いそのものが恐ろしいのか。
神の御手のうちにない魔物が救いについて思考するのは滑稽なことなのに。
――身震いした。
きっと武者震いだろう。
今夜は狩りなのだから。
リュシアンは光の隅で膝を抱えた。
大好きな玩具を抱きしめる子供のように、血の夢に縋りつき、己の手首に人ならざる牙を立てた。
出かける気分にもなれず、なんとなく会堂へ足を向けた。
扉を押し、中に入る。
日曜日のミサにも出席しているので、初めてではない。
外見は頑強かつ武骨な石造りの建物だが、内側は質素ながらも意外と暖かい雰囲気を醸し出している。高窓と高窓の間には聖人の像が立ち、常に埃とは無縁の状態だった。きれいに配置されている花も造花ではなく生花で、ひんやりとしている会堂内に温もりを与えていた。ここが、愛情をもって使われているのがよくわかる。
両側を合わせて百ほどの席しかなく、その代わり天井が高い。中央の通路には毛足の短い赤絨毯が敷かれてある。結婚式でエスコートされる花嫁が、ここを一歩一歩噛み締めながら祭壇へと向かうのだ。
リュシアンは壇上に置かれている十字架を見る。
ゆっくり進んで、目の前まで来ると、触ってみた。
その行為のどれもがヴァンパイアにはありえないものだった。
元来ヴァンパイアは教会に近づかない。たとえ敷地内に入ったとしても、会堂は避ける。
しかしリュシアンにはその必要がなかった。
リュシアンはダンピールだ。
ヴァンパイアの血を吸う生き物なのだ。
十字架を手に取って、その場に腰を下ろす。
じっと十字架を眺めても、なんの感情も湧いては来ない。
恐ろしさもなければ、といって親しみも抱きようがない。
体にも、もちろん生命にも影響はない。
これまで紋様のひとつとしか認識していなかったその形状が、今はあたりまえといわんばかりにあの神父を思い出させる。
長く月光色の髪と、ひとつのスカイブルーの瞳。
リュシアンの鼓動は次第に速くなっていった。
どう足掻いても平静ではいられなかった。
十字架は、いわばあの神父のものだ。
神父という人種がひれ伏すものの象徴であり、彼らを形作る根源と言ってもいい。
それが聖職者に対するリュシアンの捉え方だったが、何をどうしたってミロ・アレオッティと十字架の組み合わせはしっくり来ない。
まるで交わらない二者が、どうして共に存在しえるのか。
どうしてあの矛盾に誰も疑問を覚えないのか。
いくら考えても仕方のないことだとわかっている。
けれども考えずにはいられないのだ。
アレオッティ神父のことが頭から離れない。
あの姿。
あの声。
あの口調。
どれをとってもリュシアンを惹きつける。
リュシアンに流れる血を挑発する。
あの目。
あの肌。
あの髪、そして白い首もと。
どれをとってもリュシアンを誘惑してやまない。
リュシアンのうちの欲求を呼び覚ます。
ダンピールは天窓を仰ぎ見る
腰を上げ、そこから降り注がれる陽光の中に身を進めた。
何か漠然とした恐ろしさを感じる。
救いのない何か。
それとも救いそのものが恐ろしいのか。
神の御手のうちにない魔物が救いについて思考するのは滑稽なことなのに。
――身震いした。
きっと武者震いだろう。
今夜は狩りなのだから。
リュシアンは光の隅で膝を抱えた。
大好きな玩具を抱きしめる子供のように、血の夢に縋りつき、己の手首に人ならざる牙を立てた。
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