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第2話
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きちんと身なりを整え、眼鏡をかけて裏庭に下りると、神父の姿はすでになく、女性が三人いるだけだった。
一人は神父と話していた中年女性。あとの二人は花壇の手入れをしていて、比較的若かった(服装と髪型から既婚者とわかる)
先にリュシアンに気づいたのは中年のほうだ。笑顔で声をかけてきた。
「おはようございます、シニョール・ジン。今日は珍しくゆっくりなさっているのね」
「おはようございます。昨夜は遅くまで起きてしまったもので…、お恥ずかしい」
「何をおっしゃいますやら。神父様から聞いておりますのよ。あまり根を詰めないでくださいましね」
神父を含め、町の人から「学者先生」とも呼ばれたりしているリュシアンは、照れ笑いを浮かべて頷いた。
「そういえば神父様は? 窓から姿が見えたように思うのですが」
「神父様なら」
と若い女性の一人が声を挟んできた。なんでも神父は、町の有志による聖書研究会に呼ばていったとのことだった。
ほっとしたような、それでいてどこか残念のような気持ちが胸の中でふわふわ交差する。
昨日の今日だ。もっと言うならついさっき目と目が合ったばかりだ。顔を合わせて何を言えばいいのか、会って何を口走ってしまうのか、さっぱり想像がつかない。
とはいえ明朝にはこの町を出るのだから、それまでに神父の血をいただかなければならない。だからその前にもう一度、彼と話をしてみたかった。何しろ昨夜は本当に楽しかったのだ。…孤独な魔物はもう長いこと、誰かと胸襟を開いて語り合うことをしていなかった。
前夜のことを思い返していると、無性に神父の顔が見たくなって、リュシアンは内心苦笑した。あれほど焦るなと自分に言い聞かせ続けてきたのに、本能というやつのもつ稚気がいっそ清々しい。
いくらなんでも聖書研究会とやらに乗り込むようなことはできないので、そういえばと婦人たちに出発のことを告げた。
「まあ、まあ!」
中年の女性が驚いて声を上げた。
「それはまた急ですこと!」
若い二人も土で汚れた手を前掛けで拭き、なんでもっと早く言ってくれなかったのかと、前のめりぎみで嘆かれた。
「こうしてちゃいられませんわ」
教会の婦人会会長でもある中年女性は、若い二人と口々に何か言い交わし、挨拶もそこそこに慌しく去っていった。
要約すると、今晩は教会の前庭でリュシアンの送別会を開いてくれるらしい。あまりにも急すぎるので、男連中をも借り出さなければと、会長が息巻いた。
女性たちの迫力に圧倒され、ひと言も挟めぬまま主賓に仕立てられたリュシアンはというと、ただただぽかーんと立ち尽くして、三人の後ろ姿を見送るしかできなかった。
諦めはしない。
やめたりもしない。
予定が追加されただけ。
コース料理の品数が増えようと、メインは変わらない。
神父を狩るのは、今夜。
待ちに待った、唯一の晩。
今夜だけ。
今夜しか。
今夜。
――今夜。
これで終わり。
これが始まり。
終わりの始まり。
始まりの終わり。
「始まりの終わり?」
思わず声をもらしてしまい、リュシアンの眉間に皺が寄った。
いったい何が始まって、何が終わるのというのだ。
またもや心がざわつきはじめた。
ざわざわ。さわさわ。
さわさわ。ざわざわ。
この心の琴線の震えは、神父に出会うまで、聞いたことのない音だった。
父親の慈愛に満ちた笑い声がこんなではなかったか。
母親の軽やかな歌声がこんなではなかったか。
そのどちらにも聞こえて、リュシアンは己に纏わりつく正体不明の旋律に、混乱した。
一人は神父と話していた中年女性。あとの二人は花壇の手入れをしていて、比較的若かった(服装と髪型から既婚者とわかる)
先にリュシアンに気づいたのは中年のほうだ。笑顔で声をかけてきた。
「おはようございます、シニョール・ジン。今日は珍しくゆっくりなさっているのね」
「おはようございます。昨夜は遅くまで起きてしまったもので…、お恥ずかしい」
「何をおっしゃいますやら。神父様から聞いておりますのよ。あまり根を詰めないでくださいましね」
神父を含め、町の人から「学者先生」とも呼ばれたりしているリュシアンは、照れ笑いを浮かべて頷いた。
「そういえば神父様は? 窓から姿が見えたように思うのですが」
「神父様なら」
と若い女性の一人が声を挟んできた。なんでも神父は、町の有志による聖書研究会に呼ばていったとのことだった。
ほっとしたような、それでいてどこか残念のような気持ちが胸の中でふわふわ交差する。
昨日の今日だ。もっと言うならついさっき目と目が合ったばかりだ。顔を合わせて何を言えばいいのか、会って何を口走ってしまうのか、さっぱり想像がつかない。
とはいえ明朝にはこの町を出るのだから、それまでに神父の血をいただかなければならない。だからその前にもう一度、彼と話をしてみたかった。何しろ昨夜は本当に楽しかったのだ。…孤独な魔物はもう長いこと、誰かと胸襟を開いて語り合うことをしていなかった。
前夜のことを思い返していると、無性に神父の顔が見たくなって、リュシアンは内心苦笑した。あれほど焦るなと自分に言い聞かせ続けてきたのに、本能というやつのもつ稚気がいっそ清々しい。
いくらなんでも聖書研究会とやらに乗り込むようなことはできないので、そういえばと婦人たちに出発のことを告げた。
「まあ、まあ!」
中年の女性が驚いて声を上げた。
「それはまた急ですこと!」
若い二人も土で汚れた手を前掛けで拭き、なんでもっと早く言ってくれなかったのかと、前のめりぎみで嘆かれた。
「こうしてちゃいられませんわ」
教会の婦人会会長でもある中年女性は、若い二人と口々に何か言い交わし、挨拶もそこそこに慌しく去っていった。
要約すると、今晩は教会の前庭でリュシアンの送別会を開いてくれるらしい。あまりにも急すぎるので、男連中をも借り出さなければと、会長が息巻いた。
女性たちの迫力に圧倒され、ひと言も挟めぬまま主賓に仕立てられたリュシアンはというと、ただただぽかーんと立ち尽くして、三人の後ろ姿を見送るしかできなかった。
諦めはしない。
やめたりもしない。
予定が追加されただけ。
コース料理の品数が増えようと、メインは変わらない。
神父を狩るのは、今夜。
待ちに待った、唯一の晩。
今夜だけ。
今夜しか。
今夜。
――今夜。
これで終わり。
これが始まり。
終わりの始まり。
始まりの終わり。
「始まりの終わり?」
思わず声をもらしてしまい、リュシアンの眉間に皺が寄った。
いったい何が始まって、何が終わるのというのだ。
またもや心がざわつきはじめた。
ざわざわ。さわさわ。
さわさわ。ざわざわ。
この心の琴線の震えは、神父に出会うまで、聞いたことのない音だった。
父親の慈愛に満ちた笑い声がこんなではなかったか。
母親の軽やかな歌声がこんなではなかったか。
そのどちらにも聞こえて、リュシアンは己に纏わりつく正体不明の旋律に、混乱した。
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