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第1話
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ミロ・アレオッティ。
そう名乗った若い神父は、正しくは代理神父だった。
なんでも正式に赴任するはずだった神父が怪我で入院し、彼はそれまでの繋ぎだそうだ。
その所為もあるのかもしれない――とリュシアンは思う。
期間が限定されているからこそ、アレオッティのような聖職者にあるまじき風体の神父でも、町に受け入れられている。
実際それを除けば、彼はいたって普通の神父だった。
ミサの準備や日々のお祈り、聖書勉強会に祈祷会。
人々の懺悔に耳を傾け、町のために奉仕する。
請われれば学校の教壇に立つこともあり、なかなかに多忙だ。
年若く、かなりの男前であるので、年齢問わずご婦人方にすこぶる人気がある。といってまったく弱々しくもなく、力仕事や荒っぽいことに怯んだりしないから、殿方の評判もいい。
親からの信頼が厚ければ、当然、子供たちにも慕われる。
もういっそのことアレオッティ神父がこのままいてくれてもいいというのが、町の人間の、本気半分冗談半分の気持ちだ。
もちろん、そんなことは不可能だと、バチカンの決めたことに異を唱えたりはできないのだと、人々は承知の上なのだけれど。
国の主要道路から遠く外れた町は、農業と狩猟で自給自足できる分、ほかの町との交流があまり盛んではない。そのため、全体的に小さくまとまっているような感じがしてならなかった。
住人たちは日々の暮らしに十分満足しているようで、その所為か、文化・芸術方面にあまり関心がないように見受けられた。町の歴史や風土に関する資料といった書物は役所で保管されていて、所蔵しきれないものは、昔から全部教会に置かせてもらっているという。
ここの教会は会堂と神父館がつながっていない造りである。
会堂の大きさは町の規模に見合うもので、さほど大きくない。建築様式が古く、いかにも田舎らしい直線的な意匠が、まるで小さな要塞を彷彿させた。そばに建つ神父館もそれに倣い、こぢんまりとしながらも武骨な佇まいで、裏庭に広がる花壇と菜園だけが心を和ませるのに手助けしていた。
しかし、だからといって過度に厳粛な雰囲気でもないのが不思議だった。最初は教養書の一般貸し出しをしているため、平日でも教会に出入りする者がいるから、と思っていたが、そればかりが理由でもないように感じられた。
そりゃあ神父様のおかげさぁ。
酒場で自慢げに言ったのは家具屋の主人で、違いねえ、とその場にいた男どもが頬を赤らめて豪快に笑い飛ばした。
あの神父は、確かに聖職者としての威厳にやや欠けるところがあることは否めない。風貌にしろ言葉遣いにしろ、実にくだけている。
けれどもそれらは決して分をはみ出すことがない。その根幹は常に神とともにあることで、神の御言葉が行動原理であった。
それは少しでも神父と話をしてみればわかることなのだ。
いつの間にか酒場は神父の話題で盛り上がっていた。
リュシアンは聞くともなしに聞きつつ、脳裏に神父の姿を思い浮かべる。
アレオッティ神父。
顔良し。
性格良し。
面倒見も良し。
そのうえ絶大な信頼をもたらす聖職者。
完璧といっていい。
これで嫌われていれば、それこそ神の是否が問われる。
――それなのに、この違和感はなんなのだろう。
完璧だからだろうか。
そうだ。
完璧すぎて気味が悪い。
何もかもが作り物めいていて、現実味がない。
……しかし、完璧を求めるのなら、あの髪と言葉遣いはすべてを損ねている。
リュシアンの目には胡散臭く映る神父だったが、すでに慣れてしまっている町の人間の態度は、実に泰然としたものだ。むしろ逆に変り種として、おもしろがっているふしすらある。
本当に叙階された神父なのか遠まわしに尋ねてみた。
赴任時の紹介状に嘘などあるはずもなく、何よりも前任の神父と顔見知りだったことが、町の人々にとって問答無用の手形だった。
リュシアンは息を吐いて、手にしている本を棚に戻す。
ここ数日は、教会の書庫にほとんどこもりきりだった。
歴史好きを口実にしているが、興味があるのは事実だ。歴史から綻びを見つけたり、いくつかの歴史的事実を組み合わせて新たな真実にたどり着く、もしくは再構築したりすることが、リュシアンにはたまらなく楽しかった。そう度々、易々とあることではないからこそ、それを成し遂げたときの喜びは大きい。
この口実にわずかでも嘘と思しき隙があれば、彼の「常套句」は通用しなくなるだろう。
リュシアンから見れば、種としての人間における感覚面での進化は、初期段階で歩みを止めて久しい。にもかかわらず、異物を嗅ぎつける臭覚だけは驚くほど鋭い。そのうえ一度でも違和感を抱いてしまうと、払拭させるのは容易ではない。
そうした中でリュシアンは一度も疑いを受けてこなかったのである。己の一挙手一投足にどれほど慎重だったか、わかろうというものだ。
…それにしてもこの町の平凡さ加減はなんなのだろう。
歴史が特に長いわけでもなく、伝説や逸話が残るほどの大きな異変があったこともない。といって何かの分野における傑物を輩出したとか、逆にそういう人物が町に訪れたとかといった記述も見当たらない。
町史には旱魃、水害、雪崩の記述が粛々と記載されているだけで、言い換えれば事件といえばそれくらいしかない。殺人の記録があったのも百年前と、とことんのどかで平和な町であった。
さすがのリュシアンも、似たような記述が延々と続くページをめくり続けるのに、腕よりも精神的な疲労を感じるようになってきた。
とはいえ、平凡で平和な町だからこそ、非常に保守的な一面をもつのもよくあることだ。
今は学者の旅人を珍しがって歓迎してくれているが、こういうところの人間は本来、もっとも異物を忌み嫌う。ささやかなきっかけひとつで、気のいい隣人が排斥者に豹変するのを、傍観者としてだが、リュシアンは長い年月の中で何度も見てきた。
ここは長く留まるような町じゃない。
リュシアンはとうに結論を出していた。
そしていつもなら早々に立ち去っている。
いつもなら――
そう名乗った若い神父は、正しくは代理神父だった。
なんでも正式に赴任するはずだった神父が怪我で入院し、彼はそれまでの繋ぎだそうだ。
その所為もあるのかもしれない――とリュシアンは思う。
期間が限定されているからこそ、アレオッティのような聖職者にあるまじき風体の神父でも、町に受け入れられている。
実際それを除けば、彼はいたって普通の神父だった。
ミサの準備や日々のお祈り、聖書勉強会に祈祷会。
人々の懺悔に耳を傾け、町のために奉仕する。
請われれば学校の教壇に立つこともあり、なかなかに多忙だ。
年若く、かなりの男前であるので、年齢問わずご婦人方にすこぶる人気がある。といってまったく弱々しくもなく、力仕事や荒っぽいことに怯んだりしないから、殿方の評判もいい。
親からの信頼が厚ければ、当然、子供たちにも慕われる。
もういっそのことアレオッティ神父がこのままいてくれてもいいというのが、町の人間の、本気半分冗談半分の気持ちだ。
もちろん、そんなことは不可能だと、バチカンの決めたことに異を唱えたりはできないのだと、人々は承知の上なのだけれど。
国の主要道路から遠く外れた町は、農業と狩猟で自給自足できる分、ほかの町との交流があまり盛んではない。そのため、全体的に小さくまとまっているような感じがしてならなかった。
住人たちは日々の暮らしに十分満足しているようで、その所為か、文化・芸術方面にあまり関心がないように見受けられた。町の歴史や風土に関する資料といった書物は役所で保管されていて、所蔵しきれないものは、昔から全部教会に置かせてもらっているという。
ここの教会は会堂と神父館がつながっていない造りである。
会堂の大きさは町の規模に見合うもので、さほど大きくない。建築様式が古く、いかにも田舎らしい直線的な意匠が、まるで小さな要塞を彷彿させた。そばに建つ神父館もそれに倣い、こぢんまりとしながらも武骨な佇まいで、裏庭に広がる花壇と菜園だけが心を和ませるのに手助けしていた。
しかし、だからといって過度に厳粛な雰囲気でもないのが不思議だった。最初は教養書の一般貸し出しをしているため、平日でも教会に出入りする者がいるから、と思っていたが、そればかりが理由でもないように感じられた。
そりゃあ神父様のおかげさぁ。
酒場で自慢げに言ったのは家具屋の主人で、違いねえ、とその場にいた男どもが頬を赤らめて豪快に笑い飛ばした。
あの神父は、確かに聖職者としての威厳にやや欠けるところがあることは否めない。風貌にしろ言葉遣いにしろ、実にくだけている。
けれどもそれらは決して分をはみ出すことがない。その根幹は常に神とともにあることで、神の御言葉が行動原理であった。
それは少しでも神父と話をしてみればわかることなのだ。
いつの間にか酒場は神父の話題で盛り上がっていた。
リュシアンは聞くともなしに聞きつつ、脳裏に神父の姿を思い浮かべる。
アレオッティ神父。
顔良し。
性格良し。
面倒見も良し。
そのうえ絶大な信頼をもたらす聖職者。
完璧といっていい。
これで嫌われていれば、それこそ神の是否が問われる。
――それなのに、この違和感はなんなのだろう。
完璧だからだろうか。
そうだ。
完璧すぎて気味が悪い。
何もかもが作り物めいていて、現実味がない。
……しかし、完璧を求めるのなら、あの髪と言葉遣いはすべてを損ねている。
リュシアンの目には胡散臭く映る神父だったが、すでに慣れてしまっている町の人間の態度は、実に泰然としたものだ。むしろ逆に変り種として、おもしろがっているふしすらある。
本当に叙階された神父なのか遠まわしに尋ねてみた。
赴任時の紹介状に嘘などあるはずもなく、何よりも前任の神父と顔見知りだったことが、町の人々にとって問答無用の手形だった。
リュシアンは息を吐いて、手にしている本を棚に戻す。
ここ数日は、教会の書庫にほとんどこもりきりだった。
歴史好きを口実にしているが、興味があるのは事実だ。歴史から綻びを見つけたり、いくつかの歴史的事実を組み合わせて新たな真実にたどり着く、もしくは再構築したりすることが、リュシアンにはたまらなく楽しかった。そう度々、易々とあることではないからこそ、それを成し遂げたときの喜びは大きい。
この口実にわずかでも嘘と思しき隙があれば、彼の「常套句」は通用しなくなるだろう。
リュシアンから見れば、種としての人間における感覚面での進化は、初期段階で歩みを止めて久しい。にもかかわらず、異物を嗅ぎつける臭覚だけは驚くほど鋭い。そのうえ一度でも違和感を抱いてしまうと、払拭させるのは容易ではない。
そうした中でリュシアンは一度も疑いを受けてこなかったのである。己の一挙手一投足にどれほど慎重だったか、わかろうというものだ。
…それにしてもこの町の平凡さ加減はなんなのだろう。
歴史が特に長いわけでもなく、伝説や逸話が残るほどの大きな異変があったこともない。といって何かの分野における傑物を輩出したとか、逆にそういう人物が町に訪れたとかといった記述も見当たらない。
町史には旱魃、水害、雪崩の記述が粛々と記載されているだけで、言い換えれば事件といえばそれくらいしかない。殺人の記録があったのも百年前と、とことんのどかで平和な町であった。
さすがのリュシアンも、似たような記述が延々と続くページをめくり続けるのに、腕よりも精神的な疲労を感じるようになってきた。
とはいえ、平凡で平和な町だからこそ、非常に保守的な一面をもつのもよくあることだ。
今は学者の旅人を珍しがって歓迎してくれているが、こういうところの人間は本来、もっとも異物を忌み嫌う。ささやかなきっかけひとつで、気のいい隣人が排斥者に豹変するのを、傍観者としてだが、リュシアンは長い年月の中で何度も見てきた。
ここは長く留まるような町じゃない。
リュシアンはとうに結論を出していた。
そしていつもなら早々に立ち去っている。
いつもなら――
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