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再会編
空虚に跨ぐ騎士11
しおりを挟むギルバートがユリウスの専属になったあの日以降、ジンが王宮に訪れることが出来たのは、神殿との合同依頼が終えてからの事だった。
ユリウスからの手紙で、ラークシャシ家代理当主の陰謀や、裁判の話、そしてギルバートの護衛を早々に解任してやった事も知った。
(…恐ろしく早く解決してくれたな)
護衛にしてからそれほど経っていない。王宮では、ユリウスがまた気紛れを起こしたと思われている事だろう。
そんな人知れず有能な王子様に、カレイドガルドを贈り、やり直したいと懇願したのが、久々の来訪であった今日の話だ。
ユリウスの兄、ユーグラドルの思わぬ襲撃(?)もありつつも、漸く肉体的な結び付きを持てた日。
夢のようだと笑う王子様を風呂で洗い、バスローブに包んだのは、ついさっき。
「そういえば、シュバリエの事だけど」
「今?」
乱れたベッドの上を整えていたジンは、すぐ近くのサイドテーブルの水差しをグラスに注ぐユリウスを見た。
イチャイチャした痕跡をそこかしこに残して、他の男の話題を出されるとは思ってもみなかった。
「うん、今。手紙では護衛を解任した事までしか書けなかったし、色々気にしてるんじゃないかなって思ってね。話せる内に話してた方が良いだろ、君、時間ない人なんだし」
ユリウスは平然と首を傾ぐだけだ。
優しい王子の内面は随分とドライなものだ。
「それはまあ……そうかもしんねぇが」
「駄目だったかな」
「いや、お前が良いなら良いんだ」
「え?うん、僕は良いよ。何の良し悪しか分からないけど」
不思議そうにするユリウスに小さく笑う。大らかな合理主義者とでも言うべきか。感情に振り回されない彼の寛容さに、ジンはつくづく救われる気になる。
簡単にベッドメイクを終わらせ、ユリウスに身体ごと振り返った。
「でもアイツの事は、直接見に行くよ。ここを出る時にでも」
「見に行くって…遠目から見るだけ?良いの?」
「ああ、良い。遠目からでも分かるからな。アイツの調子は」
寡黙で、不器用で、表情は殆ど変わらない癖に、彼が纏う空気はいつも饒舌だ。きっと今頃、肩の荷が降りてのびのびと剣を振るっている事だろう。
(……のびのびと言うには、勢いが良過ぎるかもしんねぇな)
これまでを取り戻すように、これまで以上に力が入った鍛錬を繰り返している姿も想像に容易い。
何にしても実際目にしておくつもりだ。
ユリウスが城を離れたら、もうここに来ることはなくなる。それはつまり、ギルバートとの本当の別れが来ると言う事だから。
まあ、勝手に覗き見ては、彼の人生の裏方を勝手に気取っていただけの話で、彼からすれば、とうの昔に他人になった男なのだろうけど。
ジンはふっと何かを払うように小さく笑うと、水を飲みながら、顔色を窺う子供のように見詰めてくるユリウスへと近付いた。
「でも気になる事ならあるな」
「何かな?」
コップから口を離し、待ってましたと言わんばかりのユリウスの返答に、更に笑みを深める。彼は水差しを片手に持ったままだ。その水差しを優しく奪い取る。
「ラークシャシ家は西部の貴族だろ?この短期間でよく調べ上げたなと」
西部は火山地帯に囲まれており、北部の次に住みにくい地域になっている。
おまけに、現ラークシャシ家はそんな西部の山深い田舎に居を構えていると聞いた。
病弱だった娘の為に、湯治が有名だった領地に引っ込んだとか。
詳しい場所は知らないが、中央から西部へただ向かうだけでも、陸路を使うなら相当の日数が必要だ。当たり前に月を超える。
ドラゴのように空を飛べる(それも風圧に耐えれて、体温調整が出来る)なら、半日も掛からないのだが、いくら鍛え上げられたカラスでも、たった数日では西部の中心部に辿り着くのも難しかったはず。
「ああ、実はね、情報屋を使ってみたんだ」
まるで秘め事をバラすように、ユリウスは含み笑いで小さく呟いた。
「情報屋?」
「『インビジブルウェブ』って情報屋だよ。ここ1年程で、新聞社を含む情報界隈を掌握して牛耳ったって噂の。有名になったのは、君が関係してるって聞いたよ」
「ああ、まんまと俺を宣伝に使って売名したあそこな」
噂を肯定するジンの言葉に、ユリウスは愉快そうに笑みを深めた。
「君の行き先なんて誰も知らないのに、まるで到着が分かってるみたいに、各狩猟ギルドに手紙が届くって話、事実なんだ?」
「そう。完全に動きを読まれてんだ、俺は」
「ホント?」
「今でこそ、な」
「気になる言い方するなぁ」
ユリウスは少しだけ口を尖らせた。眠い時ほど、ユリウスは素が出てくる。眠いけど、話したいのだろう。ジンは片口端を上げ、ユリウスの持つコップへ水を注ぎ足す。
「ホントに知らないのか?狩猟ギルドじゃ割と有名な話だから、調べりゃすぐ分かると思うんだが」
「そうだね。僕のカラスは優秀だから、もう知ってるよ」
「うん?じゃあ…」
聞けば良いと言うか、聞いてなかったのか、と不思議に思った。ユリウスは注がれたコップの水を眺めている。
「でも僕は、君の事は君の口から聞きたい」
コップを口に近付け、まるで水にひそひそ話をするように囁いた。
「……そうだな、俺の事なんだから、俺が話した方が良いよな」
自分の話がもっと出来れば良いなんて、ギルバートの事を偉そうに言えない。
何ならもっと悪い。
彼は性格だが、今自分は、楽しようとしたのだ。ユリウスの気持ちも考えずに。
ユリウスは顎を小さく引いて頷いた。もう要らないのか、まだ半分以上残っている水のコップを下げる。余った分を元々貰うつもりだったので、ジンは水差しを置いて、今度はコップをユリウスの手から攫った。
「手紙はな、最初の頃は全ギルドに届いてたんだよ。タイミングも内容もバラバラに。俺は溜まってから手紙を見るからすぐには気付かないし、ギルド同士も俺宛の手紙についてわざわざ他のギルドに話さねぇから、同じ差出人の手紙が同時に届いてたなんて知らなかったんだ」
攫われたコップをユリウスの目が追う。一口で半分ほど減った水。コップを離しても、ユリウスの目はジンの口元に注がれている。
「受け取った手紙には、なかなか有難い情報が書かれていた。例えば、俺がよく使うブーツの補強油はどこそこの方が合ってるとか、依頼書のどれそれは領主が緊急度を高めに依頼してるが実際被害は少ないとか、色々な。最初こそ意味分かんなかったが、その内気になって手紙の内容を確認しに行くようになった。受け取ったギルドから、そう遠くもなかったからだ。
内容も、狩猟ギルドの場所に合わせてあったんだな。
その俺の行動をどっかから見ていたのか、わかんねぇが、受け取った順番を見極めて予測をつけ始めたんだろうと思う。手紙は段々減ってきて、その代わり、的確に行き先を当て始めたんだ」
「君の行動を把握して?」
「そうだろうな。俺は纏まった依頼書から緊急度の高さや、距離、時期なんかで行き先を決める。いちいちギルドに報告もしない」
「特別ギルド員の特権のひとつだからね」
うん、とユリウスが頷いた。危険度の高い依頼の早期解決を狙い、王家が取り決めた事でもある。
「そう。だから誰も次に俺が寄るギルドが何処なんて知らないのに、そこに届くんだよ。あの蜘蛛の巣の封蝋が。届いた数日後に、必ず俺が現れるもんだから、不気味だってギルド内で噂になって、封書に書かれていた『インビジブルウェブ』って名前と、蜘蛛の巣の封蝋が瞬く間に広まった。なんて言うか、蜘蛛の子を散らすように?」
「それは多分、意味が違うね」
「違うか」
「違うけど、案外的を得てるかも。君は蜘蛛の巣の一番目立つ所に引っ掛かって、蜘蛛達の獲物を誘き寄せた。蜘蛛達はその獲物を捕らえに、各地に散ったんだ」
くすりと笑うユリウスの腰を抱き、残りの水を飲み干す。寄り掛かるユリウスの体温が高い。
眠いのだ。本格的に。
恐らく自分が口にしている言葉の半分も意識していない。コップを置き、顔を覗き込む。
「なんだか褒め言葉に聞こえるな」
「君を無償で宣伝に使ったんだ、その大胆さは褒めるに値するだろう?調書も素晴らしいものだったし」
「そんなにか」
「取引も面白かったね。情報の受取は外でってお願いしたんだ。シュバリエを少しでも王宮外に連れ出してあげたかったからね。そのついでにと思って。そしたら中央の商業地区ならどこでも大丈夫だから、指定の日に来てくれって言われてね。適当に入ったお店で待ってたら、本当に来るんだよ。それもみんな別人で、別の方法で」
滑舌良く喋るのに、ユリウスの目は開いていない。ただ楽しそうではある。
ゆっくりとユリウスの身体を押し、数歩先のベッドへと向かって歩きながら会話は続けた。
「へえ、向こうが場所を指定してた訳じゃないのか」
「指定は日時だけだったね。おかげで色んなお店に入れたよ。食べてみたかった物をたくさん食べたんだ」
「毒が効かなくなってから随分と食いしん坊になったな、うちの王子様は」
「ちゃんと量は抑えてるよ…運動だってしてる…」
「あれ、嫌味に聞こえたか?」
ベッドへ寝かせようとすると、大人しく膝で乗ってそのまま寝そべるユリウスの隣へと入り、布団を引き寄せる。されるがまま、仰向けのユリウスは少しだけ拗ねたように眉を寄せていた。
「聞こえた……」
「別に真ん丸になっても構わないぜ」
「……僕も。君が真ん丸になっても、構わない」
「そうか」
「うん」
もう完全に目は閉ざされているのに、ユリウスは深く頷いた。遠慮なく、その身を抱き寄せる。添い寝と称していた時期とは違う、閉じ込めるような抱擁。ユリウスは目を閉じたまま「苦しいよ」と、胸の中で笑った。
「………ねえ、ジン」
「なに?ユリウス」
もう殆ど寝入っているのだろう、ウィスパーボイスに更にとろみがついた。まるで甘えるような声の調子にジンの眦が下がる。
「シュバリエのこと、ホントにもう良いの?…最後になるかもしれないんだよ」
思わぬ質問。一瞬だけジンの動きが止まる。
すぐに、分かってる、と言い掛けた唇が、意思に反して動かない。シヴァの時と同じだ。心が脳に抵抗するような、奇妙な感覚。でも何故。
『最後になる』
常に頭の片隅に置いていた。それなのに、改めて言われる『最後』と言う言葉が胸をざわつかせる。元々、卒業の時に終わった関係だ。
(…良いんだよ、このままアイツの人生から消えた方が)
自分自身に言い聞かせる。そのまま答えようとユリウスへ顔を向けたのだが、
「………寝てる」
心を揺さぶるような質問した当人は、穏やかな寝息を立てていた。安心し切ったような寝顔を見詰める。
「……可愛いな」
しみじみと呟く。溶かした黄金を筆に取り、一本一本を繊細に描いたような睫毛で彩られた薄い瞼の下で、微かに目玉が動いている。ジンはふっと笑う。
「おやすみ、良い夢見ろよ」
額へと優しく口付けて、ユリウスの首元まで布団を掛けた。ジンも横になり、指を鳴らして灯っていた燭台の火を全て消し、目を瞑る。
ーーーー『最後』になるかもしれないんだよ
頭の中で繰り返される柔らかな声に、目を開けた。
.
.
.
ーーーギインッ!!
ぶつかる衝撃で魔力粒子が火の粉のように散り、滑らかな鉄の白刃からギルバートの、スティールブルーの目が見える。寄せられ、深々と刻まれた眉間の皺。
ギルドに来た、ライオネルの顔を思い出す。
切羽詰まり、思わず縋りに来たのだろうが、あれはあくまで友としての助けを借りたかっただけだろう。
ーーー自信がない。
ギルバートを目の前にして、手を出さずに済む自信が。
愛属者が増えるにつれ、妙なことに自我とも言える我欲が芽生え始めた。身勝手だとは思うが、産声を上げたばかりの感情は言うことなど聞かず、好き勝手に泣き喚くから、振り回されてばかりだ。
表面に出ないよう気を付けてはいても、ひょんな時に存在を主張してくるのだからタチが悪い。
(……ギルバートに未練がないと言えば嘘だ。だけどアイツが歩む未来に、俺は邪魔だと分かってる)
子供想いの両親に愛され、そんな両親を愛する息子が、複数の愛人の一人になってまで、自分を選んでくれるとは思えないし、仮になったとしても、自責の念に苦しんでしまうんじゃないか。
両親の期待を裏切ったと。
一般的な幸せを語る時、どうしても『家庭』が上位に食い込んでくる。
それは分かる。
だが同性では難しいのだ。『家庭』とは、好き合った者同士がただ共に暮らすだけでは成立しないのだろうから。
(だから良いんだ。良い思い出として残るか、その内消えてしまう程度の存在で)
本気でそう思っていたのに。
剣を交えるこの時間が鼓動を高め、期待を膨らませる。汗を散らし、苦悶にも見える彼の顔が、他の誰も見えていないようなその瞳が、言いようもない興奮と感激を引き起こす。
(…ああ、楽しいな。お前はどうか知らないが、俺は楽しい)
刃が離れ、またすぐにぶつかり合う。
「どうした、押しが弱くなってるぞ」
しかし時間が経つにつれて差が開いてくる。
受け止めた長剣の衝撃が甘い。あっさりと払い退けてしまえる程だ。
払われた剣を戻す速度も先程より遅い。
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俯きがちのギルバートからの思いもよらない質問に、ジンは片眉を上げた。質問の意図が良く分からない。分からないが
「…Bかな」
正直に答えた。その瞬間、ギルバートは口を大きく開いて笑った。だが決して楽しそうでも嬉しそうでもない。まるで自嘲するような笑みだ。
「Bじゃ、勝負にならないな」
「………ギルバ」
「やめろ」
真実、自嘲だったと気付いた。彼は冒険者として修業していた訳ではない。その上でB判定を与えられると思った。ジンとしては、誉め言葉に近かった。それを伝えようとしたが、食い気味に拒絶されジンは口を閉じた。
項垂れるギルバートと目が合わない。自嘲こそ消えたが、今度は苦し気に顔を歪めて手で拭っている。
「名前を呼ぶな。お前に呼ばれるとおかしくなりそうだ」
そんなことを言われるとますます呼びたくなるのだが。
流石に空気を呼んでジンは頭を掻き、一度、言葉を飲み込む。
「……騎士としては、Sだろ」
気休めや慰めのつもりはなく、これもまた、誉め言葉として告げた。
「騎士でも、Sか。俺は、一生お前と対等になれないのだな…」
「なんか、随分と卑屈だな。どうした」
尋ねつつも、ジンにはある思いが過っている。
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「学生の頃からだ、俺はお前が」
「……話聞かねぇな」
淡々と喋りたい事だけを喋る気らしいギルバートにぼそりと呟いた。
「話を聞かないのは、お前だけの特権じゃない」
「………それはまあ、そうだな」
そこだけはっきり返されて、ジンはふっと笑ってしまった。気付けばギルバートはジンを見ていた。珍しく眉間の皺がない顔だ。澄んだ銀青の瞳が真っすぐとジンを見詰めている。肩を竦め、「続きをどうぞ」と短剣を消した右手で促す。
あまり良い言葉は聞けないだろうが、彼の気持ちは気にはなる。開示してくれるのならば、どんな気持ちでも受け止めたい。
ギルバートの目線が落ちる。汗がスーッと頬を撫で、顎から垂れた時、再び口を開くと、先程と変わらない単調な口調で言った。
「好きだった」
突然の告白は、ジンの思考を完全に停止させた。
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