上 下
57 / 63

鞆幕府・裏切りの決断

しおりを挟む
 備後の鞆で足利義昭は新たな幕府を発足させた。
 小早川隆景の水軍の本拠地であり、島の海賊衆を束ねるため瀬戸内の海を一望できる小高い丘に鞆城が建てられていたが、機能だけでなく美しい眺めと潮の香りが雅さを彩っていた。
 足利義昭もこの地を気に入り、ゆっくりと腰を落ち着けるかに思えたが、毛利輝元を要職に任命し幕府の体裁を整えると、各地の大名に号令を出す。
 最初の勅令は、織田信長の討伐。
 そして、毛利家を上洛させるために周辺の平定と後方の安全の確保に乗り出し、織田家の傘下に入った大友家の討伐を島津家に命じた。
 備後の鞆まで足利義昭を送り届けた宇喜多直家も、小早川隆景に協力する形で備中に残っている三村家の残党の討伐に加わっていた。

「直家殿、戻られたか!」

 直家の到着を知ると、直ぐに舳先に上った小早川隆景が大きく手を振ってから、渡し板も使わずに船を飛び移る。合戦で兵を率いてるとは思えない相変わらずの軽装だった。

「三村元親も自害し、残る城も上野隆徳の常山城のみだ」

「援軍など、無用であったかな」

「いやいや、宇喜多軍が加勢に来たとなれば、上野隆徳も降伏して城を明け渡すだろう。無駄な血を流さなくて済むってものだ」

 海に面した山頂にある城だが、これと言って特徴がある訳でもなく、こじんまりした曲輪が見えるが攻めあぐねるほどの城でもない。小早川隆景はそう言ったが、山道の入り口に布陣した兵だけで、落とすのに十分に見える。

「長い航海と連戦の後だから助かるが……」

「俺も船から見物しているだけだよ。城攻めを任せている乃美宗勝は、優秀な武将だ。楽できる内は、楽しておこう」

「備中が治まれば、東へ進まねばならないしな」

「織田信長か、……天下をどうしようというのだろうな」

「天下布武。その言葉通り、軍の編成と政治と経済の改革だけならば、天台宗を取り込み、寺院と一体化した城など作りはしまい」

「おい! 何だありゃ」

 突然、上げられた小早川隆景の叫ぶような声に、見上げていた雲から視線を引き戻すと、木々の間から目に見鮮やかな集団が姿を現せていた。

「数に任せてしか戦えぬ毛利家の腰抜け侍め! 武家に生まれた者として、度胸があるなら上野隆徳の妻・鶴姫と手合せいたせ!」

 派手な色彩の着物で馬にまたがり、美しい黒髪を靡かせ、手にした長刀も見事な飾りがついている。供回りも薙刀を構えた侍女たち。見事な美しさであるが、見事過ぎる。飾り物のような見事さだ。

「あれは、三村元親の妹だ。まさか、本当に戦おうというのか?」

 三十人ほどの娘が薙刀を構えて乃美宗勝の陣へと迫る。美しく揃った動きで振るわれる薙刀の刃が煌めき、舞を見ているかのようであった。相対する兵士たちも、どう対処していいのか分からず、ずるずると後退っていた。

「兵を退かせるか?」

「ここまで来て、城を落とさず帰る訳には、行かんのだが」

「しかし、……あれと戦わせるのは酷だぞ?」

「そうだな、俺も御免だ……」

 兵を下がらせ遠巻きに城を包囲しても、鶴姫は何度か突撃を繰り返し、慌てて逃げる毛利兵を追い立てては、城に引き返していた。
 埒が明かぬ。
 気の毒には思ったがいつまでも付き合っておられず、乃美宗勝の部隊を残し、直家は兵を退いた。
 突撃し、兵を追いかけるだけで、華美で動きやすいとは言えない格好の鶴姫や侍女たちに疲労が見え始めていた。
 放っておいても、時間の問題。
 そう考えたのは誤りであろうか?
 いや、やがて訪れる悲惨な結末から目を背けたのだ。
 誰の目にも同情を引く、悲壮感漂う娘たちから目を背けたのは誤りであろうか?
 いや、多くの兵や民の命を預かる大名が、同情や感傷だけで判断をするはずもない。
 だからこそ、浦上宗景の突然の布告に、動揺が走った。

「織田信長公より、備前・美作・播磨の守護職を任命された、浦上宗景である。常山城にて、年端も行かぬ娘を嬲り者にする毛利家の非道は許し難し! 心ある者は、毛利家を討ち、備中の三村家を助けよ!」

 備中の兵力は、毛利家の配下か宇喜多家の配下しかいない。この布告は宇喜多家に向けられたものだ。毛利家について織田家と戦うか、織田家について毛利家と戦うか。鞆幕府につくか、織田信長につくか、選ばなければならない。

「直家様、熟慮なさいませ」

 口を開こうとした直家にかけられた長船貞親の言葉が重かった。
 あれこれ、言い訳している場合ではない。そういう事だ。
 宇喜多忠家、春家、長船貞親、岡家利、その他の古参の家臣たち、城を取るごとに増えて行った家臣たちが固唾を飲んで見守っていた。
 彼らの命を預かり生末を決めるのが主君の役目。
 大局を見、家臣たちの子孫が、末代まで栄えるように、手にした小さな利益にこだわって不義を行なってはならない、目の前の正義に揺さぶられてはならない。

「天神山城を攻める!」

 直家が言ったのはそれだけだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

大和型戦艦4番艦 帝国から棄てられた船~古(いにしえ)の愛へ~

花田 一劫
歴史・時代
東北大地震が発生した1週間後、小笠原清秀と言う青年と長岡与一郎と言う老人が道路巡回車で仕事のために東北自動車道を走っていた。 この1週間、長岡は震災による津波で行方不明となっている妻(玉)のことを捜していた。この日も疲労困憊の中、老人の身体に異変が生じてきた。徐々に動かなくなる神経機能の中で、老人はあることを思い出していた。 長岡が青年だった頃に出会った九鬼大佐と大和型戦艦4番艦桔梗丸のことを。 ~1941年~大和型戦艦4番艦111号(仮称:紀伊)は呉海軍工廠のドックで船を組み立てている作業の途中に、軍本部より工事中止及び船の廃棄の命令がなされたが、青木、長瀬と言う青年将校と岩瀬少佐の働きにより、大和型戦艦4番艦は廃棄を免れ、戦艦ではなく輸送船として生まれる(竣工する)ことになった。 船の名前は桔梗丸(船頭の名前は九鬼大佐)と決まった。 輸送船でありながらその当時最新鋭の武器を持ち、癖があるが最高の技量を持った船員達が集まり桔梗丸は戦地を切り抜け輸送業務をこなしてきた。 その桔梗丸が修理のため横須賀軍港に入港し、その時、長岡与一郎と言う新人が桔梗丸の船員に入ったが、九鬼船頭は遠い遥か遠い昔に長岡に会ったような気がしてならなかった。もしかして前世で会ったのか…。 それから桔梗丸は、兄弟艦の武蔵、信濃、大和の哀しくも壮絶な最後を看取るようになってしまった。 ~1945年8月~日本国の降伏後にも関わらずソビエト連邦が非道極まりなく、満洲、朝鮮、北海道へ攻め込んできた。桔梗丸は北海道へ向かい疎開船に乗っている民間人達を助けに行ったが、小笠原丸及び第二号新興丸は既にソ連の潜水艦の攻撃の餌食になり撃沈され、泰東丸も沈没しつつあった。桔梗丸はソ連の潜水艦2隻に対し最新鋭の怒りの主砲を発砲し、見事に撃沈した。 この行為が米国及びソ連国から(ソ連国は日本の民間船3隻を沈没させ民間人1.708名を殺戮した行為は棚に上げて)日本国が非難され国際問題となろうとしていた。桔梗丸は日本国から投降するように強硬な厳命があったが拒否した。しかし、桔梗丸は日本国には弓を引けず無抵抗のまま(一部、ソ連機への反撃あり)、日本国の戦闘機の爆撃を受け、最後は無念の自爆を遂げることになった。 桔梗丸の船員のうち、意識のないまま小島(宮城県江島)に一人生き残された長岡は、「何故、私一人だけが。」と思い悩み、残された理由について、探しの旅に出る。その理由は何なのか…。前世で何があったのか。与一郎と玉の古の愛の行方は…。

戦国異伝~悠久の将~

海土竜
SF
 生まれながらにしてすべてを手にしていた、天下人の息子、豊臣秀頼。  しかし、彼は自らの手で何も掴むことなく最後の時を迎えようとしていた。  そんな彼が事もあろうかタイムスリップ!  今度こそ、自らの手で天下を、全てを掴むために立ち上がる!  超・戦国異伝が今ここに! 第二章・天廻争乱  戦国時代最大の頭脳戦が繰り広げられた三大謀聖の争い。  知の戦が繰り広げられていた、真の戦国時代が今ここに!

徳川家基、不本意!

克全
歴史・時代
幻の11代将軍、徳川家基が生き残っていたらどのような世の中になっていたのか?田沼意次に取立てられて、徳川家基の住む西之丸御納戸役となっていた長谷川平蔵が、田沼意次ではなく徳川家基に取り入って出世しようとしていたらどうなっていたのか?徳川家治が、次々と死んでいく自分の子供の死因に疑念を持っていたらどうなっていたのか、そのような事を考えて創作してみました。

ワルシャワ蜂起に身を投じた唯一の日本人。わずかな記録しか残らず、彼の存在はほとんど知られてはいない。

上郷 葵
歴史・時代
ワルシャワ蜂起に参加した日本人がいたことをご存知だろうか。 これは、歴史に埋もれ、わずかな記録しか残っていない一人の日本人の話である。 1944年、ドイツ占領下のフランス、パリ。 平凡な一人の日本人青年が、戦争という大きな時代の波に呑み込まれていく。 彼はただ、この曇り空の時代が静かに終わることだけを待ち望むような男だった。 しかし、愛国心あふれる者たちとの交流を深めるうちに、自身の隠れていた部分に気づき始める。 斜に構えた皮肉屋でしかなかったはずの男が、スウェーデン、ポーランド、ソ連、シベリアでの流転や苦難の中でも祖国日本を目指し、長い旅を生き抜こうとする。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

麒麟児の夢

夢酔藤山
歴史・時代
南近江に生まれた少年の出来のよさ、一族は麒麟児と囃し将来を期待した。 その一族・蒲生氏。 六角氏のもとで過ごすなか、天下の流れを機敏に察知していた。やがて織田信長が台頭し、六角氏は逃亡、蒲生氏は信長に降伏する。人質として差し出された麒麟児こと蒲生鶴千代(のちの氏郷)のただならぬ才を見抜いた信長は、これを小姓とし元服させ娘婿とした。信長ほどの国際人はいない。その下で国際感覚を研ぎ澄ませていく氏郷。器量を磨き己の頭の中を理解する氏郷を信長は寵愛した。その壮大なる海の彼方への夢は、本能寺の謀叛で塵と消えた。 天下の後継者・豊臣秀吉は、もっとも信長に似ている氏郷の器量を恐れ、国替や無理を強いた。千利休を中心とした七哲は氏郷の味方となる。彼らは大半がキリシタンであり、氏郷も入信し世界を意識する。 やがて利休切腹、氏郷の容態も危ういものとなる。 氏郷は信長の夢を継げるのか。

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉
歴史・時代
 その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。  父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。  稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。  明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。  ◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇

処理中です...