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第六章

前夜

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「どうした? ぼぅとして」
「……うん…」

 衣装選びが終わったと思ったら、その衣装に合う靴と髪飾り選びに、更に髪型にアクセサリーにと次々に衣装合わせをし、終わった頃にはぐったりと疲れていた。
 頭の中の整理はつかないまま、東の空に登り始めた月を見ていると焔将が戻ってきた。
 気のない返事に、焔将は未令の顎を掴むとぐいっと自分の方を向かせた。

「どうした? 何か心配事か?」
「……何でもない」

 真っ直ぐな焔将の目は、心の中が迷いでいっぱいの今は見ていると辛くなる。
 視線をそらすと焔将の秀麗な顔が近づいてきて、重なりそうになった唇に驚き、思わずその頬に平手打ちを食らわせた。
 おそらく焔将ならば、避けることもできただろう。
 でも未令の繰り出した平手はパチンっと小気味いい音を焔将の頬でたてた。

「……あの、ごめんなさい…」
「残念。今ならしてもばれないかと思ったんだがな」

 焔将は頬をさすりながら、本当に残念そうな顔をする。

「もう!」

 人が真剣に悩んでいるというのに……。
 
 わざとらしく「痛い痛い」と頬をおさえる焔将は、明日永遠に会えなくなるかも知れない未令を前にしてもいつもと変わらない。

 考えてみれば、焔将からは一度もここに残って欲しいとは言われていない。
 勝手に一人で悩んでいるだけで、焔将はなんとも思っていないのかもしれない……。

「明日は、……うまくいくと思う?」
「ああ。無謀な計画に思えるかもしれんが、この計画で最も重要なことは、時有をその気にさせることだからな」
「どういうこと?」

 祖父の時有の救出さえ成せれば、後はなんとかなると言われたが、その気にさせるとはどういうことだろう。

「時有はな、今は好んで水牢に入っているということだ。時有にとって、あの水牢は何の拘束力にもなっていない。あいつはただ、祥文帝の怒りの矛先が鈴や子の有明、更には孫であるおまえに及ぶことを危惧し、大人しく水牢に収まっているに過ぎない」
「……そうだったの?」
「ああ。時有は何も言わないがな。昨日今日と私は時有と会ってきた。おまえの置かれている状況も話してある。奴もそろそろ重い腰を上げるときだと考えたはずだ」

 時有に勝てる術者はいない。
 時有さえ動けば、あとは容易くうまくいくだろう。

 焔将はそう言うが、今はたとえうまく行ったとしても、自分の身の振り方がわからない……。

「何も心配するな、未令。全てうまくいくさ」

 そう言って頬を滑った焔将の手を、この時は振り払えなかった。


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