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第六章
別れる決心
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日が沈む直前まで涼己と特訓し邸に戻ると、焔将はまだ戻っていなかった。
女官長のすすめるまま先に湯を使い、衣を着替え終わる頃、「焔将さまがお戻りになられます」と他の女官が知らせに来た。
「お出迎えを」と女官長に言われ玄関へ向かったが、少し待っても焔将は帰ってこない。
外から話し声が聞こえ、「なんだ、そこにいるんだ……」と未令が外へと出ると、髪の長いきれいな女性が何やら焔将と親しげに話している現場に遭遇した。
「……一人も二人も同じではございませんか」
「……」
「前々から側妃にはぜひわたくしを、と申しておりましたのに、先に別の方をお迎えになるなんて酷いお方。でもわたくし気にいたしませんわ。焔将さまほどの御身分ですもの。ご側妃がお一人なんてことはありえないこと。そこは始めから承知しておりましたわ。第二側妃でも構いません。どうぞわたくしを側妃に迎えてくださいませ」
「そのお話は以前よりお断りしているはず」
「わたくし、決して焔将さまを退屈させませんわ。このほどお迎えになられたご側妃さまとも仲良くいたします。ですからぜひ―――」
「―――失礼、姫君。側妃が待っているので」
やんわりと掴まれた腕を焔将が放すと、髪の長いきれいな女性は追いすがった。
「お待ちくださいませ。わたくし、ずっと焔将さまのこと……」
「それ以上は申されるな。この件については姫君の父上にも断りの返事をしている。姫君は諦める、納得なさっておいでだと父上から聞いていたが」
「それは……。以前の焔将さまなら、おっしゃる通りわたくしも納得しておりました。焔将さまは誰もご正妃にもご側妃にもお迎えになられず、どんな方が申し込まれても決して首を縦に振られなかった。ですからわたくしも断られてもそれを受け入れるしかないと諦めておりました。でも、焔将さまが突然、時有さまの系譜に連なるお方をお迎えになられたと聞いて、それでわたくし…、どうしても納得できなくて……。なぜわたくしではなく、そのお方だったのですか?」
「未令は私にとって特別な存在だ」
「わたくしではご不満でしたか? 容姿がお気に召さなかったのですか? それとも血筋でしょうか? 髪が長いのはお嫌いでしたか? でしたら今すぐにでも短く―――」
「―――やめよ。そのような問題ではない」
「わたくしに足りないところがあるのなら、どうぞおっしゃってください」
「足りないところがあるとは思っておらん。不満があるわけでもない。今さらあなたがどのように変わろうと、私の心が変わるわけではない。ただそれだけだ」
「……そんな…。では、わたくしはどうすればよかったのですか? 教えてください…」
「どのようにしても結果は同じだったのだと、その答えで納得してもらうより他ない。―――では」
焔将は今度こそ女性の手を完全に振り切り、こちらへ向かってきた。
そして玄関口で未令の姿を認め、表情を和らげた。
「出迎えてくれたのか?」
「あの、よかったの? あんなきれいな人…」
「なんだ? 聞いていたのか。気になるか?」
「ち、違うよ! そんなんじゃないから」
ふんっと踵を返して先にスタスタ邸の中へ入った。
ほんとは耳は集音器が欲しいくらい聞き耳を立てていたし、相手の女性がどんな人なのか。目を凝らして見てしまっていた。
きっぱり断ってくれたのは嬉しかったけれど…。
祖父と父の救出が成功すれば、未令はニ日後にはこの平安国からいなくなるのだ。
祥文帝の追手を防ぐためにも、日本へ還れば紫檀の扉は壊し、二度と平安国へ戻れなくなる。
あとたった二日。もう日は沈みかけているから、あと一日と少しだ。焔将とは二度と会えなくなるのだ……。
胸の痛みを覚えて振り返れば、焔将が後ろからそっと未令を抱きしめた。
「何も心配することはない。全てうまく行く」
「…そんなこと、別に心配してない」
未令の不安を、祖父救出の成功の可否と受け取った焔将が、「大丈夫だ」と未令を宥めるように囁く。
その腕から抜け出し、未令は「そんなんじゃないから」と強がった。
あと一日と少し。
未令は祖父、父、康夜たちと紫檀の扉をくぐって焔将と永遠に別れる決心ができるのだろうか……。
答えを出すまでの考える時間は、あまりに少ない。
女官長のすすめるまま先に湯を使い、衣を着替え終わる頃、「焔将さまがお戻りになられます」と他の女官が知らせに来た。
「お出迎えを」と女官長に言われ玄関へ向かったが、少し待っても焔将は帰ってこない。
外から話し声が聞こえ、「なんだ、そこにいるんだ……」と未令が外へと出ると、髪の長いきれいな女性が何やら焔将と親しげに話している現場に遭遇した。
「……一人も二人も同じではございませんか」
「……」
「前々から側妃にはぜひわたくしを、と申しておりましたのに、先に別の方をお迎えになるなんて酷いお方。でもわたくし気にいたしませんわ。焔将さまほどの御身分ですもの。ご側妃がお一人なんてことはありえないこと。そこは始めから承知しておりましたわ。第二側妃でも構いません。どうぞわたくしを側妃に迎えてくださいませ」
「そのお話は以前よりお断りしているはず」
「わたくし、決して焔将さまを退屈させませんわ。このほどお迎えになられたご側妃さまとも仲良くいたします。ですからぜひ―――」
「―――失礼、姫君。側妃が待っているので」
やんわりと掴まれた腕を焔将が放すと、髪の長いきれいな女性は追いすがった。
「お待ちくださいませ。わたくし、ずっと焔将さまのこと……」
「それ以上は申されるな。この件については姫君の父上にも断りの返事をしている。姫君は諦める、納得なさっておいでだと父上から聞いていたが」
「それは……。以前の焔将さまなら、おっしゃる通りわたくしも納得しておりました。焔将さまは誰もご正妃にもご側妃にもお迎えになられず、どんな方が申し込まれても決して首を縦に振られなかった。ですからわたくしも断られてもそれを受け入れるしかないと諦めておりました。でも、焔将さまが突然、時有さまの系譜に連なるお方をお迎えになられたと聞いて、それでわたくし…、どうしても納得できなくて……。なぜわたくしではなく、そのお方だったのですか?」
「未令は私にとって特別な存在だ」
「わたくしではご不満でしたか? 容姿がお気に召さなかったのですか? それとも血筋でしょうか? 髪が長いのはお嫌いでしたか? でしたら今すぐにでも短く―――」
「―――やめよ。そのような問題ではない」
「わたくしに足りないところがあるのなら、どうぞおっしゃってください」
「足りないところがあるとは思っておらん。不満があるわけでもない。今さらあなたがどのように変わろうと、私の心が変わるわけではない。ただそれだけだ」
「……そんな…。では、わたくしはどうすればよかったのですか? 教えてください…」
「どのようにしても結果は同じだったのだと、その答えで納得してもらうより他ない。―――では」
焔将は今度こそ女性の手を完全に振り切り、こちらへ向かってきた。
そして玄関口で未令の姿を認め、表情を和らげた。
「出迎えてくれたのか?」
「あの、よかったの? あんなきれいな人…」
「なんだ? 聞いていたのか。気になるか?」
「ち、違うよ! そんなんじゃないから」
ふんっと踵を返して先にスタスタ邸の中へ入った。
ほんとは耳は集音器が欲しいくらい聞き耳を立てていたし、相手の女性がどんな人なのか。目を凝らして見てしまっていた。
きっぱり断ってくれたのは嬉しかったけれど…。
祖父と父の救出が成功すれば、未令はニ日後にはこの平安国からいなくなるのだ。
祥文帝の追手を防ぐためにも、日本へ還れば紫檀の扉は壊し、二度と平安国へ戻れなくなる。
あとたった二日。もう日は沈みかけているから、あと一日と少しだ。焔将とは二度と会えなくなるのだ……。
胸の痛みを覚えて振り返れば、焔将が後ろからそっと未令を抱きしめた。
「何も心配することはない。全てうまく行く」
「…そんなこと、別に心配してない」
未令の不安を、祖父救出の成功の可否と受け取った焔将が、「大丈夫だ」と未令を宥めるように囁く。
その腕から抜け出し、未令は「そんなんじゃないから」と強がった。
あと一日と少し。
未令は祖父、父、康夜たちと紫檀の扉をくぐって焔将と永遠に別れる決心ができるのだろうか……。
答えを出すまでの考える時間は、あまりに少ない。
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