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第五章
女官長との攻防
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「そんなことをなさっては困ります!」
その頃焔将邸の部屋の一室から女官長の悲痛な叫び声が上がった。
夕闇の広がる宵の口だ。
いつもならこの時間、宮殿から戻った屋敷の主、焔将が静かに杯を傾ける時間だ。
なのに今日は焔将邸の屋敷内からどたばたと騒がしい音が響いてくる。
女官のなかでも一番年長の女官長が声を荒げることなど常にはないことだ。
夫を早くに亡くした貴族出身の女官長は、万事につけおしとやかで仕事にぬかりはない。
それがさきほどから女官長と未令の声が交錯し、他の女官たちはおろおろとなすすべなく二人を見守り、ひそひそと囁きあう。屋敷内はいつにない騒がしさだ。
「ですからいつ焔将さまのお渡りがあってもいいよう、ご側妃の夜衣はこれと決まっております」
「だからそれは絶対嫌だっていってる」
女官長がこのあいだの薄い衣を肩からかけようとするので、未令はさきほどから何度もそれを振り払っている。
振り払っても振り払っても、しつこくまとわりつく蚊のように女官長は諦めようとしない。
未令はとうとう女官長の手から夜衣をひったくった。
「何をなさいます!」
こんな乱暴なことをする姫君は過去にいなかっただろう。
女官長はきーっとこめかみに血管を浮き上がらせ、未令の手から夜衣を取り戻そうと手を伸ばす。
させじと未令は衣を持ったまま部屋のなかを縦横に避け、女官長はますます眉間にしわを刻む。
「お返しくださいませ!」
「だからこれじゃないのだったら着るってば」
このあいだの二の舞だけはごめんだ。
「取り押さえなさい!」
とうとう業を煮やした女官長が、突っ立って傍観したままの女官たちに命じた。
女官たちはおろおろしながらも一斉に未令に飛び掛ってくる。
いくら非力とはいえ十人近くの女官たちが一度に飛び掛ってきては未令もなす術がない。
背中にも腕にも足にも女官たちがしがみつき完全に動きを封じられてしまった。
女官長は居住まいを正し、不敵に笑うと
「さぁ、お召しくださいませ」
夜衣を未令の肩からかけたかと思うと呆気にとられるほどの早業で帯を締めた。
抵抗してぎゃーっと叫ぶと、女官長以外の女官たちは驚いて飛びのいた。
それでも仕事魂を燃やした女官長は懸命に未令にくらいつく。
「ずいぶんと楽しそうだな」
部屋の戸口に月を背負った焔将が顔を見せた。
女官たちは低頭し、女官長も慌ててつかんでいた未令の手を放す。
「申し訳ございません。未令さまのお仕度、整い次第お部屋へお連れいたします」
「よいよい」
焔将は乱れた部屋内をおもしろそうに見やった。
「まるで嵐が過ぎ去ったようだな」
部屋の中央で髪を乱して突っ立っている嵐の目である未令を目を細めて見た。
「未令よ。女官長が困っておるぞ」
「こんなものを着せようとするほうが悪い。焔将からもちゃんといって。こんなの必要ないって」
「まぁなかなか似合ってはいるのだがなぁ」
焔将が上から下まで未令の姿に視線を走らせる。
薄い衣だったことを思い出し、慌てて他の女官が持っていた敷布をひったくると身体にまきつけた。
「とにかく、こんなことなら日本へ還るから!」
「まぁそういわずしばし付き合え」
焔将は持っていた扇子を広げると
「見よ。今宵の月は美しい。側妃と共に月を楽しもうというだけだ。それの何がいけない」
ぱちんと音を立て扇子を閉じる。
「女官長よ。未令に用意した衣があったろう」
「ですが焔将さま」
「よいよい。未令の好きにさせるがよい」
待っているぞと焔将は回廊を渡っていった。
その頃焔将邸の部屋の一室から女官長の悲痛な叫び声が上がった。
夕闇の広がる宵の口だ。
いつもならこの時間、宮殿から戻った屋敷の主、焔将が静かに杯を傾ける時間だ。
なのに今日は焔将邸の屋敷内からどたばたと騒がしい音が響いてくる。
女官のなかでも一番年長の女官長が声を荒げることなど常にはないことだ。
夫を早くに亡くした貴族出身の女官長は、万事につけおしとやかで仕事にぬかりはない。
それがさきほどから女官長と未令の声が交錯し、他の女官たちはおろおろとなすすべなく二人を見守り、ひそひそと囁きあう。屋敷内はいつにない騒がしさだ。
「ですからいつ焔将さまのお渡りがあってもいいよう、ご側妃の夜衣はこれと決まっております」
「だからそれは絶対嫌だっていってる」
女官長がこのあいだの薄い衣を肩からかけようとするので、未令はさきほどから何度もそれを振り払っている。
振り払っても振り払っても、しつこくまとわりつく蚊のように女官長は諦めようとしない。
未令はとうとう女官長の手から夜衣をひったくった。
「何をなさいます!」
こんな乱暴なことをする姫君は過去にいなかっただろう。
女官長はきーっとこめかみに血管を浮き上がらせ、未令の手から夜衣を取り戻そうと手を伸ばす。
させじと未令は衣を持ったまま部屋のなかを縦横に避け、女官長はますます眉間にしわを刻む。
「お返しくださいませ!」
「だからこれじゃないのだったら着るってば」
このあいだの二の舞だけはごめんだ。
「取り押さえなさい!」
とうとう業を煮やした女官長が、突っ立って傍観したままの女官たちに命じた。
女官たちはおろおろしながらも一斉に未令に飛び掛ってくる。
いくら非力とはいえ十人近くの女官たちが一度に飛び掛ってきては未令もなす術がない。
背中にも腕にも足にも女官たちがしがみつき完全に動きを封じられてしまった。
女官長は居住まいを正し、不敵に笑うと
「さぁ、お召しくださいませ」
夜衣を未令の肩からかけたかと思うと呆気にとられるほどの早業で帯を締めた。
抵抗してぎゃーっと叫ぶと、女官長以外の女官たちは驚いて飛びのいた。
それでも仕事魂を燃やした女官長は懸命に未令にくらいつく。
「ずいぶんと楽しそうだな」
部屋の戸口に月を背負った焔将が顔を見せた。
女官たちは低頭し、女官長も慌ててつかんでいた未令の手を放す。
「申し訳ございません。未令さまのお仕度、整い次第お部屋へお連れいたします」
「よいよい」
焔将は乱れた部屋内をおもしろそうに見やった。
「まるで嵐が過ぎ去ったようだな」
部屋の中央で髪を乱して突っ立っている嵐の目である未令を目を細めて見た。
「未令よ。女官長が困っておるぞ」
「こんなものを着せようとするほうが悪い。焔将からもちゃんといって。こんなの必要ないって」
「まぁなかなか似合ってはいるのだがなぁ」
焔将が上から下まで未令の姿に視線を走らせる。
薄い衣だったことを思い出し、慌てて他の女官が持っていた敷布をひったくると身体にまきつけた。
「とにかく、こんなことなら日本へ還るから!」
「まぁそういわずしばし付き合え」
焔将は持っていた扇子を広げると
「見よ。今宵の月は美しい。側妃と共に月を楽しもうというだけだ。それの何がいけない」
ぱちんと音を立て扇子を閉じる。
「女官長よ。未令に用意した衣があったろう」
「ですが焔将さま」
「よいよい。未令の好きにさせるがよい」
待っているぞと焔将は回廊を渡っていった。
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