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第三章

再びの呼び出し

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 訓練を終え、息をつく間もなく再び康夜は祥文帝に呼び出された。

 もう呼ばれることはないとついさきほど奈生金は言っていたのに…。
 あの言葉は何だったのか。

 二度目にまみえた祥文帝はひどくご機嫌でついさきほどの怒りがうそのように康夜を近くに呼んだ。
 側には緑香が控えていて内心どきりとしたが何もしてくる様子はない。
 
 今度は庭ではなく、謁見の間に入らせてもらえた。帝の姿を隠す御簾もない。

 そこで康夜は初めて祥文帝の顔をちゃんと見た。
 金糸の豪華な刺繍が施された衣を着、対する者を緊張させる威圧感に満ちている。
 何の用かと思えば、祥文帝は今の日本がどのようであるのかと聞きたがった。
 康夜は言葉に細心の注意を払いながら訊かれるままに祥文帝の質問に答えた。

「安倍晴明の国は左様に変化しているのだな。のう、晴澄」

 緑香とともに側近くに控えていた狩衣姿の男が頭を下げる。

 父の康之と同じくらいの年だろうか。
 如才のない様子で康夜に視線を向ける。さきほど祥文帝にまみえたとき、階の上から帝の言葉を伝えていた男だ。 
 目が合っても晴澄がふいと逸らし、祥文帝が目で何事か合図すると晴澄は無言で退出した。

 かわって来訪を告げる知らせとともに二人の男が謁見の間に入ってくる。

 康夜には誰かわからなかったが、お目付け役として今回もついてきていた奈生金が、祥文帝の実弟、焔将さまと腹違いの弟、涼己さまだと教えてくれる。

 焔将も涼己も祥文帝に引けをとらない美男子で、焔将は扇子を指で弄びながらふざけた様子で入ってくるなり康夜に目をとどめた。

「兄上。この者ですか、日本からきたという時有の孫娘というのは」

 焔将は扇子の端で康夜のうつむき加減だった顎をとらえるとそれで上向かせた。

 上背のある美丈夫な顔に間近で覗き込まれ、康夜は思わず顔を背けた。
 こんなに威圧的できれいな男の人を見たことがなかった。
 何をされても逆らうなと奈生金に教えられていたのに顔を背けてしまい、しまったと思ったが、焔将は康夜の行動を咎めようとはしなかった。

 おもしろそうに目を覗き込み、赤眼ではないのですねと問う。

「力を遣うときしか赤眼にはなりませんよ」

 腹違いの弟だという涼己が焔将に答え、興味のなさそうな理知的な冷たい瞳で康夜を見た。
 漆黒の闇のように深い黒の瞳をしており、祥文帝や焔将よりも年若い。
 まだ十代で自分とそう変わらないのではないかと康夜は感じた。

 上段に座した祥文帝が奈生金に問いかける。

「奈生金よ。この者の力はまだすべて目覚めていないのではないのか? 時有はあの通り強い力の使い手。しかも時有の妻は晴澄の娘だ。その二人の孫娘の力がこれではあまりにお粗末ではないか」
「仰せの通りですが康夜の力は先ほどの緑香との戦いによりすでに目覚めております」
「しかしな、まだ目覚めたばかりだ。痛みが足りなかったのではないかのう。十分に目覚めておらんのではないのか?」
「ではありますが、時有と鈴さまの息子である有明の力は弱いのです。孫だからとて力の強弱にはなんら影響がないかと」
「有明で散々試したとはいえ、血は争えぬというではないか。康夜はまだ試してみる価値があると思わぬか」
「……はっ」

 祥文帝の言葉に嫌な予感がして康夜が後ずさると予想通り緑香が動き、康夜はまた庭から伸びてきた木の枝に身体を捕らえられ、見る間に宙につるし上げられた。 
 祥文帝は玉座から立ち上がると腰から長刀を抜き康夜の首筋にあてた。

 康夜の喉の奥がひぃっと鳴った。

「本来はもっと力が出せるのではないのか? 出し惜しみしていると命を失うことになるぞ」

 ぐっと祥文帝は長刀に力を込めた。生暖かい感触が首筋を伝い、次いで襲った痛みに康夜は蒼白になった。

「お待ちください兄上」

 それまで傍観者を決め込んでいた涼己が祥文帝の長刀を押し留めた。

「力は痛みの度合いによって増幅はいたしません。このようなやり方では兄上の刀を血で汚すだけです」

 そういうと祥文帝の手から長刀を抜き取ると汚れるのも厭わず自分の衣服で長刀についた康夜の血をきれいに拭い祥文帝に差し出す。

「相も変わらずおまえは血族とみれば優しくするのだな」

 祥文帝は小ばかにしたように笑いつつも、涼己から長刀を受け取り、鞘に収める。

「とんだ同族意識よの。おまえのその髪の色はただのお飾りであるというのにな」

 祥文帝は涼己の漆黒の髪を鞘で払い、幾分か忌々しげにその黒い瞳を見やる。弟に対するには冷たく、帝が涼己に信を置いていないことが透けてみえるようだ。

「まぁまぁいいではありませんか、兄上」

 深刻な雰囲気の帝と涼己の空気を破ったのは焔将だ。
 手の内の扇子をくるくると回しながら二人の間に割って入る。

「血族の者どもの仲間意識が強いのは周知のこと。涼己とて力はないものの、こうして水の血族の色を受け継いでいるのです。自然、そのような意識が働くのでしょう」
「そうは言うが焔将。仲間意識が強いのは同じ血族同士の話。こやつは血族と聞けばだれかれ構わず世話を焼きたがる。時有のことなぞ、いい例ではないか」
「あの者の幽閉をとくようにと願い出ておる者は、何も涼己ばかりではございません。時有の幽閉もすでに四年に及びます。内に押し込め体がなまり、いざ実戦となったとき役に立たぬのでは意味がありません」

 祥文帝はもうよいと右手を上げて焔将の弁を止めた。

「その話は聞きとうない」

 不快感も露わに、そのまま衣を翻し謁見の間を後にした。

「兄上もなかなかに頑なでいらっしゃる。時有の幽閉がこの国の守りにおいて、どれほど重要かわかっておいでのはずなのにな」

 その後姿を見やり、焔将がやれやれと扇子で肩を打つ。
 一部始終を黙って聞いていた奈生金が眉間にしわを寄せて焔将を見た。

「焔将さま、あまりお言葉が過ぎると帝の不興を買いますよ」
「わかっておる。しかし兄上も狭量よな。婚約者殿に逃げられたのはいたし方のないこと。鈴と時有が想いあっていることは誰もが知っておったことぞ。時有が鈴を連れて逃げたと聞いても誰も驚かなかったのだからな」
「だからこそ帝にも面目がございましょうに」
「そうであるなら尚更、意にも介さぬという寛大なお心を示さればよいこと」
「焔将さま。それくらいになさいませ」

 奈生金に釘を刺され、焔将はつまらなさそうに口をつぐみ、未だ木に拘束されたままの康夜の顔を観察するようにじっと見た。

 が、すぐに興味を失ったように目を逸らす。
 
「行くぞ涼己」

 焔将も涼己を連れて謁見の間を後にした。

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