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第三章

康夜の思い

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 さきほど打たれた腕が熱を持ってじんじんと痛む。
 康夜は暗闇のなか、寝付けず寝台から身を起こした。
 
 木が意思を持った生き物のようにしなり、康夜の腕を打ちつけた瞬間を思い出し我が身を抱きしめる。
 康夜が痛がり、苦痛に顔をゆがめるのを涼しい顔で見下ろしている祥文帝の顔も浮かび、康夜はぞっとした。
 少しの顎鬚をたくわえ、美男で通るだろうが酷薄な印象の祥文帝は三〇歳だと聞いた。
 人を支配することに慣れ、今まで自分に逆らう者に接したことのない、頂点に立つものだけがもちうる尊大な態度を自然と身につけた。そんな印象を康夜は祥文帝から受けた。
 今までの康夜の人生において、出会ったことのない種類の人間だ。
 平安国に行けば、自分はもっと厚遇されると思っていた。
 奈生金は力のある血族は身分が高く、祥文帝への謁見を許される身分なのだと言った。
 それぞれの血族の屋敷内には自分の宮が与えられ、専属の侍女がつき身のまわりの世話をしてくれる。
 そんな甘言にのせられて、平安国へ足を踏み入れてみれば、待っていたのは祥文帝という圧倒的な独裁者だった。
 
 学校からの帰り道、白銀の髪をした奈生金と名乗る人物が康夜の前に現れた。
 その男を見て思い出したのは十年前、未令の父、有明が失踪する前夜のことだった。

 あの日、夜中に突然おしかけてきた有明は平安国の話をしていた。当時康夜は七歳。
 両親は康夜が起きて、大人たちの話を聞いているとは思わなかっただろう。
 けれど騒がしい物音に目を覚ました康夜は、有明が語る話に耳を澄ましていた。
 有明の語る世界は康夜にとってまるでおとぎ話の世界だった。

 平安国という国では木、火、土、金、水の力を操る血族が住んでいて、有明と康之の父、時有はもともと平安国の火の血族の人間だったが、訳あって母の鈴と共にこちらの世界に逃げてきていた。
 それが三十年前、平安国から来た男に元の国に連れ戻され、国外逃亡の罪で幽閉されているという。

「助けにいきたい」

 有明はそう言い、その間未令を頼むと言い置いて姿を消した。
 もし今その話を聞いたなら、そんな馬鹿なことがあるものかと一笑にふすかもしれない。

 けれど当時七歳だった康夜は、その話に疑問を差し挟む余地もなく、全てを信じた。

 そして子供ながらになんて心惹かれる話なんだろうとうっとりした。
 自分の祖父母は平安国という別の世界の人間で、火を操れる。
 それならもしかしたらその時有の孫である自分にも火を操れるかもしれない。
 そんな夢想をして本気で火を操れないかとコンロの火をじっと見つめたりしたものだが不思議な現象は何も起こらない。
 そのうち成長するにつれ、そんなくだらない夢を見ることはやめた。
 本気で考えていたなんて幼かったのだと、自分に苦笑した。

 でも、有明があの時行っていた白銀の男がこの奈生金だと確信したあの時、すべてが真実だったのだと理解した。

 奈生金は近々未令も平安国へ連れていくつもりだと話し、先にこちらへ来ないかと康夜を誘った。
 この話をすると、当然父は反対した。
 母はこちらの人間なので、何を訳のわからないことをと眉をしかめた。
 
 父母には反対されたが、康夜はどうしても平安国へ行ってみたかった。
 それも未令よりも先に。
 康夜は未令がこの家で肩身の狭い思いをしているのを知っていたし、時々悲しそうに康之、潤子、康夜の三人を見ることも知っていた。
 行方をくらませた有明が恋しいのだろうなとわかったし、もちろん同情はした。
 だから未令には優しく接したつもりだ。
 かわいそうな未令に優しくすることで自分に酔ってもいた。

 でもどこかで不満も残った。
 未令は頭もよかったし、運動神経も人並み以上で、中学から始めた薙刀では見る間に頭角を現した。
 その頃からなんだか未令と口を利くのも嫌になり、顔を合わせても無視するようになった。

 未令の学力なら高校は別になるだろうと心なしかほっとしていたのに、未令は同じ高校に進学した。
 嫌味かよと思った。

 自分がコンプレックスのかたまりのように思えて、未令の顔を見るのも嫌になった。

 かわりに自分の唯一の武器である可憐にも見える外見を生かして楽しむことを考えた。
 未令の知らない世界を覗き見し、たくさんの男と付き合った。
 そうやって自尊心を支えることで康夜は未令に対する劣等感を補い、なんとか均衡を保っていた。

 が、この件では未令に何も譲れない。

 今まで抑えていたものが自分でも驚くほど溢れ出した。平安国に行くのは未令ではなく自分だ。
 異世界へ行けば、未令に勝てる何かが掴めるかもしれない。
 その一心だった。


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