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番外編2
クレトには話さないで
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イアンの大きな泣き声に、一番最初に気が付いたのはロレッタだった。
「イアン? どうしたの?」
ロレッタは駆け寄ってくると優しくイアンを抱きしめた。イアンは母親にしがみついてわんわん声をあげて泣きながら、「……エステルが、エステルが…」としゃくりあげる。
「エステルさんがどうかしたの?」
「エステルが僕にうそつくんだ!」
「……あの、うそってそんなわたし…」
エステルは否定しようとしたが、その声にかぶせるようにイアンは更に大きな声で泣く。ロレッタがなだめてもイアンは、「エステルが悪いんだ! 僕にうそなんかつくからだ」と喚き、大きな泣き声にマリナもブラスも何事かとやって来た。
聴衆が増えるとイアンは更に、
「エステルがうそつくんだ。エステルはうそつきだ! お母様にここにいてほしくないから、だから僕にうそをつくんだ」
そう言いだし、ロレッタの胸に顔を埋めて泣く。
ロレッタは戸惑ったようにエステルを見、マリナとブラスまでも顔を見合わせる。
これでは完全にエステルが悪者だ。
自分はうそもついていないし、悪くもない。そうわかっているのに、子供の泣き声には破壊力と説得力がある。
何も間違ったことはしていないと思うのに、イアンを泣かせてしまった事実だけが大きくのしかかった。
子供相手に本気になって言い返した自分も愚かだった。
「……お嬢様…」
マリナがそっとエステルの側に来て、その背を押した。
「一旦お部屋に戻りましょう。イアンが落ち着いてから話をしたほうがいいと思いますので」
「でも待って、わたし本当に―――」
疑われたままこの場を去りたくはなかった。マリナとブラスにだけでも、本当のことを知ってほしかった。
口を開こうとすると、マリナが首を振った。
「大丈夫ですよ、お嬢様。このマリナ、お嬢様のことはずっとお側で見てきたのです。お嬢様がうそをついてまで小さな子供を泣かせるような方ではないこと、よっく存じております」
「―――でも、さっき……」
ブラスと顔を見合わせていた。戸惑っていた。
言葉にはできず、訴えるようにマリナを見ると、マリナは頷いた。
「あれはどのように対処したらいいかと、ブラス様と示し合わせただけですよ。決してお嬢様のことを疑ったわけではございません。―――さぁ、参りましょう」
マリナに促されるまま、まだ泣いているイアンを残しエステルはその場を後にした。
その後、エステルの気持ちが落ち着いたところで客間の一室に場を移し、マリナとブラス二人にイアンとのこれまでのやり取りを包み隠さず白状した。
「まぁ、そんなことをイアンが? いつも夜になるとお嬢様を探しておいでなので、よっぽどお嬢様のことをお気に召したのだろうと思っておりましたのに」
マリナは驚き、ブラスは渋面を作って「あの、」と遠慮がちに割って入った。
「このこと、クレト様には? お話になっておられないのですか?」
「……ええ」
子供の言っていることだ。クレトに心配をかけたくないとエステルが言うとブラスは、
「しかしエステル様。ここはクレト様からはっきりとイアンにおっしゃってもらったほうがいいのではないでしょうか。実現しない望みを抱かせ無駄なことをイアンに続けさせるよりはよいと思うのですが」
「あの、ブラスさん……。その、クレトとロレッタさんとは、以前本当にお付き合いをしていたのですか?」
クレトのことに詳しいブラスならば知っているだろう。
そう思って一番気になっていたことを聞くと、ブラスは「申し訳ございません、存じ上げません」と首を振る。
「私の知る限りではそのような事実はないと存じますが、私はこの港町にクレト様が居を構えられてからの執事なのです。ですからクレト様の帝都時代のことを全て把握しているわけではございません。ただ、ロレッタ様とは、クレト様について帝都に赴いた際、何度かお会いしたことがあるのです。というのもロレッタ様の亡くなられた旦那様とクレト様がご友人でして、その関係でクレト様はロレッタ様と親しくされていたのです。ですから生活に困ってこちらに来られたロレッタ様のことを、クレト様は無下にはできなかったのだと思います」
「……そうだったんですね」
自分の友人の妻が困っていたら、手を差し伸べるのは当然なのかもしれない。
人付き合いの経験がほとんどないエステルには、想像するしか術はないが……。
クレトはきっとただ純粋に友人を助けたいと思っているにすぎないのだろう。例えイアンにどんな思惑があろうと、クレトには関係のない話なのだ。
「あの、ブラスさん。それにマリナも。このことはやっぱりクレトには話さないでほしいの」
「しかしお嬢様」
「それはいけません、エステル様」
マリナとブラスは同時に声をあげた。
が、エステルはきっぱりと首を振った。
「わたし、自分でなんとかしてみるわ。小さな子供のすることに振り回されて何もできないなんて、クレトにそう思われたくないの」
こんなことでクレトを失いたくない。守りたいものは自分の手でしっかりとつかんでいなくてはならないのだ。
「わたし、もう一度イアンと話してみるわ。イアンは? どうしているの?」
「今はよく眠っておいでですよ。泣いてつかれたのでしょう」とブラス。
「……そう」
エステルのしようとしていることは、あの小さな子の抱く、母親に幸せになってもらいたいという大きな望みを断ち切るような残酷なことだ。自分にそんなことができるのかは正直わからない。
まだ眠っていると聞いて、ほっとする自分がいた。
「イアン? どうしたの?」
ロレッタは駆け寄ってくると優しくイアンを抱きしめた。イアンは母親にしがみついてわんわん声をあげて泣きながら、「……エステルが、エステルが…」としゃくりあげる。
「エステルさんがどうかしたの?」
「エステルが僕にうそつくんだ!」
「……あの、うそってそんなわたし…」
エステルは否定しようとしたが、その声にかぶせるようにイアンは更に大きな声で泣く。ロレッタがなだめてもイアンは、「エステルが悪いんだ! 僕にうそなんかつくからだ」と喚き、大きな泣き声にマリナもブラスも何事かとやって来た。
聴衆が増えるとイアンは更に、
「エステルがうそつくんだ。エステルはうそつきだ! お母様にここにいてほしくないから、だから僕にうそをつくんだ」
そう言いだし、ロレッタの胸に顔を埋めて泣く。
ロレッタは戸惑ったようにエステルを見、マリナとブラスまでも顔を見合わせる。
これでは完全にエステルが悪者だ。
自分はうそもついていないし、悪くもない。そうわかっているのに、子供の泣き声には破壊力と説得力がある。
何も間違ったことはしていないと思うのに、イアンを泣かせてしまった事実だけが大きくのしかかった。
子供相手に本気になって言い返した自分も愚かだった。
「……お嬢様…」
マリナがそっとエステルの側に来て、その背を押した。
「一旦お部屋に戻りましょう。イアンが落ち着いてから話をしたほうがいいと思いますので」
「でも待って、わたし本当に―――」
疑われたままこの場を去りたくはなかった。マリナとブラスにだけでも、本当のことを知ってほしかった。
口を開こうとすると、マリナが首を振った。
「大丈夫ですよ、お嬢様。このマリナ、お嬢様のことはずっとお側で見てきたのです。お嬢様がうそをついてまで小さな子供を泣かせるような方ではないこと、よっく存じております」
「―――でも、さっき……」
ブラスと顔を見合わせていた。戸惑っていた。
言葉にはできず、訴えるようにマリナを見ると、マリナは頷いた。
「あれはどのように対処したらいいかと、ブラス様と示し合わせただけですよ。決してお嬢様のことを疑ったわけではございません。―――さぁ、参りましょう」
マリナに促されるまま、まだ泣いているイアンを残しエステルはその場を後にした。
その後、エステルの気持ちが落ち着いたところで客間の一室に場を移し、マリナとブラス二人にイアンとのこれまでのやり取りを包み隠さず白状した。
「まぁ、そんなことをイアンが? いつも夜になるとお嬢様を探しておいでなので、よっぽどお嬢様のことをお気に召したのだろうと思っておりましたのに」
マリナは驚き、ブラスは渋面を作って「あの、」と遠慮がちに割って入った。
「このこと、クレト様には? お話になっておられないのですか?」
「……ええ」
子供の言っていることだ。クレトに心配をかけたくないとエステルが言うとブラスは、
「しかしエステル様。ここはクレト様からはっきりとイアンにおっしゃってもらったほうがいいのではないでしょうか。実現しない望みを抱かせ無駄なことをイアンに続けさせるよりはよいと思うのですが」
「あの、ブラスさん……。その、クレトとロレッタさんとは、以前本当にお付き合いをしていたのですか?」
クレトのことに詳しいブラスならば知っているだろう。
そう思って一番気になっていたことを聞くと、ブラスは「申し訳ございません、存じ上げません」と首を振る。
「私の知る限りではそのような事実はないと存じますが、私はこの港町にクレト様が居を構えられてからの執事なのです。ですからクレト様の帝都時代のことを全て把握しているわけではございません。ただ、ロレッタ様とは、クレト様について帝都に赴いた際、何度かお会いしたことがあるのです。というのもロレッタ様の亡くなられた旦那様とクレト様がご友人でして、その関係でクレト様はロレッタ様と親しくされていたのです。ですから生活に困ってこちらに来られたロレッタ様のことを、クレト様は無下にはできなかったのだと思います」
「……そうだったんですね」
自分の友人の妻が困っていたら、手を差し伸べるのは当然なのかもしれない。
人付き合いの経験がほとんどないエステルには、想像するしか術はないが……。
クレトはきっとただ純粋に友人を助けたいと思っているにすぎないのだろう。例えイアンにどんな思惑があろうと、クレトには関係のない話なのだ。
「あの、ブラスさん。それにマリナも。このことはやっぱりクレトには話さないでほしいの」
「しかしお嬢様」
「それはいけません、エステル様」
マリナとブラスは同時に声をあげた。
が、エステルはきっぱりと首を振った。
「わたし、自分でなんとかしてみるわ。小さな子供のすることに振り回されて何もできないなんて、クレトにそう思われたくないの」
こんなことでクレトを失いたくない。守りたいものは自分の手でしっかりとつかんでいなくてはならないのだ。
「わたし、もう一度イアンと話してみるわ。イアンは? どうしているの?」
「今はよく眠っておいでですよ。泣いてつかれたのでしょう」とブラス。
「……そう」
エステルのしようとしていることは、あの小さな子の抱く、母親に幸せになってもらいたいという大きな望みを断ち切るような残酷なことだ。自分にそんなことができるのかは正直わからない。
まだ眠っていると聞いて、ほっとする自分がいた。
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