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第四章

父との決別

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 クレトに靴を脱がせてもらい、ソファで休んでいると部屋の扉がノックされた。
 「はい」とクレトが返事を返すと、取り次ぎの小姓がやって来て来訪者のいることを告げた。

「誰だ?」

「はい。レウス王国のアルモンテ公爵様とおっしゃいました」

 飛び出した父の名に、エステルは「え……」と言葉を失った。
 父とは屋敷を出て以来一度も会っていない。そういえばベニタは父が来ているということを話していたけれど……。

 クレトは「どうする? 会うかい?」とエステルを振り返った。
 どうしようかと迷ったが、父とは一度きちんと話をしたほうがいいとも思っていた。エステルが頷くと、クレトは「通してくれ」と返し、程なく父が部屋へ現れた。

 久しぶりに見る父は少し小さくなったように見えた。鋭い眼光と威圧感はそのままに、父は先にクレトへと挨拶をした。

「お久しぶりにございます。クレト、ではなくクレト皇子殿下とお呼びしたほうがよろしいですかな?」

「一応国は出たつもりです。私の存在はあまり公にはなっておりませんので、これまで通りで構いません」

「ではクレト様とお呼びしましょう。あなたもお人が悪い。何も言わずにただの商人に扮しておられるとは。まぁまずはお祝い申し上げます。皇帝陛下の御誕生日おめでとうございます」

「ありがとうございます。レウス王国からの長旅、お疲れでしょう」

「いえいえ。疲れも飛ぶほどの驚きがありましたのでな。―――エステル、久しいな」

「は、はいっ」

 父は急にこちらに向き直るとエステルに声をかけてきた。そして「娘と二人で話をさせていただきたい」と言い、クレトの退出を求めた。

「居てほしいのならこのまま部屋に残るが」

 クレトはそう言ってくれたが、エステルは「ううん」と首を振った。

「わたしもお父様とふたりで話したいわ」

「わかった。何かあればすぐに呼んでくれ。外にいるから」

 クレトが部屋を出ていくと、父はエステルの全身を上から下まで見、脱がされた靴にも目を留めると向かいの椅子へと腰を下ろした。

 話をしたいとは思っていたけれど、いざ父を目の前にすると何を話せばいいのかわからない。まずは勘当されたとはいえ、ずっと挨拶にも訪れなかった非礼を詫びるところから始めようかと口を開きかけると、先に父が口を開いた。

「よくやった、エステル」

「え……?」

 おそらく否定的な言葉をかけられるだろうと覚悟していたエステルは思わず父の顔をじっと見返した。

「よくやったと言ったのだ」

「あの……」

 何のことを言われているのかわからない。エステルが怪訝な顔をすると父はわからんのかと腕を組んだ。

「クレト様のことだ。まさかおまえがバラカルド帝国の皇子を射止めようとはな。レウス王国の王太子妃なぞよりよほど価値がある。皇帝陛下と直に言葉を交わしておったろう。見ていたぞ。きちんと自分のことは、レウス王国のエステル・アルモンテと名乗ったのだろうな」

「あの、いえ……」

 エステルはすでに家を出た身だ。あれから一度もアルモンテを名乗ったことはない。
 そう言うと父は大喝した。

「馬鹿者が! なぜきちんとアルモンテの名を名乗らんのだ! 皇帝陛下に我が家の名を売り込む大きな機会であったというのに! 上手くいけば、レウス王国なぞの小国からバラカルド帝国中枢へとの足掛かりとなるやもしれんのだぞ。事の重大さがわかっておるのか」

 そこまで言われ、ようやくエステルは父の言わんとしていることを理解した。と同時に言いようのない不信感と怒りも湧き上がってきた。

「わたしはお父様の帝国への政界進出のためにクレトを好きになったのではありません」

「何を言っておるのだ。男女の結びつきはそのまま公の場での結びつきとなる。常識ではないか。そもそも何のためにおまえを王太子妃にしようと教育しておったと思っているのだ」

「それは、亡きお母様のご遺志だったと、お父様はおっしゃいましたよね。違うのですか?」

「あれの遺志であったのも本当だ。しかしそれ以上にアルモンテ家の家格を上げるため、王族とのつながりをより強固なものとするため、おまえを王太子妃に推したのだ。それくらい理解していると思っていたがな」

 それでは父は自身の政界への足固めの道具としてしかエステルを見ていなかったということだ。
 言われてみれば至極当然で当たり前のことだけれど、エステルにとっては亡き母の遺志を叶えるためだと思ってきた。そうでなければあの狭い屋敷に閉じこもり、極端に人との交流を避け、ただひたすら外を夢見ながら毎日の勉強に励んだりはできなかった。

「まぁとにかくよくやったなエステル。おまえが王太子妃選に落ちてからというもの、ベニタの父、グラセリ男爵がレウス王国の王宮で幅をきかせておってな。忌々しいことこの上なかった。しかしこれで一気に形勢逆転だ。私はこれから皇帝陛下におまえの父としてご挨拶に伺うとしよう。クレト様ともゆっくりと語り合いたいものだ。皇帝陛下にお前を紹介したくらいだ。ゆくゆくはおまえを娶るつもりでいるのであろう。そうなれば私は皇帝陛下の縁者だ。まさかこれほどの土産が待っていようとはな。よくやった、エステル」

 褒められても嬉しくはない。むしろ不快だ。エステルばかりではなく、クレトまでも父は利用しようとしている。
 クレトとエステルの結びつきは、政界への足掛かりだの、皇帝陛下の縁者という地位だの、そんなものとはもっとかけ離れたところにある。エステルはクレトがただの商人であろうと、もっと違う人生を歩む人であったとしても、出会えばきっと好きになっていた。エステルの思いを、父に利用されるのは嫌だ。そんな物差しではかった範疇に、エステルの思いを押し込められたくはない。

「……です…」

「ん? なんだ? ああ、そうだ一つ言い忘れていた。エステル、おまえは一度家に戻りなさい。そしてアルモンテ公爵令嬢としてクレト様のもとに嫁ぐように」

「…いやです……」

「何を言っておるのだ。これは命令だ」

「……お断りいたします」

「なんだと?」

 父の声に怒りが滲んだ。家を出た日もそうだった。父はエステルが反発すると威圧的に押さえつけ、反抗を封じ込めるのだ。けれどエステルは変わった。ただ力で押さえつけようとする力に屈しない強さを学んだ。純粋な気持ちでクレトといるために、エステルは決然と父に歯向かった。

「お断りいたしますと申し上げました。わたしはすでに勘当された身。再びアルモンテの名を名乗ることは今後一切ありません。けれどお父様、今までわたしを育てていただいてありがとうございました。そのご恩には感謝しています。つらい毎日も多かったですが、その中には確かに喜びも楽しさもありました。お父様に教えていただいたことも忘れません。どうか末永くお義母さまとお幸せにお過ごしください。では―――」

「―――待て。エステル。おまえは父を捨てると言うのか?」

「先に手をお放しになったのはお父様ですよ。エステルは独り立ちいたしました。今までありがとうございました」

 エステルは深々と父に頭を下げ、クレトの待つ外へと出て行った。







 
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