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第四章

売られたけんか

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 大広間のざわめきを貫くように突然上がった大声に、クレトとカミロ、それに後から加わったもう一人の兄と四人で談笑していたエステルはそちらへと視線を向けた。
 その先にはオラシオ殿下にエスコートされたベニタがいて驚いた。ベニタの顔は怒っているのか上気して、表情が険しい。一緒のオラシオもどこか険しい顔をしている。お互い何か言いあっていたのかもしれない。皆の視線が集まると、オラシオはぱっとベニタの手を放し、ベニタを置いて一人ですたすたとどこかへ歩いて行ってしまった。

「もう! 何なのよ一体」

 ベニタは怒ってその背に悪態をつくと、エステルの方へつかつかと歩いてきた。
 周りの賓客は一体何が始まるのかと遠巻きに見ている。自然と警戒に体が強張ると、腰に回っていたクレトの腕が大丈夫だというようにより一層エステルを引き寄せた。

 それでも思わず一歩二歩と後ずさると、クレトの二人の兄がその前に立ちはだかってくれた。

「エステル! あなたこんなところで何をしているのかしら?」

「……それは、あの…」

 ベニタの言に乗って言い返していてはこの場のせっかくの雰囲気を壊しかねない。誕生パーティーの主役はまだ登場していないのだ。揉め事を起こすべきではない。どうしたらいいのかとクレトを見上げれば、クレトは静かに首を振った。何も言わないでいい、というように。
 エステルは頷くとクレトに導かれるままその場を後にしようとした。ベニタにとっても、バラカルド帝国要人の誕生パーティーで揉め事を起こすことは重大な瑕疵となることは明らかだ。静かに引き下がろうとした。
 が―――。

「待ちなさいよ! あなた、何の権利があってこの場にいるの? 大方アルモンテ公爵に頼み込んで連れてきてもらったのでしょう? その方が新しい婿候補かしら? 汚らしい泥ネズミみたいに、こんなところにまで来て男漁りだなんてよくやるわね。恥ずかしい」

 男漁り……。とんでもない言い方にエステルはかぁっと頬に血が上った。こんな各国の賓客が揃うような場で、男漁りと罵られるなんて……。
 酷い侮辱だし、何より一緒にいるクレトに失礼な話だ。これではクレトがエステルの男漁りの餌食となったようではないか。自分のことはどう言われようと構わない。でもクレトのことを貶めるような発言は許せない。

「……ごめんなさい、クレト…」

 自分のせいでクレトにまで恥をかかせた。エステルがクレトに頭を下げると、

「ちょいお嬢さん。その言い方は酷くはないかい?」

 カミロが見かねてベニタに声をかけてくれた。

「あなた、どなた? わたしはその子と話しているのよ。関係のない方は引っ込んでらして」

 ベニタがカミロにそう言い放つやいなや、周囲の人たちがざわっとどよめいた。周りを見ると、カミロに向かってなんてことを言うんだとその目が語っている。注意深く周囲の人々の様子を観察すると、エステルたちを遠巻きに見ているのは、何もベニタが暴言を浴びせてきたからだけではないことがなんとなくだがわかった。
 この距離の取り方はそうだ。自分よりも高貴な身分の者を遠巻きに眺めるような距離の取り方だ。クレトたちを見る賓客の視線は明らかにそれだった。

 一体クレト兄弟は何者なのだろう。バラカルド帝国の宮殿で行われるパーティーにおいてさえ、このような視線を向けられる存在……。

 しかしベニタはそんな視線にさえ気が付かず、カミロに食って掛かった。

「ああ、わかった。あなたもエステルに誘われたのかしら? その後ろの方もそうなの? 本当に節操がないのね、エステル。男性なら誰でもいいのかしら。そんなことだから王太子妃選にも落ちてしまうのよ!」

 かばってくれたカミロにまでベニタは暴言を吐く。カミロはお手上げだというように両手を挙げると、

「お嬢さん、誰に向かって物を言っているのかわかっているのかい?」

「誰って、そこの落ちぶれたエステルとそのエステルに誘われた馬鹿な紳士三人でしょう?」

「ベニタ」

 エステルは我慢できず、クレトの腕を離すとベニタの前まで歩み寄った。こんな場所で売られたけんかを買うべきではない。それはよくわかっている。でもあの王太子妃選落選の場でけんかを売られてから今まで、エステルは一度もきちんとベニタに向き合ってこなかった。
 これ以上、クレトとクレトの兄二人を貶めるようなことは何も言わせない。
 毅然と立ち向かうべき時は立ち向かう。自分の逃げ腰がこんな状況を招いたのだ。
 怒りと興奮と緊張と恐怖にエステルの足はがくがくと震えた。けんかの仕方はわからない。でも声を荒げるだけがけんかではない。この場をおさめ、これから登場する誕生パーティーの主役にも迷惑をかけないよう、言いたいことは言う。

「ベニタ……」

 静かに呼びかけると、ベニタは「な、なによ」と常にないエステルの様子に声を上ずらせた。
 気持ちを静め、大きく深呼吸すると腕を離したクレトがすっと戻ってきてエステルの腰に手を回した。

「こんな奴、相手にしなくともいいんだよ? 勝手に吠えさせておけばいいんだ」

「でも……」

「私たちのことを悪く言われたのを気にしているのだろう? けれど放っておけばいい。この場がどんな場かもわきまえず、大声で喚き散らすような相手だ。君が真剣に怒るような相手でもないよ」

「なっ、何よあなた。失礼ね。エステルに騙されたくせに」

 クレトの言葉にベニタがまた怒り出す。けれどクレトは冷静だった。

「失礼なのは君の方だろう? これ以上私のパートナーに難癖をつけないでいただきたい。君はエステルが誘っただの、男漁りだのと勝手なことを言っているが、エステルを欲しかったのは私の方だ。エステルを誘ったのは私の方なんだよ。だからそもそも君の言っていることは間違っている」

「そ、そんな子のどこがいいって言うのよ! 出来レースだった王太子妃選にも落ちるような馬鹿な子なのよ!」

「だからそこが間違っていると言っているのだ。エステルが落選するよう手を回したのは私だ。エステルのせいではない。こんなことを一々君などに説明する必要もないのだがね」

 あしらうように言われて、ベニタはかっとなってクレトに掴みかかった。

「あなた! 誰に向かってそんな口をきいているのかわかっているの? わたしはレウス王国の次期王太子妃よ! 控えなさい!」

「―――やめて!」

 エステルはクレトに掴みかかったベニタの手を引きはがし、クレトを守るように両腕で彼を囲った。これ以上は我慢できない。大切なクレトに掴みかかるなんて、どうあっても許せない。
 エステルはクレトに両腕で抱きついたままベニタに振り返った。

「わたしの大事なクレトに手を出さないで!」

「エステル! 誰に向かって口をきいているの! あなたとわたしではもう身分が違うのよ! あなたは一度平民に落ちた身。王族に歯向かうって言うの!」

「そんなの関係ないわ。身分がどうとか、そんなの全然関係ない。わたしの大事な人を傷つけないで!」

 そうエステルが言い放った時。

 ―――ソルの間にいた賓客たちが一斉に低頭した。

 







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