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9 取り上げられた植物図鑑
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「―――きゃっ…」
セシリアを追って部屋を飛び出したフィオナは、廊下の曲がり角で出合い頭に向こうから来た人物とぶつかった。顔面から盛大に相手の胸に突っ込み、その反動で後ろへひっくり返りそうになる。相手はそんなフィオナの二の腕をつかむとぐいっと倒れそうになる体を支えてくれた。
「……申し訳ございません…」
ぶつかった相手はルーカス執事だった。ロングテールコートを着たルーカス執事は表情一つ変えずにフィオナの体勢を立て直すとさっと手を離し、フィオナを見下ろした。前髪で目の半分くらいが隠れている。それゆえどんな顔立ちなのかよくわからない。五十歳という話だが、顔のしわは深く、ほとんど表情が動かず、実際にはもっと高齢に見える。
「騒がしいことですね。仕事はどうしました」
「今はその、休憩中で……」
「もうすぐ旦那様が戻ってこられます。玄関できちんとお出迎えするように」
「……はい」
ルーカス執事は、前任のブライアン執事の代わりに来た執事だ。フィオナはブライアン執事の顔を知らないが、噂ではブライアン執事は何らかの不祥事を起こしたことで辞めさせられたらしい。
「フィオナ、どうかした? ―――っと、これはルーカス執事。ごきげんよう」
「ごきげんよう、セシリア。どうやら元凶はあなたのようですね。それは何ですか」
ルーカス執事は戻ってきたセシリアの手にある分厚い本に目を留めた。
「えっと、これは植物図鑑です。執事は北西の東屋に咲いている花が危険な花だとご存じでしたか?」
ルーカス執事はぎろりとセシリアを見下ろした。
「なるほど、それで親切にもベラメイド長へ報告にあがろうとしていたというわけですか」
「そうなんです。って、……あっ」
ルーカス執事はセシリアの手から植物図鑑を取り上げた。
「これは私が預かっておきます。ベラメイド長へは私か報告しておきましょう」
「―――わかりました」
セシリアは若干悔しそうな顔をしたものの、素直に引き下がった。
相手が悪いと思ったのだろう。実際、鉄仮面のように表情を変えないルーカス執事相手に、何をどう言ってもこちらの言い分は聞き入れられないに違いない。
「お二人は早く玄関ホールへ」
「「はい」」
追い立てられるように廊下を急かされた。
「あの本、高価なものだったんじゃないの?」
廊下で二人きりになったタイミングでセシリアに問うと、セシリアは、
「まぁね。知り合いに送ってもらったんだ。もう戻ってこないかもしれないね」
そう言うわりにセシリアに焦りや悲壮感はない。フィオナだったら、知り合いに借りたあんな高価な本を返せないとなるともっと焦って、どうしようと悩むところだが、セシリアは妙にどんと構えていて、それならそれで仕方がないと言いたげだ。
「セシリアって、やっぱり豪胆と言うかなんていうか、肝が座っているわよね」
見かけは華奢で儚げな雰囲気なのに、普段の言動を見ていると、いつもその中身の大胆さに驚かされる。何でもテキパキこなすくせに、メイドの仕事だけなぜか不得手。それもおかしなところだ。
「上に二人の兄貴がいるからかな。妙に男っぽいってよく言われる」
「お兄様がいらっしゃるの?」
「うん。王都から離れたところで、用心棒みたいなことしてるよ」
「腕が立つのね」
「そうだね。でもわたしだって負けてないんだよ? ほら」
セシリアは手刀で空を切る。
「まぁ、すごい」
それがどれほどのものなのかフィオナに判断はつかないが、メイド服姿で空を睨みつける姿はなかなかに勇ましい。
セシリアは居住まいを正すと、へへっと鼻の下を人差し指でなぞる。どうやら照れているらしい。かわいいとか、綺麗と言われるより、セシリアは勇ましい姿を褒められる方が好きなようだ。
「やっぱりさっきの本、あとでルーカス執事に頼んで返してもらいましょうよ」
「あー、うん。そうだね。そうするよ」
セシリアはフィオナの提案に生返事をし、再び手刀を繰り出す。
「ねぇ、セシリアはどうして前の執事の方が辞めたか知ってる?」
セシリアがメイドとしてこの屋敷に来たのはフィオナと同じだが、何か他の者から話を聞いていないだろうかと思った。
噂では不祥事を起こしたそうだが、その内容は誰に聞いてもわからないと言うのだ。
セシリアは、周りをキョロキョロ見回し、近くに人がいないことを確かめると声を潜めた。
「不祥事なんて、起こしてないんだよ。なーんにもしてない。ただね、前任のブライアンが一身上の都合で辞めたいって言ったら、辞めさせられたんだってさ。変なプライドだよね。相手から辞めたいって言われることは不名誉なことで、こっちから辞めさせたっていう体が欲しかったみたいだよ。それで憶測が憶測を呼んで、いつの間にかブライアンは不祥事を起こして辞めさせられたっていうことになった」
「まぁ…」
誰に聞いても不祥事の中身がわからないはずだ。
しかし貴族というのは、そんなことにまでプライドを発揮しなくてはならないのだろうか。だとすれば面倒な生き物だ。
セシリアを追って部屋を飛び出したフィオナは、廊下の曲がり角で出合い頭に向こうから来た人物とぶつかった。顔面から盛大に相手の胸に突っ込み、その反動で後ろへひっくり返りそうになる。相手はそんなフィオナの二の腕をつかむとぐいっと倒れそうになる体を支えてくれた。
「……申し訳ございません…」
ぶつかった相手はルーカス執事だった。ロングテールコートを着たルーカス執事は表情一つ変えずにフィオナの体勢を立て直すとさっと手を離し、フィオナを見下ろした。前髪で目の半分くらいが隠れている。それゆえどんな顔立ちなのかよくわからない。五十歳という話だが、顔のしわは深く、ほとんど表情が動かず、実際にはもっと高齢に見える。
「騒がしいことですね。仕事はどうしました」
「今はその、休憩中で……」
「もうすぐ旦那様が戻ってこられます。玄関できちんとお出迎えするように」
「……はい」
ルーカス執事は、前任のブライアン執事の代わりに来た執事だ。フィオナはブライアン執事の顔を知らないが、噂ではブライアン執事は何らかの不祥事を起こしたことで辞めさせられたらしい。
「フィオナ、どうかした? ―――っと、これはルーカス執事。ごきげんよう」
「ごきげんよう、セシリア。どうやら元凶はあなたのようですね。それは何ですか」
ルーカス執事は戻ってきたセシリアの手にある分厚い本に目を留めた。
「えっと、これは植物図鑑です。執事は北西の東屋に咲いている花が危険な花だとご存じでしたか?」
ルーカス執事はぎろりとセシリアを見下ろした。
「なるほど、それで親切にもベラメイド長へ報告にあがろうとしていたというわけですか」
「そうなんです。って、……あっ」
ルーカス執事はセシリアの手から植物図鑑を取り上げた。
「これは私が預かっておきます。ベラメイド長へは私か報告しておきましょう」
「―――わかりました」
セシリアは若干悔しそうな顔をしたものの、素直に引き下がった。
相手が悪いと思ったのだろう。実際、鉄仮面のように表情を変えないルーカス執事相手に、何をどう言ってもこちらの言い分は聞き入れられないに違いない。
「お二人は早く玄関ホールへ」
「「はい」」
追い立てられるように廊下を急かされた。
「あの本、高価なものだったんじゃないの?」
廊下で二人きりになったタイミングでセシリアに問うと、セシリアは、
「まぁね。知り合いに送ってもらったんだ。もう戻ってこないかもしれないね」
そう言うわりにセシリアに焦りや悲壮感はない。フィオナだったら、知り合いに借りたあんな高価な本を返せないとなるともっと焦って、どうしようと悩むところだが、セシリアは妙にどんと構えていて、それならそれで仕方がないと言いたげだ。
「セシリアって、やっぱり豪胆と言うかなんていうか、肝が座っているわよね」
見かけは華奢で儚げな雰囲気なのに、普段の言動を見ていると、いつもその中身の大胆さに驚かされる。何でもテキパキこなすくせに、メイドの仕事だけなぜか不得手。それもおかしなところだ。
「上に二人の兄貴がいるからかな。妙に男っぽいってよく言われる」
「お兄様がいらっしゃるの?」
「うん。王都から離れたところで、用心棒みたいなことしてるよ」
「腕が立つのね」
「そうだね。でもわたしだって負けてないんだよ? ほら」
セシリアは手刀で空を切る。
「まぁ、すごい」
それがどれほどのものなのかフィオナに判断はつかないが、メイド服姿で空を睨みつける姿はなかなかに勇ましい。
セシリアは居住まいを正すと、へへっと鼻の下を人差し指でなぞる。どうやら照れているらしい。かわいいとか、綺麗と言われるより、セシリアは勇ましい姿を褒められる方が好きなようだ。
「やっぱりさっきの本、あとでルーカス執事に頼んで返してもらいましょうよ」
「あー、うん。そうだね。そうするよ」
セシリアはフィオナの提案に生返事をし、再び手刀を繰り出す。
「ねぇ、セシリアはどうして前の執事の方が辞めたか知ってる?」
セシリアがメイドとしてこの屋敷に来たのはフィオナと同じだが、何か他の者から話を聞いていないだろうかと思った。
噂では不祥事を起こしたそうだが、その内容は誰に聞いてもわからないと言うのだ。
セシリアは、周りをキョロキョロ見回し、近くに人がいないことを確かめると声を潜めた。
「不祥事なんて、起こしてないんだよ。なーんにもしてない。ただね、前任のブライアンが一身上の都合で辞めたいって言ったら、辞めさせられたんだってさ。変なプライドだよね。相手から辞めたいって言われることは不名誉なことで、こっちから辞めさせたっていう体が欲しかったみたいだよ。それで憶測が憶測を呼んで、いつの間にかブライアンは不祥事を起こして辞めさせられたっていうことになった」
「まぁ…」
誰に聞いても不祥事の中身がわからないはずだ。
しかし貴族というのは、そんなことにまでプライドを発揮しなくてはならないのだろうか。だとすれば面倒な生き物だ。
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