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Part2
Б.д では、さよならの前に - 04(セシルの歴史教室:メニュー)
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ちょっとここで、歴史のおさらいなど?
~*~ セシルの歴史教室:メニュー ~*~
メニューって、レストランなどで使われているあれですね。Menuです。
今では、食事処などでは、メニューは当然のものとして扱われていますが、では、一体、いつ誰がメニューなんて発明したんですか?
紀元前879年に遡り、古代メソポタミタ地方新アッシリア帝国、アッシュル・ナツィルパル2世(Ashurnasirpal II)は、歴史に残るほどの巨大なパーティーを開きました。
アッシュル・ナツィルパル2世は、活気が戻った現在のニムルド(イラク北部ニーナワー県)に宮殿を建て、何千にも及ぶ親しい友人達などでお祝いをしたそうです。
色々な地方からのゲストを呼び、パーティーのお祝いは、十日近くも続いたそうです。
アッシュル・ナツィルパル2世は、その時の宴会の詳細を、記念石碑に書き写させたそうです。
その石碑には出席者の数と共に、出された食事の品も書き残されていました。
その巨大な記念石碑が、所謂、世界最古の現存するメニューの始まりとなります。
さすがに、現代のレストランで、4トンにも及ぶ巨大記念石碑など、メニューとしては出せませんね。
現代のメニューに近いものが最初に登場したと言われているのは、1100年頃中国、宋朝の時代。开封市(繁体字:開封市、Kaifeng)や杭州辺りで、現代に近いレストランが登場してきます。
今までは、宿屋などと一緒にある食事処で、その日に作られた食事が出され、それを食べていたお客でしたが、その時に、お客に品物を選ばせるという方法が登場しました。
その時のメニューの品数はかなりのものらしく、宿屋やお茶屋、ヌードルショップ、またはレストランなどで出された品名は、600品近くもあるとか!
すごいですねえ。
まあ、その時代の宋朝では、メニュー(もどき)の他に、テーブルサービスで料理をテーブルまで運んでくる方法や、歌を歌うウェイター、そして、レーティング(評価)もやっていたそうな。
現代のようなスターで5つ星とかではなく、お店の前に赤い旗を飾り、お店の質を宣伝していたそうです。
例えば、旗が一つはお店で限定品を売っていること。テーブルで座れる場所とメニューがある場合、旗が二つなどなど。
レストランなどで“素晴らしい料理”と言えば、フランス料理などが上がってきますが、近世のフランスでは1700年代後半になるまでは、レストランのような立派な食事処はありませんでした。
そういった素晴らしい料理が出されるのは、個人の邸や貴族の晩餐会だけですからね。一般庶民などは、宿屋の居酒屋などで、共同のテーブルで、共同の食事を取っていたんです。
それでも、“メニュー(Manu)”という単語はフランス語が起源です。
ラテン語の“minutas”から来ていて、意味は“small(小さなもの)”、“detailed(詳細)”です。
ですから、詳細でリストとして記載されている情報は、大抵“メニュー”と考えられていました。
1900年代初めになり、フランスでもレストランの台頭で、 “メニュー” が新たな意味を持つようになるんですね。
1830年頃、Delmonico’sというレストランが、ニューヨーク市初、メニューからの品物をオーダーできるという施設が登場です。
今では、レストランなどで子供用メニューは普通となっていますが、19世紀から20世紀初頭では、子供はレストランで歓迎されていませんでした。
もし、子供がレストランなどで食事をする場合、もちろん、大人と一緒の品物を食べなければなりません。
それを考えると、現代の子供は、随分、環境がいいですよね。
1920年、アメリカでは禁酒法により、レストランの稼ぎがグッと落ちてしまいます。レストラン側も生き残りに必死ですからね。
それで、今までは相手にされなかった子供用のメニューが登場です。
ですが、当時の子供メニューは、オーブンで焼いたラム肉、茹でたライスの上に鶏肉を削いで乗せるとか、かなり質素と言うか、簡素なメニューが出されていました。
その当時では、そういったシンプルと言うか、簡素な料理が子供の成長に良いと考えられていたからですね。うーん……、あんまり魅力的じゃなくて、別に、子供用のメニューがなくても良かったかも。
今では、フライドポテトやら、チキンナゲットなど、子供が好きそうなメニューが出てきますよね。
そう言った子供用のメニューに変わるのは、更に数十年後。
1970~80年代では、メニューには “ブラインド・メニュー(Blind Menu)” というプライスなしのメニューと、“女性用メニュー(Women’s menu、または、Lady’s menu)”という二つがありました。
後者は、男性が女性を連れてきた場合、女性用のメニューにはプライス(価格)が書かれていないのが特徴です。
まあ、支払いは男性が持つという習慣から、女性用のメニューはプライスを抜き取っていたんですね。
それで、女性が金額を気にせず、気軽に食事をオーダーできるように、だとか。
1980年、Kathleen Bickという女性が、ビジネスパートナーを西ハリウッドのレストラン、L'Orangerie、に連れて行きました。
ですが、その時、Kathleen はプライスレス(価格無し)のメニューを渡され、男性側の方は、プライス(価格)が乗っているメニューを出されたそうです。
それは女性に対する差別だと、弁護士を雇いレストラン側を告訴したんですね。
レストラン側の言い分では、それは女性への礼儀(例えば、女性が入場してきた時に男性が起立するという習慣)と一緒だということで、女性に対する差別でないという、最終的な判決にはいたりましたが。
それから、“女性用メニュー”というものなくなりはじめたのですが、それでも、2010年にもなって、イギリスロンドンのあるレストランでは、未だに“女性用メニュー”があったそうです。
男性が女性同伴でテーブルを予約した場合には、“女性用メニュー”。でも、女性が女性と一緒にレストランを予約した場合にのみ、“女性用メニュー”は出さず、プライス(価格)が記載された普通のメニューを出していたそうです。
この時世、そういった女性差別も、いい加減やめて欲しいですよね。
全然、“レディーファースト”やら、“女性への礼儀”――なんて思えませんけどねえ。
メニュー表のデザインというのは、人間心理に多く作用するそうです。
例えば、値段だけの金額を表示し、プライス(価格、値段)の“$”サインや、“円”などの通貨を表示しないだけで、約8%近くの売り上げが上がるというような統計も出ているんです。
本当かな?
他の例題では、一番上にものすごい高価な品物を並べ、その下に普通(よりちょっと高めの金額)の品物を載せるとか。
こうすることによって、最初の値段を見たショックから、他の品物が安く感じられるというような心理作用です。
レストランなどでは、大抵、メニューに載っていない“シークレット・メニュー”というようなものがあるらしいのですが、そんな品を見つけるのも楽しそうですよね。
そんなこんなで、ちょっと歴史雑談でした。
~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~
~*~ セシルの歴史教室:メニュー ~*~
メニューって、レストランなどで使われているあれですね。Menuです。
今では、食事処などでは、メニューは当然のものとして扱われていますが、では、一体、いつ誰がメニューなんて発明したんですか?
紀元前879年に遡り、古代メソポタミタ地方新アッシリア帝国、アッシュル・ナツィルパル2世(Ashurnasirpal II)は、歴史に残るほどの巨大なパーティーを開きました。
アッシュル・ナツィルパル2世は、活気が戻った現在のニムルド(イラク北部ニーナワー県)に宮殿を建て、何千にも及ぶ親しい友人達などでお祝いをしたそうです。
色々な地方からのゲストを呼び、パーティーのお祝いは、十日近くも続いたそうです。
アッシュル・ナツィルパル2世は、その時の宴会の詳細を、記念石碑に書き写させたそうです。
その石碑には出席者の数と共に、出された食事の品も書き残されていました。
その巨大な記念石碑が、所謂、世界最古の現存するメニューの始まりとなります。
さすがに、現代のレストランで、4トンにも及ぶ巨大記念石碑など、メニューとしては出せませんね。
現代のメニューに近いものが最初に登場したと言われているのは、1100年頃中国、宋朝の時代。开封市(繁体字:開封市、Kaifeng)や杭州辺りで、現代に近いレストランが登場してきます。
今までは、宿屋などと一緒にある食事処で、その日に作られた食事が出され、それを食べていたお客でしたが、その時に、お客に品物を選ばせるという方法が登場しました。
その時のメニューの品数はかなりのものらしく、宿屋やお茶屋、ヌードルショップ、またはレストランなどで出された品名は、600品近くもあるとか!
すごいですねえ。
まあ、その時代の宋朝では、メニュー(もどき)の他に、テーブルサービスで料理をテーブルまで運んでくる方法や、歌を歌うウェイター、そして、レーティング(評価)もやっていたそうな。
現代のようなスターで5つ星とかではなく、お店の前に赤い旗を飾り、お店の質を宣伝していたそうです。
例えば、旗が一つはお店で限定品を売っていること。テーブルで座れる場所とメニューがある場合、旗が二つなどなど。
レストランなどで“素晴らしい料理”と言えば、フランス料理などが上がってきますが、近世のフランスでは1700年代後半になるまでは、レストランのような立派な食事処はありませんでした。
そういった素晴らしい料理が出されるのは、個人の邸や貴族の晩餐会だけですからね。一般庶民などは、宿屋の居酒屋などで、共同のテーブルで、共同の食事を取っていたんです。
それでも、“メニュー(Manu)”という単語はフランス語が起源です。
ラテン語の“minutas”から来ていて、意味は“small(小さなもの)”、“detailed(詳細)”です。
ですから、詳細でリストとして記載されている情報は、大抵“メニュー”と考えられていました。
1900年代初めになり、フランスでもレストランの台頭で、 “メニュー” が新たな意味を持つようになるんですね。
1830年頃、Delmonico’sというレストランが、ニューヨーク市初、メニューからの品物をオーダーできるという施設が登場です。
今では、レストランなどで子供用メニューは普通となっていますが、19世紀から20世紀初頭では、子供はレストランで歓迎されていませんでした。
もし、子供がレストランなどで食事をする場合、もちろん、大人と一緒の品物を食べなければなりません。
それを考えると、現代の子供は、随分、環境がいいですよね。
1920年、アメリカでは禁酒法により、レストランの稼ぎがグッと落ちてしまいます。レストラン側も生き残りに必死ですからね。
それで、今までは相手にされなかった子供用のメニューが登場です。
ですが、当時の子供メニューは、オーブンで焼いたラム肉、茹でたライスの上に鶏肉を削いで乗せるとか、かなり質素と言うか、簡素なメニューが出されていました。
その当時では、そういったシンプルと言うか、簡素な料理が子供の成長に良いと考えられていたからですね。うーん……、あんまり魅力的じゃなくて、別に、子供用のメニューがなくても良かったかも。
今では、フライドポテトやら、チキンナゲットなど、子供が好きそうなメニューが出てきますよね。
そう言った子供用のメニューに変わるのは、更に数十年後。
1970~80年代では、メニューには “ブラインド・メニュー(Blind Menu)” というプライスなしのメニューと、“女性用メニュー(Women’s menu、または、Lady’s menu)”という二つがありました。
後者は、男性が女性を連れてきた場合、女性用のメニューにはプライス(価格)が書かれていないのが特徴です。
まあ、支払いは男性が持つという習慣から、女性用のメニューはプライスを抜き取っていたんですね。
それで、女性が金額を気にせず、気軽に食事をオーダーできるように、だとか。
1980年、Kathleen Bickという女性が、ビジネスパートナーを西ハリウッドのレストラン、L'Orangerie、に連れて行きました。
ですが、その時、Kathleen はプライスレス(価格無し)のメニューを渡され、男性側の方は、プライス(価格)が乗っているメニューを出されたそうです。
それは女性に対する差別だと、弁護士を雇いレストラン側を告訴したんですね。
レストラン側の言い分では、それは女性への礼儀(例えば、女性が入場してきた時に男性が起立するという習慣)と一緒だということで、女性に対する差別でないという、最終的な判決にはいたりましたが。
それから、“女性用メニュー”というものなくなりはじめたのですが、それでも、2010年にもなって、イギリスロンドンのあるレストランでは、未だに“女性用メニュー”があったそうです。
男性が女性同伴でテーブルを予約した場合には、“女性用メニュー”。でも、女性が女性と一緒にレストランを予約した場合にのみ、“女性用メニュー”は出さず、プライス(価格)が記載された普通のメニューを出していたそうです。
この時世、そういった女性差別も、いい加減やめて欲しいですよね。
全然、“レディーファースト”やら、“女性への礼儀”――なんて思えませんけどねえ。
メニュー表のデザインというのは、人間心理に多く作用するそうです。
例えば、値段だけの金額を表示し、プライス(価格、値段)の“$”サインや、“円”などの通貨を表示しないだけで、約8%近くの売り上げが上がるというような統計も出ているんです。
本当かな?
他の例題では、一番上にものすごい高価な品物を並べ、その下に普通(よりちょっと高めの金額)の品物を載せるとか。
こうすることによって、最初の値段を見たショックから、他の品物が安く感じられるというような心理作用です。
レストランなどでは、大抵、メニューに載っていない“シークレット・メニュー”というようなものがあるらしいのですが、そんな品を見つけるのも楽しそうですよね。
そんなこんなで、ちょっと歴史雑談でした。
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