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第3章 第5日目

レカの能力

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 雨の中を、エイギ王国宰相家の家紋を付けた大きく立派な馬車が走り抜けていく。
 中には、レカとレカのスーツケースだけでなく、その対面にはイナギがちゃっかり乗っていた。

 ヴィーの部屋を出てから、ほぼ30分後、レカは大きなレインコートを被りながら、寄宿舎の玄関前で待っていた。
 なんども引っ越しをしてきたレカは、自分の荷物量を把握しているし、旅支度も慣れている。
 これでも準備するのは早い方だと思っていたのだが、数分も待たないうちに、大きな黒塗りの馬車が寄宿舎前にやって来た時にはビックリした。
 なぜなら、その扉を押し開けて、出て来たのは、満面の笑みのイナギで、その足元には、しっかりとスーツケースが準備されていたからだ。

「待たせてごめんね!さぁ乗って!」

 イナギはまず、レカのスーツケースを受け取ってから、レカに手を伸ばす。そしてその手に引かれて、レカは馬車に飛び乗った。

「本来なら、足台を置いて、うやうやしくエスコートしたいところなんだけど、雨なのと、少しでも早く現場に着きたいのとで、ちょっと手荒い乗り方させちゃった。ごめんね。」

 イナギは少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
 イナギの座っている座面の反対側に、レカはそっと腰を下ろす。

「ううん。格式ばった乗り方だと、緊張しちゃうから、ありがたかったよ。」

 レカはニッコリと笑いながら答える。それから周りを見回し、少し濡れてしまったレインコートを脱いで、座面の下に押し込んだ。
 
 とても広い空間で、2人だけしか乗っていないなんて、もったいないように感じる。
 外の雨を全く感じさせない、しっかりした作りと、安定した走り。

「こんな立派な馬車…初めて乗ったよ…。」

 レカは目を白黒させながらイナギに言った。

「そうだよね。これ、最近買った馬車なんだって。スプリングの効きが良くて、長時間乗ってても、酔いづらい仕様で、父さんが、辺境の地を視察に行く時のために購入したらしいんだ。
 実際、これから行く場所も辺境の地と言って良いような場所だから、この馬車なら最適だと思うよ。」

 イナギは何ともないように言っているが、そんな馬車をイナギの指示で使えてしまうことが、すごいとレカは思う。

「そんな素敵な馬車を、今回使わせてくれてありがとう。…でも、まさか長男も乗ってるとは思わなかったわ。」

 レカが肩をすくめながら言うと、イナギは身を乗り出して言い返す。

「いやいやいや!そんな辺境の地に、レカを1人だけで行かせるわけにはいかないでしょ。何が起こるかわからないんだし!」

 イナギはたしかにレカを心配してくれているのだろうが、旅や移動にも慣れ、たいていの食べ物ならば食べられるし、泥の上でも眠れるレカが、困る出来事などそうそう無いように思える。

「…私のために、ついてきてくれたんだね。ありがとう。」

 一応お礼は伝えたが、あまり頼りにするつもりはなかった。
 もともと、レカはなんでも1人でできるのだ。

 レカのお礼に、イナギは嬉しそうな顔をして、座面に座り直した。

 その後、イナギから、ヴィーに聞いた現場の話や所在地などを詳しく聞くと、レカはスーツケースから1枚の薄手の毛布を取り出した。
 そして、それを被ると長靴を脱いでから、座面で横になる。
 身長が155センチのレカは、膝を少し曲げれば、足までしっかり座面に乗せられる。

「この後は、体力勝負になりそうだから、長男も少し休んでね。」

 そう言い残して、レカは眠りにつく。

「えっ!?」

 これから、現地に着くまでの3時間あまり、お喋りしたり、オヤツを食べたりして楽しく過ごそうと思っていたイナギは拍子抜けしてしまう。

 しかし、目を閉じて、無防備なレカを見せてもらえることも、なんとなく嬉しくもあった。

(体力勝負か。そうだな。)

 1人で納得したイナギも、その場で横になる。
 もちろん、レカの顔が真ん前にくる位置に陣取ったのは言うまでもない。

 さすがにレカのように足を上げて寝ることはできないが、横になって目を閉じるだけで、なんとなく疲れが取れる気がした。
 馬車の揺れも、ちょうど心地よく感じる。

 ヴィンス先生の家から、猫を抱えながら走って帰った実家では、自分が動きやすい服に着替えている間に、何もかも準備してもらっていた。
 もちろん、猫のケアも万全だ。
 しかし、自分で荷造りしていないから、何がどこに入っているのかわからない。

 もしかしたら、枕になるようなもの入っているのかもしれないが…探そうと身体を起こそうとするより先に、ウトウトと、眠りの世界に入って行ってしまった。



  ※※※

「……っちゃん、坊ちゃん!」

 昔からサイファル家に仕えてくれている御者のトマスが、大きな声でイナギを呼び起こす。

「…………。」

 ここはどこだろう、と思いながら、眠りにつく前のことを少しずつ思い出す。

 ハッとして、目の前を見ると、眠る前と同じ姿勢で、毛布にくるまっているレカがいた。

「着いたのか?」

 トマスに向かって問いかけると、トマスが真剣な目をしてイナギを見つめる。

「はい。着きました。とは言え、現場はもう少し行ったところかと。馬車で入れるのはここまでだそうです。」

 イナギは、トマスの後ろに見える薄暗闇を見つめる。陽がおちる前、ギリギリといったところか。
 雨はだいぶ弱まってはいるものの、止んではおらず、体の半分を外に出しているトマスのコートが、降ってくる雨を弾いていた。

「ありがとう。先に宿で休んでいて下さい。」

 イナギはトマスにそう言うと、トマスは頭を下げてから扉を閉めて行った。
 イナギは、レカの方を向くと、名前を呼んで起こし始める。

「レカ、レカ!着いたよ。起きておくれ。」

 言いながら、肩を揺する。

 レカの身体は、思ったよりずっとふにゃふにゃしており、掴んでいる薄っぺらい肩は、力を強く入れると折れそうだ。

(…柔らかいなぁ…)

 なんてことを、思っていると、レカの目がうっすら開いた。
 トマスとイナギの話し声で起きなかったところをみると、レカはかなりぐっすりと眠っていたようだ。

「……?」

 目をうっすら開けて、周りを見回しているレカは、寝惚けていることがよくわかって、とても可愛らしい。
 イナギはそんなレカをじーっと観察していた。

 と、何もかもを思い出した瞬間、レカはパッと起き上がると、手早く毛布を畳み、スーツケースの中にストンと入れる。スーツケースから顔を上げたレカは、もう全く寝惚けの無いレカで、イナギの方を向くと一言言った。

「さ、行くよ!」

 レカはイナギの返事も待たずに、ドアを開けると、しとしとと降る雨に気付いたようだ。座面の下に丸めてあったレインコートを取り出し、チャチャっと身につけると、外に飛び降りた。

 あ、コレ置いてかれる。

 そう悟ったイナギも、急いで掛けてあったレインコートを取るとバサっと被り、レカに続いて飛び降りた。


 2人とも長靴を履いていたが、ぬかるむ泥の中を進むのは、骨が折れる。
 馬車が入れないだけあって、道はぬかるみ、木々も乱雑に生えている。
 少し先に、ランプがたくさん集まっているような灯りがうっすらと見える。
 レカはそこに向かって歩いていた。

 少し先を歩いていたレカに、イナギは大きな歩幅ですぐ追いつくと、抜き去ってから振り返る。

「僕が、ずっとそばに張り付いてるから、レカのやりたいようにやって良いよ。もしもサイファルの名前が必要な時は使っても良いしね。」

 『ヴィンス先生の弟子』ってだけでも、それなりの力はあるだろうが、エイギ王国での『サイファル』の力は大きい。

「…ありがと。」

 レカはイナギの顔を見上げて微笑んだ。


 そうしてあとは無言のまま、15分くらい歩いただろうか。
 イナギの歩くスピードが少し速くて、レカは息切れしてしまったが、気持ちが焦っていたため、そのくらいのスピードがちょうど良かった。

 辺りがだいぶ暗くなり、足下が危なくなってくる頃、多くのランプに照らされている目的地に到着した。

 そこには、なんとか雨は凌げるような簡単な野営用の幕が4つほどはられており、何人かの人間がバタバタと走り回っていた。
 レカは1番近くの幕に入ってみることにする。
 
 中に入ってみると、10人ほどのずぶ濡れの人が、横たえられている。
 その周りには、医者なのか、役人なのか、よくわからないが、着替えを手伝ったり、タオルを渡したりしている。
 イナギには、エイギ語で症状を問いかける声がたくさん聞こえてくるのだが、怪我人たちが何と言っているのかは、全くわからなかった。

 そんな中、レカは素早く周りを見回すと、ここじゃない、とばかりにすぐ幕から出て行く。
 そして、隣の幕の中にも入ると、やっぱり一目見回しただけで、外に出ていく。
 レカにピッタリくっついているイナギは、その不思議な行動の理由もわからないまま、とりあえずレカの行くところに着いていく。

 3つ目の幕に入った時、レカはここだ!とばかりに、横たわる人々のところへ駆け寄った。

 この幕には、先ほどとは違って、5人の人間しかいなかった。
 しかし、今までの自分で着替えたり拭いたりしていた人たちとは違って、おとなしく横たわっている人ばかりだ。

 レカは、まず1番近くにいたエイギの医者の様相をした人に問う。

「私は通訳です。この中で、1番重傷な方はどなたですか?通訳に入ります。」

 話しかけられた人は、ハッとして、

「通訳の方ですか!ありがたい!1番重傷なのは奥の男の方です。ただ、呼びかけには反応しているので、意識はあるようです。」

 医者の話を聞くと、レカはすぐに1番奥の人のところまでいってしゃがみこんだ。

『こんにちは。私は通訳です。あなたのことを教えて下さい。首を振ることはできますか?』

 レカは流暢なウカ語で話しかける。
 レカの声に、彼は少しホッとすると、小さく頷いた。

『ありがとうございます。では、あなたに何か薬でアレルギー反応を示すようなものや何か持病はありますか?』
 
 彼はまたゆっくりと首を振る。

 レカはすぐに近くにいた医者に、

「彼にアレルギーや持病はありません。」

 と告げる。
 その言葉に、周りの医者はホッとして、用意していた注射器に、薬を入れて打つ準備をする。レカはその様子と、薬に書かれた文字を読み取ると、再び話しかける。

『これから、ウカでいうところのタリガを打ちます。痛み止めと炎症を抑える力がある薬です。』

 彼は、レカの言葉に小さく頷く。そして、何かをボソボソと喋ったので、レカは耳を寄せる。

 レカはその言葉に頷くと、『医者に伝えるので、大丈夫ですよ。』と返す。
 そして、その通りに、医者に伝える。

「彼自身にはアレルギーはないそうですが、彼の父親がタリガで湿疹が出たことがあるそうです。」

 レカの言葉に、医者が注射を打つ手を止める。

「…タリガとは?」

 レカは医者の方を向くと、

「ウカでは、こちらで使う痛み止めの成分に、フヌスリを加えています。」

 と付け足す。

 それで、医者は納得したようだ。
 どうやら、フヌスリとやらは、効果は大きいが、アレルギー反応を引き起こす人が多い薬品らしい。

 医者が用意していた注射を打ってしばらくすると、彼の眉間から力が抜けたのがわかる。
 このまま、医者が見守っていれば、めったなことはないだろう。
 アレルギーが無いことがわかったので、治療もしやすくなる。

 レカはそれを見届けてから、次の患者に移る。

 3人の患者と話した頃だった。

 突然幕の中に、大きな声で喚き散らす女性が飛び込んできたのだ。
 イナギをはじめ、他の人たちは、何と言っているのかわからないため、どうして良いかわからず、怯えた顔をしている。
 レカはすかさず近寄っていく。

『それで、そのお子さんはおいくつですか?お子さんの特徴は?』

 レカの言葉に、その女性は目を見開き、ひっ倒す勢いで飛びついてきた。
 レカの後ろに付き添っていた、イナギが咄嗟にレカを支える。

『私の子は、私の子は…まだ、3歳なの。髪を2つに縛って、赤いゴムをつけているわ!』

 レカはそれを聞くと、

『…私が見た幕にはいなかったから、たぶんこっちよ!』

 と言うと、女性の手を掴み、幕の外に出て行く。

『たぶん、あなたの娘さんは、厳しい状態にあると思う。覚悟はしていて。』

 レカは厳しい言葉を言った。
 女性は、ただでさえ青い顔を、更に青ざめさせる。
 そして、最後の幕の前に来た時に、レカは女性の方を振り返ってから、目を見て言った。

『周りの医者たちは、一生懸命治療しているはず。だから、さっきみたいに喚き散らしたりしないって約束して。医者たちの気持ちを逸らさないで!』

 レカの言葉に、女性は、ハッとする。
 そして、目に涙を浮かべながら、しっかりと頷いた。
 それを見たレカも、頷き返すと、そっと幕の中に入っていった。



 






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