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ダウンヒル
しおりを挟む桑古山の頂上に立った。のぼってきた坂を見下ろす。木と木の間にくねくねと続く細い道が見える。ふもとには田んぼが広がる。田植え前の水が空を映す。でっかい鏡だ。
この坂を五分で降りられればリョウに勝てる。俺とオリはそう計算した。リョウの自転車はマウンテンバイク。速い。いとこのお下がりだと言ってた。
俺たちのはあちこちガタがきた少年用自転車。だけど、この坂を五分で降りられれば少年用でも勝てる。それが俺たちの結論だ。下級生に負け続けるのはくやしい。
この坂を練習場所に選んだのは、三輪山の林道より急カーブが多いからだ。ほかは、傾斜も距離も道幅もほとんど同じだ。舗装してないから車も滅多に通らない。
「まずは馴らしだな」
「そうだな」
「時計は?」
「持ってきた」
オリはポケットから小さい目覚まし時計と電池を出した。針を十二時に合わせて電池を入れればストップウォッチ代わりになる。オリはいろんなことを考えつく。
「先行くぞ」
俺は地面を蹴った。馴らしだからまずはゆっくり立ちこぎだ。緑のトンネルに向かって少しずつ加速する。新緑の葉っぱがきれいだ。
最初はゆるいカーブが続く急斜面。できるだけ平らなところを選んで走る。三輪山の林道は中盤がちょうどこんな感じだ。
スピードが上がる。どれだけブレーキを我慢できるかが勝負だ。道のでこぼこを拾ってハンドルがガタガタ震える。しっかり押さえてないと派手に転ぶかコースアウトだ。
急斜面を抜けると道は沢沿いに細かいジグザグになる。路面もしまって走りやすい。右に左に体をスイングして駆け下りる。気持ちがいい。うしろを振り向く。五メートル位うしろでオリが片手を上げる。
そして最後の連続カーブ。大回りの急なカーブが五つ、六つ続く。ライン取りとブレーキの使い方がポイントだ。だいたいの感じはつかんだ。ここをこなせるようになればリョウに勝てる。
最後のカーブを抜けてふもとの農道に出た。ザッとうしろのタイヤをすべらせて自転車を止める。最近できるようになった技だ。ザザッと音を立ててオリがとなりに止まった。
「どんくらいかかった?」
「今ので七分チョイ」
オリが時計を出して言った。
「あと二分か」
「つめるのはけっこうキツイな」
オリは俺とちがって適当なことは言わない。だからその通りなんだろう。頂上に戻るときも口笛を吹く俺の横でカーブの曲がり具合や路面の様子をたしかめていた。
二本目はオリが先に出た。
急斜面。木漏れ日の縞がオリの背中を走る。はじめ、オリはブレーキのタイミングをわざとずらしていた。遅すぎてカーブから飛び出しそうになったりする。何してんだあいつ――そう思っていた俺が何も考えてないだけだった。
オリはそうしながら、坂と自転車と自分にちょうどいいポイントを見極めていた。いくつかカーブをすぎたあたりから、俺はオリについて行けなくなった。
森が切れて川沿いのジグザグに出た。俺は遅れを取り戻そうとペダルをこいだ。
あれ?
差が縮まらない。
本気なのか、あいつ?
俺はケツを上げて思い切りペダルに力を入れた。
だが、ぜんぜん縮まらない――やっぱり本気なんだ、あいつ。
俺だってもうわかっていた。いくらがんばってもオリには勝てない。オリもそれがわかってるから俺たちの前ではあまり本気を出さない。
去年くらいまでは、よくそれでぶつかっていた。ていうか、俺が食いついていた。
「本気でやれよ、オリ」
「やってるよ」
「うそつくな」
「うそじゃないって」
「オリ」俺は腕組みをする。
「わかったよ」
そして俺たちは負ける。でも、それでよかった。手加減されて五分五分より、ボロ負けしても本気を出されるほうがいい。それが友だちってもんだ。俺はそう思っていた。
勉強もスポーツも見た目も性格も何一つかなわないけど、悪ふざけなら俺とヒロのほうが断然上だ。逃げ足はカズにかなわない。頑固さなら俺は誰にも負けない。
俺たちはそうやって、やってきた。でも、六年になるころからオリは本気を出してるフリをするようになった。どこがどうっていうんじゃないけど、オリが俺たちから遠くなっていく。いっしょに遊んではいるけど、何かがちがってきていた。
だから、じりじりと離れていくオリの背中を見て俺はうれしくてたまらなくなった。
「いいぞオリ、それだよオリ」
行け、行けと呪文をとなえていると急にオリが減速した。
ヤベエ、ぶつかる!
俺は思い切りブレーキをにぎった。とたんにバランスが崩れて前輪がふらついた。
転ぶ!
手前でなんとか持ちこたえた。背中を冷や汗が流れる。
俺がこんなことになってるなんて気づかずに、オリは最初の左カーブに突っ込んで行った。内側ぎりぎりを攻める。道端の花が一斉に揺れる。流れるように次のカーブにアタックする。俺は必死でくらいつく。
四つ目のカーブを越えた。残り二つ。道のデコボコでハンドルが激しく上下する。チェーンがガシャンガシャン音を立てる。もうブレーキなんて効かないスピードだ。
「恐くねえのかよ、オリ」
聞こえるはずのない背中に問いかけた。
「そうだよな。俺だって、恐くなんかねえ」
最後のカーブが迫る。オリがブレーキをかけた。俺は――まだだ、まだ行ける。
オリがまたぐっと近づく。手が届くところにいる。よし、ブレーキ!
ギギッと音がしてオリが視界から消えた。
前輪が何かにぶつかって体が宙に浮いた。
スローモーションでハンドルが目の前を通りすぎる。
草むらと地面と右手が現れた。
俺の顔はたぶん笑ったままだ。
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