56 / 65
6
しおりを挟む僕と目が合うと、大きな体が急速に萎んでいく。
「カナン……戻ってきてくれたの?」
「うん。もちろん」
すっかり人間の姿に戻った彼に、クレアが呆れ顔で声をかけた。
「お前、いまカナンの匂い嗅いで探そうとしてただろ。恥も外聞もなく」
ユージーンはそっぽを向いて答えなかったけど、違うとも言わなかった。
まあいいや、と腰に手を当てたクレアは、微笑を浮かべて話を続けた。
「カナン様にはだいたいの事情は伝えといたからさ。別にいいだろ? あんた、口下手だし」
「……ああ。ありがとう」
ユージーンが明後日の方を向いたまま答えると、クレアもそっけなく「ん」と頷いて、そのまま屋敷の中に戻って行ってしまった。
二人きりになって、気まずくなる前にユージーンが口を開く。
「さっきの人たちには、帰ってもらったから」
「うん……」
「あのオメガが僕の運命の番だとか、子供ができたとか、あんなのは全部デタラメだ。子供は一応鑑定に回してみるけど、経験上、まず間違いなく僕の子ではない。彼らを引き取るなんてこともない」
ユージーンは自信のある口ぶりだった。でも、その顔がすぐに緩み、整った眉が下がった。
「不安にさせてごめん」
「ううん……大丈夫だよ。突然だったから驚いたし、領主様がいてびっくりしたけど」
ユージーンは頷いて、声のトーンを落とした。
「あの男から事情は聞いたよ。あまりにむごいことをしたね。……すまなかった。一昨日、あいつの管轄内の娼館から連絡があって……君と番う前に、先代から継いだ負の遺産を清算しておきたかったんだ」
青緑の瞳が、すっと冷え込む。
「僕は奴隷館なんて場所も、そこで私腹を肥やす貴族も嫌いだよ。
……あんな奴は……いずれ、必ず罪を償わせる。あのオメガみたいに、つまらない嘘をついてまで脱出したがるダチュラという国を、変える。
僕はそのつもりであの領主と会ったんだけど――その前にカナンには全て話しておくべきだったね」
僕は小さく首を横に振って、彼の手に自分の手を添える。
「簡単に話せることじゃないよ。あんなこと、ユージーンの意思じゃなかったのに」
「どんな理由があっても、事実は事実だ」
あまり感情の機微がない顔で、ユージーンは世間話のように言う。
「僕は、怖かったんだ。カナンは僕に清い体を抱かせてくれたのに、僕はそんな君を薄汚い手で穢した」
なのに、その声は今までにないくらい弱々しかった。
「そのことが君に知られたとき……汚らわしい、と、拒絶されたら……もう、生きていられないと……」
「ユージーン」
「君に嫌われたら、って思うと」
明日の天気でも語るような表情で、涙を流していた。
たまらずその顔を包み込んで、伝う雫を指でぬぐう。
「僕には、君に捧げられるものは何も残っていなかった。この体は何千本の汚い手に触られて、奪われて、中も外もとっくにからっぽなんだ」
「ユージーン」
正面から抱きついて、その背中に腕を回す。
「カナン……?」
「僕は、あなたに与えられてばかりだ」
僕より何回りも大きいはずの体が、吹けば飛びそうなほど軽い気がした。風で飛ばされないように、自分の両腕をユージーンの胴にしっかり巻きつけて、もやい綱にした。
「命を与えられて、自由をもらった。数えられないくらいの愛情を注いでもらった」
挙げてみれば、どうして今まで自分が迷っていたのか分からなくなった。
この人以上に愛せるアルファが、この先自分の前に現れるはずがない。
「ユージーンは、綺麗だよ。僕はユージーンのことが大好きだ」
僕の顔の高さにある肩がぴくりと跳ねた。そして、背中が温かい掌に包まれる。
「二度とオメガを……誰かを抱くつもりはなかったんだ」
ユージーンは静かに言って、僕の背をさする。
「なのに、カナンを見つけた瞬間すべてが吹き飛んだ。川で君を抱き締めた瞬間、繋がりたいと思ったんだ」
「ユージーン」
「水は冷たいのに、胸は温かくて……ちっとも寒くなかった。初めて、運命も捨てたものじゃないって思えたんだ」
見つめ合って、視線が絡む。
「過去は変えられないけど。これからの僕は、君だけをずっと愛し続けるよ。だから、カナンも、僕を愛してくれる……?」
「うん」
僕は笑って、迷いなく答えた。
「僕も、ユージーンだけを愛し続ける。そのために……僕と、番になってくれませんか?」
「もちろん」
ユージーンの温度はいつも不思議だ。
冷たいのに、芯の部分は熱くて、あたたかい。氷と火が一緒にあるようだ。
僕たちはついばむように唇を重ねてから、しばらく黙って抱き合っていた。
36
お気に入りに追加
3,132
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

子を成せ
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
ミーシェは兄から告げられた言葉に思わず耳を疑った。
「リストにある全員と子を成すか、二年以内にリーファスの子を産むか選べ」
リストに並ぶ番号は全部で十八もあり、その下には追加される可能性がある名前が続いている。これは孕み腹として生きろという命令を下されたに等しかった。もう一つの話だって、譲歩しているわけではない。
元ベータ後天性オメガ
桜 晴樹
BL
懲りずにオメガバースです。
ベータだった主人公がある日を境にオメガになってしまう。
主人公(受)
17歳男子高校生。黒髪平凡顔。身長170cm。
ベータからオメガに。後天性の性(バース)転換。
藤宮春樹(ふじみやはるき)
友人兼ライバル(攻)
金髪イケメン身長182cm
ベータを偽っているアルファ
名前決まりました(1月26日)
決まるまではナナシくん‥。
大上礼央(おおかみれお)
名前の由来、狼とライオン(レオ)から‥
⭐︎コメント受付中
前作の"番なんて要らない"は、編集作業につき、更新停滞中です。
宜しければ其方も読んで頂ければ喜びます。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

番に囲われ逃げられない
ネコフク
BL
高校の入学と同時に入寮した部屋へ一歩踏み出したら目の前に笑顔の綺麗な同室人がいてあれよあれよという間にベッドへ押し倒され即挿入!俺Ωなのに同室人で学校の理事長の息子である颯人と一緒にα寮で生活する事に。「ヒートが来たら噛むから」と宣言され有言実行され番に。そんなヤベェ奴に捕まったΩとヤベェαのちょっとしたお話。
結局現状を受け入れている受けとどこまでも囲い込もうとする攻めです。オメガバース。

見ぃつけた。
茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは…
他サイトにも公開しています

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる