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◇
翌日。
朝はゆっくり起きて、日中にユージーンと市場をぷらぷら歩いてみた後、いよいよ舞踏会に向かった。
開場は午後六時からになっている。
その前に宿で正装に着替えて、夕闇が支配しはじめた街を歩いて横長の白い建物に入った。
「おしゃれしたカナンも可愛いね」
「そ、そうかな? なんか衣装だけ立派で……浮いちゃってる気がするんだけど」
僕はユージーンの見立てで薄い紫のスーツを着ている。胸元の黄色いリボンが印象的だ。下は茶色の革ブーツを合わせてある。
「たしかに浮いてるね」
「えっ!?」
「こんなに可愛い子、他にいないから」
こ、この人は本当に……!
心臓をバクバクさせながらその顔をそっと覗き見る。
ユージーンは格式ばった黒いタキシードを身に着けていた。
亜麻色の髪は後ろで一つに束ねられ、ブルーのリボンで結われている。体のラインが嫌味なくすらりと伸びて、その場にいるだけで華があった。
「リベラ辺境伯、お久しぶりですわね」
「これはどうも。スペンサー夫人」
会場に入るなりユージーンはたちまち女の人に囲まれて、あちこちから手を差し出されている。すごい人気だ。
だけどユージーンの対応は事務的で、相手に「相変わらずお美しいですわ」とか「今度ぜひうちにいらして」とか熱心に言われても、お世辞のひとつも返さずにあいまいに答えるだけだった。
「おお、リベラ公がいらしていたのか! これは珍しい!」
「ご無沙汰しておりました、伯爵」
ユージーンのモテっぷりは女性にとどまらない。若い男性や口ひげが豊かなおじさままでが取り囲み始めて、あっという間にここが主役になった。
もみくちゃにされて溺れかけている僕の横で、ユージーンは涼しい顔をしている。
「リベラ辺境伯、いつかうちの屋敷で読書会をしようと言っただろう、あれはいつ来られるんだね? 娘が君を心待ちにしているんだよ!」
「今は仕事が立て込んでいますから、いずれ」
ユージーンの答えはそっけないものばかりだったが、少し口元を緩めるだけで相手のおじさんは唇を尖らせて「君はつれないなぁ」とあっさり諦める。
しかも、けっして嫌な気分にはなっていなそうだ。
――これが社交術……!
目の前で繰り広げられる鮮やかな応酬に感銘を受けるのだった。
僕がやったら大バッシングだろうから真似できないけど。
「そちらの彼は?」
「えっ」
完全に置物になったつもりでいたので、顎髭がくるんくるんしたおじさんに声をかけられて飛び跳ねた。
「リベラ公、君に連れがいるなんて珍しいじゃないか。ずいぶん可愛らしい人だね」
困った。
社交マナーなんて全然知らない。
男性の声で他の人たちも僕に気づいて、「まあまあ」とにじり寄ってくる。
「こ、こんにちは」
ぎこちなく挨拶して会釈すると、みんな生温かい笑顔で受け入れてくれた。
「今日が社交界デビューなんだね? お若いものな、いいじゃないか」
「あらあら、赤くなっちゃって。うぶで可愛らしいわ」
う……もてあそばれてる……!
くすくす笑う貴族さまたちに囲まれて、照れるばかりだった。
奴隷館で僕を品定めしていた連中とは違って、全然視線に悪意がないから嫌じゃないけど、緊張してしまう。
「どれ、君ももっと輪の中心に来ないかね」
口ひげ伯爵がニコニコ笑いながら、僕の腕を掴もうとした。
「この子は、僕の個人的な知り合いなんです」
見かねたユージーンが助け船を出してくれた。僕とおじさんの間に入って、やんわりと手を遠ざけてくれる。
僕の肩を抱き寄せながら、ユージーンは薄い笑顔で周りに緩やかな圧をかけた。
「色々なものを見せたくてあちこち連れ回しているのですが、本格的に社交界に入れるつもりはないので。あまりいじめないであげてくださいね」
ユージーンが少し微笑を浮かべると、周りの人はみんな一瞬ぽかんとした。
それから、
「辺境伯のそんなお顔、初めて見ましたわ」
「リベラ公が誰かを丁寧に扱うところなんて見たことがないぞ」
輪の中が少しざわつく。リベラ邸でも見たような光景だ……。
「カナン、騒がしくてすまない。適当にそのへんを見てきていいよ」
「は、はい。ありがとうございます」
ユージーンが耳元に唇を寄せて、そっと囁く。お言葉に甘えて、僕は慣れない場から退散することにした。
――貴族さまってすごいなあ……。
あまり遠くに行くと心配をかけてしまうかもしれないから、ユージーンの姿が見える範囲で会場内をうろついてみる。
コンサートや式典にも使えそうな広いホールにたくさんの食事が並べられ、それらを囲みながらきらびやかな人たちが談笑している。会場の照明は明るく、あちこちキラキラしていた。
料理は自分で取り分ける形式らしいから、僕も見よう見まねで適当にお皿に取りながらなんとなく辺りを見渡した。
ユージーンの話では、ピアノが流れ始めたらダンスのはじまりらしい。
それまでぼーっとしておこう、と壁に凭れて、取り分けたお皿のごはんを食べていると――。
ちょうど視線が入口に留まった。
扉は開け放されたままで、そこから招待客が入ってくる。部屋の外で控えている係員に受付を済ませてもらって、中に通してもらう仕組みだ。
パラパラとやってくる客たちの中で、新しく二人組がやってきた。
一人は背が高く、真っ黒な軍服を着た銀髪の男の人で。
その隣に立っているもう一人の男性は、彼よりだいぶ若かった。
その二人組に目が留まった。
正確に言えば、そのうちの片方が。
「え……?」
食べ終わって空になっていた皿が、赤い絨毯の上に落ちる。それを近くのボーイが慌てて拾ってくれたのにも反応できず、その人を食い入るように見つめた。
強面の軍人の隣で、紺青のかっちりした軍服を纏った青年。
――短い黒髪に、研ぎ澄まされたナイフのような横顔。
なにより、あの黒い右目と水色の左目は……。
「北斗?」
呟いた瞬間、向こうもこっちを見た。
翌日。
朝はゆっくり起きて、日中にユージーンと市場をぷらぷら歩いてみた後、いよいよ舞踏会に向かった。
開場は午後六時からになっている。
その前に宿で正装に着替えて、夕闇が支配しはじめた街を歩いて横長の白い建物に入った。
「おしゃれしたカナンも可愛いね」
「そ、そうかな? なんか衣装だけ立派で……浮いちゃってる気がするんだけど」
僕はユージーンの見立てで薄い紫のスーツを着ている。胸元の黄色いリボンが印象的だ。下は茶色の革ブーツを合わせてある。
「たしかに浮いてるね」
「えっ!?」
「こんなに可愛い子、他にいないから」
こ、この人は本当に……!
心臓をバクバクさせながらその顔をそっと覗き見る。
ユージーンは格式ばった黒いタキシードを身に着けていた。
亜麻色の髪は後ろで一つに束ねられ、ブルーのリボンで結われている。体のラインが嫌味なくすらりと伸びて、その場にいるだけで華があった。
「リベラ辺境伯、お久しぶりですわね」
「これはどうも。スペンサー夫人」
会場に入るなりユージーンはたちまち女の人に囲まれて、あちこちから手を差し出されている。すごい人気だ。
だけどユージーンの対応は事務的で、相手に「相変わらずお美しいですわ」とか「今度ぜひうちにいらして」とか熱心に言われても、お世辞のひとつも返さずにあいまいに答えるだけだった。
「おお、リベラ公がいらしていたのか! これは珍しい!」
「ご無沙汰しておりました、伯爵」
ユージーンのモテっぷりは女性にとどまらない。若い男性や口ひげが豊かなおじさままでが取り囲み始めて、あっという間にここが主役になった。
もみくちゃにされて溺れかけている僕の横で、ユージーンは涼しい顔をしている。
「リベラ辺境伯、いつかうちの屋敷で読書会をしようと言っただろう、あれはいつ来られるんだね? 娘が君を心待ちにしているんだよ!」
「今は仕事が立て込んでいますから、いずれ」
ユージーンの答えはそっけないものばかりだったが、少し口元を緩めるだけで相手のおじさんは唇を尖らせて「君はつれないなぁ」とあっさり諦める。
しかも、けっして嫌な気分にはなっていなそうだ。
――これが社交術……!
目の前で繰り広げられる鮮やかな応酬に感銘を受けるのだった。
僕がやったら大バッシングだろうから真似できないけど。
「そちらの彼は?」
「えっ」
完全に置物になったつもりでいたので、顎髭がくるんくるんしたおじさんに声をかけられて飛び跳ねた。
「リベラ公、君に連れがいるなんて珍しいじゃないか。ずいぶん可愛らしい人だね」
困った。
社交マナーなんて全然知らない。
男性の声で他の人たちも僕に気づいて、「まあまあ」とにじり寄ってくる。
「こ、こんにちは」
ぎこちなく挨拶して会釈すると、みんな生温かい笑顔で受け入れてくれた。
「今日が社交界デビューなんだね? お若いものな、いいじゃないか」
「あらあら、赤くなっちゃって。うぶで可愛らしいわ」
う……もてあそばれてる……!
くすくす笑う貴族さまたちに囲まれて、照れるばかりだった。
奴隷館で僕を品定めしていた連中とは違って、全然視線に悪意がないから嫌じゃないけど、緊張してしまう。
「どれ、君ももっと輪の中心に来ないかね」
口ひげ伯爵がニコニコ笑いながら、僕の腕を掴もうとした。
「この子は、僕の個人的な知り合いなんです」
見かねたユージーンが助け船を出してくれた。僕とおじさんの間に入って、やんわりと手を遠ざけてくれる。
僕の肩を抱き寄せながら、ユージーンは薄い笑顔で周りに緩やかな圧をかけた。
「色々なものを見せたくてあちこち連れ回しているのですが、本格的に社交界に入れるつもりはないので。あまりいじめないであげてくださいね」
ユージーンが少し微笑を浮かべると、周りの人はみんな一瞬ぽかんとした。
それから、
「辺境伯のそんなお顔、初めて見ましたわ」
「リベラ公が誰かを丁寧に扱うところなんて見たことがないぞ」
輪の中が少しざわつく。リベラ邸でも見たような光景だ……。
「カナン、騒がしくてすまない。適当にそのへんを見てきていいよ」
「は、はい。ありがとうございます」
ユージーンが耳元に唇を寄せて、そっと囁く。お言葉に甘えて、僕は慣れない場から退散することにした。
――貴族さまってすごいなあ……。
あまり遠くに行くと心配をかけてしまうかもしれないから、ユージーンの姿が見える範囲で会場内をうろついてみる。
コンサートや式典にも使えそうな広いホールにたくさんの食事が並べられ、それらを囲みながらきらびやかな人たちが談笑している。会場の照明は明るく、あちこちキラキラしていた。
料理は自分で取り分ける形式らしいから、僕も見よう見まねで適当にお皿に取りながらなんとなく辺りを見渡した。
ユージーンの話では、ピアノが流れ始めたらダンスのはじまりらしい。
それまでぼーっとしておこう、と壁に凭れて、取り分けたお皿のごはんを食べていると――。
ちょうど視線が入口に留まった。
扉は開け放されたままで、そこから招待客が入ってくる。部屋の外で控えている係員に受付を済ませてもらって、中に通してもらう仕組みだ。
パラパラとやってくる客たちの中で、新しく二人組がやってきた。
一人は背が高く、真っ黒な軍服を着た銀髪の男の人で。
その隣に立っているもう一人の男性は、彼よりだいぶ若かった。
その二人組に目が留まった。
正確に言えば、そのうちの片方が。
「え……?」
食べ終わって空になっていた皿が、赤い絨毯の上に落ちる。それを近くのボーイが慌てて拾ってくれたのにも反応できず、その人を食い入るように見つめた。
強面の軍人の隣で、紺青のかっちりした軍服を纏った青年。
――短い黒髪に、研ぎ澄まされたナイフのような横顔。
なにより、あの黒い右目と水色の左目は……。
「北斗?」
呟いた瞬間、向こうもこっちを見た。
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