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秀と渦洛
しおりを挟む「では秀殿、以上の旨宜しく御願い致しますね」
私は知っている。その柔らかな口調が己の冷酷さを偽る為だということを。穏やかに湛えた微笑は敵意を隠す為だということを。
私は知っているのだ、この男ーー胤我楼渦洛の遥か昔の姿を。私利私欲の為に疎ましき者を女子供関係なく殺めてきた残虐非道なその様を。かつて私はこの男の覇道に邪魔な存在だったが故に殺されたのだ、腹に宿した子もろともに。
「秀殿はその人形をとても大事にされていらっしゃるのですね」
私の腕の中で眠る人形ーー菊子に伸びた渦洛の手を袖で跳ね除けると、渦洛は目を丸くしていた。穢らわしい手で菊子に触るな。お前に菊子を愛でる権利など与えない。こいつの知らぬ顔で心の聖域を踏み荒すところ、相変わらず胸糞悪い。
「相変わらず覚えてないふりが上手いのね」
「覚えていないふり…ですか?」
渦洛は身に覚えがない、といったすっとぼけた顔で私を見つめた。
「覚えていようがいまいが、私はお前を許さない」
それを聞いた渦洛が瞬きする直前、瞳の奥深くに混沌とした闇を潜ませた。この男が目の奥にそれを宿した時、場は瞬時に凍てつき時を止める。そしてそこにいる者を暗澹とした靄に包み、畏怖の念を抱かせ黙らせる。恐ろしい男だ。
「心当たりがないのですが…申し訳ございません」
自分より位の低い私に、奴は堂々と頭を下げ自ら凍てつく空気を溶かす。腰の低さを演出しているのが透けて見えて不愉快甚だしい。私が気付いていると知りながら知らぬ顔を貫き通す。聡明で全く抜かりなし。決して足元を掬われないようにと、この男は己以外誰も信用していない。
「構わないわ、時が来ればお前をこの手にかけるだけだから。用が済んだら帰って。お前がここにいるだけで気分が悪くなる」
渦洛は眉を八の字に下げ、憂いを含ませた顔で出ていった。渦洛の廊下を擦る音が遠退き消えたのを確認し、私は部屋のありとあらゆる襖と戸を勢いよく開けた。ピシャリという音が屋敷中に何度も響くと、侍女が慌てて駆けてきた。
「秀様!?お部屋の襖を全て開けるなら私めに命じていただければやりまするのに」
そう言ってまだ閉まっていた襖に手をかけようとした侍女に塩を持ってくるように伝えると、察した侍女は躊躇いながらも頷いた。
部屋中に陽の光が差し込み、篭っていたあいつの香りが風に流れて消えていく。やっと淀みが晴れていった。なんと清々しいのだろう。
私は菊子をそっと床に置き、刀掛台から大刀を手に取った。重厚な装飾の施された鞘から現れた鈍色の刃は、天に翳すと光を浴びて美しく輝きを増した。
「ねえ菊子。この刀が最も美しくなるところ、見せてあげるからね」
菊子が微笑んだ気がした。
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