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第三章「都落ち侍のゆとりぐらし」

第二話「モリソン号事件」

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 突然町奉行所に捕縛された夢野は、南町奉行所の一室で取り調べを受けていた。町方に捕まるのはもう三度目である。慣れたものであり、どこに連れていかれるのか分かっていた。

 いや、こんな事に慣れたくないのであるが。

「あの、何が拙かったんですか?」

 夢野の住まいや職業などを聴取している吟味与力に対し、夢野は自分から聞いてしまった。この吟味与力は確か浅川という男で、これまでも夢野への取り調べを担当していた。そういう事情であるので、今更氏素性を調書に取られるのはまどろしくってしょうがない。

「お調べには素直に答えて協力しますから、早いとこ本題に入ってくれませんか? これまでだって反抗的じゃなかったのはよっくご存じでしょう?」

「確かにそうだな。罪状は、お前が書いた本が御政道を批判している疑いである」

「それは何となく予想がついていましたが、一体どこなんですか? これまで二回も捕まってましたから、気をつけて書いたんですが」

 夢野がこれまで二回作品内容が不適切と言う事で捕縛されている。

 一回目の「異世界転生侍」は、次々と主人公が旅をして行く先々で女に惚れられていく展開が、大勢の側室をかかえていた将軍家を揶揄しているという疑いであった。

 もちろん、単なる言いがかりである。

 二回目の「当世妖怪捕物帳」は、妖怪の血を引く主人公が、妖怪の仲間を引き連れながら悪の妖怪を退治するという筋立てであったが、妖怪を題材にしている事自体が、妖怪という悪名を立てられている南町奉行鳥居耀蔵を批判しているという疑いであった。

 どう考えても単なる言いがかりである。

 であるが、言いがかりであってもそれを通してしまうのが権力の怖さである。一介の戯作者である夢野としてはそれに従うより他に無い。だから新作の「都落ち侍のゆとりぐらし」は相当注意を払って執筆したのである。

「それはな、先ずは主人公の設定、これがいかん」

「え? 何でですか?」

 主人公の又五郎は上司の策謀により左遷された侍である。だが、左遷先で文句ひとつ言わず職務に励み、民のために力を尽くしている。

 実は夢野としては上司に意趣返しをする「ざまあ展開」を考えたりしたのだが、それが幕政批判だと取られる可能性を考慮して止めておいたのである。それにも関わらず、設定が駄目とはどうした事か。

「能力のある者が左遷されるとは、お上に見る目が無かったという事ではないか。これは立派な幕政批判である。……とまあそんなところだ」

「ははあ、そうきましたか。でもそれだと、学問吟味とかで身分が低いけど能力がある者を登用する政策と矛盾しませんか? だって、能力があるものは漏らさず高い地位に就いているはずなんですから」

「ははは」

 浅川も自分の言っていることが正しいとは信じ切っていないのだろう。夢野の反論を笑ってごまかそうとしている。こんな理由で裁かれようとしている夢野にとってはははでは済まないのだが、ここで喧嘩腰になっても仕方がない。大人の対応をすることにした。

「あと加えて言えば、作中で異国船がやって来て、遭難した日本人を帰しに来ただろう? それが一番問題視されている」

「ええっ? 貿易したいとか言って来た異国船を、日本人の漂流者だけを受け取って上手く言いくるめて追い返した話なんですけど、何が問題なんですか?」

「お前な、モリソン号事件を知らんのか?」

「一応知ってますよ。何年か前に浦賀に来航したモリソン号とかいう異国船が、砲撃で打ち払われた事件でしょう? それが何か?」

「実は、そのモリソン号には、日本人の漂流民が乗っていたのだ」

 モリソン号事件は、天保八年に発生した事件である。アメリカの商船であるモリソン号が浦賀に来航し、それを異国船打払令に基づいて砲撃したのである。江戸の近郊の事件であり、ここまでは江戸の町人達も知るところである。

 だが、この事件には続きがある。次の年、オランダからの情報により彼らは日本に貿易を求めに来たのでも、侵略しに来たのでもなく、親切に漂流民を届けてくれただけと判明したのだ。そして、その情報が一部で漏れ、この事件への対応を批判する声が出たのである。

 鎖国が定法なのかもしれないが、流石にこれは仁義にもとる行為である。そんな事は砲撃の政策を打ち出した幕閣とてそう思わざるを得ない。そしてそういう気持ちだからこそ、批判されると苛烈な対処をしてしまうのだ。

「批判した者には厳しい罰が下った。田原藩家老の渡辺崋山は蟄居を命じられ、結局自害して果てた。蘭学者の高野長英は、永牢を申し付けられ未だに小伝馬町にいる」

「あ、そういえば、その高野長英って人、確かに小伝馬町にいましたね。前に捕まった時小伝馬町の牢屋に入れられた時に会いました。話してみると頭は良いし面白い事を言うけど、なんか偉そうなおっさんでしたけど」

「そう、お前らが知り合っているのは、こちらも把握している。だからこそ、その時に高野長英にいらぬ事を吹き込まれ、それを本にしたのではと疑っているのだ」

 夢野は驚愕した。いつの間にか話が大きくなっている。確かに夢野は高野長英と面識があるが、それ程親しく話したわけではないし、モリソン号事件の真相までは教えられていない。なので、今日の今日まで漂流民がどうとかの話は知らなかったのである。「都落ち侍のゆとりぐらし」に似た様な事件を書いたのは、全くのぐうぜんである。モリソン号事件の裏を知っているのは、幕閣を除けばごく一部の者に限られるだろう。批判して処分された者達は、家老だったり蘭学者だったりの特別な伝手で真相を知ったのであり、一介の戯作者に過ぎない夢野には関りの無い話である。

「本当に、全く関係の無い話です。偶然ですよ」

「本当だな?」

 浅川は念を押す様にして夢野の目をじっと見た。暫くそうしていると、浅川がふと息をついた。どうやら信じてくれたらしい。

「まあ良かろう。調書にはお前の証言としてそのまま記述するとしよう。逃亡もしないだろうから、もう帰ってもよいぞ。沙汰はおってあるだろう。そして……」

 帰り支度をする夢野に、浅川はこう付け加えた。

「お奉行様が会いたいとの事だ。名誉な事である。帰る前に寄るがいい」
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