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第三章「都落ち侍のゆとりぐらし」

第一話「またまた捕縛」

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 猪鹿又五郎はとある辺境の代官である。

 又五郎は元は旗本として千代田城内で働いていたのだが、とある事件で上司に睨まれ、辺鄙な土地に左遷されてしまったのである。

 だがそれにめげる又五郎ではなかった。

 又五郎は博覧強記である。儒学のみならず、蘭学兵学、算学、農学等幅広い知識を持っていた。赴任した土地は貧しく、領民はその日も飯にも事欠く有様であったが、農地や農具を改良し、商品作物を奨励した。その結果数年で周囲が羨む豊かな領地になったのである。

 また、赴任地まで同伴した妻もまた傑物であった。夫の又五郎を支え、書類の整理を手伝い、領民たちとよく交流してその心を掴み、気付いた様々な事柄を夕食の際に報告したのである。又五郎はこの情報を元に更なる政策に取り組み、問題を解決していったのである。

 更には又五郎の活躍はそれに留まらなかった。

 又五郎の知恵を頼って、全国からその力を借りようと多数の者が押しかけて来たのである。領地の運営や学問に関する疑問点、加えて殺人事件やお家騒動、外国船の来航など様々な事件を解決したのであった。

 だが、それは表向きには又五郎は関わらっていない事になっている。

 何故なら、又五郎を左遷した上司は未だに幕府の要人として威勢を誇っている。それを憚って、又五郎の活躍は表では語られる事は無い。

 それでも又五郎は満足している。彼は別に自分の名声を高めるためや、金のために事件を解決しているのではない。人々の笑顔のためである。それに、今更名声を得たとして、それで江戸に呼び戻されたりしては、窮屈な暮らしに逆戻りである。

 又五郎にとっては、辺境ではあるが今のゆとりある暮らしを妻と共に送るのが何よりの幸せなのであった。






「いや~、夢野先生の『都落ち侍のゆとりぐらし』の売れ行きが好調で好調で、もう笑いが止まりませんよ。はっはっはっ」

「そうだろう、そうだろう。この、今を時めく戯作者の夢野枕辺ゆめのまくらべの本が、売れないわけがないだろう」

 本やら書きかけの紙片やらが散らばる狭い長屋の一室で、二人の男が笑い声をあげながら酒をあおっていた。また、彼らと車座になって、一人の女も座っている。

 片方の男は戯作者の夢野枕辺と言い、もう一方の男は大手版元の虚屋うつろやという。

 そして紅一点の女は、絵師の綾女あやめ――画号を猫柳梅ねこやなぎうめである。夢野の書く読本は、常に彼女が挿絵を描いている。

 彼らが言う通り、夢野が書いた読本「都落ち侍のゆとりぐらし」は売れに売れている。その祝勝会と続きの執筆の調整のためにこうして夢野の長屋に集まっているのであった。

「それにしても、こう言ってはなんですが、夢野先生のこれまでの作品に比べると少々地味でしたが、これほどまでに受けるとは思いませんでしたよ」

「ふっ、確かに地味かもしれないが、仕事で上司に評価されなかった主人公が、別の場所で力を発揮するっていうのに、みんな共感したんだろう。誰もが自分が正当な評価を受けていると感じている訳じゃないだろうしな」

 虚屋が言う通り、夢野がこれまでに書いた作品は大八車にひかれて死んだ侍が異世界に転生して活躍したり、妖怪の血を引く耽美な青年が妖怪を退治するなど奇抜で派手な設定が受けていた。それに比べたら、元々うだつが上がらない主人公が左遷先でのんびり暮らしながら時折活躍するというのは、少々地味である。

 だが夢野が言う通り、この作品は主人公の立場を一般人に寄せる事により、共感を得るのが狙いであった。それが成功したと言えよう。

「いや、主人公の又五郎、すっごく学問が優秀じゃん。こんなの活躍して当然じゃないさ。そもそも、又五郎の能力を使いこなせなかった上司が馬鹿過ぎるんじゃない? あ、それも狙いなのね」

「ああ、その通りだよ、綾女」

「仕事の話をする時は、猫柳梅だって言ってるでしょ」

「ああそうだっけ? どうせすぐに画号変えるんだろうに」

 綾女は画号をころころ変える。正直付き合いが深い夢野にも覚えきれない程だ。なので夢野としては昔から馴染みのある本名で呼んでしまうのだが、綾女には拘りがある様だ。

 何にせよ、夢野はこれまで二回作品を絶版にされるという憂き目を見ている。財産没収まではされていないので生活に困窮している訳ではないが、牢に入れられたりしていた期間は無収入であった。こうして、新たに書いた作品が売れるのは喜ばしい事だ。

「でも、大丈夫かしら。前もこうやって祝杯をあげている時に、町方が踏み込んで来たんじゃなかったけ?」

「大丈夫大丈夫、前は将軍家を揶揄しているとか、町奉行を揶揄しているとか言いがかりをつけられたけど、今回はそういう内容じゃないだろ? 主人公は愛妻家で妾もなければ岡場所にも行かないし、妖怪だって出て来ない。それに幕府の役人として堅実に仕事をしているんだから、お上御墨付の推薦読本にしてもらっても良いくらいだぜ」

「それもそうね。心配し過ぎだったかしら」

 安心したところで、三人は改めて祝杯を上げようとした。

 その時だ。

「我等は南町奉行所である。『都落ち侍のゆとりぐらし』を書いたのは貴様らであるな? 虚屋、夢野枕辺、猫柳梅、神妙にお縄につけい!」

 長屋の戸を勢いよく開けて飛び込んできたのは、町奉行所の同心達であった。同心はこれまで二回夢野達を捕縛した鍵崎という男である。またまた彼が夢野達を捕らえに来たのであった。

「は、はは~」

 夢野達は思わずその場に平伏し、大人しく縛についたのであった。

 平伏しながらも夢野は心の中で毒づいた。「またかよ」と。
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