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第二章「当世妖怪捕物帳」
第十話「呪詛の依頼者」
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教光院は暗殺教団ではなく、単なる呪詛をしている邪教であったことを確認した夢野の綾女は、近くの茶店に戻って一夜明かした。夕方から夜半まで交代で監視していたので二人とも眠気が頭に充満しており、茶店の主である老婆が来るまでぐっすりと眠っていた。
「あんたらもう起きな、もうニワトリが鳴いてるよ。まったくこんな頃まで寝てるなんて、夕べはそんなにお楽しみ……あれま、違うみたいだね」
途中までやり手婆の様な表情をしていた老婆であったが、どうやらそれは下衆の勘繰り出会った事に気付いた様で疑問の表情を浮かべた。人間長生きをしていると、ある程度男女の雰囲気に察しがつくものである。
「すみませんね。ちょっと遅くまで交代で起きていましたので、寝不足でして」
「あれま、教光院を監視するって本当だったんかい」
昨日夢野と綾女の会話では監視がどうだとかの言葉が出ていたのを老婆は聞いていたが、まさか本当に監視していたなどとは夢にも思っていなかったのである。
「もちろんですよ。まあ疑いは解けましたけどね」
夢野が教光院に関心を持ったのは、暗殺教団という情報を聞いたからである。害のない呪詛をしているだけなら別にそれに対して何かしようという気にはならない。単なる淫祀邪教なら、お上に隠れて好きにやってくれて構わないと思っている。いやもちろん、本来はその様な邪教など御法度であるのだが、それはお上が取り締まれば良い事である。夢野がわざわざ首を突っ込む様な必要は無い。
「何だか知らないけど、解決したんなら良かったね」
茶店の老婆は商売っ気の強い人物だが、本質的には気の良い様だ。夜更かしに労いの言葉をかけてくれると、団子と茶を用意してくれた。これから江戸に戻らねばならない二人にとってここで腹ごしらえ出来るのはありがたい事だ。二人は礼を言うと素直に朝食をとった。
もちろん銭は払うのであるが。
朝食を食い終えた二人は、老婆に礼を言うと茶店を後にして江戸の長屋に戻ることにした。
戻る道の途中には教光院がある。帰り道を歩きながら二人は人騒がせな呪詛をしていた教光院の方を見やった。すると、ちょうどその時中から数人の武士が姿を現した。
「もしかして……」
「しっ」
早朝に教光院から出てきたと言う事は、この武士達は昨晩の呪詛を願いに来た者達に違いない。その呪詛の内容は、時の権力者である老中水野忠邦の死を願うものである。夢野達は物理的な影響の無い呪詛など、どうでも良いものだと思っているが、幕府はそう思っていない。徳川の世のみならず、それ以前からずっと呪詛は禁制であり、それが発覚した場合処罰の対象と成り得た。
つまり、今教光院から出て来た武士達を、夢野達が訴えればたちまち手が後ろに回るのである。逆に言えば、夢野達が昨晩の事を知っていると武士達が判断した場合、何をおいても始末しに来ることは想像に難くない。やらなければやられるかもしれないからだ。
「……」
「……」
完全に無視するのも怪しまれるかもしれない。そう考えた夢野と綾女は軽く武士達に向かって会釈をした。武士達は当初顔を強張らせて警戒していたが、始末するとまでの判断には至らなかった様だ。江戸の方に向かって、足早に立ち去って行く。
武士達はかなりの健脚らしく、同じ方向に進んでいるにも関わらずたちまちその姿は見えなくなった。
「ふうっ。助かったな」
「あの人たち、かなり出来るわね。もしも切りかかられたら勝てなかったでしょうね」
「マジかよ」
夢野は兎も角、綾女は相当な遣い手である。そこらの侍など棒切れで叩き伏せる事は容易いし、徒手で制圧する事だって可能なのだ。その綾女が警戒しているのだから、あの武士の一団は相当な実力者揃いだったのだろう。
「それにしても、あの人たち何の恨みがあったのかしらね」
「さあな。でも、今の老中は何処からも恨みを買ってるんじゃないか?」
老中水野忠邦の推し進める改革に関する政策は、百姓、町人、武士に至るまで幅広く対象にしており、それはつまり幅広く恨みを買っていると言う事になる。夢野だって自分の書いた読本を絶版にされたり牢にぶち込まれたりしたのは、元はと言えば水野忠邦の政策が原因なのである。
夢野はまだその程度で済んでいるが、中には遠島になったり家財を没収されて身代を失ったものもいる。武士の中にも、失脚したり処罰を受けたりと、恨み骨髄に達する者も多いはずだ。
「まあ、彼らが何者なのかは考えない事にしよう。下手に首を突っ込むと、藪蛇になっちまうからな。俺達は、町奉行所や目付の手下じゃない。そこまでの危険は冒さないのが吉ってもんだ」
「それなら、暗殺教団とかもっと危険そうなのに首を突っ込もうとして欲しくは無かったわね」
「それはほら、暗殺教団だったら罪の無い江戸の町人に犠牲が出るかもしれないだろう? なら、真相を明らかにして止めないと拙いじゃないか」
「はいはい、そうですね。でも、少しは危険を避けた方が良いわよ?」
夢野のせいで危険に巻き込まれそうになった綾女であったが、別に自分が巻き込まれそうになった事に文句を言っている風ではない。あくまで夢野が危険に突撃してしまう事を注意しているのだ。
その後、途中で武士の一団に待ち伏せされるなどの事件は無く、二人は長屋に帰還したのであった。
「あんたらもう起きな、もうニワトリが鳴いてるよ。まったくこんな頃まで寝てるなんて、夕べはそんなにお楽しみ……あれま、違うみたいだね」
途中までやり手婆の様な表情をしていた老婆であったが、どうやらそれは下衆の勘繰り出会った事に気付いた様で疑問の表情を浮かべた。人間長生きをしていると、ある程度男女の雰囲気に察しがつくものである。
「すみませんね。ちょっと遅くまで交代で起きていましたので、寝不足でして」
「あれま、教光院を監視するって本当だったんかい」
昨日夢野と綾女の会話では監視がどうだとかの言葉が出ていたのを老婆は聞いていたが、まさか本当に監視していたなどとは夢にも思っていなかったのである。
「もちろんですよ。まあ疑いは解けましたけどね」
夢野が教光院に関心を持ったのは、暗殺教団という情報を聞いたからである。害のない呪詛をしているだけなら別にそれに対して何かしようという気にはならない。単なる淫祀邪教なら、お上に隠れて好きにやってくれて構わないと思っている。いやもちろん、本来はその様な邪教など御法度であるのだが、それはお上が取り締まれば良い事である。夢野がわざわざ首を突っ込む様な必要は無い。
「何だか知らないけど、解決したんなら良かったね」
茶店の老婆は商売っ気の強い人物だが、本質的には気の良い様だ。夜更かしに労いの言葉をかけてくれると、団子と茶を用意してくれた。これから江戸に戻らねばならない二人にとってここで腹ごしらえ出来るのはありがたい事だ。二人は礼を言うと素直に朝食をとった。
もちろん銭は払うのであるが。
朝食を食い終えた二人は、老婆に礼を言うと茶店を後にして江戸の長屋に戻ることにした。
戻る道の途中には教光院がある。帰り道を歩きながら二人は人騒がせな呪詛をしていた教光院の方を見やった。すると、ちょうどその時中から数人の武士が姿を現した。
「もしかして……」
「しっ」
早朝に教光院から出てきたと言う事は、この武士達は昨晩の呪詛を願いに来た者達に違いない。その呪詛の内容は、時の権力者である老中水野忠邦の死を願うものである。夢野達は物理的な影響の無い呪詛など、どうでも良いものだと思っているが、幕府はそう思っていない。徳川の世のみならず、それ以前からずっと呪詛は禁制であり、それが発覚した場合処罰の対象と成り得た。
つまり、今教光院から出て来た武士達を、夢野達が訴えればたちまち手が後ろに回るのである。逆に言えば、夢野達が昨晩の事を知っていると武士達が判断した場合、何をおいても始末しに来ることは想像に難くない。やらなければやられるかもしれないからだ。
「……」
「……」
完全に無視するのも怪しまれるかもしれない。そう考えた夢野と綾女は軽く武士達に向かって会釈をした。武士達は当初顔を強張らせて警戒していたが、始末するとまでの判断には至らなかった様だ。江戸の方に向かって、足早に立ち去って行く。
武士達はかなりの健脚らしく、同じ方向に進んでいるにも関わらずたちまちその姿は見えなくなった。
「ふうっ。助かったな」
「あの人たち、かなり出来るわね。もしも切りかかられたら勝てなかったでしょうね」
「マジかよ」
夢野は兎も角、綾女は相当な遣い手である。そこらの侍など棒切れで叩き伏せる事は容易いし、徒手で制圧する事だって可能なのだ。その綾女が警戒しているのだから、あの武士の一団は相当な実力者揃いだったのだろう。
「それにしても、あの人たち何の恨みがあったのかしらね」
「さあな。でも、今の老中は何処からも恨みを買ってるんじゃないか?」
老中水野忠邦の推し進める改革に関する政策は、百姓、町人、武士に至るまで幅広く対象にしており、それはつまり幅広く恨みを買っていると言う事になる。夢野だって自分の書いた読本を絶版にされたり牢にぶち込まれたりしたのは、元はと言えば水野忠邦の政策が原因なのである。
夢野はまだその程度で済んでいるが、中には遠島になったり家財を没収されて身代を失ったものもいる。武士の中にも、失脚したり処罰を受けたりと、恨み骨髄に達する者も多いはずだ。
「まあ、彼らが何者なのかは考えない事にしよう。下手に首を突っ込むと、藪蛇になっちまうからな。俺達は、町奉行所や目付の手下じゃない。そこまでの危険は冒さないのが吉ってもんだ」
「それなら、暗殺教団とかもっと危険そうなのに首を突っ込もうとして欲しくは無かったわね」
「それはほら、暗殺教団だったら罪の無い江戸の町人に犠牲が出るかもしれないだろう? なら、真相を明らかにして止めないと拙いじゃないか」
「はいはい、そうですね。でも、少しは危険を避けた方が良いわよ?」
夢野のせいで危険に巻き込まれそうになった綾女であったが、別に自分が巻き込まれそうになった事に文句を言っている風ではない。あくまで夢野が危険に突撃してしまう事を注意しているのだ。
その後、途中で武士の一団に待ち伏せされるなどの事件は無く、二人は長屋に帰還したのであった。
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(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))
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