天保戯作者備忘録 ~大江戸ラノベ作家夢野枕辺~

大澤伝兵衛

文字の大きさ
上 下
23 / 44
第二章「当世妖怪捕物帳」

第八話「鈴ヶ森刑場前の茶店」

しおりを挟む
 遠金が暗殺教団の拠点ではないかと夢野に教えた場所は、品川の少し南にある大井村に存在していた。

 了善という修験者が疫神大権現を祀った事が創始だとされており、皆から教光院と呼ばれている。創始者は羽黒山や高尾さんといった各地の霊山を廻って修業を重ね、諸大名や大奥の女中達から絶大な崇敬を受けていた。

 その崇敬を隠れ蓑に暗殺をしていたとしたら、これは天下の一大事である。これを知れば江戸の町人達も枕を高くして眠れまい。

 暗殺の標的とされるのは、いずれも高位高官豪商であり、庶民には関わりないと言う考えも有るかもしれない。だが、暗殺がまかり通る世の中で、しかも社会の上層部に殺しを用いて政敵を排除し、のし上がるのが状態化されたとしたら、それは庶民にとって不幸である。とても健全な社会とは言えない。

 だからこそ夢野は調査にきたのであった。

「という決意でここまで来たんだが、なんかいい考えない?」

「無いわね。もう少し考えて行動した方がいいんじゃないの?」

 立派な決意とは裏腹に、夢野は大した考えも無しに教光院のすぐ近くに来ていた。ここは朱引の外であり、近郊ではあるが既に江戸ではない。ここまで少し遠出であるため、歩いている内に何か思いつくだろうと高を括っていたのだが、残念ながら何も思いつかなかったのだ。そして同行してもらった綾女に尋ねたのだが、ぴしゃりと言われてしまう。

「ま、まああそこの茶店で一杯やりながら考えようじゃないか。腹が減っていては思考がまとまらんしな」

 綾女は夢野が町奉行所から帰って来るなり、妙な事件に首を突っ込み始めたのが不満なのか、少しご機嫌斜めであった。なだめるために茶店によって腹ごしらえをする提案を夢野はする。

「それにしても、ちょうど良い所に茶店があったもんだ。街道沿いとはいえちょっと中途半端な場所なのにな」

 教光院は品川から一里程度である。半刻も歩けばここまで着くので休むにはまだ早い地点である。

「ひひっ、何を言うてなさる。ここはお客さんが大勢来るんじゃよ」

「客?」

 茶店の主である老婆が気味の悪い喋り方で夢野の独り言に答えた。

「そう、客じゃよ。今日は何もありゃせんが、あっちの方に松林が見えるじゃろ? あの辺にいつもは見物人が大勢来るんでの。こんな場所でも繁盛しとるんよ」

「見物人ねえ。一体何があるのさ?」

 夢野も綾女も老婆の示す方を少し眺めたが、とてもわざわざ見物しに来るような場所には思えない。

「何じゃ、知らんのか? あそこは、鈴ヶ森刑場じゃよ」

「うげっ」

 夢野は思わず口に含んだ団子を吐き出しそうになった。確かに考えてみれば、この辺りは処刑場である。そして妖怪だの魔王だのを読本に書いている夢野であるが、現実の残酷な事に耐性があるわけではない。むしろ毛嫌いしている。

「磔や火炙りは、他の刑場じゃやってないらしいからのう。そんな日には沢山の見物人が押しかけて来るんで、儲けられるって寸法さ」

「はあ、逞しいもんだね」

 老婆の商魂には夢野も呆れ顔だ。だが、決してそれをもって老婆を見下している訳ではない。むしろ、生きるとはこういう事であろうとさえ思っている。自分は親の残した財産に頼ったり、運よく書いた読本が好評を博しているので戯作者として生きていけるが、それが普通の生き方では無い事くらい重々承知しているのであった。

「ところでさ、あっちの方にある教光院について何か妙な噂聞いた事ないかい? それとか、妙な奴が入っていったとか」

「さてねえ。あたしゃ毎日朝から夕までここに居るけど、妙な噂は全然聞かんけどね。夜は、近くの家に帰っているから知らんけどさ」

「そうですか」

 老婆は茶店のすぐ近くにある農家の者らしい。田畑の手入れは子供達に任せ、自分はこうして日銭を稼いでいるのだ。一日中見張るのは無理な相談であった。そして日中に怪しいものを見ていない事についても残念ではあるが、これは仕方がない。その辺の老婆が漫然と見ているだけで暗殺教団の存在が露見してしまうのであれば、既に然るべき役所がその尻尾を掴み、摘発しているに違いない。

「あの、明日の朝までここに泊まらせて貰っていいですか?」

「え、あんた一晩中監視しようっていうの?」

「ああ、本気だ。そうでもしなきゃ、何が起きているのか分からんだろう」

「まあそうかもしれないけどさ」

「あんたら、何だか知らんけど大変そうね」

 綾女は嫌そうな顔をし、老婆は呆れ顔である。そもそも若い男女が一晩誰もいない店に泊まらせてくれという提案をしてくる事自体が実に怪しいのである。

 ただし、綾女はそういった意味で嫌がっているのではなく、単に面倒くさいだけである。また、老婆も何となく二人はまだそういう関係ではないと察した様だ。もっとも、場を提供する事で何か面白い進展でもあるのではないかなどと、仲人をして回るおせっかいと同じ様な事くらいはちらっと思ったのではあるが、当然そんな事は口にしない。このあたり、齢を重ねているだけあって人の感情の機微には聡い所がある。

 こうして、夢野と綾女はこの晩、教光院を密かに監視する事になったのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛
歴史・時代
 八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。  服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。  忍者同心の誕生である。  だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。  それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。 独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす 【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す 【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す 【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす 【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

楽将伝

九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語 織田信長の親衛隊は 気楽な稼業と きたもんだ(嘘) 戦国史上、最もブラックな職場 「織田信長の親衛隊」 そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた 金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか) 天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

蘭癖高家

八島唯
歴史・時代
 一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。  遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。  時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。  大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを―― ※挿絵はAI作成です。

処理中です...