天保戯作者備忘録 ~大江戸ラノベ作家夢野枕辺~

大澤伝兵衛

文字の大きさ
13 / 44
第一章「異世界転生侍」

第十三話「本所七不思議」

しおりを挟む
 弁天の六郎はその夜、本所の隠れ家を出発し、江戸を立ち去ろうとしていた。

 これまでお上の御用という名目で江戸の町民から没収し続けた贅沢品は莫大な量に及んでおり、換金したとすれば数万両にも及ぶであろう。一介の無頼漢が本来目にしたり出来ない代物であった。

 もちろん、これが全部六郎の懐に入る訳ではない。六郎の配下に分配せねば、不満をもった奴がどこで密告するか分かったものではない。もちろん不満の無いだけの量を分配したとしても、根本的に損得勘定の出来ない愚かな連中である。変に欲をかいて六郎に反抗したり、更に庶民から財産を没収しようとしてへまをしたりしてお上に捕まり六郎の事まで暴露してしまったり、この先ずっと安全であるとは限らない。

 だが、ある程度時間を稼げば名前を変え、新たな地で過去を捨てて安全に暮らす事も可能だろう。

 そのために、これから金品をある程度しかるべきところに分け与えねばならない。六郎がお上の名を騙って金品を強奪出来たのも、全ては本当にその様な職権を与えられたからである。それを与えてくれた幕府の役人にはしかるべき分け前を提出しなければならないのである。そうでなければ、用済みとして処分される恐れがあるのだ。

「六郎よ、ご苦労であるな。よくぞこれだけ集めたものだ」

「ははっ、これも網野様のお引き立ての賜物でございます」

 頭巾で顔を隠した旗本風の男に対して、六郎はこの男にしては珍しい恭しい声で返答した。

「ふふふ、お主、おだてても何も出ぬぞ。まあそれなら拙者は、老中の水野忠邦様と鳥居の阿呆のおかげだとでも言っておこうかな?」

「ははは、阿呆と言っては鳥居様も浮かばれますまい。それに、老中様も本気で贅沢品を没収する事が世直しだと信じているのだから、これはもう網野様のお知恵が一枚上だったという事でしょう」

「ははは、だからおだてても何も出ぬぞ? まあ、この先また何かがあったらまた仕事を頼みたい。その時には頼むぞ」

「はい、その折には是非」

 この応答で、六郎はしてやったりと心の中で快哉を叫んだ。上手く上機嫌にさせてやったし、網野の思惑を理解してそのための行動が出来る使いでのある男だと認識させる事に成功した。これなら用済みとして処分されたりしないだろう。

 六郎としては数万両の儲けの内、半分以上上納してやっても安全が確保出来るなら問題が無いと考えていた。しかもこの分なら、網野が次の策謀を企んだ時も六郎に仕事を回すであろう。つまり、更なる儲けが期待できると言う事だ。

「くっくっく、これだけの財産があれば、幕府の高官どもにばら撒いてまだまだ出世できるぞ。このまま勘定吟味薬では終わらぬ。勘定奉行、町奉行、いや、大名にまで成り上がってみせるわ」

 ほくそ笑む網野を見て、六郎はその強欲さを蔑むとともに、これならば今回の不正で終わる事なくずっとうまい汁を吸い続けられるだろうと自分でも貪欲な事を考えていた。

 もちろん、その時に犠牲になるのは庶民であるが、その痛みなどこの二人には知った事ではない。

「うわあ!」

「出た~!」

 そんな後ろ暗い話を明るくかわす二人の耳に、何やら叫び声が飛び込んで来る。六郎達が隠れ家にする屋敷の外からである。

「何事だ? まさか、見つかったのではあるまいな」

「いえいえご安心を、逆にあれはここが見つからないための策です」

「策?」

 慌てた様子の網野であったが、六郎は落ち着いた様子だ。

「網野様は、本所七不思議という話をご存じですかな?」

「おお、聞いた事が有るぞ。確か堀で釣りをすると『置いていけ』と声がするとか、どこからとなく狸の腹鼓が聞こえて来るとか、天井から巨大な足が降ってくるとかであろう?」

「その通り、よくご存じで。そしてこの屋敷こそが網野様がおっしゃった足が降って来る『足洗邸』なのですよ。それに他の七不思議も手下の流した噂でなのです」

「ほう? 何故その様な事を……なるほど、近づけさせないためか」

「ご明察。網野様に用意してもらったこの屋敷、確かに空いている武家屋敷と言うのは隠れ家に好都合ですが、何ぶん長らく手入れされていないので塀や門が破れていて侵入が容易です。誰かが入って来てもおかしくはありません。そこで」

「近づかれない様に噂を流したと言う事か、やりおるな」

 そう、本所七不思議は、全て弁天の六郎一味の作り話であったのだ。いや、全てが作り話というよりも、元から一部のみで噂されていた怪異話を針小棒大にあちこちで吹聴し、しかも七不思議の内容に従って近くを通る人を脅かしていたのが、六郎の手下達であったのだ。

 効果は覿面であり、料亭が多く建ち並ぶび賑わいを見せる本所にあって、この「足洗邸」の周囲だけ人通りが少ないのであった。

 これならば、人目を避けて出入りするのも容易である。

「ぎゃ~!」

「ひえええぇぇっ!」

「おい、馬鹿に騒がしいな。いつもはこんなに頻繁に叫び声なんかしないだろう」

 余りにも多くの叫び声が聞こえて来るので、六郎は気になって近くにいた手下に尋ねた。怪異話が成功したので、最近この辺りを夜に通る者は極僅かだった。これだけ頻繁に叫び声が聞こえると言う事は、それだけ多くの人が近くを通っているという事である。

 何かがおかしい。

「親分、それが妙な連中が近づいてきているらしくて、提灯をつけたり消したりしても、拍子木を打っても叫ぶばかりで一向に逃げないらしくて」

「何なんだよそりゃあ。何なんだよその連中」

「はい到着しました。こちらがかの有名な『足洗邸』でございます。空き家ですから、気にせず中に行きましょうね」

 困惑する六郎の耳に、一際大きな声が届いた。大きさと方向からすると、敷地内に侵入された様だ。

「おい! すぐに帰らせろ。ここで騒ぎを起こしたら厄介だから、空いた武家屋敷を管理している中間のふりをしてお引き取り願うんだ」

「もう無理だ。連中、真っすぐこっちに来る。止められねえ」

「おや、そこにいるのは岡っ引きであらせられます弁天の六郎親分じゃあございませんか。なんでこんな所にいるんでございましょうねえ」

「て、てめえはこの前の」

 六郎の目の前に姿を現した、確実に数十人はいる集団の先頭には、昨日没収品の輸送を目撃した男――戯作者夢野枕辺の姿があった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

【完結】『からくり長屋の事件帖 ~変わり発明家甚兵衛と江戸人情お助け娘お絹~』

月影 朔
歴史・時代
江戸の長屋から、奇妙な事件を解き明かす! 発明家と世話焼き娘の、笑えて泣ける人情捕物帖! 江戸、とある長屋に暮らすは、風変わりな男。 名を平賀甚兵衛。元武士だが堅苦しさを嫌い、町の発明家として奇妙なからくり作りに没頭している。作る道具は役立たずでも、彼の頭脳と観察眼は超一流。人付き合いは苦手だが、困った人は放っておけない不器用な男だ。 そんな甚兵衛の世話を焼くのは、隣に住む快活娘のお絹。仕立て屋で働き、誰からも好かれる彼女は、甚兵衛の才能を信じ、持ち前の明るさと人脈で町の様々な情報を集めてくる。 この凸凹コンビが立ち向かうのは、岡っ引きも首をひねる不可思議な事件の数々。盗まれた品が奇妙に戻る、摩訶不思議な悪戯が横行する…。甚兵衛はからくり知識と観察眼で、お絹は人情と情報網で、難事件の謎を解き明かしていく! これは、痛快な謎解きでありながら、不器用な二人や長屋の人々の温かい交流、そして甚兵衛の隠された過去が織りなす人間ドラマの物語。 時には、発明品が意外な鍵となることも…? 笑いあり、涙あり、そして江戸を揺るがす大事件の予感も――。 からくり長屋で巻き起こる、江戸情緒あふれる事件帖、開幕!

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

戦国九州三国志

谷鋭二
歴史・時代
戦国時代九州は、三つの勢力が覇権をかけて激しい争いを繰り返しました。南端の地薩摩(鹿児島)から興った鎌倉以来の名門島津氏、肥前(現在の長崎、佐賀)を基盤にした新興の龍造寺氏、そして島津同様鎌倉以来の名門で豊後(大分県)を中心とする大友家です。この物語ではこの三者の争いを主に大友家を中心に描いていきたいと思います。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...