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第一章「異世界転生侍」

第十話「助太刀」

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 弁天の六郎一味の不正を目撃した夢野と粂吉は、脇目もふらず逃げ出した。その後を六郎の手下たちが四人はかり追って来る。

 六郎一味は喧嘩自慢が揃っているが、所詮無頼の輩である。道場で体を鍛えたりしないし日頃酒を浴びる様に飲み、不摂生な者が多い。故にそれ程足は速くない。

 だが、

「くそっ、追いつかれる! 何だよ、結構速いじゃねえか!」

 少し走った所で夢野達はあっさり追いつかれそうになっていた。しかも既に息が切れ、これ以上走るのは難しそうである。

「そりゃあ夢野先生、俺達が遅いんでしょ!」

「そうかもなあ!」

 粂吉の言う通り、夢野達は足が遅い。夢野は戯作者であるし、粂吉は金物職人であり双方座り仕事である。足腰は自然と衰えてしまう。それに引き換え、弁天の六郎一味は岡っ引きとして日々真面目に江戸中を歩いて回り、人々から金品を強奪している。走る事自体は得意でなくても、足腰は弱っていない。

 まあ、その様な所業を真面目と表現して良いのかは異論があるであろうが、少なくとも歩く事が日常化している分夢野達より足腰が強かったこと自体は確かである。

 夢野は書き仕事が本職であるが、柔術の道場に通っていたので、心肺能力自体は本来それ程劣ってはいない。だが、先日まで小伝馬町の牢屋に入れられていたため、完全に弱ってしまっている。

 全盛期なら破落戸の一人くらいは相打ちに持ち込めたかもしれないが、今なら完敗必至である。

「おいそこの人どきな! あぶねえぞ!」

 もうそろそろ六郎一味の手が届きそうになった時、夢野達の前方に人影が見えて来た。このままでは争いに巻き込まれ、犠牲者が増えてしまうかもしれない。それを危惧した夢野は大声でどく様に叫んだ。

 走っている内に、みるみる男の姿が大きく見えて来る。このままでは男も争いに巻き込まれてしまうに違いない。だが、近くになって男の顔がはっきり見えてくると、見知った顔である事に夢野は気付いた。

「なんだ、夢野先生か。困っている様だな」

「おう! 遠金さんじゃないか」

 通りかかった人影は、牢屋から出たばかりの時に出会い、意気投合した遊び人風の男――遠金であった。一体何故こんな所にいるのであろう。

「困っているようだな。助けてやろうか?」

「いやいや、止めときな。あいつら、本気でヤバい奴らだぜ」

「それなら尚更放っておけないな。おい、野郎ども! 怪我したくなかったら、大人しく帰るんだな。それで、お天道様に恥じない、真っ当な生き方をしな!」

「何だと!」

 遠金は悠然と進み出て啖呵を切った。味方である夢野や粂吉すら一瞬気をされる様な裂帛の気合が込められており、六郎の手下連中が思わず足を止めてしまう。武闘派で名を売った彼らが圧倒されるのだ。遠金の凄まじさが分かるというものだ。

 しばらく睨み合っていたが、このまま戻っては親分に合わせる顔が無いと思ったのだろう。目で合図を交わして一斉に殴りかかる。

 多少の実力差があろうと、一対四では普通勝ち目が無い。まがりなりにも柔術を学んだ夢野の認識ではそうである。夢野の執筆した読本では、一人の侍が万の敵軍をばったばったと薙ぎ倒す大活劇を繰り広げているが、そんな事は現実にあり得ないと分かって書いている。

 気迫で圧倒している内に遠金が先制攻撃を仕掛け、一人ずつ始末してしまえば話は別だが、それは叶わなかった。このままでは遠金は数に押されて負けてしまうだろう。

 粂吉と一緒に参戦し、少しでも時間を稼げば東金の勝機が見えるかもしれない。そう思って自分も戦おうと足を踏み出した夢野だったが、信じられないものを見た。

 遠金は真っ先に殴りかかって来た男の拳をひらりと躱し、素早く後ろに回り込んだかと思ったら奥襟を掴んで態勢を崩し、一気呵成に投げ飛ばしてしまった。そして投げた先には次に迫って来た男がいる。巻き込まれた男はたまらず転倒し、あえなく下敷きとなる。夢野は遠金が拳を躱して回り込んだ時、すれ違いざまに拳を水月に叩き込むのを見逃さなかった。

 間違いなくこれは修練された動きだ。しかも相当の達人である。一体この男何者なのであろうか。

 遠金は倒れた男達を勢いよく踏みつけて止めを刺し、そのまま勢いをつけて次の男に向かって跳躍した。狙うは顎である。高らかな跳躍は打点の高い膝蹴りを可能とし、人体でも強固な部位である膝が逆に脆い顎を打ち砕く。

 残るは一人だ。

 四人がかりなら勝てると踏んで少し後ろにいたのだが、かえって一人だけで戦う事になってしまう。怖気づいているのが夢野から見ても明らかだ。

「うわあぁぁぁっ!」

「見え見えだ」

 破れかぶれで最後の男が短刀を引き抜いて突進してくるが、大振りすぎて単調な攻撃となる。もっとも、冷静ならば簡単に見切れる攻撃であっても、刃物の光は人間を委縮させる。それに、今男が発しているのは恐慌状態の叫びであるが、大声は相手を委縮させ冷静な行動を阻害するのだ。普通の喧嘩であれば逆転も可能であろう。流石は武闘派知られる弁天の六郎の手下である。喧嘩慣れしているのだ。

 だが、遠金は尋常の相手では無かった。全く冷静さを欠いていない。

 遠金はあっさりと白刃を躱して、手刀を喉に叩き込んだ。

 これでお終いである。

「えっと。ありがとうな、遠金さん」

「おっと礼は後だ。次が来る。流石に数が多い。逃げるぞ」

 船宿の方から、今相手にした連中よりもっと多数の一団が迫ってくるのが見えた。

 これでは分が悪いと考え、夢野達は遠金と共に急いでその場を立ち去った。
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