天保戯作者備忘録 ~大江戸ラノベ作家夢野枕辺~

大澤伝兵衛

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第一章「異世界転生侍」

第四話「放免祝い」

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 夢野の放免祝いには、長屋の隣人たちが駆けつけにぎにぎしく行われた。夢野の部屋は隣人が清掃していてくれたらしく、長期不在にしていたにしては汚れておらず、大勢で宴を催すには十分な清潔さだった。もっとも、部屋には数多の書物が山積されており、実に紙魚臭いのであるが。

「夢野さんの放免を祝って、乾杯!」

 もう何度目になったか分からない乾杯の音頭を、大家の長吉ちょうきちが高らかに叫んだ。もうそろそろ目が虚ろになっており、一刻もしない内に酔いつぶれる事は間違いあるまい。

 周囲の者はもうそろそろ面倒になっているが、長吉は長屋の大家であり皆頭が上がらない。お義理で渋々付き合っている。

 しばらく夢野が牢に入れられて娑婆の事情に疎くなっているため、中々に話題は多い。

 どこどこの長屋の誰それが誰かと好き合っているとかの卑近なものであったり、今度出されるお触れがどうのだとかだったりする。また、本所には、狸が出る場所があるやら、とある屋敷には天井を突き破る巨大な足が出現するやら、怪異話が語られたりした。そしてそれらを合わせて本所七不思議というとか、全部合わせると七つでは収まらない、いや四天王が五人いる事もあるぞとか、そんな馬鹿話もした。

 そして話は、夢野の次回作や、他の戯作者が受けた処分に飛んだ。

「ま、何にしても夢野さんが大したお咎めを受けなくてよかったよ。為永春水ためながしゅんすい柳亭種彦りゅうていたねひこみたいな有名な戯作者もきついお咎めを受けて、絶版になったり気落ちして死んじまったり、大変らしいからね」

「はあぁ、やっぱそうなんだな。俺はまだ運が良いって事かね」

 向かいに住む金物職人の粂吉くめきちの言葉に、夢野は内心怒りを感じていた。同業者との付き合いが無い夢野であるが、己も彼らと同じ戯作者である。執筆にどれだけ精力を傾けねばならないか身に染みて理解している。

 お上からしてみれば読本よみほんなど、馬鹿馬鹿しくためにならない代物であり、例え消えてしまっても構わないと思っているのだろう。だが、そんな事は戯作者として許しがたい事だ。

「酷い目に遭ってるのは、戯作者だけじゃないぜ。商人達が、贅沢品を売るなとかで軒並み被害を受けてるんだ」

 斜め向かいに住む、呉服屋に通いで勤める半左はんざが苦々し気に言った。どういう事かと夢野が聞くと、絹織物はもちろん凝った柄の綿織物まで規制の対象になっているのだという。これでは店も売り物に困ってしまうし、養蚕を生業とする百姓も収入が途絶えて困窮にあえいでいる。

 だからと言って養蚕を辞めて米作りに転換するのも出来ぬ。養蚕を主な収入源とする百姓が住む地域は、元より農作物が育ちにくい土地柄である事が多い。換金できる産物を作らなければ、何にせよ死ぬより他無いのである。もちろん、生糸を作らず生産量の少ない農作物に専念したとしても、年貢が低くなることなどありえない。

 要はお上の政策は、その結果庶民がどうなるかを考えていない非現実的なものなのだ。政策の結果、世の中の風景が変わり人々は武士から町人、百姓に至るまで質素倹約に励んでいる様に見えるだろう。天保の時代に入り、飢饉が続き人々は困窮している。百姓は飢え、町には打ちこわしが発生し、大坂では元役人すら反乱を起こしたほどだ。無駄を省けばそれらの民にまで食料や物資が回ると考えるのも頷ける話である。だが、これは社会の実情を見ない短絡的な考えなのだ。世間知らずの学者ならまだしも、決して為政者がとってよい政策ではないのだ。

「それだけではない。贅沢品だと規制されている品は、店で大っぴらに扱えなくなったのだが当然在庫は抱えている。そこに奉行所の密偵が客のふりをして訪れ、金細工やら絹織物は無いのかと探りを入れるのだ。店側もそんな物を売ったらお上に睨まれるから最初はそんな物は置いて無いと断るのだが……」

「しつこく問いただしたり、どうしても必要な事情を打ち明けて無理にでも売らせるって事か」

「そう、そして商品を出したら岡っ引きが現れるって寸法だ」

「汚い遣り口だ。許せんな」

 左隣に住む、鯉之助が怒りを込めてお上の所業を語った。なお、この男は何をしているのか全く分からない。働きもせずぶらぶらしているように見える。

 賭場やら岡場所を捜査するために、客のふりをして潜入する事は有り得るだろう。だが、真っ当な商売をしている店を誘導する様にして悪人に仕立てる事は、果たして許されるのだろうか。

 夢野にも鯉之助の怒りが乗り移ってくるようだった。

「そういえば、虚屋さんと付き合いのある草紙屋さんも、かなりやられたらしいわね。それで今は色々大変なんだって」

「それで来てないのか。ん? 待てよ。虚屋さんと取引のある草紙屋がやられたって事は、もしかして俺の本を売ったから摘発されてるって事か?」

「……そういう事らしいわ。世を乱す怪しげな書物や、道徳に悪い役に立たない書物を売ったって事で、責めを受けたってさ。それにこっそりと異世界転生侍を買った人が捕まったって聞いたわ」

「んな事言ったってよ。草紙屋はそういう本を売るのが仕事だろうがよ」

 草紙屋は娯楽性の高い読本等を主に取り扱う。もちろんその様な書物は率直に評価すれば世間の役になど立たないだろう。だが、それらの書物は世情を反映したり、庶民が夢見るような物語を描き出す。笑い転げる様な滑稽な話などもだ。

 それらは確かに低俗だし役に立つものではないが、庶民が日々を生きる気力の糧となる。決してお上の狭い考えで、庶民から奪ってよいものではない。

「許せねえな。俺が責めを受けるのはまだ分かる。虚屋の銭狂いもな。だが、俺の作品を買ってくれた人を酷い目に遭わせるなんて、許しちゃおけねえ」

 杯を一気に呷った夢野は、すっくとその場に立ち上がった。
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