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第二章「江戸城の象」
第六話「暴れ象」
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突然の上司の出現に文蔵は驚いた。だがよくよく考えたら単なる同心に過ぎない自分が城内にいるよりも、町奉行として日々の報告のために登城する役目をもつ稲生がこの場にいるのが自然である。
「うむ。服部よ、お役目ご苦労である。明日の町入能には儂らも参加するのでな。大岡殿と共にこうして式次第の確認に参ったのよ」
「そうでございますか。お役目お疲れ様でございます。ところで、そちらのお方、大岡様と言う事は……」
「うむ、南町奉行の大岡越前守である。お主が噂の忍者同心の服部文蔵か。貴殿の活躍は上様も知っているぞ」
「ははっ」
町奉行である大岡と単なる同心の文蔵には、天と地ほどの身分の差がある。それにも関わらず大岡の接し方は丁寧だ。これが、長年町人の人気を得て来た事由であろう。
「お主の事は稲生殿も良く買っておる。己の役目に励む事だ」
「ははっ」
文蔵は見習いから早々に正規の同心に昇格した。文蔵の活躍も理由であろうが、元々稲生は評価していてくれたのだろう。町奉行の同心という立場そのものには興味は無いが、他人に評価されるというのはやはりうれしい事である。
「何しろ、お主が日本橋で活躍した次の日に上様の元で両町奉行による報告があったのだが、その時上様がお主の活躍を口にしたところなんと稲生殿が言うにはもうお主の採用が決まっていたというではないか。そこまで評価される者は珍しいのだぞ」
「ははっ……?」
話が少し変な方向へ向かった。
妙な話である。確かに日本橋で火事場泥棒成敗してからそう日は経たずに内与力の諏訪が勧誘に来たが、事件の次の日には採用が決まっていたとはちと早すぎる。町奉行が城に出仕するのは午前中と決まっている事は同心としては新米の文蔵も知っている。将軍に報告した段階で文蔵の採用が決まっていた訳が無い。
どうやら稲生は将軍の歓心を買うために、将軍が褒めた者を採用していた事にして報告したようだ。その後運良く文蔵が承諾したから良い様なものの、拒否していたらどうしたのであろう。
稲生の方に目を向けると、余計な事を言うなとその目が告げていた。文蔵は空気が読めないようでいて実のところかなり読める方だ。そうでなければ旅芸人で食ってはいけない。ただ単に武家の常識に疎いだけだ。その文蔵の勘が、ここは黙っておくべきだと警告を発している。
「それよりもお主ら、集まって何をしておる。百人番所の役目は門の警備であろう。一体何を遊んでおる」
「それは……」
稲生の詰問に百地達忍者軍団は黙り込む。稲生や大岡は忍者とは一切関りの無い者達だ。その様な完全なる部外者に、真の忍者がどうのこうのとかの胡乱な発言をしないだけの常識が、彼らにも存在していた。
文蔵としては自分も部外者だと思っているのだが、もはや手遅れである。
「服部文蔵は我が北町奉行所の同心であり、しかも大事なお役目の途中である。町入能は公方様と町人の間を繋ぐ大事な行事である事はその方らも知っていよう。それを邪魔してはならぬ」
稲生に諭されて、百人番所の同心達は黙り込んだ。文蔵に突っかかっていたのは甲賀組である事もあり、伊賀組の面々は少し誇らしげな空気を発している。
兎にも角にも一応のかたが付きそうであり、その点では上司である稲生に感謝をした。
「それにだ、文蔵の事は上様もご承知になっている。町人どもは『忍者同心』と誉めそやしている事もな。忍者かどうかは兎も角、市中の安寧に文蔵が力を尽くしている事を大層お喜びである。それに水を差すような事はしてはならぬ」
(あ……)
文蔵は拙いと思った。稲生は重ねて文蔵の活躍を語る事で、余計な手出し口出しをされぬように釘を刺したつもりかもしれない。だが、将軍が伊賀や甲賀の本物の忍者を差し置いて文蔵を称賛している事を聞いて、場の空気が凍り付いた。どちらかと言えば友好的であった伊賀組も、完全に敵対的な気配を発している。
彼らにとって忍者としての活躍を認められると言う事は、何をおいても重要な事なのだろう。
「さて、儂らは先へ行くぞ。服部も遺漏なく明日の町入能で披露する動物を連れて来るが良い」
場の雰囲気が一触即発の最悪になった所で、稲生が何食わぬ顔で立ち去ろうとした。
稲生とてこの空気に気付いておらぬ訳があるまい。それを気付かぬふりをするのも、一種の処世術なのかもしれない。いちいち敏感に反応しては、魑魅魍魎が潜む幕府で町奉行にまで栄達するのは難しいだろう。
「おや? 稲生殿、そういえば今回の町入能には、象も来るのでしたな。ほれ、ちょうどこっちに向かっておりますぞ」
大岡が指さす方向には文蔵も以前見た事がある象の巨体があった。その特徴的な長い鼻は見忘れようもない。日本には本来いない動物であるが、絵にも多く描かれているし、歓喜天の仏像は象の顔をしている。象がどの様な動物であるか知る者は多い。
その象が、大手門の方から文蔵達のいる大手三の門の方まで進んで来る。その巨体は地響きを立て、砂煙を上げている。
「いや、懐かしいですな。以前長崎から江戸まで象が輸送された時、拙者は道中奉行を勤めておったので、扱いには色々と気を揉みましたぞ。あやつはかなり気難しいのでして」
「ほほう」
そんな会話を稲生と大岡が交わしている間にも、象はこちらに向かって来る。そしてそれを見ていた一同は皆疑問に感じた。
象の速度が速すぎるのではないかと言う事にだ。
「あやつ、綱がついておらぬぞ。引きちぎられている」
「それに、周りに誰もついておらぬではないか?」
百人番所の同心達は口々に疑問を口にした。よく見ると象の後ろから何人もの侍が追いかけて来る。どうやら象の輸送を担当していた役人らしい。この状況から察するに、逃げられて追いかけている最中の様だ。
「そういえば、最近象が暴れて安南人の象使いが怪我をしたとか」
「もしや象の扱いを知らぬ者が無理に連れて来ようとしたのではあるまいな」
あるまいなも何も、その通りであろう。
象は平時は穏やかな動物であるが、一旦暴れ出すと手が付けられない気性の荒い面を持っている。その様な動物を素人が無理に扱えばどうなるのか、答えはこれである。
「拙いな。このまま奥に来られては、二の丸や本丸御殿に突撃されかねんぞ」
「皆の者、配置につけ!」
このままでは江戸開府以来、一度たりとも無かった江戸城本丸までの攻撃を許してしまうという事になり兼ねない。しかもそれを成すのが豊臣の残党でも浪人の蜂起でもなく、畜生にされてしまうのだ。その様な事が知れ渡っては、徳川の威光が地に墜ちてしまうだろう。
それに、登城中の大名に万が一の事があれば、三百諸侯が黙っておるまい。
それを防ぐための番人たる百人番所の同心達の目の色が変わる。ついさっきまで忍者がどうだとか下らぬ言い争いをしていた阿呆どもと同一人物とは思えない。
覚悟を決めた武士の顔である。
「良いか、先ず足を止めろ。その後柔らかい部分、目、口、肛門等を狙え。それ以外の部分は弾き返されると思え!」
多羅尾が素早く指示をした。先ほどまでいがみ合っていたのが嘘の様に、統制の取れた動きで武器を取り、陣形を組む。
手には鎖分銅や槍、刀が持たれている。
命を投げうってでも象を仕留める覚悟が充満しており、彼らなら間違いなくこの先に象を行かせることは無いだろう。例えどれだけ犠牲者が出ようと、やり遂げるに違いない。
まだ宮仕えの感覚が薄い文蔵であったが、彼らのこの様な振る舞いには感じ入るものがある。
「まあまあお待ちを。せっかくの象を仕留めてしまっては、明日の町入能での披露が出来なくなるでしょう。ここはわたくしめにお任せあれ」
そう言って前に進み出たのは、巳之吉であった。普通なら一介の芸人風情がでしゃばるなと一喝される場面だが、そんな事を言い出す者は誰もいない。皆、巳之吉が只者では無い事を、その佇まいから感じ取ったのである。
突進して来る象の前に決死の覚悟で立ちふさがるのも常人ではないが、何の気負いも無く進み出るのは最早狂人の域に達している。
だが、巳之吉は狂人ではない。
「さあ、いい子だ……」
巳之吉は突進する象の前に進み出ると、あっという間に象の上に飛び乗った。そして象の頭を何度かさすったり軽くぽんと叩いたりすると象はたちまち大人しくなり、足を止めた。
「巳之吉小父さん、お見事!」
巳之吉の動物使いの能力は、弟子である文蔵も朱音も良く知っている。だが初めて扱う動物ですらここまで見事に鎮静化させるとは、改めてその実力に感服する思いであった。
よく知っている文蔵達からして驚いているのだ。初めて見る百人番所の同心達の驚愕ぶりはそれ以上である。一瞬静まり返ったが、すぐに手や足を打ち鳴らして称賛した。彼ら警護役は城の守りの最前線だ。実力主義である。だから巳之吉の身分が芸人であろうと、その様な事を気にせず素直に称えたのである。
「さあ皆さん、道をお空け下さい。このまま中まで……うっ……」
「小父さん?」
芸歴の長い巳之吉は、称賛を浴びるのに慣れている。慣れた様子で手を振っていたのだが、急に顔色を変え、象から滑り落ちた。慌てて善三がそれを受け止め、地面に横たえる。
「これは、ぎっくり腰だな」
「若作りしてるけど、いい歳してるからなあ」
「うう……ううっ」
苦し気に呻きながら、声にならない声で巳之吉は文蔵に何かを示した。
恐らく動物たちを頼むと言いたいのだろう。明日になれば巳之吉の腰も回復するであろうし、もしそうでなくてもその教え子である朱音や文蔵が一座の人間に協力すれば、問題なく芸を披露できる。
「では、わたくしがこの子を連れて行くとしましょう」
文蔵は巳之吉に代わって象の上にひらりと飛び乗ると、巳之吉の真似をして象を操った。象は大人しく文蔵の言う事を聞き、静々と城内を進んで行く。
百人番所の同心達は、道を開けて静かにそれを見送った。
(これはもしかして、俺が象の世話をしなくてはならんのか?)
ただでさえ慣れぬ城内の仕事であったのに、余計な仕事が増えてしまったかもしれない。
その予感は的中し、この夜文蔵はただ一人動物の世話のために城内に残される事になったのである。
「うむ。服部よ、お役目ご苦労である。明日の町入能には儂らも参加するのでな。大岡殿と共にこうして式次第の確認に参ったのよ」
「そうでございますか。お役目お疲れ様でございます。ところで、そちらのお方、大岡様と言う事は……」
「うむ、南町奉行の大岡越前守である。お主が噂の忍者同心の服部文蔵か。貴殿の活躍は上様も知っているぞ」
「ははっ」
町奉行である大岡と単なる同心の文蔵には、天と地ほどの身分の差がある。それにも関わらず大岡の接し方は丁寧だ。これが、長年町人の人気を得て来た事由であろう。
「お主の事は稲生殿も良く買っておる。己の役目に励む事だ」
「ははっ」
文蔵は見習いから早々に正規の同心に昇格した。文蔵の活躍も理由であろうが、元々稲生は評価していてくれたのだろう。町奉行の同心という立場そのものには興味は無いが、他人に評価されるというのはやはりうれしい事である。
「何しろ、お主が日本橋で活躍した次の日に上様の元で両町奉行による報告があったのだが、その時上様がお主の活躍を口にしたところなんと稲生殿が言うにはもうお主の採用が決まっていたというではないか。そこまで評価される者は珍しいのだぞ」
「ははっ……?」
話が少し変な方向へ向かった。
妙な話である。確かに日本橋で火事場泥棒成敗してからそう日は経たずに内与力の諏訪が勧誘に来たが、事件の次の日には採用が決まっていたとはちと早すぎる。町奉行が城に出仕するのは午前中と決まっている事は同心としては新米の文蔵も知っている。将軍に報告した段階で文蔵の採用が決まっていた訳が無い。
どうやら稲生は将軍の歓心を買うために、将軍が褒めた者を採用していた事にして報告したようだ。その後運良く文蔵が承諾したから良い様なものの、拒否していたらどうしたのであろう。
稲生の方に目を向けると、余計な事を言うなとその目が告げていた。文蔵は空気が読めないようでいて実のところかなり読める方だ。そうでなければ旅芸人で食ってはいけない。ただ単に武家の常識に疎いだけだ。その文蔵の勘が、ここは黙っておくべきだと警告を発している。
「それよりもお主ら、集まって何をしておる。百人番所の役目は門の警備であろう。一体何を遊んでおる」
「それは……」
稲生の詰問に百地達忍者軍団は黙り込む。稲生や大岡は忍者とは一切関りの無い者達だ。その様な完全なる部外者に、真の忍者がどうのこうのとかの胡乱な発言をしないだけの常識が、彼らにも存在していた。
文蔵としては自分も部外者だと思っているのだが、もはや手遅れである。
「服部文蔵は我が北町奉行所の同心であり、しかも大事なお役目の途中である。町入能は公方様と町人の間を繋ぐ大事な行事である事はその方らも知っていよう。それを邪魔してはならぬ」
稲生に諭されて、百人番所の同心達は黙り込んだ。文蔵に突っかかっていたのは甲賀組である事もあり、伊賀組の面々は少し誇らしげな空気を発している。
兎にも角にも一応のかたが付きそうであり、その点では上司である稲生に感謝をした。
「それにだ、文蔵の事は上様もご承知になっている。町人どもは『忍者同心』と誉めそやしている事もな。忍者かどうかは兎も角、市中の安寧に文蔵が力を尽くしている事を大層お喜びである。それに水を差すような事はしてはならぬ」
(あ……)
文蔵は拙いと思った。稲生は重ねて文蔵の活躍を語る事で、余計な手出し口出しをされぬように釘を刺したつもりかもしれない。だが、将軍が伊賀や甲賀の本物の忍者を差し置いて文蔵を称賛している事を聞いて、場の空気が凍り付いた。どちらかと言えば友好的であった伊賀組も、完全に敵対的な気配を発している。
彼らにとって忍者としての活躍を認められると言う事は、何をおいても重要な事なのだろう。
「さて、儂らは先へ行くぞ。服部も遺漏なく明日の町入能で披露する動物を連れて来るが良い」
場の雰囲気が一触即発の最悪になった所で、稲生が何食わぬ顔で立ち去ろうとした。
稲生とてこの空気に気付いておらぬ訳があるまい。それを気付かぬふりをするのも、一種の処世術なのかもしれない。いちいち敏感に反応しては、魑魅魍魎が潜む幕府で町奉行にまで栄達するのは難しいだろう。
「おや? 稲生殿、そういえば今回の町入能には、象も来るのでしたな。ほれ、ちょうどこっちに向かっておりますぞ」
大岡が指さす方向には文蔵も以前見た事がある象の巨体があった。その特徴的な長い鼻は見忘れようもない。日本には本来いない動物であるが、絵にも多く描かれているし、歓喜天の仏像は象の顔をしている。象がどの様な動物であるか知る者は多い。
その象が、大手門の方から文蔵達のいる大手三の門の方まで進んで来る。その巨体は地響きを立て、砂煙を上げている。
「いや、懐かしいですな。以前長崎から江戸まで象が輸送された時、拙者は道中奉行を勤めておったので、扱いには色々と気を揉みましたぞ。あやつはかなり気難しいのでして」
「ほほう」
そんな会話を稲生と大岡が交わしている間にも、象はこちらに向かって来る。そしてそれを見ていた一同は皆疑問に感じた。
象の速度が速すぎるのではないかと言う事にだ。
「あやつ、綱がついておらぬぞ。引きちぎられている」
「それに、周りに誰もついておらぬではないか?」
百人番所の同心達は口々に疑問を口にした。よく見ると象の後ろから何人もの侍が追いかけて来る。どうやら象の輸送を担当していた役人らしい。この状況から察するに、逃げられて追いかけている最中の様だ。
「そういえば、最近象が暴れて安南人の象使いが怪我をしたとか」
「もしや象の扱いを知らぬ者が無理に連れて来ようとしたのではあるまいな」
あるまいなも何も、その通りであろう。
象は平時は穏やかな動物であるが、一旦暴れ出すと手が付けられない気性の荒い面を持っている。その様な動物を素人が無理に扱えばどうなるのか、答えはこれである。
「拙いな。このまま奥に来られては、二の丸や本丸御殿に突撃されかねんぞ」
「皆の者、配置につけ!」
このままでは江戸開府以来、一度たりとも無かった江戸城本丸までの攻撃を許してしまうという事になり兼ねない。しかもそれを成すのが豊臣の残党でも浪人の蜂起でもなく、畜生にされてしまうのだ。その様な事が知れ渡っては、徳川の威光が地に墜ちてしまうだろう。
それに、登城中の大名に万が一の事があれば、三百諸侯が黙っておるまい。
それを防ぐための番人たる百人番所の同心達の目の色が変わる。ついさっきまで忍者がどうだとか下らぬ言い争いをしていた阿呆どもと同一人物とは思えない。
覚悟を決めた武士の顔である。
「良いか、先ず足を止めろ。その後柔らかい部分、目、口、肛門等を狙え。それ以外の部分は弾き返されると思え!」
多羅尾が素早く指示をした。先ほどまでいがみ合っていたのが嘘の様に、統制の取れた動きで武器を取り、陣形を組む。
手には鎖分銅や槍、刀が持たれている。
命を投げうってでも象を仕留める覚悟が充満しており、彼らなら間違いなくこの先に象を行かせることは無いだろう。例えどれだけ犠牲者が出ようと、やり遂げるに違いない。
まだ宮仕えの感覚が薄い文蔵であったが、彼らのこの様な振る舞いには感じ入るものがある。
「まあまあお待ちを。せっかくの象を仕留めてしまっては、明日の町入能での披露が出来なくなるでしょう。ここはわたくしめにお任せあれ」
そう言って前に進み出たのは、巳之吉であった。普通なら一介の芸人風情がでしゃばるなと一喝される場面だが、そんな事を言い出す者は誰もいない。皆、巳之吉が只者では無い事を、その佇まいから感じ取ったのである。
突進して来る象の前に決死の覚悟で立ちふさがるのも常人ではないが、何の気負いも無く進み出るのは最早狂人の域に達している。
だが、巳之吉は狂人ではない。
「さあ、いい子だ……」
巳之吉は突進する象の前に進み出ると、あっという間に象の上に飛び乗った。そして象の頭を何度かさすったり軽くぽんと叩いたりすると象はたちまち大人しくなり、足を止めた。
「巳之吉小父さん、お見事!」
巳之吉の動物使いの能力は、弟子である文蔵も朱音も良く知っている。だが初めて扱う動物ですらここまで見事に鎮静化させるとは、改めてその実力に感服する思いであった。
よく知っている文蔵達からして驚いているのだ。初めて見る百人番所の同心達の驚愕ぶりはそれ以上である。一瞬静まり返ったが、すぐに手や足を打ち鳴らして称賛した。彼ら警護役は城の守りの最前線だ。実力主義である。だから巳之吉の身分が芸人であろうと、その様な事を気にせず素直に称えたのである。
「さあ皆さん、道をお空け下さい。このまま中まで……うっ……」
「小父さん?」
芸歴の長い巳之吉は、称賛を浴びるのに慣れている。慣れた様子で手を振っていたのだが、急に顔色を変え、象から滑り落ちた。慌てて善三がそれを受け止め、地面に横たえる。
「これは、ぎっくり腰だな」
「若作りしてるけど、いい歳してるからなあ」
「うう……ううっ」
苦し気に呻きながら、声にならない声で巳之吉は文蔵に何かを示した。
恐らく動物たちを頼むと言いたいのだろう。明日になれば巳之吉の腰も回復するであろうし、もしそうでなくてもその教え子である朱音や文蔵が一座の人間に協力すれば、問題なく芸を披露できる。
「では、わたくしがこの子を連れて行くとしましょう」
文蔵は巳之吉に代わって象の上にひらりと飛び乗ると、巳之吉の真似をして象を操った。象は大人しく文蔵の言う事を聞き、静々と城内を進んで行く。
百人番所の同心達は、道を開けて静かにそれを見送った。
(これはもしかして、俺が象の世話をしなくてはならんのか?)
ただでさえ慣れぬ城内の仕事であったのに、余計な仕事が増えてしまったかもしれない。
その予感は的中し、この夜文蔵はただ一人動物の世話のために城内に残される事になったのである。
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そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
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