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第三章「田沼の計らい」
第七話「御庭番 薮田」
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西の丸を出て御広敷に向かおうとした文蔵は、御広敷の手前で侍の一団に呼び止められた。その者達には見知った者も含まれている。
江戸城の大手門を守る百人番所の同心である多羅尾をはじめとする侍たちだ。彼らは太平の世に堕落する幕臣の中においても江戸城守護の最前線に立ち続けるという職務の特性から、未だに武張った性質の集団である。
そして彼らには別の特徴がある。
伊賀衆や甲賀衆がその構成に含まれているという事だ。つまり忍者である。
先日多羅尾と初対面の際、文蔵は訳も分からずに絡まれてしまった。文蔵の姓である服部は、伊賀の出身として有名な武将である服部半蔵から貰ったものである。そのため伊賀忍者と甲賀忍者の対立に巻き込まれてしまったのだ。文蔵の家系は服部半蔵とは全く血縁関係に無いため、迷惑な事この上ないのであるが。
「おや、多羅尾殿お久しぶりです。それでは失礼いたす」
「待てい。何故立ち去ろうとする。まんざら知らぬ仲でもあるまいし」
面倒に巻き込まれたくない文蔵は挨拶もそこそこに離脱しようとしたのだが、残念ながら呼び止められてしまった。
「何でしょう? 今忙しいのですが」
「大奥の件であろう。実は我等も御広敷の伊賀崎殿から頼まれてな。城内での探索を担当しているのだ」
「そうですか」
どうやら現在の目的は同じと言う事が分かり、文蔵は一先ず安心した。忍者関連の話になると妙な事になるのだが、それ以外では多羅尾はまともであると文蔵は思っている。先日江戸城に侵入し、将軍家の命を狙った刺客を撃退した時も協力して戦ったものだ。
その視点で見れば、文蔵と多羅尾は馬を並べて戦った戦友である。
「何か掴めましたか? こちらは今西の丸から戻ったばかりなのだが……」
文蔵は田沼から得た情報など、これまでの調査の進展状況について伝えた。多羅尾も甲賀衆と伊賀衆の伝手を使って調べた内容を文蔵に聞かせた。残念ながら多羅尾達忍者衆の方は特に目立った情報は無い様だ。だがこれは、美鈴の失踪が単なる事件で無い事の裏付けでもある。周到に計画されたものでなければ、これだけの捜査網に何も情報がかからないなどありえない話だ。
「しかし多羅尾殿が伊賀崎殿に協力しているとは思わなかったぞ。百人番所でも伊賀衆は兎も角甲賀衆までとは」
「まあ、江戸城内の警護は我々の役目だからな」
「なるほど、そういうものですか」
「おいおい、若者に何を適当な事を吹き込んでおる。お主ら甲賀者や伊賀者など所詮は門番ではないか」
「おのれ薮田、我らを愚弄するか!」
唐突に会話に割って入った者がいる。どうやらその人物と多羅尾は知り合いであるらしい。
外見は様々な雑役をする小者の様であるが、れっきとした侍である多羅尾に対して対等に話しかけている以上外見通りの身分ではないのだろう。多羅尾とも知り合いの様でもある。ただ、剣呑な関係なのは一目瞭然だ。
文蔵は実に嫌な予感がした。
「愚弄も何もその通りではないか。お主ら百人番所の甲賀衆と伊賀衆は大手門の門番にすぎないし、御広敷の伊賀衆も大奥の番人と雑役夫だ。しかもあの連中、女どもから下に見られているのだぞ。忍者としての誇りは何処にいったのやら。まあ他にも先手組に紛れ込んで火盗をしている奴もいるようだが、これも城外の警備だ。つまり、上様の側に侍り本当に守っているのは我等紀州忍者の御庭番なのだよ」
伊賀と甲賀だけでも面倒だったのに、今度は紀州忍者なるものが現れてしまった。多羅尾が絡まれている隙にさっさと離脱したいのだが、残念ながら文蔵は多羅尾と薮田に挟まれる位置にいる。
「ふん。上様の身辺警護といえば聞こえが良いが、実際の所御庭番のほとんどが江戸市中や遠国に潜伏しているではないか。そんな事が出来るのも、我等甲賀忍者と服部殿の様な伊賀忍者がしっかと守っているからではないか」
薮田に徴発された多羅尾が煽り返した。しかも、何故が文蔵が伊賀忍者代表の様に仲間に組み込まれている。そして煽られた薮田は余裕の表情だ。
「我らは少数精鋭なのでな。その実力を信頼されているからこそ、上様が紀州藩主から将軍になった時に引き連れて来たのだ。どうやら甲賀忍者や伊賀忍者の事を頼りなく思われている様だ。まあ仕方がないな。お主らが江戸で平和に武士の真似事をしている時に、我ら紀州忍者は忍者の本分を忘れず、修業を怠らなかったのだからなぁ」
薮田は高笑いをすると、挑発する様に懐から取り出した鉄扇で多羅尾を扇いだ。
この様な日中に、忍者がどうとか大声で話すのは恥ずかしいので文蔵としては止めて欲しいのだが、互いに互いを罵る声は大きく成っていった。
忍者なら、もう少し忍んで欲しいものである。
あまりに大きな声で怒鳴り合っているので、御広敷の中から伊賀崎達が何事かと出てきてしまった。そして、薮田の顔を見ると大体の事情を察したらしく、文蔵と多羅尾の方に回った。
いや、こんな事で味方をされても文蔵は嬉しくとも何ともないのだが。
「兄上、大丈夫ですか? どうも御庭番と伊賀崎様達はそりが合わないようで」
「大丈夫も何も、訳が分からんぞ。そもそもだ。御庭番って何なんだ?」
伊賀崎と一緒に出て来た武蔵が、心配そうに声をかけて来た。武蔵は城内での勤めをそれなりにしているため、御庭番に関して一応の知識がある様だ。
状況が掴めていない文蔵に、御庭番が一体何なのかと、伊賀忍者や甲賀忍者との関係について武蔵が教えてくれた。
御庭番は、幕府の百年以上の歴史からするとそう古い存在ではない。当代将軍の吉宗が将軍に就任する際、紀州藩から連れて来た忍者達だ。そして吉宗は彼ら紀州忍者を身辺警護や情報収集のために使っているのである。
彼らは身分こそ低いが、将軍から直接命令を受けたり、見知った事を報告する事が出来る。直参の中でも身分の低い御家人が、普通は将軍に目通り出来ないのとは大違いである。正式に目通りすると隠密な会話が出来ないため、彼らは表向きは庭の管理を役職としている。建前上は庭を眺めている将軍が独り言を発し、庭の手入れをしている薮田達紀州忍者もあくまで聞き流し、紀州忍者も独り言を将軍に聞こえる様に話しているという体をとっているのだ。
この様な形式で、あくまで庭の管理が職務であるという建前なので、御庭番と称しているのである。
何故紀州忍者を江戸に連れて来て、この様な形で吉宗が使っているのかは不明である。徳川の血筋といえど、紀州藩出身という幕府にとっては外様の存在であったため、信頼できる者を連れて来たのだろうか。また、元々将軍の配下として江戸にいた伊賀忍者や甲賀忍者に忍者としての任務を与えなかった理由も不明である。もっとも、伊賀忍者や甲賀忍者は近年では忍者としての任務は全く与えられていなかった。戦国の世は遠くに過ぎ去り、今さら忍者に何かをさせる必要が無いと歴代将軍は思っていたためである。もしかしたら吉宗は、江戸の忍者の腕前が錆びついていると判断したのかもしれない。こうした実力は、いくら修業を続けていようと実戦から離れると衰えるものである。忍者の任務は失敗する事が許されない。ならば紀州藩時代からの信頼できる手駒を重用するのは当然かもしれない。
「そういう訳なので、伊賀崎様達は御庭番と犬猿の仲なのです」
「はあ、なるほどね。でもそれは仕方ない面もあるんじゃないか? 上様だって、気心の知れた者に任せたい気持ちはあるだろう」
いきなり喧嘩を売って来た薮田の事は気に食わないが、御庭番が重用されるのはもっともな事であるとも思う。文蔵は武蔵にだけ聞こえる様に小声で言ったつもりだったが、薮田には聞こえていたらしく、気分の良さそうな表情をしている。実力は本物なようだ。
「でもさ。なんでこの前の町入能の時は警護であの場にいなかったんだ? 最初の奇襲は上様が防いだから良い様なものの、あれは結構まずかったぞ。刺客は俺が片付けたけど、多羅尾殿が知らせてくれなければ対応が遅れて、お偉いさんに死人が出ていたかもしれんぞ」
「貴様! 我等御庭番を愚弄するか!」
こちらの文蔵の声も薮田には聞こえていた。愚弄するつもりは無かったのだが、御庭番にとって痛い所を突かれたらしい。たちまち表情を変え、激昂している。忍者ならもっと冷静さを保って欲しいものである。
「所詮お主らは庭いじりが仕事。公式の場には相応しくないって事だ。なあ服部殿」
「え? そうは言って……」
我が意を得たりと多羅尾が勝ち誇った顔で文蔵の肩に手を置いた。別に文蔵は多羅尾達に加勢するつもりは無かったが、結果的にそうなってしまったようだ。
「多羅尾殿の言う通りだ。そもそも貴様ら御庭番の事など、誰も知らぬわ。忍者と言えば、伊賀か甲賀。この様な事、巷の幼子でも知っておる。そして今江戸の町で一番知られている忍者は、ここに居る伊賀忍者の系譜に連なる服部文蔵殿だ。貴様も知っていよう」
「ぬう。貴様があの忍者同心か」
伊賀崎に煽られた薮田は悔しそうな顔をして文蔵を睨んだ。彼ら御庭番は、今この時も隠密裏に将軍の命を遂行している。そのため、その存在をなるべく知られない様に注意を払っており、その知名度は低い。それに引き換え文蔵は忍者ではないからこそ軽率に人目に付く行動をし、その活躍は江戸の町人達に広く知られている。
忍者はその行動を秘める存在なのであるから、別に知名度など低くても構わない様に文蔵は思う。だが、そうであっても消せない喝采願望はある様だ。特に同業者から舐められるのは我慢がならないらしい。
「ふん。良い気になるなよ? いずれ我等御庭番の実力を見せつけてくれるわ」
負け惜しみの様な言葉を吐くと、薮田はその場を後にした。
残された文蔵は忍者集団から喝采を浴びたのだが、はっきりいって文蔵にはどうでも良い。
ただ、普段はいがみ合っている彼ら伊賀忍者と甲賀忍者であるが、しばらくは協力して事件の解決にあたってくれそうな事は救いであろうと思う文蔵であった。
江戸城の大手門を守る百人番所の同心である多羅尾をはじめとする侍たちだ。彼らは太平の世に堕落する幕臣の中においても江戸城守護の最前線に立ち続けるという職務の特性から、未だに武張った性質の集団である。
そして彼らには別の特徴がある。
伊賀衆や甲賀衆がその構成に含まれているという事だ。つまり忍者である。
先日多羅尾と初対面の際、文蔵は訳も分からずに絡まれてしまった。文蔵の姓である服部は、伊賀の出身として有名な武将である服部半蔵から貰ったものである。そのため伊賀忍者と甲賀忍者の対立に巻き込まれてしまったのだ。文蔵の家系は服部半蔵とは全く血縁関係に無いため、迷惑な事この上ないのであるが。
「おや、多羅尾殿お久しぶりです。それでは失礼いたす」
「待てい。何故立ち去ろうとする。まんざら知らぬ仲でもあるまいし」
面倒に巻き込まれたくない文蔵は挨拶もそこそこに離脱しようとしたのだが、残念ながら呼び止められてしまった。
「何でしょう? 今忙しいのですが」
「大奥の件であろう。実は我等も御広敷の伊賀崎殿から頼まれてな。城内での探索を担当しているのだ」
「そうですか」
どうやら現在の目的は同じと言う事が分かり、文蔵は一先ず安心した。忍者関連の話になると妙な事になるのだが、それ以外では多羅尾はまともであると文蔵は思っている。先日江戸城に侵入し、将軍家の命を狙った刺客を撃退した時も協力して戦ったものだ。
その視点で見れば、文蔵と多羅尾は馬を並べて戦った戦友である。
「何か掴めましたか? こちらは今西の丸から戻ったばかりなのだが……」
文蔵は田沼から得た情報など、これまでの調査の進展状況について伝えた。多羅尾も甲賀衆と伊賀衆の伝手を使って調べた内容を文蔵に聞かせた。残念ながら多羅尾達忍者衆の方は特に目立った情報は無い様だ。だがこれは、美鈴の失踪が単なる事件で無い事の裏付けでもある。周到に計画されたものでなければ、これだけの捜査網に何も情報がかからないなどありえない話だ。
「しかし多羅尾殿が伊賀崎殿に協力しているとは思わなかったぞ。百人番所でも伊賀衆は兎も角甲賀衆までとは」
「まあ、江戸城内の警護は我々の役目だからな」
「なるほど、そういうものですか」
「おいおい、若者に何を適当な事を吹き込んでおる。お主ら甲賀者や伊賀者など所詮は門番ではないか」
「おのれ薮田、我らを愚弄するか!」
唐突に会話に割って入った者がいる。どうやらその人物と多羅尾は知り合いであるらしい。
外見は様々な雑役をする小者の様であるが、れっきとした侍である多羅尾に対して対等に話しかけている以上外見通りの身分ではないのだろう。多羅尾とも知り合いの様でもある。ただ、剣呑な関係なのは一目瞭然だ。
文蔵は実に嫌な予感がした。
「愚弄も何もその通りではないか。お主ら百人番所の甲賀衆と伊賀衆は大手門の門番にすぎないし、御広敷の伊賀衆も大奥の番人と雑役夫だ。しかもあの連中、女どもから下に見られているのだぞ。忍者としての誇りは何処にいったのやら。まあ他にも先手組に紛れ込んで火盗をしている奴もいるようだが、これも城外の警備だ。つまり、上様の側に侍り本当に守っているのは我等紀州忍者の御庭番なのだよ」
伊賀と甲賀だけでも面倒だったのに、今度は紀州忍者なるものが現れてしまった。多羅尾が絡まれている隙にさっさと離脱したいのだが、残念ながら文蔵は多羅尾と薮田に挟まれる位置にいる。
「ふん。上様の身辺警護といえば聞こえが良いが、実際の所御庭番のほとんどが江戸市中や遠国に潜伏しているではないか。そんな事が出来るのも、我等甲賀忍者と服部殿の様な伊賀忍者がしっかと守っているからではないか」
薮田に徴発された多羅尾が煽り返した。しかも、何故が文蔵が伊賀忍者代表の様に仲間に組み込まれている。そして煽られた薮田は余裕の表情だ。
「我らは少数精鋭なのでな。その実力を信頼されているからこそ、上様が紀州藩主から将軍になった時に引き連れて来たのだ。どうやら甲賀忍者や伊賀忍者の事を頼りなく思われている様だ。まあ仕方がないな。お主らが江戸で平和に武士の真似事をしている時に、我ら紀州忍者は忍者の本分を忘れず、修業を怠らなかったのだからなぁ」
薮田は高笑いをすると、挑発する様に懐から取り出した鉄扇で多羅尾を扇いだ。
この様な日中に、忍者がどうとか大声で話すのは恥ずかしいので文蔵としては止めて欲しいのだが、互いに互いを罵る声は大きく成っていった。
忍者なら、もう少し忍んで欲しいものである。
あまりに大きな声で怒鳴り合っているので、御広敷の中から伊賀崎達が何事かと出てきてしまった。そして、薮田の顔を見ると大体の事情を察したらしく、文蔵と多羅尾の方に回った。
いや、こんな事で味方をされても文蔵は嬉しくとも何ともないのだが。
「兄上、大丈夫ですか? どうも御庭番と伊賀崎様達はそりが合わないようで」
「大丈夫も何も、訳が分からんぞ。そもそもだ。御庭番って何なんだ?」
伊賀崎と一緒に出て来た武蔵が、心配そうに声をかけて来た。武蔵は城内での勤めをそれなりにしているため、御庭番に関して一応の知識がある様だ。
状況が掴めていない文蔵に、御庭番が一体何なのかと、伊賀忍者や甲賀忍者との関係について武蔵が教えてくれた。
御庭番は、幕府の百年以上の歴史からするとそう古い存在ではない。当代将軍の吉宗が将軍に就任する際、紀州藩から連れて来た忍者達だ。そして吉宗は彼ら紀州忍者を身辺警護や情報収集のために使っているのである。
彼らは身分こそ低いが、将軍から直接命令を受けたり、見知った事を報告する事が出来る。直参の中でも身分の低い御家人が、普通は将軍に目通り出来ないのとは大違いである。正式に目通りすると隠密な会話が出来ないため、彼らは表向きは庭の管理を役職としている。建前上は庭を眺めている将軍が独り言を発し、庭の手入れをしている薮田達紀州忍者もあくまで聞き流し、紀州忍者も独り言を将軍に聞こえる様に話しているという体をとっているのだ。
この様な形式で、あくまで庭の管理が職務であるという建前なので、御庭番と称しているのである。
何故紀州忍者を江戸に連れて来て、この様な形で吉宗が使っているのかは不明である。徳川の血筋といえど、紀州藩出身という幕府にとっては外様の存在であったため、信頼できる者を連れて来たのだろうか。また、元々将軍の配下として江戸にいた伊賀忍者や甲賀忍者に忍者としての任務を与えなかった理由も不明である。もっとも、伊賀忍者や甲賀忍者は近年では忍者としての任務は全く与えられていなかった。戦国の世は遠くに過ぎ去り、今さら忍者に何かをさせる必要が無いと歴代将軍は思っていたためである。もしかしたら吉宗は、江戸の忍者の腕前が錆びついていると判断したのかもしれない。こうした実力は、いくら修業を続けていようと実戦から離れると衰えるものである。忍者の任務は失敗する事が許されない。ならば紀州藩時代からの信頼できる手駒を重用するのは当然かもしれない。
「そういう訳なので、伊賀崎様達は御庭番と犬猿の仲なのです」
「はあ、なるほどね。でもそれは仕方ない面もあるんじゃないか? 上様だって、気心の知れた者に任せたい気持ちはあるだろう」
いきなり喧嘩を売って来た薮田の事は気に食わないが、御庭番が重用されるのはもっともな事であるとも思う。文蔵は武蔵にだけ聞こえる様に小声で言ったつもりだったが、薮田には聞こえていたらしく、気分の良さそうな表情をしている。実力は本物なようだ。
「でもさ。なんでこの前の町入能の時は警護であの場にいなかったんだ? 最初の奇襲は上様が防いだから良い様なものの、あれは結構まずかったぞ。刺客は俺が片付けたけど、多羅尾殿が知らせてくれなければ対応が遅れて、お偉いさんに死人が出ていたかもしれんぞ」
「貴様! 我等御庭番を愚弄するか!」
こちらの文蔵の声も薮田には聞こえていた。愚弄するつもりは無かったのだが、御庭番にとって痛い所を突かれたらしい。たちまち表情を変え、激昂している。忍者ならもっと冷静さを保って欲しいものである。
「所詮お主らは庭いじりが仕事。公式の場には相応しくないって事だ。なあ服部殿」
「え? そうは言って……」
我が意を得たりと多羅尾が勝ち誇った顔で文蔵の肩に手を置いた。別に文蔵は多羅尾達に加勢するつもりは無かったが、結果的にそうなってしまったようだ。
「多羅尾殿の言う通りだ。そもそも貴様ら御庭番の事など、誰も知らぬわ。忍者と言えば、伊賀か甲賀。この様な事、巷の幼子でも知っておる。そして今江戸の町で一番知られている忍者は、ここに居る伊賀忍者の系譜に連なる服部文蔵殿だ。貴様も知っていよう」
「ぬう。貴様があの忍者同心か」
伊賀崎に煽られた薮田は悔しそうな顔をして文蔵を睨んだ。彼ら御庭番は、今この時も隠密裏に将軍の命を遂行している。そのため、その存在をなるべく知られない様に注意を払っており、その知名度は低い。それに引き換え文蔵は忍者ではないからこそ軽率に人目に付く行動をし、その活躍は江戸の町人達に広く知られている。
忍者はその行動を秘める存在なのであるから、別に知名度など低くても構わない様に文蔵は思う。だが、そうであっても消せない喝采願望はある様だ。特に同業者から舐められるのは我慢がならないらしい。
「ふん。良い気になるなよ? いずれ我等御庭番の実力を見せつけてくれるわ」
負け惜しみの様な言葉を吐くと、薮田はその場を後にした。
残された文蔵は忍者集団から喝采を浴びたのだが、はっきりいって文蔵にはどうでも良い。
ただ、普段はいがみ合っている彼ら伊賀忍者と甲賀忍者であるが、しばらくは協力して事件の解決にあたってくれそうな事は救いであろうと思う文蔵であった。
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