忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛

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第一章「火付盗賊」

第六話「黒雲の半兵衛」

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 町奉行所に怪我をした破落戸達を連れて戻ると、中にいた先輩同心達が騒然となった。

 当然だ。文蔵はまだ見習い同心に過ぎないので岡っ引きはまだ持っていない。いや、それどころか小者すら連れていない。

 見習いとはいえれっきとした武士なのであるから小者を雇っていないのはどうかと思われるが、それを飛び越して文蔵の岡っ引きだと名乗る大男やその手下を連れて戻ったのだ。驚かない方がどうかしている。

 しかも、その岡っ引きだという男は、これまで町奉行所に全くなびかなかった蝮の善衛門の息子なのだという。一体どの様なからくりが有ったらこの様な事になるのか、分かる者は誰もいなかった。中には文蔵は忍者であるからして、闇の世界の住人との付き合いがあるのでないかと愚にもつかぬ憶測を述べる者が居るくらいだ。

 それは兎も角、事件の情報を握っていると思われる輩を捉えて来たことは称賛された。何しろ被害者の名前すら不明の事件である。手掛かりは喉から手が出るほど欲しい。

 加えて、火盗から引き渡しを要求されたのを突っぱねた事は、奉行所の皆が快哉を叫んだ。新入りの文蔵は知らぬ事であるが、どうやら縄張り争いなどで色々といざこざがある様だ。

 尋問もすんなりといった。その有様は、お調べを担当する吟味与力が裏があるのではと疑う程であった。

 まさか、蛇の毒を食らって恐怖に陥っていたとは夢にも思うまい。

 捕らえられた破落戸どもがうたい出した所によると、次の通りであった。

 破落戸どもは江戸近辺を流離う悪党で、特定の悪党一味に属してはいない。その時その時で割りの良い報酬を求めて悪党の手先として働いている。

 それでは今回の雇い主は誰なのかというと、黒雲の半兵衛という盗賊である。黒雲の半兵衛は関東一円を荒らしまわる盗賊で、町奉行、火付盗賊改、関東郡代、道中奉行等、治安を司る機関が総出で追っている大悪党だ。何故その身柄を重大視しているのかというと、彼の働き方が原因だ。

 黒雲の半兵衛率いる盗賊の一味は、火事場泥棒を専門としている。行く先々の豪商の屋敷に火をかけ、その蔵から金品を強奪している。更に厄介な事に、店の者が抵抗した場合容赦なく殺すし、目標とする屋敷以外にも火をかける。何故なら被害を拡大させて混乱を深める事が逃走の手助けとなるからだ。

 また、商人だけではなく代官所の蔵もその標的としている。当代の将軍吉宗が、「米将軍」と呼ばれるほど米の価格に気を向けている事は庶民にも有名であるが、米の価格の調整のため、各地に米や金を蓄えており、それを狙われてしまったのである。

 これは幕府の権威を傷つけるものである。黒雲の半兵衛一味の捕縛は町奉行所でも優先事項としてとらえられていた。

 そして、先日の日本橋の札差の店が付け火された事件の黒幕は、黒雲の半兵衛だというのである。

 あの時文蔵が撃破した火事場泥棒は五人であったが、彼らは金倉に侵入して千両箱を盗み出す要員に過ぎない。彼らは江戸で雇われた、一味の外の人間なのだ。

 黒雲の半兵衛達一味の主要な者は火を付ける者、遠くから状況を観察する者に分かれ、安全な場所にいるのである。この様に、自らは安全な場所にいる事が黒雲の半兵衛が執拗な役人の取り締まりを掻い潜った秘訣なのである。

「へえ、それじゃあこの前捕まえたって奴等も、その情報を元にもう一回締め上げれば、ゲロを吐くって訳かい?」

 北町奉行所の門の前で、文蔵は外で待っていた善三と朱音に分かった事を教えた。岡っ引きは本来存在しない役職であるため、文蔵の岡っ引きである善三が中に入る訳にはいかない。

「だろうね。それに、両国橋で死んでた奴は、黒雲の半兵衛の一味が殺したんだとさ。殺されたのは一五郎とかいう、元々日本橋の火事場泥棒の仲間らしくてね。仲間がとっ捕まったんで色々騒ぎだしたのが目障りで消したらしい」

 そして一五郎の事を知っている者を消す様に雇われていたのが、両国で捕まえた破落戸だったと言う事なのだ。

「んじゃあよお。これから黒雲の半兵衛って奴を捕まえに行けば事件は解決、文蔵も見習いから正式な同心になれるって訳だな」

「それがそうはいかねえんだ。……ところで、こいつらなんで寝てるんだ?」

「あたし達のせいじゃないわよ」

 奉行所の前には中に入れない岡っ引きや小者達が主人を待っているのだが、その内の何人かが地面に転がっている。そしてそうでない者は善三達を遠巻きにしている。どう考えても善三と朱音が何かした様にしか思えない。

「あ~とですね、服部の旦那。新入りに礼儀を教えてやるって連中が喧嘩を吹っ掛けちまってね。あっしは止めたんですがねえ」

 遠巻きにしていた岡っ引きの中の一人が近づいてきて、何があったのか教えてくれた。この岡っ引きは粟口が使っている者で名を亀吉と言ったはずである。風采の上がらない小男であるが、時折見せるその目付きは鋭い。見た目とは違い侮れぬ奴だと、文蔵は短い間の観察ながらに思っている。

「そういう事か。よくもまあ善兄に喧嘩売ったもんだ。俺は逆に褒めてやりたい」

 岡っ引きは元々犯罪者だった者が改心、または罪を減らしてもらう等の理由で同心に使われている。つまりその本質はヤクザ者に近い。そして彼らは無鉄砲さや度胸を売り物にしているので、例え善三が筋骨隆々の大男であろうと序列の上に立とうと挑んできたのだろう。それに数で押せば勝てると踏んだのかもしれない。

「ま、俺の顔も両国を出ればまだまだ売れてないって事だな。おかげで楽しめたよ」

 善三の祖父である先代蝮の善衛門は、押しも押されぬ大侠客で、これに喧嘩を売る者は江戸中のヤクザ者を探してもおるまい。だが、その息子である当代蝮の善衛門やの息子である善三、娘の朱音は長年旅芸人として江戸を離れていた。そのため、まだ善三の顔を知らぬヤクザ者は多い。先代の頃から仕えている下っ端の方が、まだ顔を知られているだろう。

 もっとも、岡っ引きの半数程度は亀吉の様に善三の素性を知っていて、無謀な挑戦などしなかったのではあるが。

 生き馬の目を抜く様な江戸の裏社会においては、やはり情報が命なのかもしれない。

「そんでどこまで話したっけ?」

「えっと、確か簡単に事件は解決しないって、そんな事言ってなかったかしら」

「ああそうだったな。それはな、奴らを締め上げても黒雲の半兵衛の事を直接知らないんだよ」

「そうなのか?」

 悪党どもを直接吟味したのは文蔵ではないが、粟口を通じて聞き出せた内容は知っている。

 黒雲の半兵衛は行く先々で手下を調達する。そのため、直接手を下した者が捕縛される事はあっても結局本丸たる半兵衛に辿り着く事はない。

「じゃあどうすんのさ」

「それなんだが、粟口さんは両国で殺された一五郎が怪しいと睨んでいる」

「怪しいったって、もう死んでるじゃねえか。どういうこった」

 定町廻りの筆頭格である粟口の考えでは、黒雲の半兵衛は基本的に手下とは接点を持たないが、一五郎とは何らかの関りがあったのではないかと踏んでいる。

「そうでなければ、わざわざ危険を冒して殺したりしないだろうってさ」

「なるほど、それはそうだ。その一五郎ってやつが何も知らないなら、放っておけば良いんだからな」

 その様な理由で、これから定町廻りの同心達で一五郎に関して情報を集める事になったのだ。今月の月番は北町奉行所だがそれだけでは手が足りないので、南町奉行所にも協力を仰ぐ事になっている。その様な手続きがあるので、正式な同心達はまだ奉行所内で書類仕事をしている。そして書き物が苦手な文蔵はその様な作業では役に立たないので、調査に行ってろと言う事になったのだ。

 とは言っても、文蔵はまだ見習いである。その力には限りがある。これから町奉行所の同心達が全力で捜査するのだ。それを思うと、真面目にやるのが少し馬鹿らしくなってきた文蔵である。

 その時、小さな兄弟が二人、奉行所の門番に何かを言って追い返されている光景が文蔵達の目に飛び込んできた。

「あれは一体?」

「あの様子じゃ、用件すら聞いてもらえなかった様だが」

「聞いてみようかしら」

 幼子たちが気の毒に思えた朱音は、何事かと尋ねようと近づこうとした。だが、それを止める者がいた。粟口の使っている岡っ引きの亀吉である。

「およしなせえ。門番の奴らがすぐに追い返したのは理由があるんだ。聞いても仕方ないと分かってるんだよ」

「どういう事だ?」

「あの子たちの両親は、先月の火事の最中に行方不明になってるんだ。もう生きちゃおるめえ」

「なんだって? あの火事は、すぐに火を付けた奴らを捕まえたじゃないか」

 自分も少し関わった事件の事が出て来たので、文蔵は驚いて聞き返した。

 だが、亀吉の語る所によると、あの火事の被害は相当なものであったのだ。盗難の標的となった店はもちろん火に強い土蔵を残して殆ど焼失したのだが、その周囲の被害も相当であった。火消しが周囲の店を打ち壊して広範囲の焼失は防いだのだが、それでも延焼を完全に抑える事は出来なかったのだ。特に、火事場泥棒が目撃された地域での被害範囲は大きかった。

 纏持ちが火事場泥棒に暴行を受けたり、その後の文蔵による大立ち回りで消火活動が進まなかったためだ。

 その結果行方不明になる者が出てしまい、その中にはあの幼子達の両親も含まれていたのである。

 そして、現在は親類に預けられているらしいのだが、両親が見つかっていないか数日おきに町奉行所を尋ねて来るというのである。

 それを聞いた文蔵は、これまで無かった事件解決への意欲が湧きあがって来るのを感じた。家族を散り散りにさせてしまった悪党どもへの怒りもだ。

「そういう訳で、一五郎について聞いて回ろうと思う。善兄も朱音さんも手伝ってくれるかな?」

「もちろんさ。両国一帯で私達に分からない事なんて無いんだから、大船に乗ったつもりでいなよ」

「そうさ、文蔵のためなら親父も協力を惜しまないだろうさ」

 文蔵は口には出さないが、自分が十数年親兄弟と離れ離れになってしまった事に思いをいたしているのは、善三も朱音も察しがついている。その代わり彼らが兄弟代わりだったので文蔵はまだ恵まれている方ではあるが、それでも取り戻せないものはある。だから、善三達は文蔵に全力で協力してやろうと心に誓った。

 江戸でも有数の侠客である蝮の善衛門一家が全面的に協力してくれることになったのだ。これならば事件の解決はすぐであろうと文蔵は心強く感じたのであった。



 善三と朱音が力強く一五郎の調査を請け負った数日後の事である。

「わっかんねえな」

「駄目か……」

 両国は蝮の善衛門の屋敷で、文蔵達が車座になって捜査の進捗状況について話し合っていた。

 未だに一五郎に関する詳細な情報は掴めず、先輩同心達も江戸を駆けずり回っている。本来は見習いに過ぎない文蔵は先輩について回るのが筋であるが、特殊な情報源があると言う事で単独行動が見逃されている。

「最近は、火盗の奴らがうるさいらしくて、あの破落戸どもや日本橋で火事場泥棒をした連中を引き渡せってよ」

「渡してやれば良いじゃない。どうせもうこれ以上情報を吐かせられないんでしょ?」

「なんか縄張り争いがあるらしく、渡したくないらしい。ま、最終的には引き渡さなけりゃならんらしいが」

「お侍の世界もやくざと変わらないわね」 

 役所同士の権力争いに興味が無い文蔵にとって、実のところこの件はどうでも良い事なのだが、百地の事を思うと何となく反発心が生まれて来る。何とか鼻を開かせてやりたい。

「そういえば、一五郎は死んじまったけど、何か重要な情報を持っていたのは確かなんだよな」

「そうだな。だから皆して一五郎の事を聞いて回ってるんだろ」

「そう、皆その事を知っている。黒雲の半兵衛もな。なら、それを逆用できないか?」

 文蔵は自分の考えた策を語り始めた。
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