当世退魔抜刀伝

大澤伝兵衛

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第1章 ヤトノカミ編

第5話「夜の稽古」

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 道場破りの撃退後、子供達への指導を終えた修と千祝ちいは道場に二人きりで夜の稽古が始まるのを待っていた。稽古に通ってきていた子供達は帰ってしまったし、千祝の弟の則真は、今日は不参加らしい。修の従妹の八重は参加する実力は備えているが、今日は学校から帰るのが遅くなるらしいのでこれまた不参加だ。

 ただ待つのも退屈なので二人だけで稽古をしていた。このように暇を持て余している時に二人で稽古をするのはいつものことであり、内容はその日の気分によって様々だ。

 ひたすら筋トレや駆け足をする体力練成、型稽古や試合のような通常の稽古、昔修が父親に習った抜刀隊に伝わる連携技の様に普通の武道家が修練する個人技にとどまらない技法等、強くなれそうなものなら何でもやってきた。

 稽古内容をどちらが決定するかは特に決まっていない。どちらともなく何をやりたいと言い出したり、片方がやりだしたことをもう片方が一緒にやったりとその日によって違う。この日はお互い何も言わなくても夕方の道場破りとの戦いの検証をすることになった。

 結果としてあっさりと勝ってしまったが本来は勝てる相手でなかったことは二人とも重々承知だ。

「鬼一流って言ってたけど、やっぱあれかな?鞍馬山で源義経に剣術を教えたって言われている鬼一法眼の流れを汲む流派かな?で、こんな感じだったっけ?」

 修は道場破りの流派の推測を言いながら木刀を持ち、その構えを再現しようとしていた。

鬼一法眼きいちほうげんの流れを汲む流派っていうと京八流があるわね。その系統だと有名なのは宮本武蔵と戦った吉岡憲法の流派とか、念流の念阿弥慈恩ねんあみじおんが鞍馬山で修業したときに習得したのがこの流派だっていう説があるはずよ。もうちょっと後ろに体重がかかってた気が……」

 千祝は推測に答えながら修の構えに対して感想を述べる。こちらは試合の時と同じく薙刀を構えている。将棋の感想戦のように当時の状況を再現してみようという試みだ。

「後ろに体重か。何となく雰囲気が剣道に似てたと感じたんだけどな。ああ、そう言えば古流剣術っぽいのに剣道みたいに真っすぐ立って足が揃ってたからかな。まあ、同じ系統かもしれない念流からは一刀流は、現代の剣道に通じてるから共通点があるのかもしれないな。名前からてっきり色物流派かと思ってたよ」

「鬼一法眼は天狗っていう説があるものね。もっとも天狗に限らず、神託や瞑想で極意を得た流派は多いから一概に天狗イコール色物とは言えないけど」

「そうだな。だけどあいつは今時道場破りなんかしてる変な奴だから流派も色物かと思ったんだ。じゃあ仕掛けるから受けてみてくれ」

 夜の部の稽古が始まるまでそんなに時間があるわけではない。それまでに昼間の道場破りの動きを再現しておきたかった。

 お互いに思いついたことを口にしていくいわばブレインストーミング的な行為も時には武道の稽古の壁を乗り越えていくのにあたり有効である。しかし、やはり最後に重要なのは実践することだ。

 修は試合を見た時の記憶と千祝の戦った時の印象を頼りに道場破りの構えを再現しようとした。重心はやや後ろながら一般的な剣道の様に足を両方とも前に向ける。更にこの構えから導き出されるべき正解の動きを今まで学んできた武道の知識、そして、自分自身の体の声を聴き、答えを模索する。

 重心を後ろにかけ、踵を地面にしっかり付けた構え自体は古流武術においてそれほど珍しいものではない。これにより、道場の様に安定していない戦場でもしっかりと地面を踏みしめて安定した姿勢を保つ事が出来る。それにこの構えに習熟することで、初動を相手に悟らせず瞬間的に加速し、地面を滑るような動きで間合いを詰めるような事も可能になり、これは修もある程度習得している。この動きをすると相手の反応が遅れるので試合の時に道場破りが見せた、いつの間にか間合いを縮めていた動きにもこれならある程度説明がつく。しかし、これだけでは傍から見ていた修にも一瞬消えたように見えた動きに対する説明には足りない。この足りない何かを修自身で解明しなくてはならない。

 しばし考えた後ある仮説が頭に浮かんだ。この考えを頭の中で検証してみるとこれしかないように思えた。後は肚を決め、実行するだけだ。やれば後は剣が導いてくれるだろう。

「……フッ!」

 大きな声で裂帛の気合のもとに切りかかるのではなく、小さく鋭く息を吐き、相手の不意を突くように仕掛けた。

「……? あっ、えい!きゃあ!」

 修の目論見はある程度は成功した。初動を悟らせず、瞬間移動したかのごとく一気に間合いを詰め、千祝の反撃を完全に食らうことは避けられた。しかし、薙刀の物打の部分による攻撃は避けられたものの道場破りと同じように柄の部分により足を刈られ転倒、しかも勢いが付きすぎていたためそのまま前に転び、千祝を巻き込んでもつれ合って倒れ伏した。

「どうだった?」

 絡み合って転んだまま修は尋ねた。実践一発目にしてはかなり良い出来だったと思う。

「そうね。試合の時と同じ感じだったと思う。この状態になった訳は、修ちゃんの方が体重がある分、同じように攻撃できても勢いを殺しきれなかったからだと思う」

 修の下敷きになったまま千祝は冷静に答えた。冷静に答えただけでなくその足は修の胴体にしっかりと巻き付いていた。これは偶然などではなく倒されてもなお完全に勝負がついたわけではないことを示している。

 総合格闘技でいうところのガードポジションンに近い態勢であり、上に覆いかぶさっている修は、千祝のコントロール下にある。絡みついた足を外したら修が優勢になるが、今回の稽古の主題は寝技ではないのでそこまでは試みない。

「で? どうやったのか解説して」

「ふっふっふ。苦労して再現した技をそう簡単に教えると思うか? 少しは自分で考えるんだな。もっとも、晩御飯を一品増やしてくれたらヒント位は教えてやってもいいぞ」

「古流特有の初動を悟らせない動きと剣道みたいな鋭い踏込みを合わせることによって相手にはあたかも瞬間移動したように見えるわけね。まさに天狗の流儀を名乗るのにふさわしい技ね。単純かもしれないけど、相反する二つの理合いを組み合わせるのは難しいことね。あと晩御飯がどうしたって? 今朝やられたところが痛いから重湯だけにしてくれって?」

「ごめんなさい調子に乗りましたせめてごま塩くらいつけてください」

 修が今までの経験と知識を総動員して再現して見せた技の原理を、千祝はあっさりと見抜いてしまった。加えてちょっとした意地悪も見事に返された。客観的に技を観察していた修と違って千祝からしてみれば相手があたかも瞬間移動してきたかの様にしか見えなかったはずなのに驚くべき分析力である。

「嘘よ。ちゃんと食べないと大きくなれないわ」

「ありがとうございます。でも昔に比べればかなり大きくなったと思うがな」

「あら。あなたのお父様に比べればまだまだよ。それに、怪我をしている時こそしっかり食べなきゃね」

「ただいま。今帰ったぞ。すぐに稽古を始めるからな」

 二人が絡み合った姿勢のまま話しているところに則武が帰ってきた。その後ろには道場は夜の部に通ってくる大人の門下生たちが続いていた。

「む?」

 道場に入ってきた則武は重なったままの二人に目を向けた。

「お父様、お帰りなさい」

「先生。夜の稽古の準備をしていたところです」

 この態勢で夜の稽古などと言われると、なにやら意味深長に聞こえてくるが、本人たちにその様な意識はまるでない。

 修たちは絡み合った姿を見られたのにもかかわらず特別な反応をすることなく挨拶し、落ち着いた様子でゆっくり体を離した。ゆっくり離れたのは恋人同士が名残惜しんでとかそういう風情は全くなく、お互いの動きを警戒したいわゆる残心としての動きだった。どうやら二人は離れる時も相手の動きに注意しなければ師匠である則武に怒られると思っているらしい。もちろん則武が言いたいのはそんなことではないのだが、二人の距離感が通常の思春期の男女とは異質であることは理解しているので、半ばあきらめの境地にいるために何も言わなかった。

「おまえら。その……なんだ?学校ではあまりそういうことはするんじゃないぞ。先生は分かってるが周りはそう見ないからな」

「はい。分かってます。学問の場に武のしきたりは持ち込みません」

「そういうことじゃないんだがな……」

 則武の後ろについて入ってきた門下生の中には修達の通う八幡高校の体育教師である水野や里見も交じっており注意をしてきた。が、修はその意味を取り違えているようだ。もちろん水野はそんなことを言いたかったのではない。

「そういえば、昼に道場破りが来たらしいな。玉川さんから聞いたぞ。よくやった……とだけ言っておこう。玉川さんはその件の処理とかで今日はこれないそうだ」

 珍しく則武に褒められて、修と千祝は顔を見合わせて少し微笑んだ。評価されるのはやはりうれしいものなのだ。

「今日は稽古メニューは何ですか? 特殊な稽古具を使うのだったら用意します」

「ん?ああ、今日は木剣だけでいい。基礎を終えたら集団戦をやろうと思う。最後は連携攻撃に対する多人数掛けだ」

 太刀花道場の夜の部では指導する則武のその日の気分によって稽古内容が決まる。前回までの稽古内容を踏まえて総合的な観点から決めることもあれば則武のマイブーム(何か一つの型だったり槍や棒等の様々な武器だったりする)で決まることもある。また、稽古の出来が気に食わないときには延々とぶっ通しで抜刀動作だけすることもあり、助手を務める修にも先が読めない。

「分かりました。ところで今日は初めての人がいるようですね」

「ああそうだな。この人が今回から参加する中条さんだ。警視庁の大久保さんの紹介でな。警察の人じゃないんだがよろしく頼む」

 則武に促されると中条と紹介された男が挨拶をしに来た。年のころは二十代半ば頃、体格は中背中肉で修よりも小さい。ただし道着の上からも中の筋肉が鍛えられていることは見て取れた。

「よろしくお願いします。剣はやったことは無いですが銃剣道と日本拳法をやっています」

 中条は丁寧に挨拶をした。自分より歳の若い修に対しても、道場の先輩ということを立てて礼儀正しく接する中条に対して修は好感を感じた。

「こちらこそよろしくお願いします。職業は防衛官ですか?」

「……何故、分かりましたか?」

 中条は一瞬固まった後、絞り出すような声で聞いてきた。職業を見抜かれるとは思っていなかったらしい。

「何故って。バレバレじゃないですか」

「そうですか……」

「そうですよ」

「髪の毛伸ばして偽装してたつもりなんだけど」

「体つきから何かやってるのは分かりますし、武道歴からも防衛官にしか思えませんよ」

 中条の髪は言っている通り長くサラリーマンの様だが、体つきが只者ではない。これだけならトレーニングが趣味の一般人の可能性も十分あるが、銃剣道と日本拳法という防衛隊で盛んに行われている武道をしている時点で防衛官、または退官したOBであることは容易に予想できた。

「おい。話は後にしろ。始まりの礼を終えたらいつも通り準備体操と基本の素振りまでお前の指導でやっておけよ」

 話をしている修に則武から稽古についての指示が入った。

 稽古開始の礼をすると則武の指示通り修の指導のもと準備体操や基本動作の稽古をした。門人は修に比べて武道歴が長く警察官の様に実戦の場で武道を活用している者も多い。その門人達を差し置いて修が基本稽古の指導をしているのはそれだけ修の実力が皆に認められているということだ。

「よーし。体があったまってきたところで今日の稽古のメイン「集団戦法」をやるぞ」

 基本稽古を一通り終えたところで則武が声を上げ門人たちを集めた。

「あまり馴染みがないかもしれないが実戦では確実に役に立つから頑張って習得するように。まあ警察や防衛隊は慣れるのが早いと思うがな」

「あの……質問ですが、集団戦法とは複数の相手に対処することですよね? それだったらよくある多人数相手の掛り稽古で皆経験があるのでは?」

 若い警察官の大久保が控えめに手を挙げて質問した。大久保の言うとおり複数の敵を相手にする技術は武道の中では珍しくない。間断なく襲いかかる敵に対し次々と対処するものから合気系の武道の演武でよく見られるように多数の相手に掴まれた状態から逆に組み伏せる技などありふれているといってもよい。

「それとは違うな。これから教えるのはこちらが多人数で連携する方法だ。今、大久保さんが言った通り普通は一人で多人数を相手にする技術を稽古する。護身とかそういう武道的観点から当然のことだ。こちらが複数いて有利ならば無理に争う必要もないからな」

 則武の説明を聞きながら修は今日三人の不良や道場破りを撃退したことを思い出していた。確かに武は同級生を助けたように弱い者を守ったりするためにふるわれるべきものだ。

 他方、今日千祝が倒した道場破りは手強くもしも負けたら道場の看板を汚すことになっていた。これを防ぐために確実に倒す手段は二人がかりで襲いかかることだった。しかし、これは道場の名誉を守ったように見えても実際は武道家としての誇りを捨て去る所業に等しい。

 武道家同士が戦う以上どちらかが勝ち、どちらかが負ける。そうである以上自分が負ける可能性も受け入れて戦いに臨む必要があり、勝ちにこだわるあまり汚い手段を使うようでは武道家とは呼べない。

 どこからどこまでが汚い手段と呼ぶかは人によって認識が違うだろうが、多数の利で一人を圧倒するような行為はほとんどの武道家が試合の場において推奨しないだろう。そう、試合の場に限れば。

「武道家同士の尋常な立ち会いで集団戦法で相手を倒すなんて論外だが、そうでない状況、例えばここに居る皆さんには警察官が多いが犯罪者と闘う時に尋常に一人で戦うなんて考えないはずだ。つまりはそういうことだな。職業上の任務とかの状況次第では絶対負けられない。しかも、立ち会いなら相討ちもありですが、治安を守る人が相討ちで死んでしまったら誰が市民を守るんだということになってしまうからな。後は家族とか仲間とかを守る時とかな」

 自分以外の誰かを守る時、家族や友人、任務として守る対象の民のために戦うときには必ず勝つことが求められる。その時により確実に勝つには多数の利を活かしたほうがよいし、それならば効率的に多数で連携しながら戦う方法を身に付けたほうがいい。特に戦う術を持たない者を守るような状況では、武人の誇りのような一部の人間達にしか通用しないような価値観を墨守することは、戦う力を持たない者にそれを強要しているようなものだ。

「まあ御託はこのくらいにして実際にやってみようか。これからやるのは抜刀隊で使われていた技だ。隊の内部で練習されていた技だからここにいる警察官の皆も知らないだろうが、隊が残念なことになる前にこの道場で修行していた隊員が私に教えてくれたというわけで、失うには惜しい技術だから是非習得して受け継いでほしい。特に警察の方々は亡くした仲間の思いを受け継ぐつもりで臨んでもらいたい」

 則武の言う集団戦の技を伝えた隊員、それは自分の父親であることは修には分かっていた。なぜなら、幼い日に父親が則武に伝授しているところに居合わせており、千祝と共に教わっている。父親が最期まで尽くし、現在では消滅してしまった職場の技術がこのように受け継がれていくことは修にとっても喜ばしい。できれば伝統が様々な形で復活して部隊も再起して欲しいと心から思った。

「ん? 修、楽しそうだな。よし。それじゃあ千祝と一緒にお手本を見せてやれ」
「押忍!」
 
気迫のこもった修の声が道場にこだました。
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