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第三章「新しき世」
第二話「処刑人の団欒」
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山田家の稽古場で、吉直とアンリエットはひとしきり剣を振った。アンリエットが尋ねて来たのは朝方であったが、何時しか昼餉の頃になっていた。二人は一心不乱に木剣を振っていたので日が高くなっている事に気付かず、吉直の養母に声をかけられてようやく我に返ったのだ。
二人は既にそれぞれの家に伝わる剣の技を十分修得している。そのため、基礎的な素振りだけを延々と繰り返すのは久しぶりの事だった。
タンプル塔の亡霊に敗れて以来二人はほとんど体を動かしていなかったので、当初はぎこちない動きであった。だが、既にその技は身体に染みついている。一刻もすると依然と同じ様な感覚で剣を振うようになったのである。
無論膂力は回復してはいないが、それでも普通の相手なら十分勝利できるだろう。
感覚を取り戻してからは、木剣ではなく真剣を使用した据え物切りに移行した。山田朝右衛門の一族は処刑人として有名であるが、本来は刀の試し切りが専門である。その技術を処刑に利用できるために刑場に駆り出され、そしてそちらの方で有名になってしまったのである。悪名と言っても良い。
本来は試し切りの技術を応用する事で、罪人に無用な苦痛を与える事無く斬首できるという善意から引き受けたのであるが、残念ながら世間は山田浅右衛門をそうは見なかった。打ち首を引き受ければ手当てが支給される。金目当ての穢れた人間だと誤解されたのである。その誤解が世代を経ても続いていき、徳川の世が終わろうという時代になってもまだ変わらないのである。
それは兎も角、試し切りが山田家に伝わる剣の本義であるからして、その稽古のための巻き藁は相当な数が蓄えられている。そしてそれらの巻き藁のほとんどが、二人によって切り刻まれ無残な姿を稽古場に晒していた。
昼食の準備が出来た事を知らされた二人は、後片付けは食後にする事に決め、汗だけ拭って食事の席に向かった。
食事の間には、既に吉直の家族が席についている。
養父である七代目山田朝右衛門である山田吉利を筆頭に、養母、吉直の義兄、義弟が並んでいる。家事をしていた養母以外は、何度か吉直とアンリエットの稽古を見に来ていた。当代山田朝右衛門たる養父は当然達人であるが、義兄も義弟もおそるべき技量を備えている。義兄は養父に代わって何度も処刑の役目を果たした事があるし、まだ少年と言っても良い義弟もその才は養父や義兄以上と目されている。
その彼らの目からしても、吉直と共に稽古していたアンリエットの技は満足のいくものだったらしい。遠く海を隔てた異国に、自分達と同じ様な一族がいた事すら驚きであるというのに、その一族の振るう剣もまた同様の剣技であるというのは実に奇縁である。
話題はアンリエット身につけたサンソン家の剣に集中した。
「こら、あなた達もう少し静かに食べなさい。アンリエットさんの食が進んでないでしょう。吉直と同じで、アンリエットさんも怪我をして動けるようになったばかりなんですからね。すみませんね、アンリエットさん。あら? そういえば、お箸大丈夫だったかしら? 匙とか用意できるけど」
「お構いなく。日本に来たばかりの頃は慣れていませんでしたが、この前寛永寺に寝泊まりしている時に吉直殿に教わって慣れました。あそこには洋食器などありませんでしたから」
「握り飯やら餅は寺から支給されてましたが、それだけでは体がもちませんので、時折門前まで出て魚を買ってきて焼いたりしました。今のアンリエット殿は魚の小骨も取りながら食べる事が出来ますよ」
「ほほう? ……む? 吉直、お主今魚を焼いて食ったと言っておったな? 何故寺の中で魚を食う事が出来るのだ。生臭ものは禁止であろうに」
「それはそうなのですが、慶喜様の護衛のために大勢の侍が寝泊まりしました。何か月も精進料理ばかりなど無理ですから、寺もその辺は大目に見ていたのですよ。そもそも、慶喜様など魚どころか豚を焼いて食べてましたよ。流石に豚を料理した者は他にはいませんでしたが」
慶喜は将軍になる前の、もっと若い一橋慶喜の名を名乗っていた頃から豚を好物としている。日本において豚を食する習慣は根付いておらず、周囲からは豚一様などと陰口を叩かれたりしていた。豚と一橋の名を掛け合わせたあだ名である。英邁で知られる慶喜からすると、何故豚を忌避するのか理解が及ばなかったに違いない。その様な気質のおかげで、処刑人の一族として周囲から遠ざけらえる吉直とアンリエットが慶喜と親しく話す事が出来たのであるが。
なお、豚肉を食する事に抵抗が無い吉直と、元々豚肉を食する文化のある国出身のアンリエットも誘われて相伴に預かっていた。護衛の高橋泥舟はあまり良い顔をしなかったが、純粋に警護という点では吉直とアンリエットの様な強者が傍にいる事は有利であるため、口では文句を言わなかった。
「ところで、断頭台の捜索はこの先どうするつもりだ? 敵の首領には逃げられたらしいが、一応回収したのだろう?」
養母の注意を受けた一同が黙々と食事を進め、殆ど食べ終えて茶を飲んでいる時に、吉利が吉直とアンリエットに向き直り、そう尋ねた。
これが本来聞きたかったことなのだろう。断頭台の行方とそれを持つ世界革命団の目的は、日本の未来を大きく左右する。血の流れるような事態は断固として防がなければならない。それに、断頭台を悪用される事は、山田家やサンソン家の様な処刑人にとって一大事である。断頭台は異国の処刑人が使用していた物であるが、だからといって日本の処刑人たる山田家にも無関心でいられるような代物ではない。
「ごめん! 山田吉直殿とアンリエット少尉はここにおられるか?」
吉直が何か答えようとした瞬間、外から二人の名を呼ぶ大声が響いて来たのだった。
二人は既にそれぞれの家に伝わる剣の技を十分修得している。そのため、基礎的な素振りだけを延々と繰り返すのは久しぶりの事だった。
タンプル塔の亡霊に敗れて以来二人はほとんど体を動かしていなかったので、当初はぎこちない動きであった。だが、既にその技は身体に染みついている。一刻もすると依然と同じ様な感覚で剣を振うようになったのである。
無論膂力は回復してはいないが、それでも普通の相手なら十分勝利できるだろう。
感覚を取り戻してからは、木剣ではなく真剣を使用した据え物切りに移行した。山田朝右衛門の一族は処刑人として有名であるが、本来は刀の試し切りが専門である。その技術を処刑に利用できるために刑場に駆り出され、そしてそちらの方で有名になってしまったのである。悪名と言っても良い。
本来は試し切りの技術を応用する事で、罪人に無用な苦痛を与える事無く斬首できるという善意から引き受けたのであるが、残念ながら世間は山田浅右衛門をそうは見なかった。打ち首を引き受ければ手当てが支給される。金目当ての穢れた人間だと誤解されたのである。その誤解が世代を経ても続いていき、徳川の世が終わろうという時代になってもまだ変わらないのである。
それは兎も角、試し切りが山田家に伝わる剣の本義であるからして、その稽古のための巻き藁は相当な数が蓄えられている。そしてそれらの巻き藁のほとんどが、二人によって切り刻まれ無残な姿を稽古場に晒していた。
昼食の準備が出来た事を知らされた二人は、後片付けは食後にする事に決め、汗だけ拭って食事の席に向かった。
食事の間には、既に吉直の家族が席についている。
養父である七代目山田朝右衛門である山田吉利を筆頭に、養母、吉直の義兄、義弟が並んでいる。家事をしていた養母以外は、何度か吉直とアンリエットの稽古を見に来ていた。当代山田朝右衛門たる養父は当然達人であるが、義兄も義弟もおそるべき技量を備えている。義兄は養父に代わって何度も処刑の役目を果たした事があるし、まだ少年と言っても良い義弟もその才は養父や義兄以上と目されている。
その彼らの目からしても、吉直と共に稽古していたアンリエットの技は満足のいくものだったらしい。遠く海を隔てた異国に、自分達と同じ様な一族がいた事すら驚きであるというのに、その一族の振るう剣もまた同様の剣技であるというのは実に奇縁である。
話題はアンリエット身につけたサンソン家の剣に集中した。
「こら、あなた達もう少し静かに食べなさい。アンリエットさんの食が進んでないでしょう。吉直と同じで、アンリエットさんも怪我をして動けるようになったばかりなんですからね。すみませんね、アンリエットさん。あら? そういえば、お箸大丈夫だったかしら? 匙とか用意できるけど」
「お構いなく。日本に来たばかりの頃は慣れていませんでしたが、この前寛永寺に寝泊まりしている時に吉直殿に教わって慣れました。あそこには洋食器などありませんでしたから」
「握り飯やら餅は寺から支給されてましたが、それだけでは体がもちませんので、時折門前まで出て魚を買ってきて焼いたりしました。今のアンリエット殿は魚の小骨も取りながら食べる事が出来ますよ」
「ほほう? ……む? 吉直、お主今魚を焼いて食ったと言っておったな? 何故寺の中で魚を食う事が出来るのだ。生臭ものは禁止であろうに」
「それはそうなのですが、慶喜様の護衛のために大勢の侍が寝泊まりしました。何か月も精進料理ばかりなど無理ですから、寺もその辺は大目に見ていたのですよ。そもそも、慶喜様など魚どころか豚を焼いて食べてましたよ。流石に豚を料理した者は他にはいませんでしたが」
慶喜は将軍になる前の、もっと若い一橋慶喜の名を名乗っていた頃から豚を好物としている。日本において豚を食する習慣は根付いておらず、周囲からは豚一様などと陰口を叩かれたりしていた。豚と一橋の名を掛け合わせたあだ名である。英邁で知られる慶喜からすると、何故豚を忌避するのか理解が及ばなかったに違いない。その様な気質のおかげで、処刑人の一族として周囲から遠ざけらえる吉直とアンリエットが慶喜と親しく話す事が出来たのであるが。
なお、豚肉を食する事に抵抗が無い吉直と、元々豚肉を食する文化のある国出身のアンリエットも誘われて相伴に預かっていた。護衛の高橋泥舟はあまり良い顔をしなかったが、純粋に警護という点では吉直とアンリエットの様な強者が傍にいる事は有利であるため、口では文句を言わなかった。
「ところで、断頭台の捜索はこの先どうするつもりだ? 敵の首領には逃げられたらしいが、一応回収したのだろう?」
養母の注意を受けた一同が黙々と食事を進め、殆ど食べ終えて茶を飲んでいる時に、吉利が吉直とアンリエットに向き直り、そう尋ねた。
これが本来聞きたかったことなのだろう。断頭台の行方とそれを持つ世界革命団の目的は、日本の未来を大きく左右する。血の流れるような事態は断固として防がなければならない。それに、断頭台を悪用される事は、山田家やサンソン家の様な処刑人にとって一大事である。断頭台は異国の処刑人が使用していた物であるが、だからといって日本の処刑人たる山田家にも無関心でいられるような代物ではない。
「ごめん! 山田吉直殿とアンリエット少尉はここにおられるか?」
吉直が何か答えようとした瞬間、外から二人の名を呼ぶ大声が響いて来たのだった。
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