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典子はきっと、大丈夫
しおりを挟む大げさに頭を抱えて机に突っ伏した典子が、
「もうなにもかもわからないよ!」
って、大声でブーブー言った。
「ちょ、ちょっと、静かにしてよ」
「だれもいないじゃん」
焦るわたしを見て、典子が笑う。
たしかに夏休みの図書室にはわたしたち以外に利用者はだれもいなくて、受付席で本を読む図書委員の森田くんは、こっちをチラって見ることもなかった。
「そ、そういうことじゃないでしょ。図書室なんだから」
「磨智はマジメすぎるんだよ」
マジメって言われると、少しだけ胸が痛む。
マジメっていい言葉のはずなのに、マジメってほとんど悪口だ。
わたしは、平凡な家庭で生まれて平凡なお父さんとお母さんとお姉ちゃんに囲まれて育ったから、間違いなく平凡だった。平凡でマジメで、そんな自分に昔からコンプレックスを抱いている。
だけどそんなわたしと違って典子のお父さんは小説家で、それだけでも平凡じゃないのに、そんなことは忘れてしまうくらい典子は変わったコで、わたしはそれが昔からずっとうらやましかった。
小学一年のときに出会ってから、わたしたちはずっと友だちだった。典子は昔からへんなことばっかりして周りのひとたちを驚かせてきたけど、わたしが最初にびっくりしたのは、出会って間もない小学一年生の頃、一緒に公園で遊んでいたときのことだった。
◆◆◆
色んな遊びをして、ちょっと飽きてきたとき、典子がベンチの背もたれにかけられたちょっと汚れたビニール傘を見つけた。
誰かの忘れ物だと思う傘を取って、典子が当たり前のように開く。
「知ってる? 傘で空を飛べるってこと」
傘で空を飛べることを知らなかったわたしは、首を横に振った。
「磨智にも知らないことがあるんだね」
勝ち誇ったように言って、典子が笑う。
「無理だよ、傘で飛ぶなんて」
「無理じゃないよ。女の人が飛んでるの、映画で観たことあるもん」
小学一年生のわたしも典子も、まだ現実とファンタジーは同じところにあった。
「ほんとにほんと?」
「ほんとにほんと」
言って、典子は滑り台をのぼった。
ドキドキしながら見守っていると、典子が「ヤー!」って言いながら飛び降りた。
スローモーションで覚えている記憶の中で、傘がゆっくりと逆開きになって、お尻から地面に着地した典子はLの字みたいな姿勢のまま「ガギグゲゴ」の音がぜんぶ詰まったような「ギャー!」という叫び声を上げて、つられたわたしも「ギャー!」って泣いた。
そのあと大人たちにめちゃくちゃ怒られたけど、ベソをかくわたしの隣で典子は「お尻がちょっと腫れただけですんでラッキーだった」って、あんまり反省していなかった。
とにかくその日、わたしたちは傘で空は飛べないことを知った。
◆◆◆
典子は昔からずっと自由で、やりたいことをやる子だった。わたしはそんな典子に振り回されっぱなしで、今日だって強引に連れられてワケも分からずふたりで図書室に来ていた。
まだ頭を抱えて唸っている典子の髪の毛の間からチラッと見える長い指。爪はピカピカでとてもキレイだった。
わたしは典子の手が好きだ。こんなことを言ったら、典子に気持ち悪がられるかもしれないから黙っているけど、わたしもあんな風にスラっとキレイな手だったらって、見るたびに思う。
今年の六月。なんでそうなったのかは分からないけど、典子は学校一のイケメン野球部の菊田くんへの「誕生日告白大作戦」を立てた。そんなの無理だよと思いながら、わたしは菊田くんへの誕生日プレゼントを買うのに付き合わされることになった。
いろいろと悩んだ典子はスポーツタオルをプレゼントに決めた。帰りに百均へ寄って、わたしが密かに立てていた「典子の手をもっとキレイにする大作戦」のために「成功確率が上がる」とかなんとか適当なことを言ってうまいこと爪磨きも買わせた。
でも結局、典子は菊田くんにあっさりフラれて、一学期の終わりに先輩と付き合ったかと思うと一週間もしないうちにまたフラれて、いまわたしの隣で、
「なんで『恋愛』の授業がないんだ! もうぜんぜんわからん!」
って、よくわからない愚痴をグチグチ言っている。
わたしにも典子が先輩にフラれた理由はぜんぜんわからなかった。手がキレイなのはもちろん顔だって普通にカワイイし、本人は気がついてないかもしれないけど、わたしとはちがって魅力の塊みたいなコなのに……
こっちまで聞こえるくらいの森田くんの大きな咳払いにハッとしたわたしは、
「だから、静かにしてってば」
って、小声で典子に注意した。
口を尖らせた典子が、吸い込まれてしまいそうなくらい大きな目でじっとわたしを見つめてくる。
「な、なに?」
「磨智はさ、これからもずっとメガネなわけ?」
「は?」
「コンタクトにしないの?」
「す、する予定はないかな……」
「えー、もったいない――」
――サッと典子にメガネを取られて、わたしの世界がぼやける。
「ちょ、なにやってるの?」
慌てながら、でも森田くんが怖いから小声で怒ったら、
「みんな気づいてないけど、磨智はこっちのほうがぜったいカワイイよ」
って、ぼやけた典子がわたしの言葉を聞き流して悪戯っぽく笑った。恥ずかしくて、心臓が早くなる。
わたしは典子から奪い返したメガネを、赤くなる顔を隠すように掛けなおした。
「わ、わたしがかわいいわけ、ないじゃん」
「自分で気づいてないだけだよ。それに磨智は優しいし、頭も良いし、人のいいところばかり気がつくし、いつもわたしを応援してくれるし、おかげでわたしはいつも自信満々でいられるわけ。わたしが男子だったら今すぐ付き合いたいくらい好き」
急にわたしのことを褒めだした典子に、長い付き合いのわたしはピンと来た。
またなんかやろうとしてる。
急に冷静になったわたしは、さっきまで照れていた自分がバカみたいで悔しくなった。
「またなんか頼みごと?」
ため息をついて聞くと、
「へへへ、バレたか」
って、悪びれもせずに笑った典子が森田くんを指差した。
「森田くんがなんなの?」
「やっぱりよく考えたら、わたし体育会系じゃなくて文化系が好きかもしれない」
やっぱりの意味はよく分からなかったけど、典子が今度は森田くんに興味を持ったのは分かった。先輩にフラれてさっきまでいろいろ愚痴っていた時間は、一体なんだったんだろうか?
「磨智って森田くんとおなじクラスだし、仲良かったりしないかなあ、なんて」
「さっきまであんなにグチグチ言ってたのは、なんだったの?」
「あれはあれでもう終わり。わたしは未来を見て生きていたい前向きニンゲンなんだよね。ほら、なんかそういう名言だっていっぱいあるでしょ。ひとつも思い浮かばないけど」
名言を言い終わったみたいな顔をしてる典子に「なにも言ってないんですけど」ってツッコもうとしたけど、まあ、でも立ち直ったなら良かったって思って、やめておいた。
「で、森田くんとは仲良いの?」
「うーん。森田くんとはしゃべったこと、ほとんどないんだよね」
「マジかあ」
困り顔になる典子に、
「でもまあ、普通にしゃべりかければいいんじゃないかな?」
って、さっきおだてられたことへのお返しですこしだけ意地悪をする。
「えー、なんて言えばいい?」
困るどころか前のめりで目を輝かせる典子。
そうだった、典子は前向きニンゲンだった。
「お、おすすめの本を聞くとか?」
正直、前向きニンゲンじゃないわたしには男子とする話題なんて思いつかないから、苦し紛れで適当に答える。
「分かった。聞いてくる」
言って立ち上がる典子に、
「の、典子なら大丈夫だよ!」
って、思わず大きな声援を送ってしまって、ヤバイと思って森田くんを見ると、気がついていないのか本に目を落としたままだったからセーフ。
「じゃあ、行ってくる」
「はい。がんばってください」
典子の緊張が伝わって、思わず敬語で返すわたし。
森田くんのほうへ向かって歩きだした典子の背中を見ながら、やっぱり行動力が凄いなあと思っていたら、典子が急に足を止めてこっちを振り返った。
「さっき言ったことは、ほんとの本音だからね」
って、笑顔で言って、典子は前を向いてまた歩き出した。
さっき言ったことって、褒めてくれたこと?
なんだか嬉しいような照れ臭いような気持ちになりながら、森田くんに話しかける典子を見守る。
わたしは、典子のいろんな魅力を知っている。
典子は、わたしのいろんな魅力を知っている。
これが友だちってことなのかって思った。
なにを言われたのか、森田くんが急に顔を上げて驚いたような表情を浮かべながらなにかを言って、なぜかつま先立ちになって大きく三回うなずいた典子と会話を続けている。
うしろに組んだ手が、今まででいちばんキレイに見えた。
意外と盛り上がっているふたりを見守りながら、森田くんかどうかは分からないけど、典子の魅力に気がつく男子がいつか現れてくれればいいなって思った。
でもきっと、大丈夫だろう。
わたしにはわかる。
典子はきっと、大丈夫。
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