28 / 53
27:究極の共同作業
しおりを挟む
「目が覚めたようだな」
ぼやけた視界にうつる黒い人影が、抑揚のない声で言う。
頭が、割れるように痛い……
痛む後頭部をさすろうとしたハナコは、そこで自分が木製の椅子に座らされ、うしろに回された手が、背もたれにきつく縛りつけられているのに気がついた。無駄だとは分かりながらも縄がほどけないかと何度か手を動かしてみたが、案の定、徒労に終わった。さらに、手はおろか、足もまた椅子の脚に固くくくりつけられていることに気づく。
脱出を諦めて、ふたたび声のしたほうに視線を向けると、向かい合うようにして置かれた椅子に、悠然と足を組んで座りながら、旧宗教の教典を読むネロの姿があった。
「……寝起きには見たくない顔ね」
「それは残念だったな」
ハナコの嫌味に鼻を鳴らし、教典をとじるネロ。
「お前の言うとおり、あの隠し通路のさきには、だれもいなかったよ」
よかった、とハナコは思い、
「だろうね。いたら、あたしはとっくに殺されてるはずだ」
と、さも当然のごとくに言った。
「ムラト・ヒエダがいくら出す気か知らんが、もしおれにアリスを引き渡してくれれば、その倍の金を払おう」
一瞬、ネロの言葉に違和感を覚えたが、その正体は掴めない。
「……分からないね。なぜそこまでしてアリスを狙う? おとりにしてムラトをおびき出すつもり?」
的はずれだとでも言うように首を振り、「老いぼれに興味はない。お前にあれの価値は分からんよ」
前屈みになり両肘を太ももに乗せ、組んだ手の親指で顎をさするネロ。
「それよりも分からないのは、おれのほうだ。お前のようなしがない運び屋が、そこまでしてアリスを守る理由がな。これでもおれは、なかなかにお前のことを気に入っている。破格の条件を出したのもそのためだ。気が変わらんうちに、アリスの居場所を吐いた方が身のためだぞ」
ネロは立ち上がり、ゆっくりとハナコへと歩み寄った。
「幸か不幸か、ここには、おあつらえむきの道具がそろっている」
言われ、辺りを見回すと、壁の板間から差し込む陽光のおかげで、薄暗いながらもここが掘っ立て小屋だということが分かった。左の壁の前にある棚には、ペンチやドライバー、小ぶりのカナヅチや紙ヤスリなどの工具が整然と並べられていた。
おそらく、ここは教会のとなりにあったあの小さな物置小屋だろう。棚の横に立てかけられた鍬や鋤は、神父の手によってか、キレイに手入れが行き届いていた。
「やるならとっととやりな」
「女を痛めつけるのはあまり好きじゃなくてな。だが――」
ハナコの頬を平手打ちするネロ。
「――経験がないわけではない」
ハナコは気を保つようにして頭を振り、ネロに唾を吐きかけた。
「弱い者いじめが好きみたいね、《446部隊》は」
部隊名を出され、顔に吐きかけられた唾をハンカチで拭っていたネロが、驚いたように右の眉尻を上げた。
「どうやら、お前たちを過小評価していたみたいだな」
「あたしは、あんたらを過大評価してたみたい」
「……口の減らない小娘だ」
ため息をついたネロの拳が腹部に深くめり込み、胃袋に鈍い衝撃を受けたハナコは、無様に吐瀉物をまき散らした。
眉一つ動かさないまま、拳にかかった吐瀉物をハンカチでゆっくりと拭い、
「おれは拷問が苦手でな」
と、ネロは水筒の蓋を開けて、それをハナコの口へと近づけた。
「飲め」
不快な胃液にまみれた喉を潤すため、汚辱にまみれながらも言われるがままハナコは水筒に口をつけた。水を飲み終えると、今度はハンカチで吐瀉物のついた喉元を拭われていく。
「分かったか? おれも鬼じゃない。アリスの居場所を吐けば、お前の命だけでなく、仲間の命も保証してやろう」
「目の前で神父を殺された。それで充分なんだよ」
言って、ハナコはネロを睨みつけた。
「分からんな、なにが言いたい?」
「あんたを敵だとみなす理由だよ」
「……あれは、失敗だったようだな」
「あれですませるんじゃねえ!」
ネロの言葉に激高し殴りかかろうとしたが、それも叶わず、椅子がすこし前後に揺れただけだった。
「少佐、大丈夫ですか?」
ハナコの怒声に反応し、トンプソンが小屋に入ってきた。
「ああ」
しまおうとしたハンカチの汚れに気がついたネロは、それをトンプソンに渡し、踵を返して扉へと向かった。
「どうも雲行きがあやしくなってきたようだ。メンゲレに連絡をとってくる。ここは任せたぞ」
「ハッ!」
背筋をのばして応えるトンプソン。
ネロが小屋を去り、トンプソンがハナコに不気味な笑みを向けた。
「メンゲレだって……?」
ネロが残した名前を、トンプソンに投げかけるハナコ。
「どういうことだ? なんであんたらがメンゲレを知ってる?」
「驚いたな、お前のほうこそ、なぜ奴を知っている?」
トンプソンは目を丸くし、
「まあ、だがお前には関係のない話だ」
――《446部隊》と《ピクシー》の開発者のシロー・メンゲレがつながっているのか?
――だがそれならば、なぜこの二組はツラブセで明らかに敵対していたんだ?
考えるハナコの顎をつかみ、無理矢理に顔を上げさせるトンプソン。
「なんだか分からねえが、バカが考えても時間の無駄だ」
ハナコの顔に臭い息を吐きかけ、頭突きをかますトンプソン。
目の前に星が舞い、意識が遠のきかけたが、
「まだだ」
頭を揺さぶられ、すぐに意識が戻ってくる。
「答えろ!」
気色ばんだ顔でトンプソンに訊くハナコ。
「おれは、拷問を考えるのが趣味でな」
ハナコの詰問を無視してトンプソンが言う。
「ここにある道具でお前を痛めつけてもいいんだが、それじゃあ、あまりにもオリジナリティーがなさすぎる」
水筒を取りだし、それをハナコの眼前で振ったトンプソンは、つぎにもう片方の手で、ネロから手渡された、泥と唾と吐瀉物にまみれたハンカチをつまみ、
「例えば、これとこれを使ってでも拷問はできる」
と言いながら水筒を開け、水でハンカチを濡らしていく。充分にハンカチが濡れたのを確認したトンプソンは、水筒を閉じて床に置き、軍服の内ポケットから、ハナコがガンズからもらった銀の懐中時計を取りだして開き、そのまま三つ編みをつかんだかと思うと、それを引き下げてハナコの顔を無理矢理に天井へと向けた。
「まずは、三分だな」
「なにを――」
言いかけたハナコの顔に、濡れたハンカチが被せられた。
その真意に気がついたときには、すでに鼻と口が塞がり、息ができなくなっていた。
苦しい……
息が……
自由の利かない体を震わせながら悶えるハナコの耳に、トンプソンの下卑た高笑いが響く。
地獄のような苦しみのなか、三分が経ってようやくハンカチがどかされ、鼻水とヨダレを垂らしながらハナコは肺いっぱいに息を吸いこんだ。
「さて、答えろ」
「ふ……ふざけろよ」
トンプソンはため息をつき、そして再びハンカチが被せられた。
その拷問を八回くりかえし、涙と鼻水とヨダレを垂れ流すだけ垂れ流したが、それでもハナコは屈しなかった。
「まったく、大した女だよ」
諦めたようにハンカチを放り投げたトンプソンは、
「そういえば落とし物をしていたぞ」
と、手を背に回してベルトから何かを抜き取り、それをハナコの鼻先に突きつけた。
それは――あのスタンガンだった。
「ほら、返してやる」
トンプソンはスタンガンをハナコの腹部に押し当て、おもむろにスイッチを入れた。全身を内側から針で掻きむしられるような激痛が走り、意に反してのけ反っていく。
だが、なぜか意識はまだ保てていた。
「コイツは、なかなかいい代物のようだな。強さを五段階に調節できる。ちなみにいまのは1だ。どうだ、効いたか?」
荒く呼吸をしながら、ほくそ笑むトンプソンを睨みつけたが、すっかり力が抜けてしまっていては、その強がりもまるで意味がない。
「2だ」
ふたたびハナコにスタンガンを押し当てるトンプソン。
ハナコは直前の激痛を思い出し、思わず目をつぶってしまった。
しかし、予測した出来事は、起こらない。
「少しは女らしくなってきたな」
閉じたまぶたに、トンプソンの侮辱的な笑い声が吹きかかる。
思わずみせてしまった自分の弱さに臍を噛み、
「なにをやっても無駄だ」
目を見開いて言うハナコの全身を、すぐさま2の激痛が駆け巡る。
「無駄かどうかはこっちが決める」
言って、3,4,と続けざまに激痛が増してゆく……
「アリスはどこだ? 答えろ」
スタンガンを放して凄むトンプソンに、熨斗をつけてありったけの罵詈雑言を返そうとしたが、身体に残るしびれが口を開くことを許してくれない。
「やはり、使い慣れていないものはダメだな」
ハナコがまともにしゃべれなくなったのに気がついたトンプソンは、鼻から息を漏らしてスタンガンをしまい、今度はベルトの前部に差し込んだ革製の鞘からナイフを抜き取った。
鈍色に光るその切っ先は、前方に向かってくの字に曲がる、異様な形をしていた。
そのナイフが、ハナコのシャツを下着ごと縦一文字に切り裂いた。
シャツがはだけ、小ぶりの胸が露わになったが、しびれの残る頭でも、恥を感じている場合ではないことくらいさすがに分かる。
「言い忘れていたが、おれは男よりも女を痛めつける方が好きでな」
その言葉は、内容に反してとても淡々としたものに聞こえた。
「なぜか分かるか? 答えろ」
「じ…じどぅかよ、ぐぐぞっだ……れれ」
舌が痺れて、ろれつが回らない。
「女のほうが痛めつける場所が増えるからだ。それに――」むき出しになったハナコの白い腹を真横に浅く切りつけるトンプソン。「――女のほうが良い声で泣き叫ぶ」
浅く切りつけられた箇所から、じんわりと血が滲むのを感じる。
「さげば…ねね…ぞ」
「強気な女は嫌いじゃないぞ」
言って、トンプソンは、切りつけた箇所へ交差させるようにして、さらに垂直に浅く切りつけてきた。
「おれはな、拷問は究極の共同作業だと思っている。そこでだ、お前がおれから究極の苦痛と恐怖を与えてもらうために、最も必要なものがあるんだが、何かわかるか? 答えろ」
「……」
「答えは、想像力だよ」
「……」
「これからそのかわいい乳首を二つとも切り取って、お前自身に食わせてやる」
笑みを浮かべるトンプソン。
「その光景を想像しろ」
その言葉に耳を疑い、それでも強気な表情を崩さないハナコ。
トンプソンは薄ら笑いを浮かべたまま、ハナコの右の乳房を左手ですくうようにしてつかみ、慣れた手つきでナイフを桜色の突起物の上に押し当てた。
ヒヤリと、背筋を冷たいものが駆け上ってゆく。
「最後のチャンスだ。アリスはどこにいる? 答えろ」
ハナコは無言のまま笑んで、おどけるように舌を突き出した。
トンプソンはなかば呆れたような表情で鼻から息を漏らし、ナイフを掴む手にゆっくりと力を込めていく……
「大尉、隊長がお呼びです」
そのとき突然やってきた軍服が、ハナコの胸にちらりと視線を走らせながらトンプソンに近づき、伝言をつたえた。
「分かった、すぐ行く」
軍服をさがらせたトンプソンは、ハナコに向き直り、
「お前にいいことをひとつ教えておいてやろう。神父とはちがって、お前に対しての拷問は、丸一日もあるんだよ」
と言って、ナイフを鞘にしまった。
「少しはずすが、時間を持てあますのも可哀想だから、いくつかの選択肢をやろう」
「な……に……?」
「あそこに、紙ヤスリとペンチがあるだろう。切り取られるか、そぎ落とされるか、ねじり潰されるか、それを考えておけ。帰ってきてから、答えを聞いてやる。おれのオススメは、ねじり潰されるだがな。お前、ハンバーグは好きか?」
「……」
「まあ、考えておくんだな」
言うと、トンプソンは懐中時計を床に置き、踵を返して小屋をあとにした。
この拷問があと二十四時間も続くのかと、秒針の振れる音を聴きながら未だうまく回らない頭で考えてみたが、それに対する答えはやはり「くそったれ」だった。
ハナコは改めておのれの無思慮を自嘲し、
「ぐぞっ……だ……で」
と独りごち、
そのまま気を失った……
ぼやけた視界にうつる黒い人影が、抑揚のない声で言う。
頭が、割れるように痛い……
痛む後頭部をさすろうとしたハナコは、そこで自分が木製の椅子に座らされ、うしろに回された手が、背もたれにきつく縛りつけられているのに気がついた。無駄だとは分かりながらも縄がほどけないかと何度か手を動かしてみたが、案の定、徒労に終わった。さらに、手はおろか、足もまた椅子の脚に固くくくりつけられていることに気づく。
脱出を諦めて、ふたたび声のしたほうに視線を向けると、向かい合うようにして置かれた椅子に、悠然と足を組んで座りながら、旧宗教の教典を読むネロの姿があった。
「……寝起きには見たくない顔ね」
「それは残念だったな」
ハナコの嫌味に鼻を鳴らし、教典をとじるネロ。
「お前の言うとおり、あの隠し通路のさきには、だれもいなかったよ」
よかった、とハナコは思い、
「だろうね。いたら、あたしはとっくに殺されてるはずだ」
と、さも当然のごとくに言った。
「ムラト・ヒエダがいくら出す気か知らんが、もしおれにアリスを引き渡してくれれば、その倍の金を払おう」
一瞬、ネロの言葉に違和感を覚えたが、その正体は掴めない。
「……分からないね。なぜそこまでしてアリスを狙う? おとりにしてムラトをおびき出すつもり?」
的はずれだとでも言うように首を振り、「老いぼれに興味はない。お前にあれの価値は分からんよ」
前屈みになり両肘を太ももに乗せ、組んだ手の親指で顎をさするネロ。
「それよりも分からないのは、おれのほうだ。お前のようなしがない運び屋が、そこまでしてアリスを守る理由がな。これでもおれは、なかなかにお前のことを気に入っている。破格の条件を出したのもそのためだ。気が変わらんうちに、アリスの居場所を吐いた方が身のためだぞ」
ネロは立ち上がり、ゆっくりとハナコへと歩み寄った。
「幸か不幸か、ここには、おあつらえむきの道具がそろっている」
言われ、辺りを見回すと、壁の板間から差し込む陽光のおかげで、薄暗いながらもここが掘っ立て小屋だということが分かった。左の壁の前にある棚には、ペンチやドライバー、小ぶりのカナヅチや紙ヤスリなどの工具が整然と並べられていた。
おそらく、ここは教会のとなりにあったあの小さな物置小屋だろう。棚の横に立てかけられた鍬や鋤は、神父の手によってか、キレイに手入れが行き届いていた。
「やるならとっととやりな」
「女を痛めつけるのはあまり好きじゃなくてな。だが――」
ハナコの頬を平手打ちするネロ。
「――経験がないわけではない」
ハナコは気を保つようにして頭を振り、ネロに唾を吐きかけた。
「弱い者いじめが好きみたいね、《446部隊》は」
部隊名を出され、顔に吐きかけられた唾をハンカチで拭っていたネロが、驚いたように右の眉尻を上げた。
「どうやら、お前たちを過小評価していたみたいだな」
「あたしは、あんたらを過大評価してたみたい」
「……口の減らない小娘だ」
ため息をついたネロの拳が腹部に深くめり込み、胃袋に鈍い衝撃を受けたハナコは、無様に吐瀉物をまき散らした。
眉一つ動かさないまま、拳にかかった吐瀉物をハンカチでゆっくりと拭い、
「おれは拷問が苦手でな」
と、ネロは水筒の蓋を開けて、それをハナコの口へと近づけた。
「飲め」
不快な胃液にまみれた喉を潤すため、汚辱にまみれながらも言われるがままハナコは水筒に口をつけた。水を飲み終えると、今度はハンカチで吐瀉物のついた喉元を拭われていく。
「分かったか? おれも鬼じゃない。アリスの居場所を吐けば、お前の命だけでなく、仲間の命も保証してやろう」
「目の前で神父を殺された。それで充分なんだよ」
言って、ハナコはネロを睨みつけた。
「分からんな、なにが言いたい?」
「あんたを敵だとみなす理由だよ」
「……あれは、失敗だったようだな」
「あれですませるんじゃねえ!」
ネロの言葉に激高し殴りかかろうとしたが、それも叶わず、椅子がすこし前後に揺れただけだった。
「少佐、大丈夫ですか?」
ハナコの怒声に反応し、トンプソンが小屋に入ってきた。
「ああ」
しまおうとしたハンカチの汚れに気がついたネロは、それをトンプソンに渡し、踵を返して扉へと向かった。
「どうも雲行きがあやしくなってきたようだ。メンゲレに連絡をとってくる。ここは任せたぞ」
「ハッ!」
背筋をのばして応えるトンプソン。
ネロが小屋を去り、トンプソンがハナコに不気味な笑みを向けた。
「メンゲレだって……?」
ネロが残した名前を、トンプソンに投げかけるハナコ。
「どういうことだ? なんであんたらがメンゲレを知ってる?」
「驚いたな、お前のほうこそ、なぜ奴を知っている?」
トンプソンは目を丸くし、
「まあ、だがお前には関係のない話だ」
――《446部隊》と《ピクシー》の開発者のシロー・メンゲレがつながっているのか?
――だがそれならば、なぜこの二組はツラブセで明らかに敵対していたんだ?
考えるハナコの顎をつかみ、無理矢理に顔を上げさせるトンプソン。
「なんだか分からねえが、バカが考えても時間の無駄だ」
ハナコの顔に臭い息を吐きかけ、頭突きをかますトンプソン。
目の前に星が舞い、意識が遠のきかけたが、
「まだだ」
頭を揺さぶられ、すぐに意識が戻ってくる。
「答えろ!」
気色ばんだ顔でトンプソンに訊くハナコ。
「おれは、拷問を考えるのが趣味でな」
ハナコの詰問を無視してトンプソンが言う。
「ここにある道具でお前を痛めつけてもいいんだが、それじゃあ、あまりにもオリジナリティーがなさすぎる」
水筒を取りだし、それをハナコの眼前で振ったトンプソンは、つぎにもう片方の手で、ネロから手渡された、泥と唾と吐瀉物にまみれたハンカチをつまみ、
「例えば、これとこれを使ってでも拷問はできる」
と言いながら水筒を開け、水でハンカチを濡らしていく。充分にハンカチが濡れたのを確認したトンプソンは、水筒を閉じて床に置き、軍服の内ポケットから、ハナコがガンズからもらった銀の懐中時計を取りだして開き、そのまま三つ編みをつかんだかと思うと、それを引き下げてハナコの顔を無理矢理に天井へと向けた。
「まずは、三分だな」
「なにを――」
言いかけたハナコの顔に、濡れたハンカチが被せられた。
その真意に気がついたときには、すでに鼻と口が塞がり、息ができなくなっていた。
苦しい……
息が……
自由の利かない体を震わせながら悶えるハナコの耳に、トンプソンの下卑た高笑いが響く。
地獄のような苦しみのなか、三分が経ってようやくハンカチがどかされ、鼻水とヨダレを垂らしながらハナコは肺いっぱいに息を吸いこんだ。
「さて、答えろ」
「ふ……ふざけろよ」
トンプソンはため息をつき、そして再びハンカチが被せられた。
その拷問を八回くりかえし、涙と鼻水とヨダレを垂れ流すだけ垂れ流したが、それでもハナコは屈しなかった。
「まったく、大した女だよ」
諦めたようにハンカチを放り投げたトンプソンは、
「そういえば落とし物をしていたぞ」
と、手を背に回してベルトから何かを抜き取り、それをハナコの鼻先に突きつけた。
それは――あのスタンガンだった。
「ほら、返してやる」
トンプソンはスタンガンをハナコの腹部に押し当て、おもむろにスイッチを入れた。全身を内側から針で掻きむしられるような激痛が走り、意に反してのけ反っていく。
だが、なぜか意識はまだ保てていた。
「コイツは、なかなかいい代物のようだな。強さを五段階に調節できる。ちなみにいまのは1だ。どうだ、効いたか?」
荒く呼吸をしながら、ほくそ笑むトンプソンを睨みつけたが、すっかり力が抜けてしまっていては、その強がりもまるで意味がない。
「2だ」
ふたたびハナコにスタンガンを押し当てるトンプソン。
ハナコは直前の激痛を思い出し、思わず目をつぶってしまった。
しかし、予測した出来事は、起こらない。
「少しは女らしくなってきたな」
閉じたまぶたに、トンプソンの侮辱的な笑い声が吹きかかる。
思わずみせてしまった自分の弱さに臍を噛み、
「なにをやっても無駄だ」
目を見開いて言うハナコの全身を、すぐさま2の激痛が駆け巡る。
「無駄かどうかはこっちが決める」
言って、3,4,と続けざまに激痛が増してゆく……
「アリスはどこだ? 答えろ」
スタンガンを放して凄むトンプソンに、熨斗をつけてありったけの罵詈雑言を返そうとしたが、身体に残るしびれが口を開くことを許してくれない。
「やはり、使い慣れていないものはダメだな」
ハナコがまともにしゃべれなくなったのに気がついたトンプソンは、鼻から息を漏らしてスタンガンをしまい、今度はベルトの前部に差し込んだ革製の鞘からナイフを抜き取った。
鈍色に光るその切っ先は、前方に向かってくの字に曲がる、異様な形をしていた。
そのナイフが、ハナコのシャツを下着ごと縦一文字に切り裂いた。
シャツがはだけ、小ぶりの胸が露わになったが、しびれの残る頭でも、恥を感じている場合ではないことくらいさすがに分かる。
「言い忘れていたが、おれは男よりも女を痛めつける方が好きでな」
その言葉は、内容に反してとても淡々としたものに聞こえた。
「なぜか分かるか? 答えろ」
「じ…じどぅかよ、ぐぐぞっだ……れれ」
舌が痺れて、ろれつが回らない。
「女のほうが痛めつける場所が増えるからだ。それに――」むき出しになったハナコの白い腹を真横に浅く切りつけるトンプソン。「――女のほうが良い声で泣き叫ぶ」
浅く切りつけられた箇所から、じんわりと血が滲むのを感じる。
「さげば…ねね…ぞ」
「強気な女は嫌いじゃないぞ」
言って、トンプソンは、切りつけた箇所へ交差させるようにして、さらに垂直に浅く切りつけてきた。
「おれはな、拷問は究極の共同作業だと思っている。そこでだ、お前がおれから究極の苦痛と恐怖を与えてもらうために、最も必要なものがあるんだが、何かわかるか? 答えろ」
「……」
「答えは、想像力だよ」
「……」
「これからそのかわいい乳首を二つとも切り取って、お前自身に食わせてやる」
笑みを浮かべるトンプソン。
「その光景を想像しろ」
その言葉に耳を疑い、それでも強気な表情を崩さないハナコ。
トンプソンは薄ら笑いを浮かべたまま、ハナコの右の乳房を左手ですくうようにしてつかみ、慣れた手つきでナイフを桜色の突起物の上に押し当てた。
ヒヤリと、背筋を冷たいものが駆け上ってゆく。
「最後のチャンスだ。アリスはどこにいる? 答えろ」
ハナコは無言のまま笑んで、おどけるように舌を突き出した。
トンプソンはなかば呆れたような表情で鼻から息を漏らし、ナイフを掴む手にゆっくりと力を込めていく……
「大尉、隊長がお呼びです」
そのとき突然やってきた軍服が、ハナコの胸にちらりと視線を走らせながらトンプソンに近づき、伝言をつたえた。
「分かった、すぐ行く」
軍服をさがらせたトンプソンは、ハナコに向き直り、
「お前にいいことをひとつ教えておいてやろう。神父とはちがって、お前に対しての拷問は、丸一日もあるんだよ」
と言って、ナイフを鞘にしまった。
「少しはずすが、時間を持てあますのも可哀想だから、いくつかの選択肢をやろう」
「な……に……?」
「あそこに、紙ヤスリとペンチがあるだろう。切り取られるか、そぎ落とされるか、ねじり潰されるか、それを考えておけ。帰ってきてから、答えを聞いてやる。おれのオススメは、ねじり潰されるだがな。お前、ハンバーグは好きか?」
「……」
「まあ、考えておくんだな」
言うと、トンプソンは懐中時計を床に置き、踵を返して小屋をあとにした。
この拷問があと二十四時間も続くのかと、秒針の振れる音を聴きながら未だうまく回らない頭で考えてみたが、それに対する答えはやはり「くそったれ」だった。
ハナコは改めておのれの無思慮を自嘲し、
「ぐぞっ……だ……で」
と独りごち、
そのまま気を失った……
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
これって、パラレってるの?
kiyin
SF
一人の女子高校生が朝ベットの上で起き掛けに謎のレバーを発見し、不思議な「ビジョン」を見る。
いくつかの「ビジョン」によって様々な「人生」を疑似体験することになる。
人生の「価値」って何?そもそも人生に「価値」は必要なの?
少女が行きついた最後のビジョンは「虚無」の世界だった。
この話はハッピーエンドなの?バッドエンドなの?
それは読み手のあなたが決めてください。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる