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20:トウモロコシ
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目の前にひろがるトウモロコシ畑に、ハナコは嘆息した。
淡い月明かりの下だと、それがどこまで続くのかまでは分からないが、それでもやはり圧倒される。
「こんなに目立つ場所を見つけられなかったなんてね」
言って、月明かりがあるということはと思い、いつのまにか雨がすっかり止んでいることに気づく。近づいてトウモロコシの細長い葉に触れると、夜露か雨露なのかは分からないが、しっとりと濡れていた。
「ほら、あれだ」
農道の先を指すマクブライトに言われて見ると、少しはなれた場所に、人家のものと思しき灯りが点々と見えた。
レーダーマッキーの情報に偽りなし、ということだ。
『じゃあ、またなにか分かれば連絡する』
淡々と言って、レーダーマッキーが通信を切った。
「ほんとに、大丈夫なの?」
あらためて、渦中の情報屋が信頼できるのかを訊ねると、
「大丈夫。奴は、おれやお前なんかよりも強く政府を憎んでいるからな。まず、タレこまれるようなことはない」
と、呑気にマクブライトは言い、農道を歩き出した。
およそ一時間前、車のガス欠により徒歩でコミュニティーを目指すことになったハナコたちは、勢いの弱まった雨の中を必死に歩いて、ようやくここまで辿り着いたことになる。
ゲイに負わされた傷をかばいながらついてきたトキオは、すっかり疲弊しきっている。
それに、アリス。
疲れた様子さえ見せずに横を歩く白磁の肌の少女は、ようやく見えた灯りにホッとしたのか、すこしだけ表情を緩ませているようにも見えた。
もうすっかりお気に入りになってしまったのだろう、首から下げたずぶ濡れの笑い袋を揺らしながら、健気にも大人たちについてくる。そのヘソの上あたりで貝殻のように閉じた手の中には、全身が灰色の小鳥がいた。歩き出してからすぐにアリスが見つけたもので、右の羽にケガを負って飛べなくなっているようだった。それを見て、マクブライトが「ほお、クニオフィンチか」と眉尻を上げながら言った。
「クニオフィンチ?」
「ああ、だいぶ前に貴族の奴らのあいだで流行った手乗りのペットさ。人懐こくて、なによりも数十パターンある鳴き声がまた可愛いんだ。まあ、ブームが過ぎた今となっちゃ、捨てられたヤツが野生化しちまってるみたいだが」
「ヤケに詳しいね」
「おれは小鳥が好きだからな」
「ハッ、冗談ばっか。それにしても小鳥に自分の名前をつけるなんて、偉大なる総統様もかなり悪趣味ね」
ハナコの言葉にマクブライトは口の端を上げ、
「噂じゃ、これは遺伝子操作で生まれた代物らしい」
と、言った。
「その遺伝子操作じたいが、実際のところ、なにを目的としていたのかは分からねえが、それでもこの異常に人懐っこい小鳥が生まれ、クニオ様はそれを金儲けの道具にしたんだよ。それに、流行さえ定期的に与えておけば、一般大衆なんていうお気楽な生き物はそのことにかまけて、政治のことなんぞ考えないからな」
マクブライトの講釈にホウッと息を漏らしてアリスに視線を移すと、大事そうにクニオフィンチを包みこんだまま無言で見つめ返してきた。それは、あの六番街の射的屋で向けられたものと同じ意味合いの、とても澄んだ目だった。
ハナコは無言でうなずき、クニオフィンチについてアリスを咎めることもなく歩き出した。
そして一時間後、ようやくここまで辿り着いたことになる。
「それにしても、大きなトウモロコシ畑だね」
「これが普通だ。トウモロコシは安価な上に栽培も容易だからな。大量生産、大量消費の典型みたいな穀物よ。だから貴族様たちが食べる五番の上等な食物とはちがって、おれら善良なる共和国民は、これを食わされている」
ハナコの舌が、バーの美味とはほど遠いメニューの味を思い出す。
「知らなかったな、ここで作られていたのは」
「国民が反乱を起こす最大の原因はなんだと思う? なぜこの国は独裁体制だっていうのに国民は反乱を起こさない?」
いつものマクブライトの迂遠な言い回しがはじまる。
「さあね。軍がやっぱり怖いんじゃない? 恐怖に支配されていたら、だれも動かないだろうよ」
「じゃあ、〈血の八月〉のとき、お前はなんの恐怖も感じなかったか?」
「それは……」
思い出したくもないが、なによりもまず恐怖が胸中を支配していたのは確かだ。
「恐怖感に縛られながら、それでも戦った。なぜなら命を脅かされたからだ。むしろ恐怖心は、人を動かすなによりの原動力なんだよ」
「じゃあ、なんで国民はいま立ち上がらないんだ?」
「平時における国民の最大の恐怖はなんだと思う?」
「……暴力?」
「お前が暴力に脅えるタマかよ」
マクブライトが鼻で笑う。
「答えは、飢えだ。空腹こそが革命の種ってな。クニオ様はそれを分かっているんだろう。粗悪なトウモロコシとはいえ食えるものがあるうちは、だれも動きやしない。これ以外にも、意外とおれらのまわりに食物はゴマンと溢れている。この国では、高望みさえしなければ悲劇の起きないシステムが、徹底的に敷衍されているんだよ」
「あまりにも飢えると、腹の音が革命を叫ぶ鬨の声に聞こえてくると」
トキオがしかつめらしく言い、都合良く腹を鳴らした。
「おれも腹が減って、いまにも暴動を起こしそうですよ」
「もうすぐだ。ま、ありつけるのはトウモロコシだろうがな」
マクブライトのつまらないコーンジョークに顔をしかめながら、ハナコは気がつかれないようにソッと腹を撫でた。まだ鳴らないが、トキオと同じく確かに空腹だ。
横を歩くアリスを見ると、ハナコの真似のつもりなのか、クニオフィンチを片手でもって彼女もまた腹をさすっていた。
淡い月明かりの下だと、それがどこまで続くのかまでは分からないが、それでもやはり圧倒される。
「こんなに目立つ場所を見つけられなかったなんてね」
言って、月明かりがあるということはと思い、いつのまにか雨がすっかり止んでいることに気づく。近づいてトウモロコシの細長い葉に触れると、夜露か雨露なのかは分からないが、しっとりと濡れていた。
「ほら、あれだ」
農道の先を指すマクブライトに言われて見ると、少しはなれた場所に、人家のものと思しき灯りが点々と見えた。
レーダーマッキーの情報に偽りなし、ということだ。
『じゃあ、またなにか分かれば連絡する』
淡々と言って、レーダーマッキーが通信を切った。
「ほんとに、大丈夫なの?」
あらためて、渦中の情報屋が信頼できるのかを訊ねると、
「大丈夫。奴は、おれやお前なんかよりも強く政府を憎んでいるからな。まず、タレこまれるようなことはない」
と、呑気にマクブライトは言い、農道を歩き出した。
およそ一時間前、車のガス欠により徒歩でコミュニティーを目指すことになったハナコたちは、勢いの弱まった雨の中を必死に歩いて、ようやくここまで辿り着いたことになる。
ゲイに負わされた傷をかばいながらついてきたトキオは、すっかり疲弊しきっている。
それに、アリス。
疲れた様子さえ見せずに横を歩く白磁の肌の少女は、ようやく見えた灯りにホッとしたのか、すこしだけ表情を緩ませているようにも見えた。
もうすっかりお気に入りになってしまったのだろう、首から下げたずぶ濡れの笑い袋を揺らしながら、健気にも大人たちについてくる。そのヘソの上あたりで貝殻のように閉じた手の中には、全身が灰色の小鳥がいた。歩き出してからすぐにアリスが見つけたもので、右の羽にケガを負って飛べなくなっているようだった。それを見て、マクブライトが「ほお、クニオフィンチか」と眉尻を上げながら言った。
「クニオフィンチ?」
「ああ、だいぶ前に貴族の奴らのあいだで流行った手乗りのペットさ。人懐こくて、なによりも数十パターンある鳴き声がまた可愛いんだ。まあ、ブームが過ぎた今となっちゃ、捨てられたヤツが野生化しちまってるみたいだが」
「ヤケに詳しいね」
「おれは小鳥が好きだからな」
「ハッ、冗談ばっか。それにしても小鳥に自分の名前をつけるなんて、偉大なる総統様もかなり悪趣味ね」
ハナコの言葉にマクブライトは口の端を上げ、
「噂じゃ、これは遺伝子操作で生まれた代物らしい」
と、言った。
「その遺伝子操作じたいが、実際のところ、なにを目的としていたのかは分からねえが、それでもこの異常に人懐っこい小鳥が生まれ、クニオ様はそれを金儲けの道具にしたんだよ。それに、流行さえ定期的に与えておけば、一般大衆なんていうお気楽な生き物はそのことにかまけて、政治のことなんぞ考えないからな」
マクブライトの講釈にホウッと息を漏らしてアリスに視線を移すと、大事そうにクニオフィンチを包みこんだまま無言で見つめ返してきた。それは、あの六番街の射的屋で向けられたものと同じ意味合いの、とても澄んだ目だった。
ハナコは無言でうなずき、クニオフィンチについてアリスを咎めることもなく歩き出した。
そして一時間後、ようやくここまで辿り着いたことになる。
「それにしても、大きなトウモロコシ畑だね」
「これが普通だ。トウモロコシは安価な上に栽培も容易だからな。大量生産、大量消費の典型みたいな穀物よ。だから貴族様たちが食べる五番の上等な食物とはちがって、おれら善良なる共和国民は、これを食わされている」
ハナコの舌が、バーの美味とはほど遠いメニューの味を思い出す。
「知らなかったな、ここで作られていたのは」
「国民が反乱を起こす最大の原因はなんだと思う? なぜこの国は独裁体制だっていうのに国民は反乱を起こさない?」
いつものマクブライトの迂遠な言い回しがはじまる。
「さあね。軍がやっぱり怖いんじゃない? 恐怖に支配されていたら、だれも動かないだろうよ」
「じゃあ、〈血の八月〉のとき、お前はなんの恐怖も感じなかったか?」
「それは……」
思い出したくもないが、なによりもまず恐怖が胸中を支配していたのは確かだ。
「恐怖感に縛られながら、それでも戦った。なぜなら命を脅かされたからだ。むしろ恐怖心は、人を動かすなによりの原動力なんだよ」
「じゃあ、なんで国民はいま立ち上がらないんだ?」
「平時における国民の最大の恐怖はなんだと思う?」
「……暴力?」
「お前が暴力に脅えるタマかよ」
マクブライトが鼻で笑う。
「答えは、飢えだ。空腹こそが革命の種ってな。クニオ様はそれを分かっているんだろう。粗悪なトウモロコシとはいえ食えるものがあるうちは、だれも動きやしない。これ以外にも、意外とおれらのまわりに食物はゴマンと溢れている。この国では、高望みさえしなければ悲劇の起きないシステムが、徹底的に敷衍されているんだよ」
「あまりにも飢えると、腹の音が革命を叫ぶ鬨の声に聞こえてくると」
トキオがしかつめらしく言い、都合良く腹を鳴らした。
「おれも腹が減って、いまにも暴動を起こしそうですよ」
「もうすぐだ。ま、ありつけるのはトウモロコシだろうがな」
マクブライトのつまらないコーンジョークに顔をしかめながら、ハナコは気がつかれないようにソッと腹を撫でた。まだ鳴らないが、トキオと同じく確かに空腹だ。
横を歩くアリスを見ると、ハナコの真似のつもりなのか、クニオフィンチを片手でもって彼女もまた腹をさすっていた。
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