ハナコ・プランバーゴ

ノコギリマン

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11:ホワイトラビット

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 ――トキオが首をさすりながら、

「それにしてもよくこんな作戦で上手くいきましたね」

 と言って、マクブライトとともにナットウの入った木箱だけを荷台に戻す。

「民警と政府軍の連携が弱かったからな。もともと下っぱの民警の連中からしたら、今度の事件はやっかいごと以外の何物でもねえ。それに、チャコちゃんとあのモヒカン頭のお陰でもあるわな」

 マクブライトが、チャコを思い浮かべてか、鼻の下を伸ばした。

 検問所で政府軍が発見した三つ編みの女とアイパッチの男は、変装したチャコとケンジだった。もともと探偵を副業とするケンジは変装が得意で、今回はその特技をいかんなく発揮してもらったということになる。

「まさかに助けてもらう日が来るとは思わなかったよ。マクブライト、帰ったら、改めて二人に礼を言っといて」
「バカ、なんでおれが言うんだよ」
「あたしは、もう九番には戻らないからさ」

 ふたたび空を見上げながら、ハナコはその言葉を噛みしめた。


 ――そう、もう二度とには戻らないのだ。

 そのためにも、この仕事だけは何があっても成し遂げなければならない。

「それで、とりあえず、どうします?」

 トキオが言う。

「おれの知り合いの車屋が六番にいるから、とりあえずそこで長距離でも余裕の車を調達する。このオンボロじゃさすがにキツイからな」
「六番に知り合いがいるの?」
「ああ、おれはむかし整備工だったんだ。それにまだおれが傭兵だったころの知り合いがヤミで武器屋をやってるから、そこで銃やなんかの調達もする。そいつがまた大のナットウ狂いでな、これを土産に持って行きゃ、昔のよしみで武器を安くしてくれるはずだ」
「整備工に傭兵ね、なんでもやってんだな」
「オマンマのためよ」
「六番か……」

 トキオが嫌そうにつぶやく。

「そういえば、あんた六番からやって来たんだったね。戻るのが嫌なの?」
「そういうわけではないんですけど、あそこにはちょっと厄介なヤツがいるんです」

 言って、トキオが今まで見せたことがない陰鬱いんうつな面持ちになった。だがそれも一瞬のことで、すぐにいつもの温厚な顔に戻ったトキオは、

「ま、ヤツはふだん外へ出てこないんで、出会う確率なんて低いだろうから大丈夫ですよ」と、二の句を継いで、荷台に乗り込み、アリスに手を差しのべて荷台に乗せてやった。

 その光景を見ながら、ハナコは、いったい六番でトキオに何があったのか気になったが、訊くだけ無粋な気がしたから、なにも気にしていない素振りで荷台に乗り込んだ。

 全員が荷台に乗り込むと、

「じゃあ、大冒険へ出発しますか」

 呑気に言って、マクブライトが軽トラを走らせた。

 荷台と車内は小窓でつながっていて、そこからそよふくエアコンの風が、わずかながらではあるが荷台を涼しくしてくれていた。だがそれでもこの茹だるような暑さは、傲慢な居候のように依然として居座っていた。おまけに木箱からは、ナットウの臭いがかすかに漂ってくる。のっけから先が思いやられるが、六番で車を調達すれば、この胸糞悪い状況ともおさらばだと考えればガマンもできる……

 ……だが、やはりくさい。

 鼻を覆い、うなじを流れる汗を拭ってアリスを見やると、彼女もまた額に玉のような汗をかいていた。

 それが、なぜだか意外だった。
 まるで人形にしか見えない少女が急に生身の人間のように思え、

「大丈夫か?」

 気遣って声をかけてみたが、アリスはなにも応えなかった。

「これを使いなよ」

 トキオが、リュックサックからタオルを取りだしてアリスに手渡した。無言のまま受け取ったアリスは、それで額の汗を拭った。

「これも」と言ってトキオがアリスに水筒を渡した。
「優しいんだな」

 ハナコが言うと、トキオは笑いながら、

「まあ、大事なですからね。それにですし。ちなみに中身はお肌に良いローズヒップティーとなっております、姫」

 と、おどけてみせた。

 だがその言葉にも依然としてアリスは無反応で、ローズヒップティーを飲み終えると、礼すら言わず、目も合わせぬまま水筒をトキオに返した。

 普段から怒りの導火線がみじかいハナコは、それに苛立ち、「礼くらい言ったらどうだ?」と叱ろうとして口を開きかけたが、わざとらしく咳払いをしたトキオに、目顔で諫められた。きっと「アリスの気がふさいでいるのも仕方がないことだ」とでも言いたいのだろう。

 ドンに、事件のあらましと〈赤い鷹〉のもとまで運ぶ旨を説明されたアリスは、それからずっと口をどこかに置き忘れてきたかのように黙り込み、チャコの手によって目立つワンピースを動きやすいTシャツとオーバーオールに替えられ、金色の長髪を束ね上げられてベージュ色のキャスケットで隠しているときにすら、なすがままになっていた。

 それも無理のないことだと思う。

 ドンによると、いまアリスは十二歳で、四年前からツラブセに匿われていたとするならば、八歳のときからあの高い高い鳥かごの中にいたということになる。その年月を、軟禁という形とはいえ、共に過ごしてきただろう人間たちが一夜のうちに惨殺されたのだから。

 しかもアリスはそれを目撃したはずだ。

 いまわの際に「この娘を頼みます」と、か細く言って事切れたあの老女は、おそらく世話係だったのだろうが、その女性が目の前で殺された場面を頭からぬぐい去ることなど、とうてい無理のある話なのだろう。

 今は、そっとしておくのがいいのかもしれない。それに近いうち別れてしまうアリスと、必要以上に心の距離を近づける気もさらさら無かった。

「もう夕方の五時だな。今夜は七番で宿をとろう」

 ハナコは、ショートパンツのうしろポケットに入れていた銀の懐中時計で時間を確認し、マクブライトに言った。

「お前が時間を気にするようになるとはな。待ち合わせができる相手でもできたのか?」
「これはガンズの餞別せんべつさ」

 言って、ハナコは懐中時計の裏面を指でなぞった。

「あのじいさんはお得意だったからね」
「木箱とナットウも分けてもらったし、意外といい人だったみたいですね」

 トキオが言う。

 ドンの打診に快く乗ってくれたガンズは、木箱とナットウを用意してくれた。もっとも、ナットウは売りつけられたから、その費用は借金として加算されているが。

「あの爺さんには色々と迷惑をかけられたからな。せめてもの罪滅ぼしのつもりだろ」

 老人の歯抜けの笑顔を頭から振り払うように、ハナコは鼻を鳴らした。

 懐中時計を見ていると、むかし拾った『不思議の国のアリス』の絵本を思い出す。つまらない日常に飽きた夢見るアリスを不思議の国へといざなってくれたホワイトラビットは、たしか、同じような懐中時計を持っていた。

 ハナコは、つまらない日常どころか、この世界のすべてに絶望しているような顔のアリスに視線を移し、



 と、小さく独りごち、懐中時計の蓋を閉じた。


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