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4:翌日市場

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 目の前の光景をながめながら、

「いつ来てもここは混んでるね」

 と、ため息混じりにつぶやくと、

「まあ、ここくらいしかマトモなとこはないですからね。それに今夜は〈ショットガン・コヨーテ〉におれらは入れないっすから」

 トキオに笑いながら言われた。

「あたしは、じゃないよ」
「ハハ、そうっすね、すいません」

 地獄の九番には、ゴミ収集日の翌日に開かれる〈翌日市場よくじついちば〉というものがある。

 四方を高い壁に囲まれた九番に隣接する、工業都市〈クニオ八番街〉のはずれにある産業廃棄物集積場は、九番の北側の壁を隔てたすぐ向こうがわにある。そこには、毎週、月、木、土曜日に、八番の工場から出るおびただしい量の産業廃棄物と、そこで働く者たちの居住区の〈クニオ七番街〉から出る、ありとあらゆるゴミが無雑作にうち捨てられていく。自然、その一帯は八番の死角になり、いつの頃からか、強突張ごうつくばりな九番の住人によって、そこへと抜ける通用口が作られていった。

 九番の住人にとって、ゴミは宝の山だ。

 人々はゴミの中からめぼしい物を拾ってきては、〈翌日市場〉でそれらを売りさばいて糊口ここうをしのいでいる。故に〈外〉の住人たちから、九番の人々は〈ゴミ漁り〉と呼ばれ蔑まれているが、そんなことにはかまっていられないほど、ゴミ山と〈翌日市場〉は強固に結びついている。

 そして、〈翌日市場〉には経済流通の場だということ以外に、二つの存在理由がある。
 一つ目は〈情報の交換〉であり、 二つ目は〈憩いの場の提供〉である。

 人や物の出入りがはげしいこの街において、最も重要なものは〈情報〉であり、そして九番にあって唯一の商業地域である〈翌日市場〉には、「何人なんぴとたりとも厄介ごとを起こしてはならない」という鉄の掟が暗黙のもとにしかれており、故にこのションベンクサイ市場は、地獄の住人たちにとって束の間の憩いの場にもなっているのである。

「相変わらず臭いね。屁が止まらない奴でもいるんじゃないの?」
「臭いと言えば、ナットウの影響はもう大丈夫なんすか?」
「二日も経てばさすがにね。むしろ体調はいいよ」
「ほんとに健康食だったんですかねえ? もしかして、あの毒々しい液体が効いたのかも」

 首をかしげながら、トキオが笑う。

 金曜夜の市場は、週末ということもあって、一時の快楽を求める人々で活気に満ちあふれている。悪態をついたものの、実のところハナコは〈翌日市場〉の喧噪が嫌いではなかった。

 この八方塞がりで先も見えない生活を、ほんの束の間だけ忘れさせてくれるから。

 それに、まだ母が生きていた頃は、いっしょになってゴミ山で拾ってきた物を売ることで生計を立てていたから、ハナコにとって〈翌日市場〉は今よりも少しだけマシだった頃の思い出の場所でもある。

 市場の目抜き通りの中ほどにある行きつけのバー、〈玉蜀黍地獄コーン・ヘル〉の手垢にまみれたウエスタン扉に手をかけると、店内から出ようとしていた銀髪碧眼ぎんぱつへきがんにロイド眼鏡のパナマ帽を被った男とかちあった。

「失礼」
「先に出なよ」

 ハナコの言葉にかぶりを振って、男が脇に退いた。

「レディーファースト」
「九番に紳士がいたとはね」

 男に促され、ハナコたちが店に入ると、

「おお、今夜は来ると思ってたぜ!」

 と、最奥のテーブル席に座る、スキンヘッドにカウボーイスタイルの男が、じれた様子で手招きをした。
 その大声に顔をしかめながら振り返ると、すでにパナマ帽の男は姿を消していた。

「あたしに会いたくてしょうがなかった?」

 向き直って言うと、

「バカか、お前らはツマミみたいなもんだ」

 男は呵々かかと笑い、ジョッキに残るビールを一気に飲み干した。

 男の名はディック・マクブライト。

 気のいい男で、ハナコの数少ない飲み仲間であり、そして有益な情報源でもある。彼もまたいずこかからの〈脱落者〉であり、九番にやってきた当初は、主に五年前に起きた、政府軍と革命軍とのあいだに起きた武力衝突――〈血の八月〉で倒壊した家屋の修繕工事をメインに大工をやっていたが、ここ最近の、復興がすっかりすんでしまったあおりで鳴く閑古鳥に嫌気がさして、市場から出た客をその目的地まで護衛する〈護送屋〉に鞍替えし、稼ぎは上々だとか。

 マクブライトに限らず、市場を出てすぐの〈見返り通りリワード・ストリート〉には多くの同業者が軒を連ねている。

 どうやら、〈運び屋〉なんかよりもよっぽど儲かる稼業らしい。

 二人はマクブライトのテーブル席に座り、ハナコはバーボンの牛乳割り、トキオはバーボンのダブルをロックで頼んだ。そしてつまみはコーンバターの大盛り。まさに〈玉蜀黍地獄〉の看板に偽りなしの、いつもと代わり映えしないクソマズイメニューだ。

「ヤツとなにをしゃべってたんだ?」マクブライトが訊く。
「べつに。そういえば、あの男も常連だってのに、しゃべるのは初めてだな。いったい何者なんだ?」
「さあな。あの男どころか、ほとんどの奴の素性が知れねえわな」
「あんたの素性もな」
「おれはただの〈護送屋〉だ」
「ヤツの正体は〈笛吹き男〉だそうですよ」

 トキオがしかつめらしく言う。

 〈笛吹き男〉とは九番に伝わる都市伝説の一つで、少女ばかりを狙う謎の人さらいだと言われている。

 陽気な笛の音とともに現れることから、そのバケモノは〈笛吹き男〉と呼ばれているが、分別のある大人たちはおろか、そこら中を無邪気に走り回る子どもたちにもその存在はけほども信じられていない。

 事実、まれに少女がいなくなることはあるが、それも地獄の九番ではあまり人々の関心事にはならない。

 この噂が出回りはじめたのは〈血の八月〉よりも前だと言われている。

 その武力衝突以降、〈笛吹き男〉の狙う対象が“子ども全般”から“少女”にすり替わっていることに、ハナコは不可解なものを感じていたが、大方はツラブセの御大尽たちの愛玩としてか、臓器売買のために親に売り飛ばされたのだろう、ということで決着をつけていた。

 殺伐としたスラムのありきたりな事件を、子供だましにもならないバケモノをスケープゴートに仕立てあげて、うやむやにしてしまうことにはいい気がしないが、かといって行方知れずの少女たちに対して、秒刻みで絶望している地獄の住民たちができることなど、何ひとつとしてありはしないのだ。

「そんなわけないでしょ。誰に聞いたんだよ?」
「ヌシです」
「バカバカしい。いつものホラ話じゃないか」

 ぶっきらぼうに言って、ハナコは、カウンター席のうえで徳の高い坊さんのように結跏趺坐けっかふざになる、浮世離れした禿頭とくとうの老人を見やった。いつも酔いどれているその老人は、常連客の間では畏敬というよりも揶揄やゆの意味を込めて〈酒場のヌシ〉と呼ばれている。

 ヌシもまた素性の知れない者の一人で、彼自身は「おれは〈以前〉の英雄だったんだよ」とことあるごとにうそぶいているが、真に受ける者は一人もいない。ここまで堕ちてきたとはいえ、英雄ならば〈ツラブセ〉に住むのが当然のはずで、ましてやこんな場末のさびれたバーで飲んだくれているはずがないからだ。のほかにも、ヌシのホラ話は枚挙にいとまがなく、だから〈笛吹き男〉に関する話も、当然のごとく眉唾まゆつばものである。

 トキオのせいで、またを思い出してしまったハナコは、その胸糞のわるさに辟易としながら話題を変えた。

「それよりマクブライト、なんでカウボーイみたいな格好をしてるんだ? 賞金のはずむ仮装大会でもあるわけ?」
「バカか、はしゃぐ年齢はとっくに過ぎてる」

 憎々しげに言って、食用ムツアシガエルの足のバターソテーを頬張るマクブライト。

「さっきまで今日さいごの客を護送してたんだが、急の雨で一張羅がオジャンよ。そこの古着屋で着れそうなのがこれしかなくて、仕方なく買ったんだが、興に乗った店のババアに、テンガロンハットやらなにやら一式を売りつけられちまって、即席カウボーイの出来上がりよ。時代錯誤もはなはだしくて泣けてくるぜ」

 言って、ガンホルスターから、骨董品としか思えない銃把じゅうはの白いリボルバー銃を抜き取ったマクブライトは、それを曲芸師よろしくクルクルと回した。

「はしゃいでるじゃないか」
「これを機に屋号を〈ディックの護送屋〉から〈カウボーイセキュリティー〉にでもしようかと思案中だ」
「バカバカしい、弾は入ってるの?」
「ここじゃあ、高くて手が出せねえよ。あるのは二つだけだ」

 股間をまさぐり、下卑た笑みを浮かべるマクブライト。

「ふん、あんたにはレンチやハンマーのがお似合いだよ」

 テーブルの上に転がった、今では護送時に武器として使う大工道具がおさめられた工具ベルトを顎で指すと、マクブライトはつまらなさそうに鼻から息を漏らした。

「大工は廃業したってのに、まだコイツらが相棒とは、なんともつまらん人生よ」

 飽き飽きした顔で、マクブライトが煙草に火をつける。

「まあダンナ、飲みましょうや」

 ようやく運ばれてきた酒を手に取り、トキオの音頭で乾杯をして一口飲むと、牛乳とバーボンの絶妙なハーモニーが口の中いっぱいに広がった。

「やっぱり、仕事終わりはこれに限るね」
「そんな甘ったるいもの飲みやがって、まだまだオジョウチャンだな、お前」
「ほっとけ。そのままじゃ、マズくてとてもじゃないが飲めたもんじゃないんだよ」
「あー、でも知ってます? このカクテルの名前は〈カウボーイ〉って言うんですよ」
「ほんとか、じゃあ一口くれよ」
「じゃあ、の意味が分からないよ」
「つれないねえ。さては、お前モテないだろ?」
「残念、さっき英雄に面倒を見てやると言われたばかりだよ」

 無駄話に花を咲かせていると、中央のテーブル席から歓声が上がった。

 見ると、数人の客たちに囲まれた一組のカップルが、照れくさそうに何度もお辞儀をしている。

「いやあ、おめでとう。それにしても羨ましいね」

 中年客が、笑いながら言う。

「たまたまです。ぼくもまさか申請がとおるとは思ってもみませんでしたよ」

 祝福された若い男が、満面の笑みで応える。

「ぼくらの場合でも、二年ちかくは待たされましたからね。これでようやく、彼女と結婚ができるってもんです」
「いいなあ、〈〉で、悠々自適な新婚生活か!」

 中年客がますます羨ましそうにして深くうなずきながら、どさくさまぎれに女の尻をさわり、女の黄色い悲鳴とともに、野次馬からドッと笑いが巻き起こった。

「……申請がとおったのか、うらやましいもんだね」

 言って、ハナコはため息をついた。

 この街を抜け出すいちばん安全にして最も確率の低い方法である〈移住希望申請〉は、地獄の住人たちの憧れであり、ハナコも半年前からオヤジに内緒で申請しているが、一向に音沙汰がない。朝晩をとわずテレビで流され続ける〈移住希望申請の受けつけ〉のCMを観るたび、ハナコは胸に言いようのない焦燥感を覚えていた。

 口ひげの似合わないバーのマスターが「タイミングよくやってるんじゃねえか?」と言いながらテレビをつけると、聞き慣れた陽気なBGMとともに、〈移住希望申請の受けつけ〉のCMがタイミング良く流れはじめた。

 画面には牧歌的な村の映像が映し出され、のんきなカントリー調の曲が流れている。畑をたがやす、麦わら帽子にオーバーオールの農夫がカメラに気がつき、すきを置き、居住まいをただしてゆっくりと手を振る光景をバックに、〈移住希望申請の受けつけ〉の説明をはじめた渋いバリトンボイスが、どこかノスタルジーを誘う。

『――二十七年前、隣国の〈リオ・ロホ〉とのにより生じた多くの浮浪民へ、政府は寛大な措置として、農耕に適した肥沃ひよくな地域に設けた〈ゆとり特区〉への居住権をあたえました。ここでは、毎月さだめられたノルマの農作物や工芸品を、政府に納めることで、九つの特例が認められています。信仰の自由がその代表的なもので、国民の、実に80%が信仰する、〈マグラ新覚宗〉いがいを信仰する権利が保障されています。その他にも夢のような特例が認められており――』
「ほんと、テレビってのは、嘘を垂れ流すだけのクソ箱だな」

 マクブライトがマズそうに紫煙を吐き出して言う。

「真実だろ、少なくともここよりはマシさ」
「ま、そういうことにしといてやるよ」

 唯一の希望を鼻で笑われた気がして、ハナコは少しだけ不機嫌になった。

「でもあそこがここよりマシだとして、ネエさんもおれもオヤジに借金を返さないと自由の身にはなれませんがねえ」

 呑気なトキオの発言に、

「あんたがヘマばかりするから、借金が減らないんだよ。まったく、お荷物すぎてイヤにならない日がないね」

 と八つ当たりで罵倒すると、

「おいおい、そりゃ言い過ぎだろ」

 と、マクブライトにたしな窘められた。

「ふん、事実を言ったまでさ。それにあんただって、ここらでくすぶっているだけの、しょうもないチンピラじゃないか」
「おいおい、いつにもましてからみ上戸じゃねえか」
「ムカつくんだよ、どいつもこいつも!」

 感情にまかせて拳をテーブルに振り下ろすと、その音に驚いた客たちが、一斉にハナコへ目を向けた。

「……帰る」

 ハナコは、の紙幣を三枚おいて立ち上がり、「今夜はあたしがオゴるよ」と言って、出口へ向かった。

「おい――」

 マクブライトの制止を無視して、ハナコは店を後にした。

「まったく、どいつもこいつも……」

 独りごちながら歩いていると、「ネエさん!」と、追ってきたトキオに呼び止められた。

「なんか気に障ることを言ってしまったんなら謝ります」
「……イライラしたのは、あたしがバカな夢を見ているせいだ。謝るのはこっちの方さ、すまない」

 ハナコは素直にトキオへ詫びを入れ、深夜だというのに、未だ騒がしい目抜き通りの人混みへと消えた。


◆◆◆


 傾いたボロアパートに帰り、酔い覚ましにとコーヒーをれたハナコは、ベッド兼用の、ところどころに穴の空いたピンクの人工皮革張りのソファベッドに腰を下ろして、テレビをつけた。

『――さあ、セレブのセレブによるセレブのためのファッションチェックの時間がやって参りました。もちろん、今回もその合計金額は視聴者クイズになっており、みごと的中したユーには、豪華な賞品が用意してあります。ワオワオワーオ! そして今回の賞品は――』

 下らないバラエティ番組――特に司会者の「ワオワオワーオ!」という薄ら寒いギャグがむかつく――『セレブリティ×セレブリティ』の中でも、最もきらいなコーナーに虫ずが走ってチャンネルを回すと、『沈黙の戦乙女サイレント・ヴァルキリー カリーナ・コルツ』という、女児向けのバトルアニメの再放送がやっていた。

 まだ幼い頃はよく観ていたアニメで、〈十三番サーティーン〉という名の大きなコルト銃を手にして、巨悪に怯むことなく勇敢に挑み続ける美少女、カリーナ・コルツにはずっと憧れていたが、生活に追われるうちに、そんな憧れもいつのまにか忘れてしまっていたことをふと思い出す。

 大人と子どもの真ん中で、無様に足掻くことしかできない自分がイヤになって、更にチャンネルを回すと、『政府軍によって、反乱軍〈赤い鷹〉のアジトが次々と摘発され、それに伴う武力衝突が頻発している。壊滅されたアジトは、すでに〈赤い鷹〉の構成支部隊の約半数を越えると予想される云々――』という、数ヶ月前から連日に渡って報道されているが、まったく興味をそそられない政治的なニュースが流れていた。そしてニュースの終わりには、いつものように、その首魁しゅかいである〈悪漢の中の悪漢ヴィラン・オブ・ヴィラン――ムラト・ヒエダ〉の顔写真が大写しになった。

 ムラト・ヒエダの顔写真に反吐が出そうな嫌悪感をおぼえ、ハナコはテレビを消した。
 なにもかも全て、本当にイヤになる世界だ。

 と、湿り気を帯びた夜気を伝って、どこか遠くから、ロケット花火の乾いた破裂音が聞こえてきた。
 花火を打ち上げた連中が浮かれているのか、それとも浮かれたくて花火を打ち上げているのかは、分からなかった。

「夢も希望もありゃしナイン……か」

 ソファに寝そべり、蒸し暑さで汗ばんだ腹をさすり、少しついた脇腹の贅肉をつまみながら、ハナコは目を閉じた。

 それにしても、生きているのがイヤになるくらい、暑い。

 少し前まで肌寒かったのに、春はもう夏のふりをしている。


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