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1:九番街
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「……雨が、降ってきましたね」
言って、トキオ・ユーノスが、右目を隠す黒革のアイパッチを掻いた。
「なにか問題でもあるの?」
ぶっきらぼうに返して、ハナコは雨のしぶく窓越しに外を見た。
「雨だとすこしだけ運転がしづらくなるんす。それにほら、ネエさん、雨に濡れるのすごくイヤがるでしょう?」
「……まあね」
たしかにトキオの言うとおり、雨に濡れるのはイヤだ。
街中の邪悪が集まったような、黒い雨。
この街の人間は、雨をとても嫌う。ハナコもその例外ではなかった。それに、雨が降ると右太ももの古傷がうずく。
「だけど、人がいなくなるから好都合じゃないか。きっと、あいつらもどこかで雨宿りしてるはずだよ」
「だといいんですがねえ……」
愛用している、三段伸縮式特殊警棒を手持ち無沙汰にいじりながら、ハナコは後部座席の木箱に目をやった。
顔をしかめたくなるほどの臭いが、そこからあふれ出している。
「どう思う?」
「なにがですか?」
「うしろの」
「ああ……それがなにか?」
「食べたこともないから知らないけど、これってこんなに臭いモノなの? もしかして、もう腐ってるんじゃない?」
「どうですかねえ。腐ってたら、金がもらえないんですか?」
「腐らせるなとは一言も言われていないから、ジイさんがゴネようが金はもらうさ。あたしらは、運ぶのが仕事だからね」
「さすが頼りになりますね、ネエさんは」
「ふん、それにしても臭い」
「景気づけに一杯どうです? 一口分なら残ってますよ」
トキオが、ナイロン地の黒いサマージャンパーの右ポケットから、バーボンの入ったスキットルを取りだす。
「しまっときな、まだ仕事中だ」
「はいはい、ほんと、ネエさんには頭が下がります」
トキオのおべんちゃらに鼻を鳴らして窓外に視線をうつし、ハナコは後方へと流れゆく雨に煙る街並みを眺めた。
物心ついた時から、この街はすでに汚れていた。
黒い雨のせいでもあるが、それよりも街の空気が、ここに住む人々の深いため息で充たされていることの方が大きな原因だ――
――スラム。
そう、まさにスラム街だ。
死んだ目をした大人たちと、いずれおなじ目になってしまう子どもたちが、窮屈そうにひしめきあっている――
――〈クニオ九番街〉
それがこの街の名前で、その数字は、偉大なる総統、クニオ・ヒグチ様が統治する〈クニオ共和国〉にある九つの〈番号つきの街〉の中でも、最下層のゴミ溜めであることを意味する。
住人は“九番”という略称でこの街を呼ぶが、その上には必ずと言っていいほど“地獄の”という言葉がつく。
『九番、
九番、
地獄の九番
夢も希望も
ありゃしナイン』
いつだったか、〈酒場のヌシ〉と呼ばれている老いぼれの酔っ払いが陽気にうたった、ヘタクソな都々逸がふと頭を過ぎった。
それを聞いて笑えなかったのは、まだ心のどこかに淡い希望を抱いているからだろうか?
「あそこ、雨だってのに、ガキどもがいますよ」
トキオの視線の先をたどると、襤褸をまとった数人の子どもたちが、廃ビルのさして広くもない軒下で雨宿りをしながら、しけたタバコを大人ぶってふかす姿が目に入った。明日への希望をネズミ色のため息に変えて雨に溶かしている姿に、言いようのない侘びしさを覚える。
また、この街が汚されていく……
雨空を見上げる子どもたちの胡乱な目には、大人じみた倦怠感しかなく、すべてを諦めきっているようにさえ見えた。
「ガキども、〈笛吹き男〉が怖くないのか?」
「そんな都市伝説の怪物、おれだって信じちゃいないですよ」トキオが鼻で笑う。「それにあいつら、たぶん〈蜘蛛の巣〉のガキどもでしょう? あいつらの感覚は、おれたちには理解できないですからね」
トキオの言うとおり、九番の奥の奥、さらに深い領域にある、〈マダム・キンブル〉と五人の〈守護者〉によって統治される非合法産業複合体――〈蜘蛛の巣〉――の住人たちと交流なんてあるはずもなかったが、それでも、あの〈蜘蛛の子〉と呼ばれる子どもたちまで人の心を失ってしまっているとは思いたくなかった。
それに、〈蜘蛛の巣〉には師匠がいる。〈血の八月〉によって母親をうしなったあと、しばらく面倒をみてもらっていた師匠は、ハナコが十四になったときになにも言わずひとりで〈蜘蛛の巣〉の奥深くへとへ消えてしまった。あのとき師匠がなにを思って姿を消してしまったのか、今となってはもう分からないが、元気でやっているだろうか?
ふと、師匠の「環境が人を殺す」という言葉を思い出す。
たしかにこんな街で過ごしていると心も荒むし、死にたくなる日のほうが多いのは事実だ。それでも、あたしはまだ生きているし、あの子たちだってまだ生きている。
「……どこに住んでようが、人は、人だろ? 大差ないよ」
「まあ、ですよねえ」
トキオがハナコの言葉を鼻で笑う。
次の刹那、破裂音とともに、車が大きく左に傾いだ。
「ちくしょう!」
とられたハンドルを必死にもどしながら、トキオが叫ぶ。
後部座席の木箱がすべり、ドアにぶち当たった。
「止めろ!」
怒鳴ると同時に、スピードのまだ落ちない車から、ハナコは外に飛び出した。
二三度ころがり、すぐに体勢を整える。
……黒い雨、サイアクだ。
警棒を一気に振り下ろして伸ばし、車が傾いだ場所へ向かうと、そこには、赤錆びたクギをL字に曲げた、手製のマキビシがばらまかれていた――
――コブシ一家か?
便所の黄ばみよりもしつこい〈強奪屋〉どもの、あのバカみたいな極悪ヅラが脳裡にちらつく。
ハナコは警棒をベルトに提げたホルダーにしまって、ぬかるんだ地べたに転がるちょうどいい大きさの石ころを拾い、深呼吸をしてから辺りを見渡した。だがどこにも奴らの影は見当たらず、それどころか雨が聴覚の邪魔をして、衣擦れや息づかいさえ聞こえてこない。
「ネエさん!」
廃ビルの壁に突っこんでようやく止まった車から、頭をおさえたトキオが這うように出てきた。
「よそ見してるからだバカ、木箱を守ってろ!」
トキオに命令し、ハナコは耳を澄ませた。
すると、風切り音が右後方からかすかに聞こえ、瞬時に反応したハナコは、右へ飛び退きながら、アタリをつけたビルの割れた窓へと石ころを力いっぱいぶち込んだ。
「ぐげっ」
寝ぼけたヒキガエルのような声とともに、人が倒れる音がする。
「おいおい、ハナコよ、少々やりすぎじゃないか?」
つぎの瞬間、窓横の壁が豪快に吹き飛び、右腕が鋼鉄製の義手になったごま塩角刈り頭の大男が、粉塵を身で切りながら姿を現した。手入れの行き届いた機械仕掛けの手の甲には、でかでかと〈拳〉という漢字が書かれている。
男の名はトラマツ・コブシ。その異形の義手から〈鉄腕坊〉という異名で呼ばれるトラマツは、この一帯を縄張りにするコブシ一家の家長だ。
「やりすぎ? 人の首筋を狙って、矢を打ち込むような連中に言われたかないね。それに名前で呼ばないでって、なんど言えば分かるわけ?」
背を向けた廃ビルの壁に突き刺さった矢が、雨に濡れて黒くなっていく。
「ガハハ、失敬、失敬。だが、未来の義理の娘を殺す気はさらさらないぜ。首筋に向けたのはゴエモンのミスだ」
「だれが結婚するって言ったよ? あんたのバカ息子のために、花嫁衣装を着る予定は入ってねえよ」
「その跳ねっ返りの強さも、お前の可愛いところだな」
腹をさすりながら笑うトラマツ。
その横から、二つに割れたカラスマスクを両耳にぶら下げた緑色のリーゼント頭が、鼻をおさえながら涙目で顔を出した。
男の名はゴエモン・コブシ。犬並みの異常嗅覚から〈鼻探偵〉という異名を持つ、コブシ一家の末っ子長男は、なんの因果かハナコにベタ惚れしている。
はじめてコブシ一家に襲撃された一年半前、ノされたのにも関わらず――元来、被虐趣味があったのかもしれないが――ハナコに恋したゴエモン。そして恋の病に苦しむ愛息を応援すると誓ったトラマツから「依頼のブツを一度でも奪うことができれば、ハナコはゴエモンの嫁になる」という条件を一方的に突きつけられ、それからことあるごとに仕事の邪魔ばかりされている。
「ばながおれぢまっだじゃねえが、バナゴオォッ!」
ゴエモンは叫びながら、矢をつがえたクロスボウをハナコに向けた。
「しばらく使えないね、自慢のお鼻」
「ギギギッ!」
「仕留めきれなかった、お前が悪い」
言って、ゴエモンが構えたクロスボウを下げさせるトラマツ。
「しょうがねえが、お仕置きだ」
「やめ――」
トラマツが、生身の左拳で力いっぱいにゴエモンを殴り飛ばした。
「まったく、いくつになっても犬並みの嗅覚以外は使い物にならねえ。そんなんじゃいつまで経っても……ちっ、ノビてやがらあ」
「じゃあ、わたしがもらうわよ、パパ」
頭上から聞こえた声で見上げると、背にした廃ビルの二階から、黒い下着姿の黒髪おかっぱ頭の女が黒い木刀を振り上げながら飛び降りてきた。ハナコは寸でのところでそれを避け、飛び退きざまに、壁から抜き取った矢をその女めがけて投げつけた。女はそれをかわし、不敵な笑みを浮かべてハナコと対峙する。
女の名は、リン・コブシ。コブシ一家の長女であり、九番では右に出る者はいないと言われるほどの卓越した鍵開けの技術から〈千本鍵〉という異名を持つ。
リンは、五年前に勃発した革命戦争――〈血の八月〉――で母親を失ってから、実質的にコブシ一家を支えてきた肝っ玉の据わった女であり、ゴエモンが惚れているハナコに、なかば嫉妬とも思えるような憎悪を抱いていて、一家にあって唯一、ハナコの命を本気で狙っている、最も厄介な存在だった。
「いつから露出狂になったんだ、リン。オシャレは卒業?」
「濡れるのがイヤだから、上で脱いできたの」
「下着はいいわけ?」
「バカね。これは下着じゃなくて水着なのよ。あんたみたいな、色気のかけらもない小娘には着れない代物さ」
「あたしはまだ若いから、そんなもん無くても男は寄ってくるんだよ、年増のオバサン」
「オバ……わたしは、まだ二七よ!」
オバサンという四文字に敏感なリンは、とても扱いやすい。
リンが怒り任せに突き出してきた木刀をハナコは鼻先でかわし、ホルダーから抜き取った警棒で鳩尾を思うさま突いた。ぬかるんだ地べたに足をとられ、ド派手なしぶきをあげながら水たまりに倒れこんだリンは、胸をおさえて息も絶え絶えになった。
「なんど来ても同じことだよ、諦めな」
「バカめ、諦めるのはお前のほうだ!」
ドスの利いた声に振り向くと、トキオに左腕でアイアンクローを極めたトラマツが高らかに笑い声をあげた。
「今日こそ、お前の泣きっ面が見れるぜ」
すでに意識が飛びかけたトキオは、白目をむきはじめている。
「泣かす? 殺すつもりできなよ。その腕を使ってさ」
「あいにくと、〈射出機能内蔵義手〉はお前を殴り殺すためのものじゃねえ」
言って、笑うトラマツ。
「分かってるだろ、カワイイ息子のためにお前を殺すことはできねえからな。だが、いやだからこそ、せめてお前の泣きっ面を見るのがおれさまの悲願だ」
「親バカの極みだね」
「なんとでも言え。そして頼りない相棒を恨むこった」
「……トキオをあまりナメない方がいいよ」
「あん?」
虚を突かれたトラマツの顔に、トキオがポケットから取りだしたバーボンを振りかけた。
「てめえ、何を――」
次の瞬間、トラマツの顔から青い炎が立ちのぼる。雨によってすぐにそれはかき消されたが、トラマツが怯んだすきにトキオは左腕から滑り抜けていた。
怒りで顔を紅潮させながら右腕を振り上げたトラマツの顎を、一気に距離を詰めていたハナコが、体を反転させながら逆手に握った警棒で薙いだ。落とされたことに気づかぬうちに、白目をむいてどす黒い水たまりへと突っ伏すトラマツ。
「あ……危なかった」
こめかみをさすりながらトキオが言う。
「ほんと弱いねえ、あんた」
「おれはケンカが苦手なんす」
「お手製の煙玉を、なんで使わなかったんだ?」
「あれはただの目くらまし、逃げるためのもんです」
「使ったのなんて、見たことがないよ」
「いつも逃げる前に、ネエさんがやっつけちまいますから」
「たまには頑張りな」
言って、ハナコは警棒を縮めてホルダーにしまい、潰れたヒキガエルみたいになったトラマツを、足で転がしてあおむけにした。
「なんであおむけに?」
「水たまりで溺れ死んだら、このオヤジが浮かばれないだろ」
「ハハ、意外と優しいじゃないですか」
「殺す気で来ない連中を殺すほど鬼じゃないっての。ただし木箱はあんたが持ちなよ。あたしは意外と優しくないからさ」
不満そうに鼻から息を漏らすトキオの肩を小突き、ハナコは歩き出した。
車から出した木箱を背負いながら、トキオがそのあとを追う。
「車、オシャカになっちゃいましたね。また借金が増えちまう」
「オシャカサマは『執着を捨てろ』と言ってるよ」
「ネエさん、ブッディストでしたっけ?」
「そんなわけないだろ。むかしチャコに借りた本に書いてあったんだよ」
雨の勢いが増している。
雨は、本当にイヤだ。
「走るよ」
雨で汚されていくのに耐えきれなくなり、ハナコは三つ編みを躍らせて走り出した。
言って、トキオ・ユーノスが、右目を隠す黒革のアイパッチを掻いた。
「なにか問題でもあるの?」
ぶっきらぼうに返して、ハナコは雨のしぶく窓越しに外を見た。
「雨だとすこしだけ運転がしづらくなるんす。それにほら、ネエさん、雨に濡れるのすごくイヤがるでしょう?」
「……まあね」
たしかにトキオの言うとおり、雨に濡れるのはイヤだ。
街中の邪悪が集まったような、黒い雨。
この街の人間は、雨をとても嫌う。ハナコもその例外ではなかった。それに、雨が降ると右太ももの古傷がうずく。
「だけど、人がいなくなるから好都合じゃないか。きっと、あいつらもどこかで雨宿りしてるはずだよ」
「だといいんですがねえ……」
愛用している、三段伸縮式特殊警棒を手持ち無沙汰にいじりながら、ハナコは後部座席の木箱に目をやった。
顔をしかめたくなるほどの臭いが、そこからあふれ出している。
「どう思う?」
「なにがですか?」
「うしろの」
「ああ……それがなにか?」
「食べたこともないから知らないけど、これってこんなに臭いモノなの? もしかして、もう腐ってるんじゃない?」
「どうですかねえ。腐ってたら、金がもらえないんですか?」
「腐らせるなとは一言も言われていないから、ジイさんがゴネようが金はもらうさ。あたしらは、運ぶのが仕事だからね」
「さすが頼りになりますね、ネエさんは」
「ふん、それにしても臭い」
「景気づけに一杯どうです? 一口分なら残ってますよ」
トキオが、ナイロン地の黒いサマージャンパーの右ポケットから、バーボンの入ったスキットルを取りだす。
「しまっときな、まだ仕事中だ」
「はいはい、ほんと、ネエさんには頭が下がります」
トキオのおべんちゃらに鼻を鳴らして窓外に視線をうつし、ハナコは後方へと流れゆく雨に煙る街並みを眺めた。
物心ついた時から、この街はすでに汚れていた。
黒い雨のせいでもあるが、それよりも街の空気が、ここに住む人々の深いため息で充たされていることの方が大きな原因だ――
――スラム。
そう、まさにスラム街だ。
死んだ目をした大人たちと、いずれおなじ目になってしまう子どもたちが、窮屈そうにひしめきあっている――
――〈クニオ九番街〉
それがこの街の名前で、その数字は、偉大なる総統、クニオ・ヒグチ様が統治する〈クニオ共和国〉にある九つの〈番号つきの街〉の中でも、最下層のゴミ溜めであることを意味する。
住人は“九番”という略称でこの街を呼ぶが、その上には必ずと言っていいほど“地獄の”という言葉がつく。
『九番、
九番、
地獄の九番
夢も希望も
ありゃしナイン』
いつだったか、〈酒場のヌシ〉と呼ばれている老いぼれの酔っ払いが陽気にうたった、ヘタクソな都々逸がふと頭を過ぎった。
それを聞いて笑えなかったのは、まだ心のどこかに淡い希望を抱いているからだろうか?
「あそこ、雨だってのに、ガキどもがいますよ」
トキオの視線の先をたどると、襤褸をまとった数人の子どもたちが、廃ビルのさして広くもない軒下で雨宿りをしながら、しけたタバコを大人ぶってふかす姿が目に入った。明日への希望をネズミ色のため息に変えて雨に溶かしている姿に、言いようのない侘びしさを覚える。
また、この街が汚されていく……
雨空を見上げる子どもたちの胡乱な目には、大人じみた倦怠感しかなく、すべてを諦めきっているようにさえ見えた。
「ガキども、〈笛吹き男〉が怖くないのか?」
「そんな都市伝説の怪物、おれだって信じちゃいないですよ」トキオが鼻で笑う。「それにあいつら、たぶん〈蜘蛛の巣〉のガキどもでしょう? あいつらの感覚は、おれたちには理解できないですからね」
トキオの言うとおり、九番の奥の奥、さらに深い領域にある、〈マダム・キンブル〉と五人の〈守護者〉によって統治される非合法産業複合体――〈蜘蛛の巣〉――の住人たちと交流なんてあるはずもなかったが、それでも、あの〈蜘蛛の子〉と呼ばれる子どもたちまで人の心を失ってしまっているとは思いたくなかった。
それに、〈蜘蛛の巣〉には師匠がいる。〈血の八月〉によって母親をうしなったあと、しばらく面倒をみてもらっていた師匠は、ハナコが十四になったときになにも言わずひとりで〈蜘蛛の巣〉の奥深くへとへ消えてしまった。あのとき師匠がなにを思って姿を消してしまったのか、今となってはもう分からないが、元気でやっているだろうか?
ふと、師匠の「環境が人を殺す」という言葉を思い出す。
たしかにこんな街で過ごしていると心も荒むし、死にたくなる日のほうが多いのは事実だ。それでも、あたしはまだ生きているし、あの子たちだってまだ生きている。
「……どこに住んでようが、人は、人だろ? 大差ないよ」
「まあ、ですよねえ」
トキオがハナコの言葉を鼻で笑う。
次の刹那、破裂音とともに、車が大きく左に傾いだ。
「ちくしょう!」
とられたハンドルを必死にもどしながら、トキオが叫ぶ。
後部座席の木箱がすべり、ドアにぶち当たった。
「止めろ!」
怒鳴ると同時に、スピードのまだ落ちない車から、ハナコは外に飛び出した。
二三度ころがり、すぐに体勢を整える。
……黒い雨、サイアクだ。
警棒を一気に振り下ろして伸ばし、車が傾いだ場所へ向かうと、そこには、赤錆びたクギをL字に曲げた、手製のマキビシがばらまかれていた――
――コブシ一家か?
便所の黄ばみよりもしつこい〈強奪屋〉どもの、あのバカみたいな極悪ヅラが脳裡にちらつく。
ハナコは警棒をベルトに提げたホルダーにしまって、ぬかるんだ地べたに転がるちょうどいい大きさの石ころを拾い、深呼吸をしてから辺りを見渡した。だがどこにも奴らの影は見当たらず、それどころか雨が聴覚の邪魔をして、衣擦れや息づかいさえ聞こえてこない。
「ネエさん!」
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トキオに命令し、ハナコは耳を澄ませた。
すると、風切り音が右後方からかすかに聞こえ、瞬時に反応したハナコは、右へ飛び退きながら、アタリをつけたビルの割れた窓へと石ころを力いっぱいぶち込んだ。
「ぐげっ」
寝ぼけたヒキガエルのような声とともに、人が倒れる音がする。
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「ガハハ、失敬、失敬。だが、未来の義理の娘を殺す気はさらさらないぜ。首筋に向けたのはゴエモンのミスだ」
「だれが結婚するって言ったよ? あんたのバカ息子のために、花嫁衣装を着る予定は入ってねえよ」
「その跳ねっ返りの強さも、お前の可愛いところだな」
腹をさすりながら笑うトラマツ。
その横から、二つに割れたカラスマスクを両耳にぶら下げた緑色のリーゼント頭が、鼻をおさえながら涙目で顔を出した。
男の名はゴエモン・コブシ。犬並みの異常嗅覚から〈鼻探偵〉という異名を持つ、コブシ一家の末っ子長男は、なんの因果かハナコにベタ惚れしている。
はじめてコブシ一家に襲撃された一年半前、ノされたのにも関わらず――元来、被虐趣味があったのかもしれないが――ハナコに恋したゴエモン。そして恋の病に苦しむ愛息を応援すると誓ったトラマツから「依頼のブツを一度でも奪うことができれば、ハナコはゴエモンの嫁になる」という条件を一方的に突きつけられ、それからことあるごとに仕事の邪魔ばかりされている。
「ばながおれぢまっだじゃねえが、バナゴオォッ!」
ゴエモンは叫びながら、矢をつがえたクロスボウをハナコに向けた。
「しばらく使えないね、自慢のお鼻」
「ギギギッ!」
「仕留めきれなかった、お前が悪い」
言って、ゴエモンが構えたクロスボウを下げさせるトラマツ。
「しょうがねえが、お仕置きだ」
「やめ――」
トラマツが、生身の左拳で力いっぱいにゴエモンを殴り飛ばした。
「まったく、いくつになっても犬並みの嗅覚以外は使い物にならねえ。そんなんじゃいつまで経っても……ちっ、ノビてやがらあ」
「じゃあ、わたしがもらうわよ、パパ」
頭上から聞こえた声で見上げると、背にした廃ビルの二階から、黒い下着姿の黒髪おかっぱ頭の女が黒い木刀を振り上げながら飛び降りてきた。ハナコは寸でのところでそれを避け、飛び退きざまに、壁から抜き取った矢をその女めがけて投げつけた。女はそれをかわし、不敵な笑みを浮かべてハナコと対峙する。
女の名は、リン・コブシ。コブシ一家の長女であり、九番では右に出る者はいないと言われるほどの卓越した鍵開けの技術から〈千本鍵〉という異名を持つ。
リンは、五年前に勃発した革命戦争――〈血の八月〉――で母親を失ってから、実質的にコブシ一家を支えてきた肝っ玉の据わった女であり、ゴエモンが惚れているハナコに、なかば嫉妬とも思えるような憎悪を抱いていて、一家にあって唯一、ハナコの命を本気で狙っている、最も厄介な存在だった。
「いつから露出狂になったんだ、リン。オシャレは卒業?」
「濡れるのがイヤだから、上で脱いできたの」
「下着はいいわけ?」
「バカね。これは下着じゃなくて水着なのよ。あんたみたいな、色気のかけらもない小娘には着れない代物さ」
「あたしはまだ若いから、そんなもん無くても男は寄ってくるんだよ、年増のオバサン」
「オバ……わたしは、まだ二七よ!」
オバサンという四文字に敏感なリンは、とても扱いやすい。
リンが怒り任せに突き出してきた木刀をハナコは鼻先でかわし、ホルダーから抜き取った警棒で鳩尾を思うさま突いた。ぬかるんだ地べたに足をとられ、ド派手なしぶきをあげながら水たまりに倒れこんだリンは、胸をおさえて息も絶え絶えになった。
「なんど来ても同じことだよ、諦めな」
「バカめ、諦めるのはお前のほうだ!」
ドスの利いた声に振り向くと、トキオに左腕でアイアンクローを極めたトラマツが高らかに笑い声をあげた。
「今日こそ、お前の泣きっ面が見れるぜ」
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「泣かす? 殺すつもりできなよ。その腕を使ってさ」
「あいにくと、〈射出機能内蔵義手〉はお前を殴り殺すためのものじゃねえ」
言って、笑うトラマツ。
「分かってるだろ、カワイイ息子のためにお前を殺すことはできねえからな。だが、いやだからこそ、せめてお前の泣きっ面を見るのがおれさまの悲願だ」
「親バカの極みだね」
「なんとでも言え。そして頼りない相棒を恨むこった」
「……トキオをあまりナメない方がいいよ」
「あん?」
虚を突かれたトラマツの顔に、トキオがポケットから取りだしたバーボンを振りかけた。
「てめえ、何を――」
次の瞬間、トラマツの顔から青い炎が立ちのぼる。雨によってすぐにそれはかき消されたが、トラマツが怯んだすきにトキオは左腕から滑り抜けていた。
怒りで顔を紅潮させながら右腕を振り上げたトラマツの顎を、一気に距離を詰めていたハナコが、体を反転させながら逆手に握った警棒で薙いだ。落とされたことに気づかぬうちに、白目をむいてどす黒い水たまりへと突っ伏すトラマツ。
「あ……危なかった」
こめかみをさすりながらトキオが言う。
「ほんと弱いねえ、あんた」
「おれはケンカが苦手なんす」
「お手製の煙玉を、なんで使わなかったんだ?」
「あれはただの目くらまし、逃げるためのもんです」
「使ったのなんて、見たことがないよ」
「いつも逃げる前に、ネエさんがやっつけちまいますから」
「たまには頑張りな」
言って、ハナコは警棒を縮めてホルダーにしまい、潰れたヒキガエルみたいになったトラマツを、足で転がしてあおむけにした。
「なんであおむけに?」
「水たまりで溺れ死んだら、このオヤジが浮かばれないだろ」
「ハハ、意外と優しいじゃないですか」
「殺す気で来ない連中を殺すほど鬼じゃないっての。ただし木箱はあんたが持ちなよ。あたしは意外と優しくないからさ」
不満そうに鼻から息を漏らすトキオの肩を小突き、ハナコは歩き出した。
車から出した木箱を背負いながら、トキオがそのあとを追う。
「車、オシャカになっちゃいましたね。また借金が増えちまう」
「オシャカサマは『執着を捨てろ』と言ってるよ」
「ネエさん、ブッディストでしたっけ?」
「そんなわけないだろ。むかしチャコに借りた本に書いてあったんだよ」
雨の勢いが増している。
雨は、本当にイヤだ。
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地球最強のサイボーグ兵士が目覚めた時
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地上は、魔法と古代文明が入り混じる
ファンタジー世界へと変容していた。
新たなる世界で、兵士は 冒険者を目指す一人の少女と出会い
再び人類の守り手として歩き出す。
そして世界の真実が解き明かされる時
人類の運命の歯車は 再び大きく動き始める...
※書き物初挑戦となります、拙い文章でお見苦しい所も多々あるとは思いますが
もし気に入って頂ける方が良ければ幸しく思います
週1話のペースを目標に更新して参ります
よろしくお願いします
▼表紙絵、挿絵プロジェクト進行中▼
イラストレーター:東雲飛鶴様協力の元、表紙・挿絵を制作中です!
表紙の原案候補その1(2019/2/25)アップしました
後にまた完成版をアップ致します!
夜空に瞬く星に向かって
松由 実行
SF
地球人が星間航行を手に入れて数百年。地球は否も応も無く、汎銀河戦争に巻き込まれていた。しかしそれは地球政府とその軍隊の話だ。銀河を股にかけて活躍する民間の船乗り達にはそんなことは関係ない。金を払ってくれるなら、非同盟国にだって荷物を運ぶ。しかし時にはヤバイ仕事が転がり込むこともある。
船を失くした地球人パイロット、マサシに怪しげな依頼が舞い込む。「私たちの星を救って欲しい。」
従軍経験も無ければ、ウデに覚えも無い、誰かから頼られるような英雄的行動をした覚えも無い。そもそも今、自分の船さえ無い。あまりに胡散臭い話だったが、報酬額に釣られてついついその話に乗ってしまった・・・
第一章 危険に見合った報酬
第二章 インターミッション ~ Dancing with Moonlight
第三章 キュメルニア・ローレライ (Cjumelneer Loreley)
第四章 ベイシティ・ブルース (Bay City Blues)
第五章 インターミッション ~ミスラのだいぼうけん
第六章 泥沼のプリンセス
※本作品は「小説家になろう」にも投稿しております。
法術装甲隊ダグフェロン 永遠に続く世紀末の国で 野球と海と『革命家』
橋本 直
SF
その文明は出会うべきではなかった
その人との出会いは歓迎すべきものではなかった
これは悲しい『出会い』の物語
『特殊な部隊』と出会うことで青年にはある『宿命』がせおわされることになる
法術装甲隊ダグフェロン 第二部
遼州人の青年『神前誠(しんぜんまこと)』が発動した『干渉空間』と『光の剣(つるぎ)により貴族主義者のクーデターを未然に防止することが出来た『近藤事件』が終わってから1か月がたった。
宇宙は誠をはじめとする『法術師』の存在を公表することで混乱に陥っていたが、誠の所属する司法局実働部隊、通称『特殊な部隊』は相変わらずおバカな生活を送っていた。
そんな『特殊な部隊』の運用艦『ふさ』艦長アメリア・クラウゼ中佐と誠の所属するシュツルム・パンツァーパイロット部隊『機動部隊第一小隊』のパイロットでサイボーグの西園寺かなめは『特殊な部隊』の野球部の夏合宿を企画した。
どうせろくな事が怒らないと思いながら仕事をさぼって参加する誠。
そこではかなめがいかに自分とはかけ離れたお嬢様で、貴族主義の国『甲武国』がどれほど自分の暮らす永遠に続く20世紀末の東和共和国と違うのかを誠は知ることになった。
しかし、彼を待っていたのは『法術』を持つ遼州人を地球人から解放しようとする『革命家』の襲撃だった。
この事件をきっかけに誠の身辺警護の必要性から誠の警護にアメリア、かなめ、そして無表情な人造人間『ラスト・バタリオン』の第一小隊小隊長カウラ・ベルガー大尉がつくことになる。
これにより誠の暮らす『男子下士官寮』は有名無実化することになった。
そんなおバカな連中を『駄目人間』嵯峨惟基特務大佐と機動部隊隊長クバルカ・ラン中佐は生暖かい目で見守っていた。
そんな『特殊な部隊』の意図とは関係なく着々と『力ある者の支配する宇宙』の実現を目指す『廃帝ハド』の野望はゆっくりと動き出しつつあった。
SFお仕事ギャグロマン小説。
基本中の基本
黒はんぺん
SF
ここは未来のテーマパーク。ギリシャ神話 を模した世界で、冒険やチャンバラを楽し めます。観光客でもある勇者は暴風雨のな か、アンドロメダ姫を救出に向かいます。
もちろんこの暴風雨も機械じかけのトリッ クなんだけど、だからといって楽じゃない ですよ。………………というお話を語るよう要請さ れ、あたしは召喚されました。あたしは違 うお話の作中人物なんですが、なんであた しが指名されたんですかね。
「メジャー・インフラトン」序章4/7(僕のグランドゼロ〜マズルカの調べに乗って。少年兵の季節JUMP! JUMP! JUMP! No1)
あおっち
SF
港に立ち上がる敵AXISの巨大ロボHARMOR。
遂に、AXIS本隊が北海道に攻めて来たのだ。
その第1次上陸先が苫小牧市だった。
これは、現実なのだ!
その発見者の苫小牧市民たちは、戦渦から脱出できるのか。
それを助ける千歳シーラスワンの御舩たち。
同時進行で圧力をかけるAXISの陽動作戦。
台湾金門県の侵略に対し、真向から立ち向かうシーラス・台湾、そしてきよしの師範のゾフィアとヴィクトリアの機動艦隊。
新たに戦いに加わった衛星シーラス2ボーチャン。
目の離せない戦略・戦術ストーリーなのだ。
昨年、椎葉きよしと共に戦かった女子高生グループ「エイモス5」からも目が離せない。
そして、遂に最強の敵「エキドナ」が目を覚ましたのだ……。
SF大河小説の前章譚、第4部作。
是非ご覧ください。
※加筆や修正が予告なしにあります。
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