空翔ける犬

ばたかっぷ

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空翔ける犬

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おじいちゃんが優しく笑う

「トテアは温かいね」って

おばあちゃんはボクの好きなミルクを温めながら

「トテアは大きくなったら何になるの?」って問いかける

「ボクは大きくなったら空挺士くうていしになるよ」って答えた

そうか、それは立派な夢だなとおじいちゃんがボクをゆったりと撫でて、おばあちゃんは温かいミルクをくれた



ゆっくりと覚醒してゆく意識の中で、優しい夢の記憶は欠片しか残らず、慌ただしい朝の営みの中ですぐに埋もれてしまう。

「トテア。今日も配達は山積みだけど、頑張ってくれよな」

相棒のラルフが僕の首を軽く撫でてから背に跨がり手綱を引く。僕は大きく息を吸い込み、つばさをゆっくりと上下させ静かに空へと舞い上がる。


僕は羽犬はねいぬのトテア。
街から町へ、町から村へ、色んな物資を運ぶ飛空士ひくうし。飛空騎士のラルフとはペアを組んでもう5年になる。

運ぶ荷物は食料や日用品、手紙なんかは勿論、時には機密文書や武器なんかを運ぶ時もある。

羽犬はその名の通り羽を持つ犬のような獣をそう呼ぶ。知能は高く人の言葉を喋り、自分で考え行動する。

そんな羽犬は国の大事な戦力とも言える貴重な存在だ。国によって大切に保護され、繁殖を促し養育を行い、空艇士の訓練を施される。

だけど僕は生まれたとき羽なしだった。
たまにいるんだ。羽を持たずに生まれてくる奴が。

羽なしで生まれれば良くて殺処分、運が悪けりゃ被験体として苦しむだけの短い一生しかない。

そんな運命に生まれた僕だったけど、空艇騎士の教官だったおじいちゃんに引き取られたお陰で、こうして生きながらえている。

おじいちゃんに引き取られた僕はただの仔犬として、おじいちゃんとおばあちゃんに大事に育てて貰った。

近所の犬仲間と普通に遊びながら、時折上空を横切る羽犬の姿に、憧れを募らせながら大きくなっていった。

普通の犬は勿論、羽なしの僕に空艇士になれっこないなんて子供の僕らには知るすべもなく。

普通の犬と羽犬は寿命が違う。
だから成長の速度も僕は仲間よりずっと緩やかだった。

 
成犬おとなになった仲間は僕に言う。
まだ羽犬になれるって思っているのかって。
あれは俺らとは違う生き物だ、住む世界も生き方も与えられた役割も全てが違うんだって。早く大人になれよって笑いながら言う。

小さいままの僕は、大きくなった仲間にそうだねと頷きながらも、空への憧れを絶やすことは出来なかった。

それは僕の持って生まれた本能だったのかも知れない。

それでも、おじいちゃんとおばあちゃんに囲まれた穏やかな毎日は幸福に包まれて過ぎていく。そんな日々の中、それは行き成り襲ってきた。

魔物達のスタンピード。
突然襲ってきた大量の魔物達によって、村はあっという間に蹂躙されていった。

村の人達も犬仲間も次々と犠牲になっていく。

空艇騎士だったおじいちゃんは村の人達を逃がす為に、村の若者達と共に大量の魔物へと向かって行った。

それを見守るしかない僕を歯痒く思いながらも、ただの仔犬でしかない僕に出来る事なんて何もなかった。

それでもおばあちゃんを守りたくて、襲ってきた魔物に僕は牙を剥いた。

魔物の鋭い爪が僕を切り裂こうとしたその時、おばあちゃんが僕を抱え込んだ。

僕を切り裂くはずの爪は、おばあちゃんの小さな背中を抉り真っ赤な血が飛び散った。

その後の記憶は曖昧だーー。

気付いた時、僕の体は僕たちの小さな家よりも大きくなって、背中には空を見上げ憧れていたあの羽犬と同じ、大きな大きな羽が生えていた。

村を襲った魔物は全て息絶えていて、僕の爪と口元は真っ赤に染まっていた。

僕の周りを静寂が包む。

おじいちゃんもおばあちゃんも犬仲間も村の大人も若者も子供も、誰一人助からなかった。

僕はひとり。

あの日憧れた羽犬になったけれど、それを喜んでくれる人も驚く仲間も、もう誰もいなかったーー。



どうして羽なしだった僕が羽犬になれたのかはわからない。

でも、そんなこともうどうだっていい。
僕を優しく呼んで温もりをくれる人達はもういないんだから。

羽犬の役目は空艇士としての軍役で、戦闘を目的とした任務が主体だ。退役した羽犬や荒事に向かない羽犬は配達を主体とした飛空士となる。

そしてスタンピードを切り抜けた僕は、戦闘に特化した羽犬として軍に連れて行かれた。

けれど僕は何もしなかった。

羽犬の役目?
僕はただの仔犬だよ。

おじいちゃんのお膝の上で微睡みながら、おばあちゃんの子守唄を聴く。

明日は犬仲間たちと小川で遊ぼう。

ただボンヤリと軍の獣舎で昔の夢を見て過ごす。


「トテア」

懐かしい声が僕を呼ぶ。
ああ、おじいちゃんの声だ。

僕はゆっくりと瞼を上げた。

僕を見上げる優しい琥珀色アンバーの瞳。

「トテア」

おじいちゃんじゃない。でも、優しい声だ。

「おいで」

その声に導かれるように僕は立ち上がって外へ向かった。

「さあ、飛ぼう」

飛ぶ?どこへ?

「君は飛ぶために生まれてきた。空が君を待っている」

僕は小さな仔犬だよ。空なんて飛べない。

だけど、優しい声の持ち主は僕の背にふぅわりと乗り込むと首筋を撫でて

「さあ、行こう」

力強い声で言う。ーー僕は背中のつばさを広げた。




*****




「ラルフ遅いよ。早くしないと始まっちゃう」

「そんなに急がないでも大丈夫だって。トテア」

今日はこの国ゼルディウーラのお祭りだ。王都では盛大な花火が上がる。

少しでも良い場所で見ようとラルフを急かす。
でも美味しそうな屋台の匂いにも誘われて、僕の足も止まりがちだ。

国中の人が集まってきたかのような人の多さに辟易しながらも、その熱気に気分が高揚する。

くんくんくふくふ

「危ないよトテア」

浮き足立つ僕の腕をラルフが掴んで、その胸に引き寄せてくれた。

「ふふっ。ありがとラルフ」

「トテアはあんまり人型にならないから、足元が危なっかしくて心配だよ」

「じゃあ、ラルフがこのまま抱きしめてて」

「余計に歩きにくくなるよ?」

「温かいからいいの」

あの時、聞こえた声に導かれて羽を天まで伸ばした僕は、いつしか生きることを思い出していた。

おじいちゃんもおばあちゃんも、育ってきた村も失ってしまったけれど、今の僕には空がある。

そしてラルフがいてくれる。

あの時僕を空へといざなってくれた、琥珀色の瞳の持ち主のラルフと、共に過ごすようになってから幾度も季節が変わった。

全てを映すことを拒んだ僕の瞳に映り込んだ、優しい声の澄んだ琥珀色の瞳のひと。

どこかおじいちゃんと似た雰囲気を纏っていたそのひとは、止まっていた僕の時間の螺子ネジをゆっくりとゆっくりと巻いて、動かしてくれた。

羽なしから大きなからだの羽犬になった僕は、いつの間にか人の姿になった。

この国に羽犬はたくさんいるけど、あまり姿を見掛けないのは普段は人の姿で過ごしているからだと、ラルフに教えて貰った。

羽犬って不思議な生き物だな。どうして人の姿になれるんだろう。でもいいや。こっちの姿だとラルフともたくさん触れ合えるから。

お祭りを楽しんで家に帰った僕らは同じしとねで眠りにつく。

ラルフと肌を重ね合わせるようになったのは、あかいアルマリラの花が咲く頃だったかな。褥のなかでラルフが僕の肌にあかい花を咲かせる。

ふふっ、気持ちいい。

胸の小さな印もあかく染まる。
少しずつ熱くなるからだ。僕のちいさな屹立をラルフが優しく撫でてくれる。僕は早くラルフと繋がりたくてラルフのモノをぎゅうっと握った。
ラルフはちょっと驚いた顔をしたあと、僕の蕾にゆっくりと指を這わせてきた。

闇の中に仄かなアルマリラの香りが静かに広がっていったーー。


ラルフの胸のなかで僕は幸せな夢を見る。

僕はあの懐かしい村で、おじいちゃんとおばあちゃんと仲間たちと、そしてラルフと暮らしている。

大きな羽犬になった僕はおじいちゃん達を乗せて空高く舞い上がっていく。

ーーみんな笑ってる。ラルフも笑っている。

ほら、僕空を飛んでいるよ?みんなは笑ったけど夢を叶えたよ?

僕は風に乗って、どこまでもどこまでも空を翔けていった。



*****



俺はラルフ・ゼローダン。
飛空騎士として、羽犬のトテアと組んでから結構長い付き合いになる。

羽なしの獣。トテルアーファ。
今は立派に空をるトテアは、もともとは羽なしだったらしい。

本来なら羽なしで生まれた羽犬はすぐに殺される。普通の犬として生きようとしても、空への渇望が強すぎて精神を病んで死んでしまうからだ。

だが稀に羽を持たずに生まれても、からだのなかに羽種うしゅを持つ獣がいる。
それは膨大な魔力を持つが故に、魔力の根幹である羽をその身の内に潜ませゆっくりと育む。

そしてそれは何かの切欠で解放され、類をみない膨大な力を発露させるらしい。

トテルアーファは、その羽種を持つ羽なしの可能性があったらしく、処分はされずに空挺騎士として数多の戦火を潜り抜け、空挺部隊の教官となった老兵に預けられた。

老兵は故郷に帰り、そこでトテアを育てた。老兵は本当に愛情を持ってあの羽なしの獣、トテアを育てたんだろう。

トテアの村を襲ったスタンピードは天災じゃあない。トテアの中の羽種エネルギーに惹かれて集まってきた魔物達によるものだ。

より強大な力を欲する軍部にとって、トテアの覚醒は喜ばしいものだったのだろう。
だがトテアは能力こそ目覚めはしたが、心は小さな仔犬のままそこにあった。

軍に連れてこられ、この事を知らされたトテアは生きる事を放棄した。
戦うことに生の意味を見い出せない羽犬。
ただ虚ろな瞳で息をしているだけの哀れな獣。

目論見が外れた軍部は歯噛みをしながらも、トテアを手放そうとはしなかった。

俺はその羽種を持つ羽なしの元をおとなった。
トテアは虚ろな瞳で空を見上げて、ただそこにいた。



*****



寝台のなか隣で小さな寝息を立てて眠るトテア。その柔らかな髪を弄びながら、俺はこの不思議な生き物の事を考える。

大国に挟まれた小国ゼルディウィーラ。この国には不思議な伝説がある。

遠い遠い昔、この世界は戦乱に包まれていた。
人と人との争いは絶える事は無く、人々の争いは憎しみを生み、やがて憎しみは瘴気を帯びた魔物達へと形を変えていった。

人々は蹂躙され、その覇権は次第に魔物達へと移りつつあった。

皮肉なことに、人々は魔物と言う新たな脅威により人間同士の争いに終止符を打つこととなった。

そして、魔物達と人間同士の戦いは実に200年の長きに渡ったが、一人の若者によって終焉を迎える。

その者は小国ゼルディウーラの若き王であった。その王は瘴気を我が身に取り込み、それを浄化する力を持っていた。

瘴気マイナスエネルギー浄化プラスエネルギーへと変換させ、その浄化したエネルギーは羽を持つ獣へと姿を変えていった。

お伽話のようなこの話は真実だ。
ただし、それを知る者は限られた僅かな者だけ。

この国、セルディウーラにある〈核〉と呼ばれる巨大な琥珀いしによって、瘴気は羽犬へと変貌をとげる。

羽犬の正体は、瘴気を変換させたエネルギー体だ。実体を持たない彼らは、幾様にも形を変える事が出来る。

世界中を巻き込んだ戦乱は終わったとは言え、小競り合いや魔物による被害は後を絶たない。

それは瘴気を生み出し、瘴気は〈核〉によって羽犬が生み出される。

琥珀かくは争いを治めた王が姿を変えたものと伝承にはあるが、それも定かではない。

ただその王は、澄んだ琥珀色の瞳を持った魔物の血を引く者であったとも言い伝えにある。

俺と同じ、王家に伝わる琥珀色の瞳。

王家の血を引くと言っても、降嫁した末姫の産んだ5男坊に継承権なんて無いのも同じ。ただ俺が滅多に現れない琥珀の瞳を持って生まれたせいで、欲をかいた親が俺を公爵家に養子に出した。

おかげで望んでもいないのに、王家のイザコザに巻き込まれた。

羽なしトテアのもとをおとなったのは、同じように望まぬ生を強いられている獣に興味が湧いたからだ。

トテアと初めて会った日、その姿を見たとき俺は怒りにも似た焦燥を覚え、虚ろな瞳を覗き込んだ。

なぁトテア。お前は空を駆けたいとは思わないのか?空を飛ぶ為に生まれてきたその魂を、そうして地上に平伏ひれふして。

飛びたくはないのか。空を翔けるそのつばさを持ちながら。這いつくばり惨めに朽ちていきたいのか。

俺は、俺達人間は空を翔けることなんて出来やしない。けれどもお前は行くことが出来るんだ。何処までも何処までもその羽を広げて。

そうして俺は、羽なしのトテルアーファに手を差し伸べていた。空へいざなう為に。共にあの彼方へ駆けて行く為に。

トテアはゆっくりと俺の呼びかけに応じゆっくりとつばさを広げて、俺を乗せて空へと舞い上がっていった。

強大な羽犬を従えた俺に周りは狂喜したが、そんな奴らを無視して俺は公爵家を出た。

羽犬の力を知る者達は引き止めることを諦め、俺達はこうして二人で暮らし始めた。

どうしてトテアが俺を選んでくれたのかは分からない。

だが、憎んできた琥珀色の瞳をトテアが覗き込んで来てくれたとき、俺の中に満ちてゆくものがあったのは確かなことだった。

俺のこの瞳と同じ、琥珀石アンバーは、マイナスのエネルギーを抜きプラスのエネルギーを循環させてくれる宝石と言われているが、全ては推測に過ぎない。

ただ、この不思議な生き物をこの腕の中から離すつもりは、

ーーもう決してない。




End
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