83 / 101
第二皇妃パトリシア
しおりを挟む
「陛下はお身体がすぐれませんので、代わりにこの私が報告を受けましょう」
そう語るのは、力なく玉座に座るエドワード王に寄り添っている、一人の女性。
――第二皇妃、パトリシア=オブ=ストラスクライド。
ブリジットの母でもあるこの女の出自は、この百年の戦争において皇国を裏切ってヴァルロワ王国に与した、かつて存在した隣国“アルプ王国”の王女だ。
後顧の憂いを絶つために、先代皇王の“リチャード=オブ=ストラスクライド“はアルプ王国の侵攻に乗り出し、アルプ王国を征服、滅亡へと追いやったのだ。
つまりパトリシアは、その戦利品として幼い頃に当時はまだ皇太子だったエドワード王の妃としてあてがわれたというわけだ。
アビゲイル皇女の母君であるレオノーラ第一皇妃よりも早い婚約及び婚姻であったのだが、それにもかかわらずパトリシアの地位は第二皇妃に甘んじている。
これは、そもそもパトリシアとの婚姻は、征服したアルプ王国の民を服従させるためにあてがったもの。
そのような経緯がある中でこのような仕打ちを行ったのは、皇国は裏切り者のアルプ王国の王女を、まともに扱うつもりはないということを示したのだ。
言ってしまえば、パトリシアという女も長く続いた戦争における、犠牲者の一人ということになる。
話を戻そう。
このパトリシアは、一度目の人生でもほとんど表舞台に姿を現すことがなかった。
僕の記憶では、顔を合わせたのはエドワード王の葬儀の時の、その一回だけだったと記憶している。
じゃあ、この女はどうして姿を見せなかったのかというと、毒による体調不良をおくびにも見せないエドワード王とは真逆で、パトリシアは表向きは病弱であることを理由にして、全ての公務から離れていることになっていた。
とにかく、パトリシアが急に姿を見せたことにも驚きだが、それ以上にエドワード王の様子も気になる。
調理人達を全てアビゲイル皇女が人選を行って入れ替えた後は、回復の兆しを見せていたはずなのに……。
「あら? 此度の遠征では、特に報告することはないということでよかったのかしら……」
「あ……し、失礼いたしました」
アビゲイル皇女とサイラス将軍が深々と頭を下げ、ヴァルロワ王国遠征について備に報告した。
柔らかい表情で時折頷くパトリシアとは対照的に、虚ろな目で天井を見つめているエドワード王。
……少なくとも、これまで口に入れていた毒とは違うようだけど、何かをされたのは間違いない。
いずれにせよ、この謁見が終わり次第確認しないと。
「……報告は以上になります」
「そう……皆、大変だったわね……陛下がこのような状態でなければ、ひょっとしたら王国に勝利し、長く続いた戦争に終止符が打てるところだったのに……」
愁いを帯びた表情で、頬に手を当てるパトリシア。
こういう感情とは別の表情を自在に使い分けるところは、娘であるブリジットと同じだな。
……これ以上は、話をしても無駄か。
「アビゲイル殿下……」
僕は後ろからアビゲイル皇女に声をかけると、彼女は頷き、パトリシアを見据えた。
「パトリシア妃殿下、私達は遠征から戻ってきたばかり。兵達を休ませてあげなければなりませんので、失礼いたします」
「ええ、ご苦労様」
玉座に座ったままのエドワード王とパトリシアを一瞥し、僕達は謁見の間を出た。
「……ギュスターヴ殿下はご存知ではないと思いますが、あの御方は第二皇妃のパトリシア妃殿下で、ブリジットの母君になります」
一応、死に戻った後のこの世界では初対面になるから、アビゲイル皇女が説明する。
もちろん僕は知っているけど、ちゃんと真剣に聞いているとも。
「それでは、どうしてパトリシア妃殿下が急にお姿を見せたのでしょうか……それに、今の話では病弱とのことですが、妃殿下の様子を見る限りそのような節は見当たりませんでしたが」
「……私にも、分かりません」
アビゲイル皇女は、困った表情でかぶりを振った。
まあ、普通に考えれば、病弱であるということが最初から嘘だったということだ。
なら、どうしてそんな嘘を吐いて、何年も表舞台に姿を見せなかったのか。
可能性として考えるなら、皇妃としての役割に嫌気がさしたか、あるいは、陰に隠れている必要があったかということだ。
あの様子から察するに、理由は後者だと思うけど。
「……いずれにせよ、僕達が皇都を離れていた間に何があったのか、詳しく調べる必要があります。グレン卿、あなたは強引にでも騎士団長という立場を利用して、エドワード陛下の傍で監視を頼む」
「分かった。だが、監視はパトリシア妃殿下だけでいいのか?」
「いや、他にも陛下に近づく者がいれば、逐次教えてほしい」
当たり前だが、グレンは騎士であり武人だ。間者働きができるわけではないけど、僕達の中で一番エドワード王の傍にいることができるのは彼だけ。
無理を承知で、やってもらうしかない。
「ほ……では、私は何をするかな」
「サイラス将軍は普段どおりで構いません。いえ、むしろそのように振る舞ってください」
「というと?」
「勝利目前だった僕達を帰還させたということは、それを望んでいない者がいるということです。エドワード陛下の様子からも、このような決定ができる状態であるとも思えません」
「うむ」
「ひょっとしたら、普段と様子が変わらない将軍を見て、何者かが業を煮やして接触してくるかもしれませんね。あくまで僕の勘ですが、向こうはこちらの出方を探っていると思いますし」
「そうですな」
サイラス将軍は、納得の表情で頷く。
「では、私達はどういたしますか?」
「もちろん、僕達も普段どおり……と言いたいところですが、これまでずっと忙しくしておりましたし、せっかくなので羽でも伸ばしましょう」
「あ……は、はい!」
僕がおどけてそう提案すると、アビゲイル皇女はパアア、と満面の笑みを浮かべた。
「では、そういうことで」
「うむ」
「ああ」
ここで別れ、グレンはエドワード王のもとへ、サイラス将軍は遠征の後片付けを行っている最中の兵舎へ、そして僕とアビゲイル皇女は、せっかくなので庭園でお茶をすることにした。
その途中。
「あれは……」
通路の陰でこちらを見ているのは、先程応接室に僕達を呼びに来た、あの侍従だった。
そう語るのは、力なく玉座に座るエドワード王に寄り添っている、一人の女性。
――第二皇妃、パトリシア=オブ=ストラスクライド。
ブリジットの母でもあるこの女の出自は、この百年の戦争において皇国を裏切ってヴァルロワ王国に与した、かつて存在した隣国“アルプ王国”の王女だ。
後顧の憂いを絶つために、先代皇王の“リチャード=オブ=ストラスクライド“はアルプ王国の侵攻に乗り出し、アルプ王国を征服、滅亡へと追いやったのだ。
つまりパトリシアは、その戦利品として幼い頃に当時はまだ皇太子だったエドワード王の妃としてあてがわれたというわけだ。
アビゲイル皇女の母君であるレオノーラ第一皇妃よりも早い婚約及び婚姻であったのだが、それにもかかわらずパトリシアの地位は第二皇妃に甘んじている。
これは、そもそもパトリシアとの婚姻は、征服したアルプ王国の民を服従させるためにあてがったもの。
そのような経緯がある中でこのような仕打ちを行ったのは、皇国は裏切り者のアルプ王国の王女を、まともに扱うつもりはないということを示したのだ。
言ってしまえば、パトリシアという女も長く続いた戦争における、犠牲者の一人ということになる。
話を戻そう。
このパトリシアは、一度目の人生でもほとんど表舞台に姿を現すことがなかった。
僕の記憶では、顔を合わせたのはエドワード王の葬儀の時の、その一回だけだったと記憶している。
じゃあ、この女はどうして姿を見せなかったのかというと、毒による体調不良をおくびにも見せないエドワード王とは真逆で、パトリシアは表向きは病弱であることを理由にして、全ての公務から離れていることになっていた。
とにかく、パトリシアが急に姿を見せたことにも驚きだが、それ以上にエドワード王の様子も気になる。
調理人達を全てアビゲイル皇女が人選を行って入れ替えた後は、回復の兆しを見せていたはずなのに……。
「あら? 此度の遠征では、特に報告することはないということでよかったのかしら……」
「あ……し、失礼いたしました」
アビゲイル皇女とサイラス将軍が深々と頭を下げ、ヴァルロワ王国遠征について備に報告した。
柔らかい表情で時折頷くパトリシアとは対照的に、虚ろな目で天井を見つめているエドワード王。
……少なくとも、これまで口に入れていた毒とは違うようだけど、何かをされたのは間違いない。
いずれにせよ、この謁見が終わり次第確認しないと。
「……報告は以上になります」
「そう……皆、大変だったわね……陛下がこのような状態でなければ、ひょっとしたら王国に勝利し、長く続いた戦争に終止符が打てるところだったのに……」
愁いを帯びた表情で、頬に手を当てるパトリシア。
こういう感情とは別の表情を自在に使い分けるところは、娘であるブリジットと同じだな。
……これ以上は、話をしても無駄か。
「アビゲイル殿下……」
僕は後ろからアビゲイル皇女に声をかけると、彼女は頷き、パトリシアを見据えた。
「パトリシア妃殿下、私達は遠征から戻ってきたばかり。兵達を休ませてあげなければなりませんので、失礼いたします」
「ええ、ご苦労様」
玉座に座ったままのエドワード王とパトリシアを一瞥し、僕達は謁見の間を出た。
「……ギュスターヴ殿下はご存知ではないと思いますが、あの御方は第二皇妃のパトリシア妃殿下で、ブリジットの母君になります」
一応、死に戻った後のこの世界では初対面になるから、アビゲイル皇女が説明する。
もちろん僕は知っているけど、ちゃんと真剣に聞いているとも。
「それでは、どうしてパトリシア妃殿下が急にお姿を見せたのでしょうか……それに、今の話では病弱とのことですが、妃殿下の様子を見る限りそのような節は見当たりませんでしたが」
「……私にも、分かりません」
アビゲイル皇女は、困った表情でかぶりを振った。
まあ、普通に考えれば、病弱であるということが最初から嘘だったということだ。
なら、どうしてそんな嘘を吐いて、何年も表舞台に姿を見せなかったのか。
可能性として考えるなら、皇妃としての役割に嫌気がさしたか、あるいは、陰に隠れている必要があったかということだ。
あの様子から察するに、理由は後者だと思うけど。
「……いずれにせよ、僕達が皇都を離れていた間に何があったのか、詳しく調べる必要があります。グレン卿、あなたは強引にでも騎士団長という立場を利用して、エドワード陛下の傍で監視を頼む」
「分かった。だが、監視はパトリシア妃殿下だけでいいのか?」
「いや、他にも陛下に近づく者がいれば、逐次教えてほしい」
当たり前だが、グレンは騎士であり武人だ。間者働きができるわけではないけど、僕達の中で一番エドワード王の傍にいることができるのは彼だけ。
無理を承知で、やってもらうしかない。
「ほ……では、私は何をするかな」
「サイラス将軍は普段どおりで構いません。いえ、むしろそのように振る舞ってください」
「というと?」
「勝利目前だった僕達を帰還させたということは、それを望んでいない者がいるということです。エドワード陛下の様子からも、このような決定ができる状態であるとも思えません」
「うむ」
「ひょっとしたら、普段と様子が変わらない将軍を見て、何者かが業を煮やして接触してくるかもしれませんね。あくまで僕の勘ですが、向こうはこちらの出方を探っていると思いますし」
「そうですな」
サイラス将軍は、納得の表情で頷く。
「では、私達はどういたしますか?」
「もちろん、僕達も普段どおり……と言いたいところですが、これまでずっと忙しくしておりましたし、せっかくなので羽でも伸ばしましょう」
「あ……は、はい!」
僕がおどけてそう提案すると、アビゲイル皇女はパアア、と満面の笑みを浮かべた。
「では、そういうことで」
「うむ」
「ああ」
ここで別れ、グレンはエドワード王のもとへ、サイラス将軍は遠征の後片付けを行っている最中の兵舎へ、そして僕とアビゲイル皇女は、せっかくなので庭園でお茶をすることにした。
その途中。
「あれは……」
通路の陰でこちらを見ているのは、先程応接室に僕達を呼びに来た、あの侍従だった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
2,380
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる